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BOUNDARY ~境界線~  作者: 八木 康
アレフォス島
21/75

惨状

 中央の本堂は建物全体が崩れ落ち、残った何本かの太い柱からまだ勢いよく炎があがっていた。

 右の寺務所と左の宿舎は二階部分がほぼ焼け落ちてしまい、かろうじて建物としての構造を保っている板壁や梁、落ちた残骸から炎が踊るように燃え盛っていて、辺りは収穫祭の時のように明るかった。

 降り注ぐ火の粉が地に落ちては消えていく。火の粉が消えた地面には、矢を体に受けたまま動かなくなっている人たちが火灯りに照らし出されていた。

 クロウの言っていた『敵襲』という言葉は、間違っていなかった。

 雨が一粒、頬に当たった。

 また一つ、またひとつ、と周りに雨粒が落ちると、ざあーっと本降りの雨が降りはじめ、立ち尽くす二人を包んでいった。

「ぐあぁっ」

 雨の音をかき消すように、本堂の奥の方から男の絶叫が聞こえた。

「あびのめすま…」

 叩きつける雨音にかき消されて最後はよく聞き取れなかったが、男が何か叫んでいる。

 ライアンとクロウは顔を見合わせ、小さく頷くと、声の聞こえた方に向かって走りだした。

 大粒の雨で白い煙が立ち昇りはじめ、本堂の火の勢いは衰えだしたように見えたが、それでも脇を通るときには手をかざさずにはいられないほどの熱気が満ちていた。

 本堂の裏手に出て、奥の院への石段に通じる小道の先を見ると、何人か倒れている人影と、一番奥で倒れた人影に馬乗りになって天を仰いでいる男が見えた。

 雨の勢いと暗がりのせいでよく見えない。

 ライアンたちは身構えたまま動けなくなった。

「どうなってるんだぁっ」

 馬乗りの男が突然叫んだ。その声、聞き覚えがある。

「…リュート導師、ですか」

 雨の音に負けぬよう、ライアンが恐るおそる声を張り上げると、馬乗りの男がゆっくりとこちらを向いて、「誰だ」と訊いた。

「ライアンとクロウです」

 新米のエグサとはいえ、導師ならば二人の名前を知らないはずがない。

 リュート導師と思われる男はしばらく黙っていたが、「ライアン、クロウ。こっちへおいで」と手を振り上げた。

 二人が近寄ると、リュート導師に押さえつけられた男の胸には導師の薙輪刀が深く突き刺さっており、口元から血が流れ出た細長い顔の男は、すでに絶命していると思われた。

「リュート導師、この男は…」

 ライアンが尋ねると、リュートはふーっと大きく息を吐き、腰袋から縄を取り出して自分の右太ももを縛り上げた。

 よく見るとリュートの服が切り裂かれ、太ももの裏からかなり出血しているようだった。

「大丈夫ですか」

 ライアンが訊くと、リュートは「手を貸してくれ」と言って立ち上がろうとしたので、ライアンとクロウが両脇を支えてゆっくりと立ち上がらせた。

「こいつはさっきまで、ゼルマン律師だった」

 馬乗りになっていた男を見下ろして、吐き捨てるようにリュートが言った。

「ど、どういうことですか」

「どういう()()()()かは知らんが、途中までゼルマン律師だったんだ」

「途中まで…」

「ああ。俺たち五人は、コーエン導師に加勢しようと奥の院に向かっていたんだが、先頭を走っていた俺がふいに殺気を感じて身を(ひるがえ)すと、ゼルマンに斬りつけられた。(かわ)しきれずに足を斬られて転んで倒れこんでいる間に、ゼルマンは他の三人を次々と切り倒しやがった。不意を()いたとはいえ、相当の腕前だった。俺は体勢を立て直して薙輪刀でなんとかゼルマンの足を()ぎ、体当たりで押し倒して、こいつの顔を見たら、見たこともねぇ(つら)してやがったんだ」

「そんなことが…」

「敵は(あやかし)の術を使うようだな。いつから入れ替わっていたのか分からんが、もしかしたらこいつがゼルマンの(なり)をして、火を点けまわったのかもしれん。本物のゼルマンは、どこかで殺されちまったんだろう」

 どすぅぅん。

 びりびりと空気が震え、これまでよりも大きく大地が揺れた。

「コーエン導師の雷撃拳だ。これだけ連発してるってことは、爺さん、かなり手こずってるな」

「奥の院は…、奥の院は、どうなっているんですか」と、ライアンは叫んだ。

 リュートは両脇を支えていた二人の手を外し、二人の肩に手を置いて「ライアン、クロウ」と交互に顔を覗き込んだ。

「ゆっくり説明している時間はないが、敵の目的は奥の院、ザレを奪うことにあるようだ。敵がどこの誰で、何人いるのかもわからない。奥の院も火を射かけられて、すべての櫓から火が出ている。そして何人も殺されたらしい。状況は、ここ、一の院とあまり変わらんだろう」

