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BOUNDARY ~境界線~  作者: 八木 康
アレフォス島
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異形の男

「エスキー。落ち着いて聞いてくれ」

 エスキーはがくがくと何度も頷いた。

「いま、我々は見えない敵に襲撃されている。敵の人数も、これからどう出てくるのかもわからんが、敵の狙いはザレだと俺は踏んでいる」

「ザレ…、ですか」

「ああ。敵の陽動でここの守りは手薄にされてしまった。なので、一の院にこの状況を報告して、援軍を要請してほしいんだ。エスキー、やってくれないか」

 一瞬、視線を外したエスキーは、すぐにコバックを見て微笑んだ。

「コバックさん、俺を誰だと思っているんすか。伝送奉納の優勝チームの最終ランナーっすよ。もう十年以上も前だけど…」

「お前の足の速さは知っているさ。だから頼んでいるんだよ」

 その時、無数の何かが暗がりの空を飛び、あちこちの建物に当たると、ばんっ、と爆ぜるような音が聞こえてきた。二人が音のした方を見ると、空界櫓と木界櫓の屋根や柱から一斉に火の手が上がっていく。断続的に射かけられる火矢が他の櫓にも火をつけると辺りが徐々に明るくなっていき、それぞれの櫓から驚いて出てきた何人かが、次々と矢に撃たれて倒れていく姿が見えた。

 何かしなければと思うが、櫓に留まれば火が回り、外に出れば矢を射かけられてしまう。どこに敵がいるかわからない状況で、大声を出せばここが狙われる。

 ああぁ、とエスキーが呻くような声を絞り出すのを横目で見て、コバックは目の前で仲間が討たれていくのをどうすることもできないもどかしさに唇を噛みしめた。

 火矢なら射る時から火を点けているはずだが、火の軌跡はまったく見えなかった。建物に刺さったときに発火する仕組みになっているのか…。

 見知らぬ武器を使う敵が暗がりの森を覆いつくしているように思え、コバックはいまさらながらに絶望的な状況を思い知らされた。

 ふいにエスキーが立ち上がった。小柄で童顔のエスキーが振り返ると、その目は怒りで真っ赤に濡れている。

「こんな、こんなことは許されねぇ…」

「エスキー」

「俺はこんな小っちゃい体だから、力も強くねぇし、エグサにもなれなかった。だけれども、一生懸命に働いて、畑を耕して、美味しい野菜を島の人に食べてもらって、空いているときには警護士やってザレにもお仕えして、洪水で畑が滅茶苦茶になってからも頑張って、頑張って…、俺は、俺は…、島の人が平和に楽しく暮らしていってもらいたいって、いつも願ってたっす」

「ああ。分かってる。分かってるよ、エスキー」

 エスキーはしゃがんでいるコバックの肩を力いっぱい掴んだ。

「コバックさん。俺、一の院に助けを求めに行ってくるっす」

「エ、エスキー…」

「無理かもしれねぇ。だけど、ここでこうして仲間がやられていくのを見ているよりは、ずっとましっす」

 コバックはエスキーの顔をまじまじと見た。優しい、いい顔をしている。

 燃え上がる櫓の火が明々と照らす外に出れば敵に見つかる危険も増すが、エスキーの足なら敵が射る矢をかいくぐれる可能性が高い、とコバックは踏んでいた。

 ばちっ、と大きな音がして、空界櫓から大量の火の粉が渦を巻きながら暗い夜空に舞い上がっていく。櫓を舐める炎の明かりが奥の院の石畳を橙色に染めていた。

「そうだな。俺は一瞬、心が折れかけていた。エスキーは強いな」

「何言ってるんすか、ここで一番強いのはコバックさんすよ。応援が来るまで持ちこたえて、一人でも多く皆を守ってください。ミロイ君もいるんだし」

「そうだな。わかった」

 じゃ、と言って今にも走り出しそうなエスキーの腕をつかんで、コバックは回廊殿堂の建物の影で見えないスダジイの奥深くにあるザレに祈った。

「エスキー、死ぬなよ」

 エスキーはにっこりと微笑み、しゃがみ込んで地面すれすれまで顔を近づけると、獲物に襲いかかる獣のように駆け出して行った。

 同時にコバックは腰帯に何十本も収納しているショル(細長い太釘のような武器)を六本取り出し、両手を胸の前で交差させながら指の隙間からショルを突き出して目を閉じ、意識を集中させた。すると、拳から突き出たショルにまとわりつくように、青白い炎に似た渦が回りはじめた。

 エスキーを援護するため、コバックはさっきの矢の音と櫓に当たった角度から、空界櫓の先、東の森の敵が居そうなあたりに見当をつけ、気合を込めてショルを放った。青白い渦を(まと)った六本のショルは、不規則な弧を描きながら、まるで生き物のように恐ろしい速さで暗闇の木立めがけて飛んでいく。ミロイが見たいと言っていた、コバックの鎌鼬(かまいたち)の術である。

