守れなかったもの
「お前の技量、立ち居振る舞いを見れば、さぞかし名のあるロクトのエグサなのだろう。ここで殺すには忍びない。お前も、肉親共々死ぬことは本望ではあるまい。このままここを立ち去れば、お前たちに危害は加えない。その代わり、我らに構うな。どうだ」
「断る」
コバックの揺るぎない顔を見たクレスは小さく笑った。
「よかろう。それがザレを守るエグサの使命というもの、ということか」
「なぜこんなことをする。お前たちの目的はなんだ」
クレスは目を閉じ、軽く咳払いした。
「答える義務はないが、死にゆくエグサの強者に敬意を表して教えてやろう。太古の昔、お前たちの祖先が奪ったものを取り返しに来たまでのことだ」
「ザレのことか」
「お前たちはアレフォス島を含めた大きな輪の中にある五つの島に、それぞれ光石と呼ばれるものがあることを知っているか。そしてその光石がどのようなもので、そもそも何なのか、千年の時を経た今となってはそのことを知っている者は誰もおるまい。五つの光石は世界の真理、その根源を知る者は絶大な力を得る。私はその力によって、世界を再び一つにし、人々に安寧と幸福をもたらすのだ」
「ザレと同じような石がほかの島にもあるだと…、何を勝手なことを」
「我々はすでにルマン島の火光石ゴブルを手に入れている」
「ルマン島の、火光石ゴブル…、何なんだ、それは」
「今夜、アレフォス島の風光石ザレを手に入れたのち、残るは三つ。五つの光石すべてが揃うのも、そう遠くない話だ。我々はもう、何十年も前からこのために準備をしてきているのだ」
「その光石の力を得て世界の王になるだと。そんな世迷言を…」
「おしゃべりは終わりだ」
クレスは踵を返して、何とか立っているミロイの前に立つと、徐にミロイの額を右手で掴むような仕草をした。クレスの瞳が輝きを増し、黄色く紅く、渦を巻くように揺らぐと、ミロイの身体が硬直して小刻みに震えだした。コバックはショルを持つ手に力を込めた。
「おっと、変な動きはするなよ」
ガンズはそう言って、剣の切っ先をミロイの喉元に向けた。
「くっ…、ミロイから手を放せ」
コバックは奥歯を噛みしめるだけで、身動きがとれない。
ふいにミロイの身体から力が抜け、頭ががくっと垂れた。クレスが手を離すと、ゆっくりとミロイが顔を上げる。その瞳は、クレスと同じように妖しい黄色に縁どられていた。クレスは落ちていたミロイの拝領小刀をその手に握らせると、ミロイの耳元でそっと語りかけた。
「さあ、あそこにいるのはお前の敵だ。この島を、ザレを守るためにはあいつを倒さなければならない。行け」
ミロイは真っ直ぐにコバックを見ながら、拝領小刀を両手で持ち、右肩の上に立てるように構えるとぐっと腰を落とした。
人の心を操る妖術か。どうする…。まだ距離はある。ミロイが突っ込んできたところを鎌鼬の術でミロイの足を止め、ミロイに当身を喰らわしながら、同時に後ろの敵も討つ。それしかあるまい。
コバックが瞬時に思考している間に、ミロイの引いた右足に力がこもり、弦から放たれた弓矢のように走り出した。
「ミロイ、目を覚ませ。そんな術にかかるほど、お前は弱くないはずだ」
コバックの振り絞った声はミロイには届かなかった。
猛然とこちらに向かってくるミロイとの間合いを図りながら、コバックは指先に仕込まれたショルに青い煙を纏わらせ、ミロイの左太ももを狙ってショルを投げつける。コバックの右手を離れた二本のショルは地面すれすれを蛇行しながら飛び、ミロイの直前で軌道を変えて左足に命中したと思われた瞬間、力強く地面を蹴ったミロイの身体は岩山の急斜面を駆け抜けるヨックのように、コバックのショルを躱して宙を舞い、着地した反動をさらに利用してコバックめがけて袈裟懸けに切り込んできた。
虚を突かれたコバックだったが、前に身を投げ出してミロイの剣先をなんとか躱す。