 ライアンの体から血の気が引いていき、ぶるぶると震えだした。

 その様子に気づいたリュートは、「ああ、そうだったな」と言った。

「奥の院の様子を伝えてくれたエスキーの話じゃ、コバックはそのときは生きて、敵と戦っていたそうだ。ミロイがどうだったかは分からないが、生きていると信じたい」

 ライアンの口から、はぁー、はぁー、はぁー、と荒い息がとめどなく溢れだした。

「おい、ライアン、しっかりしろ。クロウ、お前、ライアンを連れてバーラの行政庁まで逃げろ。修学院の生徒たちも避難を始めているはずだ。奥の院は、俺とコーエン導師に任せろ」

「嫌だっ!」

 大きく目を見開いたライアンは、やだ、やだ、やだと呟くように言うと、リュートの手を振りほどいて奥の院に通じる石段の方へ駆けだした。

 それを見たクロウも躊躇なく駆け出す。

 支えを失ったリュートは傷ついた右足から崩れ、横倒しに倒れた。

「おいっ、お前ら、ちょっと待て」

 ライアンとクロウの姿はもう見えなくなっていた。

「ったく、あいつら」と言いながらゆっくり立ち上がったリュートは、倒れた男の胸に刺さった薙輪刀を引き抜くと、右足を引きずりながら二人の後を追った。

 一の院から奥の院まで続く八百段の石段は、真っ直ぐに伸びているところもあれば、石段の切れ目に少し平らな場所があったり、緩やかに弧を描いているところもある。

 灯篭の火は灯されていたが両手を広げたほどの幅がある石段は大半が暗がりで、顔に当たる雨粒が視界を(かす)ませ、濡れて滑る石段やぬかるみに足を取られそうになる。土砂降りの雨は枝葉に当たり、石に当たり、あちこちにできた水たまりの水面に当たって雑多な雨音で辺りを満たしていたが、ライアンの耳には連打する太鼓のような心臓の鼓動が鳴り響いていた。

 喘ぐ呼吸で胸が千切れそうに痛い。

 それでもライアンは走った。

 切れ切れに、ミロイとコバックの姿が目に浮かぶ。

 引き取られて初めてコバックの家に入った日、しゃがんで目線を合わせ「何も心配しなくていい」と言って二人を抱きしめてくれたコバック。

 初めて薪をすっぱり割ることができたとき、頭をぐりぐり撫でて褒めてくれたコバック。

 三人で川に泳ぎに行き、子どものようにはしゃぐコバック。その日は釣りもして、ライアンとミロイが釣った魚を後で塩焼きにして三人で旨いうまいと言って食べたんだ。

 虫が嫌いなミロイの手にいたずらでセミの抜け殻を乗っけたら、ミロイが本気で怒って殴ってきたから、こっちも髪の毛を引っ張ったりして取っ組み合いの喧嘩をした。

 脱ぎ散らかした服をいつまでも片付けないミロイに怒ると、「そんなにがみがみ言うなよ。ライアンは母さんじゃないんだから」と言われて、十日も口を利かないこともあったな。

 どうしてミロイと喧嘩したときのことばかり頭をよぎるんだろう。数えるほどしか喧嘩したことなんてないのに…。

 ほんの少し前、ミロイとコバックと三人で楽しい夕食の時間を過ごしたことが、なんだかもう遠い昔の出来ごとのように思えた。

 奥の院の敷地にたどり着くと、ライアンは思わず両膝をつき、肩を大きく揺らしながらぜーぜーと荒い息を吐きつづけた。後ろに立つクロウも息を切らしている。

 二人の目の前にある一ノ門櫓は何事もなかったかのように無事に立っていた。

 が、左手前にある水界櫓を除いて右の木界櫓、空界櫓、左奥の地界櫓は、櫓だったと分からないほど崩れ落ち、篠突く雨にもかかわらず木界櫓からはかろうじて立っている四本の柱が盛んに燃えていて、大地から炎の槍が突き出ているように見えた。

 ただ、スダジイの巨木とその根元をぐるりと囲う回廊殿堂は、いつも通りのままのように見える。

 降りしきる雨の音と、時折、ばちばちっ、と木が爆ぜる音がするほかは、奥の院はひっそりと静まり返っているように思えた。

 ザレを奪うという敵の目的はコーエン導師に退けられ、敵は逃げて行ってしまったのだろうか。

 しかし、雷撃拳を繰り出して死闘を繰り広げていたであろうコーエン導師、エスキーと話をしていたというコバック、そしてミロイ。さらには敵の気配もなく、雨音だけが満ちる奥の院には、そもそも動いているものがなかった。


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