救出
どこからか、ぐもー、ぐもー、と悲し気な鳴き声が聞こえた。
「あれは、トンフの鳴き声か。畑で飼われていたのか、放牧されていたものか…、濁流に呑まれて海まで運ばれてしまったんだろう。可哀そうだがどうすることもできんな」
オズマンは波間にトンフの顔が見えるのではないかとしばらく声のする方を探していたが、鳴き声は次第にか細くなり、やがて船に寄せる波の音と漂流物のぶつかり合う音にかき消されて聞き取れなくなってしまった。
短い溜め息をついて顔を上げたオズマンが、「えっ」と大きな声をあげた。
「どうしたんです」
ポトが尋ねると、オズマンは口を開いたまま島の方を指さした。
振り返って見たポトの目にも信じられない光景が映し出された。
夜が明けて空全体が明るさを増したことで見えてきたアレフォス島は、正面に連なる山々の中腹から山裾にかけて、ここから見えるだけでも相当な範囲で緑の木々で覆われた斜面が茶色い地肌を露わにした姿に変わってしまっていたのだった。
「山が、崩れたのだ…。これだけの規模の山崩れが起こったとしたら、バーラの町も呑み込まれてしまったかもしれない」
「あの、山が崩れた辺りは、ロクトの建物があった場所じゃないですか」
「おお、確かにそうだ。…なんということだ。我々は助かったが、大変な被害がでているのは間違いないだろう」
「どうしましょう。島に引き返しますか」
オズマンは少し考えて、「いや」と言った。
「被害の程度もわからん中で、我々が行っても何ができるわけでもなし、被災者が増えるだけだ。地盤が緩んだ状況は他にもあるだろうから、二次災害の危険もあるしな。いったんテキラニアに戻って情報を集めて、医薬品や食料など、支援物資を送った方が役に立つと思うが、ポトはどう思う」
それには答えず、ポトは海面を指さして、「あれはなんでしょう」と言った。
ポトの指さした方を見ると、波に揺れる側艇に何かが引っ掛かっているのが見えた。様々な太さの木の枝を編み込んだ大きな籠がひっくり返ったようにも見えるが、編み方は乱暴で、なにより側艇と同じくらい細長い大きさは籠というにはあまりにも不自然に思えた。
「漁に使う網が絡まってしまったのかな」
「下に行って取り外してきます。このままだと船を傷つけるかもしれませんから」
ポトは側艇の真上から縄梯子を下ろすと、するすると器用に降りていった。揺れるアームを渡り、水しぶきを浴びながら側艇に足をかけると、「わっ」と大きな声をあげた。
「どうした」
「オズマン様、人がいます。人が、中に、木の中にくるまれています」
「なんだと。生きているのか」
「わかりません」
ポトは片手で木の籠のようなものを持ち上げようとしたが海水をたっぷり吸った木の枝は想像以上に重く、どこを掴んでも持ち上げることはできず、かと言ってナイフを使って木を切ろうとすれば足場の悪い揺れる側艇の上では中の人を傷つけてしまう可能性があった。
オズマンが「ポト」と声をかけ、ロープを投げてきた。飛んできたロープをしっかり受け止めると、ポトはオズマンが何をしようとしているのかをすぐに理解したようで、波しぶきをかぶって全身を濡らしながら、受け取ったロープを輪っかにして木の枝が絡み合った塊りに器用に巻きつけていった。
何年も一緒に船旅を続けている二人には阿吽の呼吸ができているらしい。
オズマンが左舷の手すり下にあるハンドルを回すと、操舵室の上に取り付けられたバーが開き、ゆっくりと海の上に突き出ていった。バーの先端には荷積み用のフックが取り付けられている。このフックをロープに引っかけて、人がくるまれた木の枝の塊りを引き上げようという試みのようだ。
オズマンが別のハンドルを回すと鉄製のフックが船の揺れに合わせてくるくると回りながら下に降りていく。ポトは折りてきたフックにロープを素早く括り付けて、オズマンに合図を送った。
オズマンがハンドルを回すと、木の枝でできた寝袋のような不思議な物体は、滝のような滴をまき散らしながら船の上まで引き上げられ、そしてゆっくりと甲板の上に降ろされていった。
オズマンが中の人に当たらぬように気を付けながらナイフで手早く枝を掃うと、整った顔立ちだがまだ幼さが残る少年の顔が現れた。顔は血の気を失っている。首に手を当てると、微かだが脈があることが確認できた。
「大丈夫だ、生きとる。だが身体が冷え切ってしまっとる。早く温めてやらんと」
甲板に上がってきたポトにそう声をかけると、二人は絡まった枝をむしり取り、中にいた少年をなんとか引きずり出すと、少年が胸の前に抜身の小刀の柄を両手でしっかりと握りしめていたので、二人はちょっと驚いて顔を見合わせた。
オズマンが少年の固く結ばれた指をゆっくり解いて刀を取り、腰に巻いていた鞘に納めると、頭と足を二人で持ち上げて船尾にある寝室に運びこみ、大急ぎで濡れた服をポトの寝間着に着替えさせてベッドに横たえて厚手の毛布を重ねてかけた。寝室といっても二段ベッドが二つに小机と箪笥があるだけの狭い部屋だが、低い天井のすぐ下にある丸いはめ殺し窓から差し込む光の明るさのおかげで、それなりに開放感のある部屋になっている。
「オードル(小型の湯たんぽ)を作ってきます」
そう言ってポトが狭い階段を上がっていくと、ふいに少年が苦しそうな声をあげながら左手を上に向かって突き上げ、何かを掴もうとしているのか、ひらひらと手を動かしつづけた。
「おお、大丈夫だぞ、少年よ。助かったのだ、もう安心していいぞ」
可哀そうに。まだ必死で助かろうと水の中でもがいているのかもしれない。何があったというのだろうか。
オズマンは少年の手を取ってしっかりと握りしめながら少年の額に手を当ててあげると、安心したのか少年のうめき声が止み、しばらくするとすうすうと寝息をたてはじめた。
ひとまずはこれで大丈夫だろう。そう思って、握っていた左手を毛布の中にいれてあげようとしたとき、少年の手のひらを何気なく見て、オズマンは「あっ」と声をあげた。
少年の手のひらには赤黒い痣があった。痣というよりはタトゥーにも見えるその不思議な模様は、中心の丸い円から放射線状に六本のギザギザした線が伸びていて、ちょうど雪の結晶のような形をしていた。
オズマンが鳥肌が立つほど驚いたのは、少年のこの痣とそっくりな模様を持つ人物を知っていたからだった。
これはどういうことだろう。この少年も、あいつと同じ病、…いや、病といっていいのか分からんが、同じような事象が現れているということなのだろうか。とすれば、もしかしたら、この少年は…。
「オードル、両脇に入れてあげますか。どうです、彼の具合は」
オードルを二つ抱えたポトが、階段を降りてきた。
オズマンはそっと少年の左手を毛布の中に戻し、「そうだな、脇の下に入れて温めよう」と答え、ポトからオードルを受け取ると少年の脇の下に潜りこませ、優しく少年の額に手を当てた。
「少し、熱が出てきたようだ。命に別状はないと思うが、様子を見るしかあるまいな」
少年を見つめるポトの様子を伺いながら、奇跡としか思えないこの少年との出会いに、過去の出来事を重ね合わせていたオズマンは、何とも言えない感慨に耽っていた。
きっとポトは、それ以上に不思議な縁を感じていることだろう。