ミロイは空を切った剣の勢いで身体を回転させ、脚をひろげて着地したまま滑っていき、体二つ分ほど後方に行ったところでその勢いを止めた。
瞬時に反転したコバックは、回転した反動を利用してすかさずショルを放つ。今度こそ足に命中したと思ったショルは、俯いたまま振り上げたミロイの小刀に弾き飛ばされた。
ミロイはあんなに強かったのか…。
敵に囲まれた状態にいることを忘れ、コバックは甥の成長を目の当たりにして目頭が熱くなった。
ふいにミロイが頭を抱えて仰け反ると、膝をつきながら絶叫した。
蹲ったミロイはがくがくと身体を震わせながら、右手を大きく振りかぶり、思い切り地面をその拳で殴りつけた。苦痛に顔をゆがめ、滝のように流れる汗を拭おうともせず、ゆっくりと顔を上げたミロイの瞳は、澄んだ翡翠色をしていた。
「…コ、コバック…、うし…ろ…」
コバックはふいに背中に冷たいものが流れた感覚を覚えた。
「隙を見せちゃあ駄目だよ」
ガンズの声を背中で聞いてふと見ると、左胸から細身の剣が長く伸び、切っ先から血がぽたぽたと落ちていく。次の瞬間、剣が抜かれていくのが見え、全身に電撃が走るような壮絶な痛みが駆け巡り、コバックはその場にどさりと倒れた。
ガンズは抜き取った剣に絡みつきながら滴り落ちるコバックの血を、舌先ですうっと舐めとった。すると、ガンズの左腕の手首から肘まであった文字のタトゥーのようなものが、赤黒く光るとすっと消え、再び妖しい光を発すると、新たな文様が浮かび出てきた。
「ちっ…。これだけの術は初めてだ。三つも術を持っていきやがった」
左前腕にできた新しい模様を矯めつ眇めつ眺めながら、ガンズは倒れているコバックを跨いで、荒い息をしながら蹲るミロイの方に向かってゆっくりと近づいて行った。
「ガンズ。その少年は生かしたまま連れていく。殺すな」
クレスの声にガンズは振り返った。
「ええっ、なんでだよ」
「私の鏡心の術を自力で解いた者は初めてだ。何か特別な力を宿しているとしたら、使い様はある」
「まあ、クレスがそう言うならいいけどよ」
「ナイ。あの少年を先に船に連れて行け」
「は」
ナイと呼ばれた坊主頭の屈強そうな男は、後ろにいた仲間二人にミロイを連れていくように命じた。二人の男が近づいてくると、ミロイは小刀を杖代わりになんとか立ち上がろうとした。しかし、男に首の付け根を手刀で叩かれると気を失い、片方の男に担がれて、濃い闇が満ちる森の奥へと連れていかれてしまった。
コバックは、血が廻らずに思うように身体が動かせなくなっていた。混濁し、薄れていく意識の中、男の背中で力なく揺れているミロイの奇麗な髪の毛をぼんやりと見ながら、届くはずのない言葉を呟いていた。
「ミロイ…。守ってやれなくて、ごめんな」
ガンズは動かなくなったコバックの腰からショルが詰まった腰帯を引きはがし、自分の腰にあてがって一本のショルを引き抜くと、左前腕の真新しい模様をショルの先端で軽く引き裂き、流れでた血をひと舐めした。すると、ガンズの瞳の淵が燃えるように赤く揺らめき、手にしたショルの周りに青い炎が立ち昇りはじめた。透き通るような青い炎の様子をじっと眺めていたガンズは、ふっ、と口を歪めて笑うと、一ノ門櫓の最上部に狙いを定めてショルを放った。ガンズの手から離れたショルは、青く渦を巻く光を纏いながら弧を描き、鈍い音を立てて一ノ門櫓の屋根に近い柱に突き刺さった。
「痛え…」
ショルを放った右腕を抑えながら呻いたガンズは、右手を開いたり閉じたりしながら、くつくつと笑いはじめた。
「すげえ術だが、こいつは相当な負担がかかるな。なぁ、クレス、今の見たか」
クレスは残った者を引き連れ、ザレのあるスダジイの方へ歩きはじめていた。
「遊んでいる時間はないぞ。残りのエグサがやって来るかもしれん」
「へいへい」




