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BOUNDARY ~境界線~  作者: 八木 康
アレフォス島
23/75

ミロイを追って

 頭を抱えていた手をほどき、ゆっくりライアンは顔を上げた。

「いま…、なんて…」

『ミロイは生きておる。ここを襲った賊に連れ去られていったのだ。ルナデア、そう、ここよりはるか東にあるルナデアから来たと奴らは言っていた』

「ルナデア…、東に、そんな場所があるの」

『ここを動いたことのない私には分からない。ライアン、ミロイもお前と同じように特別な子だ。ナルッサで私に触れたときに、それは感じていた。さあ、弟を助けに行っておあげ。それが、ルナデアの民という奴らの目論見を阻むことにもつながる』

 どごおぉん、と再び大きな音がしてスダジイが揺れた。

『わたしの天命も尽きかけているようだ…。その前に、千年の長きにわたり、ザレの力をこの身に受けてきた、その果実をお前に託そう』

 スダジイの内側に開けた巨大な空間を埋め尽くす、幾千もの光の筋が明るさを増していく。

 地中に張り巡らされた根っこが、吸い上げた養分を一斉に樹上に運び上げていくように、上へ上へと、徐々にスピードをあげながら光が遥かな高みへと集まっていく。さらさら、と聞こえていた音が、次第にざーっという雨音のような響きになっていき、大きな塊りになっていく光が、白く青く、ときに深い緑色に瞬きながら周囲を静謐な光で満たしていくと、ライアンはあまりの眩さに思わず手で目を覆い、顔をそむけた。

 ふいに音が止み、耳に残る残響が金属音のように聞こえてくると、その隙間からスダジイの声が聞こえてきた。

『さあ、左手を出して、それを手に取ってごらん』

 薄目を開けて徐々に見えてきたものは、目の高さにふわふわと浮かぶ、青白い光が渦を巻くように表面を流れている、鳥の卵ほどの大きさをした丸い光の玉だった。

 右手で目をかばいながら恐るおそる左手を前に出すと、光の玉はふわりとライアンの手のひらに乗った。

 神々しくも儚い美しさに目を奪われていると、光の玉はゆっくりと、水滴が乾いた大地に染みこんでいくように、ライアンの手のひらに埋もれて溶け込んでいった。

 突然、手を槍で刺し貫かれたような激しい激痛が襲ってきた。

 思わず左手を懐に抱え込んだが、針で刺されたような痛みが手のひらから腕、肘、肩へと全身に広がっていく。

 どくん、どくんと脈動に合わせて波のように痛みがひろがっていくと、体を折り曲げ、悶絶したライアンは、横向きに倒れて動けなくなってしまった。

 思うように身体が動かせないまま、駆け巡っていた痛みは徐々に心地よい痺れのようにも思えてきた。

 スダジイの声が、大きくなったり小さくなったりしながら、微かに聞こてきた。

『大丈夫だ。お前ならきっとこの力を受け入れられる。』

「はあ、はあ…、力って…」

『じきに分かる。わたしの手が届くうちは手助けしてやる。ミロイが行った先も、わたしの仲間がきっと示してくれるはずだ』

 瞼の裏を、青白い閃光が瞬いている。

『おお、そうだ。外にいるクロウとリュートにもその力を少し分けて、二人を逃がしてやっておくれ』

 スダジイの言葉の最後の方は聞き取れぬまま、ライアンは意識を失った。


「ライアン…、ライアン」

 体を揺さぶられ、遠くで名前を呼ぶ声がだんだんはっきり聞こえてくると、ゆっくりと目を開いてぼんやりと見えてきたものは、心配そうに覗きこんでいるクロウの顔だった。

 クロウの顎から滴り落ちる雨粒が目に入り、ライアンは何度も目をこすった。顔を上げると、クロウの隣に立っているリュート導師に気づいた。

「いったい、何があったんだ、ライアン。いきなり空からふわりと落ちてきたんだぞ」

 クロウの肩に手をかけて体を支えているリュート導師の言葉で、ライアンはスダジイの言葉を思い出した。

『ミロイは生きている。ルナデアの者に連れ去られたのだ…』

 左手に吸い込まれていった青白い光の玉は、ザレの力の結晶だということが、今は分かる。

 突き刺すような痛みは消え、いままで感じたことのないような力が全身を駆け巡っているように感じていた。

 なぜかは分からないが、スダジイがくれたザレの力をどう使えばいいのか、はっきりと理解している自分に、ライアンは驚いていた。

 この力を使ってミロイを助ける。必ず助けるんだ。

 ライアンの体から、青白い光の渦が立ち昇っていく。

「俺、ミロイを助けに行きます」

「助けにって…、ミロイはどうなったんだ」

「いまも信じられないですけど、俺、スダジイの体の中にいました。そしてスダジイが教えてくれました。ミロイは敵に捕まったけど生きているって。ミロイを助けて敵の目論見を阻止しろって…。敵はルナデアという島の者らしいです。ザレも、そいつらに奪われました」

「俺も行く」

「だめだ。クロウはリュート導師を連れてここから逃げるんだ。ザレを失って、スダジイの命は尽きようとしている。二人を逃がしてやってくれって、スダジイに頼まれたんだ」

 クロウの両腕を握りしめたとき、ライアンの左手から青く眩い光が広がり、ぶーんという虫の羽音のような鈍い音がすると、青い光が薄い膜のようにクロウとリュートを包んでいった。

