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BOUNDARY ~境界線~  作者: 八木 康
アレフォス島
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濁流

 ライアンが目と鼻の先の河原にさっと降り立ち、両手に持った小刀の刃先を下に構えて突っ込んでくるのが見えた瞬間、ナイは大刀を円を描くようにライアンの胴をめがけて大きく振りぬいた。

 渾身の一撃は、小刀を構えたとしても体ごと吹き飛ばすほどの威力があるはずだった。

 だが、下からすくい上げたライアンの小刀がナイの大刀とぶつかり合うと、激しい金属音がして空高く舞い上がったのはナイの大刀の方だった。

 ナイの手から弾き飛んだ大刀は、くるくると回りながら遥か後方へと飛ばされ、両手を挙げて降参したような無様な格好のナイの喉元に、ライアンの小刀の切っ先が触れそうなくらいの近さで止まった。

「お前の仲間はどこに向かった」

 ライアンが上目遣いに短く訊いた。

 ナイはこん棒で叩かれたように痺れた両手を下ろせぬまま、誰もが簡単には扱えない重さの大刀を玩具のように弾き飛ばしたライアンの小刀を信じられない思いで見つめていた。

 いくらか反った形の片刃の小刀だが、どう見てもそれほど重そうには見えない。

 だが実際は、桁違いの重量感だった。それに、これだけの重さがあるとしたら、この少年では持ち上げることすらできないだろう。やはり、少年もエグサとして、何か術を使っているのかもしれない。

 無言のまま両者が向き合っていると、ずしん、と地面が揺れ、短く強い振動が波のように襲ってきた。

 揺れはだんだん大きくなっていく。

 ライアンの注意が逸れた隙を見逃さず、ナイは手元に仕込んであった煙玉を勢いよく下に叩きつけた。煙玉は殺傷能力はないが広範囲に煙を充満させる道具である。

 乾いた破裂音とともに辺りに立ち込めた煙に紛れ、ナイは下流に向かって猛然と走りはじめた。

 ライアンは煙の中心に閉じ込められた。

 いくら振り払っても煙は周囲を埋め尽くしたままで、自分の手すらも見えない。

 前後左右のどこからか、ふいに相手の手が出てきそうな気がする。

 どれくらいの範囲が煙にまかれているか分からないが、大きく空に飛びあがれば、この煙の外に出ることができるはずだ、と思ったライアンが、足に力を込めて飛び上がろうとした。

 だが、足が動かない。

 身体全体が鉛のように重く感じる。急に息が上がり、ライアンはその場に跪いて荒い息を吐いた。

 地面はまだ小刻みに揺れつづけている。

 くそっ、こんなところで力が使えなくなったら、ミロイを助けになんか行けない。動け、動け、俺の足。

 何かが激しくぶつかり合う低い音が、後ろの方から聞こえてきた。

 聞いたことのない轟音がどんどん大きくなり、視界の効かない先からものすごい勢いで何かが近づいてきていることが分かった。

 身を固くしたその瞬間、ライアンは大量の濁った水に飲み込まれた。

 口や鼻から水が入って来る。

 水面に出ようともがいても、水流にぐるぐると身体が回転させられて息ができない。体中に砂利や小石、長さも太さもまちまちな大量の木の枝が当たって流れて行く。

 折れて先の尖った太い枝が、どこかの岩に当たったはずみでライアンの背中めがけて流れてきた。

 木の枝の先端が体に触れるその瞬間、瑠璃色の眩しい光が煌めき、ライアンの周りを流れる木々にスダジイの言葉が伝わっていった。

『ライアンを守ってやっておくれ』

 瑠璃色の光を纏った木々はライアンの体に吸い寄せられるようにまとわりつき、形も太さも違う木々が絡み合って、瞬く間にライアンを包みこむ繭のようになっていく。

 木の枝でできた繭はその浮力で一気に上昇し、躍り上がるように飛び出して水面に浮かぶと、そのまま濁流に乗って流れていった。

 何が起こったのか分からないライアンは狭い繭の中で激しくせき込んで水を吐き、何回か大きく息を吸い込んでいるうちに、濡れてはいたが弾力のある木の枝が絡まる繭に守られながら、やがて眠るように気を失った。

 ライアンを襲った濁流は、オグロー川上流の狭隘な渓谷に流木や土砂が溜まって川を堰き止めていたものが崩れて一気に川を流れ下る鉄砲水だった。

 そしてオグロー川を堰き止めていた流木や土砂が崩れた原因は、スダジイが息絶えたことで起こった山崩れの余波だった。

 千年という長い年月、風光石ザレを懐に、その力を得ながら圧倒的な大きさの大樹に成長したスダジイは、ロクト奥の院から一の院にかけてのガイル山中腹一帯の隅々にまで根を張り、ほかの木々の根とも複雑に絡み合って山全体を支えていた。

 それがアルゴの持つ火光石ゴブルの力によってその身を焼かれ、そして力の源であったザレを失ったことで燃え尽き、白い灰となってしまう現象は、スダジイの体じゅうに広がっていった。

 城のようにそそり立っていた幹は裂けて端から灰となり、その城の屋根となって茂っていた枝葉も、崩れる幹とともに地面に倒れると葉っぱや枝の先までみるみる白く朽ちていった。それは地中に張り巡らされた根っこも同様だった。地中の奥深く、岩々の隙間にまで伸びていた根は悉く灰となり、根があったところは空洞となり、山の中がすかすかの状態になると、山の重さを支えきれなくなった山肌があちこちで崩れだし、ついには一気に崩落したのだった。

 崩れた岩や土砂、木々は巨大な山津波となって、奥の院、一の院、そして修学院から下院まで一気に飲み込んでいった。

 下院まで駆け下りた山津波は勢いを止めずに広い範囲を舐めつくし、先端はアドリラ川を通り越してようやく止まった。

 アドリラ川に溜まった大量の土砂や木々は堰となって川の流れを変えてしまい、もともとアドリラ川が流れていた西側の低い場所を縫うように流れていき、畑や家屋をすべて押し流して行った。

 オグロー川の鉄砲水は本流であるアドリラ川になだれ込み、施してあった逃げ池や堤防の嵩上げによる治水対策を超えた流量となった濁流が、下流のバーラの町を襲ったのだった。

 


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