ポトの過去
「しかし、彼がくるまれていた木の枝でできた籠のようなものは、いったい何だったんでしょう。まあ、あれのおかげで浮くことができて、緩衝材にもなって奇跡的に助かったんでしょうけど、出入り口も見当たらないのにどうやって中に入ったのか、まるで手品のようです」
椅子に腰かけて少年を見つめるポトは暗い顔をしてそう呟いた。
「どうやって中に入ったのか…、か。他人事とは思えんというわけだな」
同じように少年を見つめるオズマンがそう言うと、ポトは口元だけ少し笑った。
「何度も聞かされる話ですけど、私にはオズマン様の船に助けられたことも、それ以前の記憶もありません。なので、漂流して助けられたこの子に特別な感情が湧いたわけではありません。そんな気持ちが無くても助けたでしょうし…」
ポトはこの話になるといつも不愛想な、ちょっと悲しげな顔になる。助けられる前の幼い頃の記憶がないということで、埋まることのない大きな穴が心に開いたままになっているのだろう。
おそらく十歳にも満たない子どもの頃、ポトは海で漂流しているところをオズマンの乗る商船に助けられた。オズマンはあの日のことがついこの間のできごとのように思えるのだが、かれこれもう二十年以上前の話になる。
オズマンが自ら船長として交易船に乗るようになって五年ほど過ぎた頃、アレフォス島での積み荷のやり取りを終え、テキラニア島に帰る船旅の途中で不思議な光景に出会った。
晴天の昼下がり、船尾に近いところに据えたマストに張った帆が船の航行にはまずまずの風を吸って大きく膨らみ、二十人の櫂の漕ぎ手も甲板に上がって一休みしているときだった。
船員の一人が声をあげて前方の海を指さすと、ほかの船員たちもわらわらと集まって甲板の上が騒がしくなった。オズマンも促されて舳先の方に行ってみると、数頭のボッサムの群れが潮を吹いているのが見えた。ボッサムの潮吹きぐらい何も珍しいことではないのだが、五、六頭のボッサムが円を描くように狭い範囲をぐるぐると回りながら潮を吹いているのは確かに今までに見たことが無い光景だった。
群れで集まって狩りでもしているのだろうと皆は思ったが、ボッサムが回る円に近づいて行くと、中心に木箱のようなものが浮いていて、ボッサムの動きに合わせて木箱もくるくると回っているのが見えてきた。
船が近づくと、ボッサムの群れはすっと海に潜っていなくなり、ポツンと取り残された木箱だけが海原に弄ばれるように漂っていた。
「お宝が入った木箱じゃないですか」と船員の誰かが言うと、周りの者も「そうだ、そうだ」と同調して木箱のところまで船べりを寄せ、二人が海に飛び込んでロープをかけると船の上の人たちがロープを引いて甲板の上に木箱を引き上げた。
大人が手を広げたくらいの大きさの木箱は上蓋と箱本体に取り付けられた金具に閂が通されていた。鍵はかかっておらず、船員の一人が閂を外して蓋を開けて中を覗き込むと、「わっ」と声をあげた。声に驚いて中を覗いた数人も息を呑み、そのうちの一人が「子どもだ、子どもが中に入っているぞ」と叫んだ。
その子どもがポトだった。
ポトは並べられた空の酒樽に上に血の気のない顔をして死んだように横たわっていた。
船員たちは大慌てでポトを船室に運び、身に纏っていた濡れた布のようなものを剥ぎとって乾いた服に着替えさせ、部屋を暖めて必死に介抱した。
その甲斐あって半日ほどしてポトは目を覚ましたが、彼は自分の名前も、どこから来たのか、何があったのかも、何も思い出せなかった。
特に怪我は見当たらないが、揺れる木箱の中で頭を強く打ってしまったのかもしれない、と、ポトを介抱していた古参の船乗りはそう言った。
幼いポトに何が起きたのかは分からないが、木箱の中に空樽が敷き詰められていたことで水に浮くことができ、それが助かった要因の一つだったのだが、後になって考えると、あのときボッサムの群れが木箱の周りを潮を吹きながらぐるぐると回っていたのは、木箱の中に人がいることを教えてくれていたのではないか、とオズマンは思うようになった。
『ほら、人間よ、おまえたちの仲間がここにいるぞ』とオズマンたちに知らせ、オズマンたちが気づくと静かに海の中に消えていったボッサム。彼らは非常に賢く、そして情が深い動物と言われており、なにより守護神セリーンに仕える神の使いでもあるのだから。
海で漂流しているところを助けられ、さらには外側に閂が通された木箱の中に少年のポトがどうやって入ったのかわからなかったように、いま目の前で眠っている少年が木の枝で編みこまれた籠の中にどうやって入りこんだのか分からないという点も含めて、二つは怖いくらいに似通っていた。
これも女神セリーンのお導きということなのだろうか。
確かに少年のポトを助けてから今に至るまで、オズマンの船は嵐らしい嵐に出会ったことが無かった。
それにしても…、と、オズマンはあごひげを引っ張りながら改めて考えた。
「この子が入っていた、木のあれ。あれは籠というより、クモが獲物を捕らえたときに糸でぐるぐる巻きにするだろ。あれに似てるような気がするんだが」
「ああ、確かに。なんだか繭のようでもありますね」
二人は首をひねったが答えは出そうになかった。
「まあ、元気になったら本人に聞いてみるさ」
「しかし、彼をどうしますかね。島に戻ってもかなり混乱しているでしょうし、かといって家族も心配しているでしょうから早く帰してあげた方がいいでしょうし」
ポトの問いかけに答えず、オズマンは厳しい顔をして少年を見つめていた。
「彼はエグサだ」
「私もそうだと思いました。彼が握りしめていた小刀、微細な彫刻が施された鞘、エグサにのみ与えられる拝領小刀というやつで間違いないでしょう。町中でエグサの人が腰に差しているのを何度も見ましたからね。しかし、彼はずいぶん若い。エグサになって、まだいくらも経っていないのではないですかね」
しばらく黙って少年を見ていたオズマンが、「うん」と言って頷いた。
「この少年はゴダールに連れていった方がいいと思うが、どうかね」
「えっ」、と言って驚くポトに、オズマンは少年の左腕を布団の中から取り出して、その手のひらを広げて見せた。
温まったおかげで赤みを帯び手のひらに雪の結晶に似た赤黒い放射状の痣が広がっているを見て、ポトはごくりと唾を呑んだ。
「これは…」
「ポトは見たことがないことがないかもしれんが、これとよく似た痣がグラックスにもある。そしてそれは、アグーによって出来たものなのだ」
「グラックス先生は左眼に大きな眼帯をしてますね。子どもの頃に大怪我をして左目が見えなくなったと聞きましたが、もしかしてそれが…」
オズマンは小さく頷いた。
「少年はエグサ。エグサとは、アレフォス島を守護する風光石ザレを崇め、お守りする役目の者たちだと聞いた。そして、この手の痣。少年は、ザレと何かしら深く関係している、と思えてしょうがないんだ。ゴダールの光石アグーの力を取り込んだグラックスに、わしの船に助けられたこの子を引きあわせることに、運命的な何かをわしは感じているんだよ。それに、グラックスは医者だしな。ちゃんと目が覚めて、何事も無ければいいが、体調面を考えるとやはり医者に診せたほうがいいだろう」
「それはそうですが」
「なに、拉致して連れていくわけじゃない。本人が帰りたければ、いつでも送って行ってやるさ」