「おいおいおい、一体全体どうなっているんだ」

 ふいに、どすんどすん、と縦に激しく地面が揺れ、全身を覆いつくす青白い光に呆然としていたリュートは思わずしゃがみ込んだ。

 スダジイの方から、たくさんの鳥が一斉に鳴きわめくような音がした後、スダジイの幹の右側、四分の一ほどが裂け、轟音とともに空界櫓の残骸の上に地響きをあげて倒れこんだ。地響きはそのまま続き、低い唸り声をあげながら、スダジイから幾筋もの地割れが広がっていった。

 三人は、声もなく、顔を見合わせた。

「俺、スダジイから、力をもらいました」

 ライアンは左手のひらを見つめて言った。

 輝きは無くなったが、手のひらの中心に丸くて赤黒い痣ができ、そこから放射線状に、くもの巣のような赤黒い筋が無数に手のひらいっぱいに広がっているが、痛みは感じない。

 さあ、ミロイを助けに行こう。

「スダジイがくれた力を詳しく説明している時間がありません。なんとかこの力で無事に逃げてください。俺は、行きます」

「おい、ライアン…」

 リュートが声をかけたとき、ライアンは駆けだしていた。

 いや、駆けだす瞬間だけ見えていた。

 次にライアンが見えたのは五、六歩も行った先、それもちらっと見えただけで、次の瞬間にはまた先に進んでいる。

 そんな細切れのようなライアンの姿があっという間に小さくなっていった先には、森の木々が山側は山側に、谷側は谷側に、それぞれ幹を大きく(しな)らせて、行く先を指し示すかのように大きな空間を広げていく。

 最後に見えたライアンは、森の手前で跳躍すると、背丈の十倍以上の高さにまで飛び上がり、そのまま暗い森の中に消えていった。

 何も教わったわけではないが、スダジイが言ったとおり、ライアンには与えられた力の使い方が分かっていた。

 地を蹴る瞬間は足が重くなり、蹴りあげた瞬間、身体が空気のように軽くなる。その結果、恐ろしい速さで駆けることができ、そして信じられない高さに跳ね飛ぶことができた。

 いままで経験したことのない速さの世界だったが、怖さはなかった。

 枝から枝に飛び移り、行く先は森の木々、スダジイの仲間たちがミロイが連れ去られた先を、次々に幹を倒して教えてくれている。

 急に視界が鮮やかになり、飛び移る木々の枝がくっきりと見えてくるのに気づくと、いつの間にか雨が弱まり、振り返った空には雲の切れ間から半月が顔をのぞかせていた。

 月光の冷たい明るさは有難かった。

 夜の雨の森は目を(つむ)っているのと一緒で、勘を頼りに足場となる枝に降り立つのは神経が磨り減る作業だった。もっとも、この身の軽さなら、たとえ踏み外して落ちたとしても、かすり傷も負わないような気がしていた。

 今の自分は敵の数倍の速さで進んでいるはずだ。しかも、森の木々の案内で一直線にミロイを追えている。

 ふいに視界が広がり、森が途切れた先には角の取れた大小の石が転がる、かなりの幅のある河原が見えた。

 あれほど降っていた雨が上がり、寒々しい月光に照らされた向こう岸にはさらに森が広がっているが、目を凝らして見ても木々たちが身をよじって示してくれた道しるべは見当たらない。

 ごごごごご、という鈍い音がして足場にしていた木の枝が縦に細かく揺れると、枝葉がこすれあう音と大気が震える音が交じり合い、苦痛に喘ぐ咆哮が、森全体を覆いつくすように広がっていった。

 スダジイの体が裂け、さらに力が弱まっているんだ。

 ライアンがもらったこの力は、スダジイが崩れ果ててしまっても使えるのだろうか。

 ぶるぶるっ、とライアンは頭を振った。

 いま考えている時間はない。とにかく先を目指そう。

 見下ろした先の大きな岩の上にふわりと降り立ち、ライアンはゆっくりと辺りを見渡した。

 緩やかに流れる川は、広々とした河原に比べて意外なほど少ない流れの小川と言ってもいいようなもので、膝まで水に浸かることなく対岸に歩いて渡れそうだった。

 川の様子は違うけど、この場所を知っている、とライアンは思った。

 何年か前、コバックとミロイと釣りをしに来た場所だ。そのときは、コバックでも足がつかないくらい水量のある川だったが、この水の少なさはどうしたことだろう。だけど間違いない。この景色には見覚えがある。もう少し上流に行ったところに少し開けた場所があり、そこで釣った魚を串に刺し、塩焼きにして食べたんだ。その日、ライアンは一匹も釣れなくて、コバックとミロイに散々からかわれたけど、高く澄んだ秋の青空の下、腹に卵をたくさん抱えた川魚の塩焼きの味は格別だった。コバックとミロイの笑い声と一緒に、その味も舌の上に蘇ってくる。

 くっ、と奥歯を噛みしめると、溢れた涙で視界がぼやけた。袖で涙を拭うと、ライアンは川下を見つめた。


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