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BOUNDARY ~境界線~  作者: 八木 康
アレフォス島
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反撃

 口を尖らせながらクレスたちの後を追おうとして右足を踏み出そうとした時、ガンズは得体の知れない何かを感じてその場になんとか踏みとどまった。

 その刹那、腹の底を細かく揺すられるような感覚とともに空気が揺れ、透明で歪んだ重い塊が目の前を弓矢よりも速く通り過ぎていくと、その後から切り裂くような風の渦と轟音が後を追い、右手の奥にあった櫓の土台の根元が直撃を受けて爆発したかのように消し飛んでいく。

 重心を失った櫓はバキバキと音をたて、火の粉をまき散らしながら玩具のように崩れていった。

「ふむ…。初撃を外すとは、さてさて、年は取りたくないものじゃの」

 ガンズは声が聞こえた一ノ門櫓の方を振り返った。

 そこには白髪まじりの髪を後ろで束ね、幾分背を丸めて後ろ手を組んだ男がひっそりと佇んでいた。男はゆっくりと周りを見渡し、大きな溜め息を漏らした。

「皆、すまんな。もう少し早く来ておれば…」

 いつからそこに居たのか、ガンズはまったく気配を感じなかった。吹けば飛ぶような華奢な体に見えるのだが、赤紫色の下地に幾何学模様が白く浮き出たようなマントを羽織り、鍛え上げたであろう肉体から放たれる威圧感が、何気なく立っているだけのような男を実際よりもかなり大きく見せているのだった。

 崩れ落ちたまま燻っている木界櫓の残骸の前から、すっとクレスが前に出た。

「その風貌。音に聞こえた雷導師コーエン殿と見えるがいかがか」

 コーエンはゆっくりと顔を上げ、射るようにクレスを見つめた。

「だとしたら、何だというのじゃ。人の名を尋ねる前に、まず自分から名乗るのが作法であろう」

「ふん、なるほど…。我が名はクレス。はるか東の島、ルナデアの民、マツイ族の巫女(みこ)だ。故あって、アレフォス島の風光石ザレを頂きに来た。これ以上の争いは望まぬ。このまま引き下がられよ」

「お前のその瞳、禍々(まがまが)しい力に満ちておるな」

「ふふ。この力をコーエン殿にも味わってもらいたいところだが、時間がない」

「はるか東に人が住む島があるとは知らなんだが、何故その民がザレを狙う」

「光石はもともと我らのもの。それをただ返してもらうだけのこと」

 クレスは苛立ちながら短く溜め息をつき、「コーエン殿と無駄な問答をしている暇はない。引く気が無いとみてよろしいな」と言った。

「引き下がれと言われても、はい、そうですかとはならんのう。お前さんの見立ての通り、わしはロクト、そしてザレの守護を束ねる導師を仰せつかっておる。人によってはわしのことを雷導師などと呼ぶが、(いかづち)を操れるわけではない。だが、これからの将来のある若者をこれだけ(あや)めたその罪、我が雷撃拳で、その身をもって充分に(あがな)ってもらうとしよう。案ずるな、その亡骸(なきがら)は海に捨て、東の島にきちんと返してやるわい」

 コーエンは導師のみが着用する紫色のマントを脱ぎ捨て、エグサの装束である濃紺の小袖と股引き姿になると、腰帯をぐいと引き締めた。

「クレス。あいつは俺に任せてくれ」

 クレスは横目でちらっとガンズを見ると、視線をコーエンに戻した。

「侮るな。コーエンは並みの相手ではない。手筈どおり、アルゴに相手をしてもらう」

「なあ、クレス。前にも言ったよな。俺はもっともっと強くなりてぇ。そうじゃなかったらクレスを守れねぇからな。強くなるには、より強い奴とやりあわなきゃならねぇんだ」

 少しだけガンズを見つめたクレスは、冷たく笑った。

「いいだろう。ただし、一瞬で片が付かなければ、すぐに引け」

 ガンズは何か言いたげな素振りをしたが、すぐに腰に差した鞘から剣を抜くと右肩に描かれた文様をすうっと薄く切り裂き、刃についた血を舌先で舐めとった。

 切り裂かれた文様は、ルナデア島の森に棲むウラウという恐ろしく敏捷(びんしょう)膂力(りょりょく)に優れた動物の能力を宿したもので、描かれた文様の血を取り込むことでガンズはその能力を一時的に発揮することができるのだった。