 僅かだが、手ごたえがあった。

 当たらなくてもいい、敵の注意がこちらに向けばいい。

 コバックは少しずつ移動しながら見えない敵に向かってショルを投げつづけ、回廊殿堂を飛び出して、延焼が止まっている水界櫓の軒下に滑り込んだ。

 立て続けに鎌鼬の術を使ったせいで荒くなった呼吸を整えながら、コバックは周囲の気配に神経を集中させる。

 エスキーは無事に奥の院を抜け出せただろうか。いつも不満をすぐ口にする性格(たち)のエスキーが、あんなに熱く思いを語ったことに胸が熱くなり、コバックは口元だけ動かして、ふっと微笑んだ。

 そのとき、目の端に人が走る姿が映った気がして注意を向けると、一ノ門櫓の軒下から人が駆け出し、西側の暗がりに向かっていくのが見えた。

 ミロイだ。間違いない。

 そう思った次の瞬間、そのミロイの後を、声が届くくらいの間隔で迫っていく人の姿が目に入った。

「ミロイ、後ろだっ」

 思わず出してしまったコバックの声に、ミロイは速度を緩め、こっちを振り返った。

 その瞬間、後ろの敵が鎖のようなものをひと振りしてミロイに向かって投げつけると、鎖は吸いつくように足に絡まってミロイを転倒させた。倒れながらも必死に腰の拝領小刀を抜いたミロイだったが、敵は小刀を掴み取り、縛り紐を切って遠くに投げ捨てると鳩尾(みぞおち)を蹴り上げた。悶絶するミロイの髪を掴んで無理やり立たせると、敵は背中から細身の剣を抜いて喉元に切先を押し当て、コバックの方に顔を向けた。

 一瞬の出来事に、コバックは息をすることを忘れ、ミロイが捕らわれる姿をただ見ていることしかできなかった。

「おーい。そこの櫓の下に隠れてるエグサの人ぉ」

 振り返った男は黒髪を束ねて何本も頭の上に立たせ、無数の角が生えているような異様な髪形をしており、全身に黒っぽい布のようなものを巻き付けていた。暗くてよく見えないが、男は両腕を露わにしており、そこには細かい文字か記号のようなタトゥーが幾つも彫られているように見えた。

「あんたのその飛び道具の投げ技、強いねぇ。闇に隠れて見えないはずなのに、気配だけで俺らの仲間が二人も倒されちゃった。ねぇ。出てきて、俺と一対一(さし)で勝負しようよ。でないと、あんたのお仲間の、この若いエグサの人も死んじゃうよ」

 コバックは奥歯を噛みしめた。

 あいつの動き、威圧感。ただ者じゃない。出ていったところで勝つ見込みは五分五分、か…。だが、出なければミロイは間違いなく殺されるだろう。時間を稼げば一の院からの応援が来るかどうか。…どうする。

「コバック、出ちゃだめだ」

「お前は勝手に喋っちゃ駄目だろ」

 男が刀の柄でミロイの脇腹をえぐった。がはっ、と声にならない声をあげ、ミロイは膝が崩れて倒れそうになるが、男がミロイの両手を背中で()めているのでしゃがむこともできず、口から(よだれ)を垂れ流しながらうめき声をあげ続けた。

「やめろっ」

 咄嗟にコバックは飛び出していた。両手にはショルをしっかりと掴んでいる。

「おお、いい体してんなぁ。強そうだ」

 男はミロイを掴んでいた手を放し、脚を大きく広げて腰を落とし、突き出した左腕のタトゥーを剣の切っ先でゆっくりとなぞった。

 足に鎖が巻き付いているミロイは、反動で横向きに地面に倒れたまま動かない。

「さあて、どの技で行くかな。あんまり体力使うやつだとだるいしなぁ…、でも、あいつ強そうだしなぁ…」

「ガンズ。遊んでいる時間はない。下がれ」

 男の後ろから頭巾を取りながら近づいてきた女が言った。

 女の瞳は昇ったばかりの月のように、黄色く、紅く、妖しい色をしていた。その目の下に、目と同じくらいの大きさの流線形の模様が白く浮かび上がり、女の不気味な気配を増長させている。

「ちっ。何だよクレス、いいとこなのに」

 ガンズはそう言うと構えを解いて、刀を肩に担ぎ、ため息をついた。

 クレスはガンズの不平には構わず、後ろにいた者に、ミロイを起こして脚に絡んだ鎖を外すように命じて、コバックに向き直った。

「お前のその様子からして、この若者はお前の血縁の者…、息子、といったところか」

 コバックは答えない。汗が一筋、頬を伝って落ちていった。


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