最後の団らん 1
ライアンはいつもの癖で、巻き毛の前髪を手でつまんで弄びながら、双子の弟のミロイが薪を割る姿を、丸太に腰掛けながらぼんやり眺めていた。
双子といっても顔はあまり似ていない。ただ、背格好と栗色の髪、そして翡翠色の瞳はそっくりだった。髪の色は同じでも、巻き毛のライアンと、襟足から先だけがはねてしまうミロイとでは、印象がだいぶ違うのだったが。
コバックが言うには、ライアンは母親似で、ミロイは父親似なんだそうだ。もっとも、ライアンもミロイも両親の顔はうろ覚えだ。
今から十年前、二人がまだ五歳の時、夏の終わりから珍しく長雨が続き、アドリラ川が氾濫して多くの人が亡くなる災害があった。二人の両親もその災害の犠牲となり、しばらくして母親の弟であるコバックに引き取られ、山のすそ野にある山小屋でライアンとミロイはコバックに育てられてきたのだった。
父親は役人だったそうだ。亡くなったときはアドリラ川の堤防の補修工事を監督する仕事をしていて、その堤防が決壊して、事務所もろとも流されてしまったらしい。運が悪かったのだろうか、ちょうど母親は父親に昼の弁当を届けに行ったところで、二人とも濁流に飲み込まれてしまったとライアンとミロイは後から聞かされた。二人の遺体はついに出てこなかった。
ライアンは雨が嫌いだ。
十年前の記憶はないが、今年も夏が早く終わり、いつでも雨が降りそうな空模様がもう一月近く続いている。雨が嫌いなのはミロイもきっと同じだろう、とライアンは思っていた。
「ちょっとライアン、ぼーっとしてないで手伝ってよ。またいつ降りだすか分からないんだから、冬に向けて少しでもやっとかないと。それに、これからは家のこと、なかなかできなくなるだろうから」
ミロイが斧を肩に担いでライアンを睨んでいた。
「ああ。わかってるよ」
ライアンは膝に手を当てて、ゆっくりと立ち上がった。
三人が暮らすアレフォス島は豊かな自然が四季折々の表情で彩る美しい島である。
水滴を少し右に傾けたような形をしたアレフォス島は、人の足で歩けば東西に五日、南北に三日ほどかかる大きさだ。島の北寄りには南西から北東に向かってキーリャムと呼ばれる山脈が背骨のように走っていて、山脈のほぼ中央に位置する最高峰のガイル山は遥かに高く、峰々が連なる山の稜線は晩秋から春先まで白い雪化粧を纏う。
遠く離れた場所から見えるキーリャム山脈の雄姿が、ライアンは好きだった。特に冬。尾根と頂きがいくつも繋がって白く輝く線のように見える景色は、透き通るような青空を背景にすると思わず見惚れるほど美しく、心が洗われるような気がするのだ。
山の頂から七合目あたりまでは草木の生えない岩肌が続くが、そこから少しづつ木が増えはじめ、六合目から麓の近くまでは鬱蒼とした広葉樹の森が広がっていて、森はさらに島の西側にいくほど深くなっていく。島の中央部には広大な草原や牧草地があり、東に行くにしたがって田畑が増えてくる。島は東端に向かって細くなっていき、山際が海辺の近くまで迫るような耕作に適さない土地が増えるため、入り江にいくつかの小さな漁村があるばかりになる。
春から夏にかけて南東から吹く湿った風は島に多くの雨をもたらし、秋から冬に吹く北西の風はキーリャム山脈に大量の雪を積もらせる。降った雨や雪は山に染み込み、山肌の間から湧き水となって溢れ、やがていくつもの川となって海まで流れていき、木々や作物を育て、人々の喉を潤す。
アレフォス島で一番大きな川は島のほぼ中央を南北に流れるアドリラ川で、河口に行くほど川幅は大きくなり、川を渡る渡し船の船着き場がいくつも設置されている。緑豊かな島の南側に比べて強い風が吹きつける山脈の北側は岩肌が露出した断崖がずっと続いていて、崖から染みだした水が滝となって海に注いでいるところもあった。
アレフォス島の島民は二万人ほどで、産業の中心である豊富な森林資源による林業とアドリラ川流域の平野部での農業にその多くが従事している。アドリラ川の河口にあるバーラと呼ばれる島でもっとも大きな町には、服や雑貨を扱う店、飲食店、八百屋に魚屋、宿屋など様々な商売をする店が軒を連ねる。町から少し南に行った大きな湾には水深の深い良港があって、近海での漁をする漁船のほか、交易のためにやってくるほかの島の船も停泊していた。豊かな水と風に恵まれたアレフォス島は木々が生い茂り、様々な作物や畜産加工品、海産物が人々の胃袋を満たし、総じて皆穏やかで争いごとなどはほとんどなく、長く平和な暮らしが続いているのだった。
コバックから聞いた古い言い伝えによれば、昔々のアレフォス島は雨が少なく、島の大半は岩や石がごろごろと転がり背の低い痩せた木がまばらに生える、いまとは全く異なる風景が広がっていて、海岸線の入り江に住んで近くの海で魚や貝を獲って暮らす人がごくわずかにいるばかりだったそうだ。
そんな灰色の島を緑に変えたのは、ある神秘的なモノの力によっている。島の人々がいまも崇め敬っている、青の風光石ザレと呼ばれるアレフォス島の守護石である。
言い伝えでは、大導師ムラジと呼ばれる偉人がこのザレを使って島に風を呼び起こし、風に乗って運ばれた大量の雨が島を潤していくつもの川となり、やがて緑が溢れる肥沃な大地に生まれかわったのだそうな。青の風光石ザレはその名のとおり淡い瑠璃色に光り輝いているのだが、その輝きはごく一部の者しか目にすることはできない。大導師ムラジが創設したロクトと呼ばれる寺院の奥の院にある、樹齢千年を超えるスダジイという圧倒的な巨木の幹の中心にあるからだ。ムラジはザレの力を島民の豊かな生活に施すことができるよう、ロクトに仕える僧であるエグサを組織し、ザレの力を得るために祈り、果てしない修行を行うことを課した。やがてロクトが島を治めるようになり、島民はロクトが定めた生活規範に従って日々の生活を営み、恙なく暮らしていけることをザレに感謝し、ロクトとそこに仕える僧であるエグサを尊崇しているのだった。
ライアンたちの叔父であるコバックは二百人ほどいるエグサの一人で、そしてライアンとミロイもまた、コバックと同じエグサとなってこれから生涯をかけてロクトに奉仕することが決まっている。エグサとなることはアレフォス島に暮らす者にとってとても栄誉なこととされている。エグサが敬虔な僧であるということはもちろんそれだけで尊敬に値するのだが、エグサは誰でもなれるというものでもなかった。
ザレに選ばれし者だけがエグサになることを許される、特別な存在だったのである。