 ガンズの瞳の淵が赤く燃え上がり、腕と足の筋肉がぐっと盛り上がる。

 爺さんのあの空気の塊をまともに喰らったら、吹き飛ばされるだけじゃなくて体中の骨が砕けそうだ。だが、攻撃は直線的だし、そう何発も打てないだろう。ウラウの視力と速さがあれば、爺さんの懐に入り込んで、()れる。

 ガンズは両足首を軽く回すと、大きく息を吸い込んで、コーエンめがけて一直線に走り出した。

 コーエンの体がゆらりと揺れて左手が大きく突き出された次の瞬間、透明に歪んだ丸い大気の塊が、黄金色に放電しながらぐるぐると回転し、ずんっという音を引き連れながら恐ろしい速さでガンズに迫ってきた。瞬間的に圧縮した空気を風の力で閉じ込めて打撃することにより、高温で火花のような放電を伴った衝撃波を繰り出すコーエンの術、『雷撃拳』である。

 ガンズは着地した右足にありったけの力を流し、人間離れした跳躍力で左に横っ飛びして雷撃拳を避けると、勢いを止めずにさらにコーエンに接近する。

 次の一発を打つ間に懐に入ってやる。

 そう考えながら走るガンズの網膜に、いつの間にか右手を突き出しているコーエンの姿が映った。咄嗟に体を大きく反らして滑り込むと、ぎりぎりでコーエンの雷撃拳を(かわ)すことができたが、雷撃拳が傍を掠めただけでガンズの頬の肉が猛獣に切り裂かれたように裂けて血が(ほとばし)る。

 ガンズはそれに構わず、さらにコーエンの右斜め後ろ側に肉薄しようとしたとき、コーエンの右肘が突き出され、目の前の空気がぐにゃりと歪むのが見えた。

 おいおい爺さん、拳だけじゃなく、肘でもその技を使えんのかよ。

 ガンズは咄嗟に左手の剣を地面に突き刺し、それを支点に半回転してコーエンの雷撃拳をなんとか(かわ)すと、じぐざぐに蛇行しながら疾走して、コーエンから距離を取った。

「ちょこまかと、すばしっこい奴じゃのう」

 そう呟いたコーエンが、拳を握った右手と開いた左手を胸の前で重ねて気合を放つと、ばちばちと音を立てた火花がぐるぐると回りだし、目の前に背丈ほどの(あか)く輝く丸い空気の塊が現われた。

 コーエンは渾身の力でその塊を打ち込んだ。

 腹の底に重く響く振動を引き連れて、紅と黄金色が渦巻く大きな空気の塊が、逃げるガンズの背後に猛烈な勢いで迫っていく。

 これまでとは比べ物にならないほど大きな圧迫感を感じたガンズは、思い切り地を蹴って背丈の三倍ほども飛び上がり、空中で体を回転させて雷撃拳をやり過ごすと、四つん這いになってふわりと地面に降り立った。ガンズの口から鮮血が飛び散った。

 くそっ。かすっただけなのに、あばらを何本か、折られちまったか。なんちゅう威力なんだよ。体じゅうが痛ぇ…。

 口元の血を拭うと、ガンズは何事もないことを装って立ち上がった。

 足が痺れて、思うように動けねぇ…。次にあれを喰らったら、間違いなくこっちが殺られる。

 ガンズが動けないことを悟ったのか、コーエンは視線をクレスたちのいる方に向けると右足を引いて腰を落とし、左手を開いて前に突き出した。

 コーエンの前の空間が、ばちばちと放電しながら渦を巻き、歪んでいく。

「クレス…、危ない」

 ガンズがそう言おうとしたとき、ふいにクレスの後ろにいた背の高い男が前に出て、被っていたフードを脱ぐと、すっと右手を前に出し、時計回りにゆっくりと円を描きはじめた。

 ぼさぼさとした長い黒髪の男の目は黄色く濁り、右に左に視線を動かしながら無造作に腕を回し続ける。

 すると男の右手に()めたブレスレットから(あか)い閃光が(ほとばし)り、紅蓮の炎の渦が男の眼前に回りはじめ、周囲の空気が渦に向かって一気に流れこんでいった。次第に渦の中心が陽の光のような輝きを放ちだすと、いくつもの眩い閃光が渦の中に巻き込まれ、痛いほどの熱風を噴き出しながら徐々に回転の速さを増していった。

 渦巻く炎を見て、コーエンは目を(みは)った。

 なんと…、炎を使う術師がいるのか。

 まあよい。その程度の炎、我が雷撃拳でまるごと吹き飛ばしてくれよう。


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