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ぶどうの王様・巨峰誕生秘話  ~富士山の裾野の如く~

作者: 三野原明音

 例年、夏のこの時期になると、私の心の中に「採りたての旬の巨峰を食べたい」という気持ちが芽生える。果物狩りは、家族連れにとっては格好のイベントであり、誰しも親から連れられ、みずみずしいブドウや柿、梨などをハサミで枝から切り取り、その場で口にした思い出があるのではないだろうか。

 特に福岡県久留米市の田主丸町は人口集積地の福岡市内から近いこともあり、八月上旬となると、巨峰やピオーネ狩りの食べ放題をネットで予約される方も多いことであろう。


 この「巨峰」という品種。

 どのような経緯でこの地に根付いたのか、調べてみたところ、その源流は伊豆半島にあった。

 

 平成三十年十二月。私はこの巨峰の歴史を知るべく、羽田空港からJR東海道本線にて伊豆へと向かった。伊豆は始めての訪問であったが、冬とはいえ九州を思わせるような穏やかな気候で、たちまちのうちに気に入った。


 目的地は、この世に「巨峰」を産み出した大井上康氏の記念館である。

 観光目的での見学はお断りされているようで、私は、大井上氏の孫にあたる管理者の植松文枝さんに趣旨を電話でお伝えしたところ、快く訪問を受け入れてくださった。


 伊豆箱根鉄道駿豆線の終点である修善寺駅にて下車し、タクシーで約20分。静岡県伊豆市上白岩の天城山麓の中腹に瀟洒な洋館が忽然と現れる。国登録有形文化財に指定された木造平屋建築で、大井上氏自身が設計し、氏が提唱した農業理論を実践する研究施設として建てられたという。

 一見するに、海外研究生活が長かった大井上氏の西洋建築への憧憬が体現されており、白亜の建物の窓からは、今にも西洋のドレス姿の貴婦人が顔を出しそうである。

 中に入ると、書斎は当時のまま残されており、壁一面、天井まで設えられた書棚には、図書館のようにびっしりと図鑑と思しき書籍が並べられている。書棚の前には眼鏡姿の気力溢れる大井上氏の大きな写真があった。四人掛けのテーブルには氏が自ら書き残したブドウ種の詳細なスケッチ画などが置かれ、その芸術的な作品に私は思わず感嘆の声を挙げた。


 しばらく植松氏より大井上氏の孫から見た人柄や思い出などを伺っているうちに、秘蔵のアルバムも見せていただくことが出来た。

 その中には、三つ揃えのスーツに明るめのネクタイを締めた、ピアノに肘を突いた大井上氏と、同じ構図で座る美しい着物姿の寿枝婦人の写真などもあった。

 書斎に置かれた学者然とした氏の姿には圧倒されるほどの迫力があったが、アルバムの中の夫婦の姿は、まるで日常生活の一コマを見たようで、私は一気に親近感を覚えた。


 ここで大井上氏の経歴を述べたい。

 大井上氏は明治25(1892)年8月に父が軍人であった関係で広島県江田島の海軍兵学校官舎で生まれた。

 長じて東京のフランス系カトリック校である旧制暁星中学校に進学し、やがて農業の研究を志し、東京農業大学に入学。卒後茨城県のブドウ園の技師となり、研鑽の結果、「栄養周期論」を発表する。


 当時の栽培技術は栄養分の高い施肥を行うことが中心であったが、氏は無肥料でも収穫量が変わらないことに着目。作物の生長段階に応じて最適な時期に施肥を行い収穫を最大にする、という画期的な学説であった。

 が、現代では常識とされているこの理論、当時の学会では異端視され、容易に受け入れられず、大井上氏は長らく不遇の時を過ごす。


「何よりもたしかなものは事実である」

 そう決意した大井上氏は、やがて自らの理論を実践で証明するため、大正5(1916)年に東京の自宅にて大井上理農学研究所を設立するが、さらに最適な環境を求めて、大正8(1919)年、伊豆の地に研究所を設立。 同時にフランスに渡航し、本格的なブドウの研究に没頭した。

 その研究の成果は、昭和5(1930)年に出版した書「ブドウの研究」として結実し、現在も名著として関係者に読み継がれている。


 昭和17(1942)年、氏の長年の努力はついに岡山県産「石原早生」とオーストラリア産の「センテニアル」の交配の成功として結実し、極めて糖度の高い大粒の実を持つ新種開発に成功する。


「よく、『研究所から見える富士山にちなみ、巨峰と命名した』と書いていただくことがあるのですが、実際はブドウ品種の頂点にたつ、という意味ではないんです。大井上は、農業に携わる人たちが凶作にあえぎ、貧困に苦しむのを目の当たりにして、彼らを新しい農業理論を導入することで救いたいと願っていました。祖父は、富士山の裾野のように、『巨峰』が全国に広まり、日本の農家がフランスの農家のように豊かになることを夢見ていたのです」と、文枝さんは語る。


 その後、戦中戦後を通じて、ぜいたく品とされたぶどうは長らく受難の時代を迎えるが、ようやく昭和21(1946)年に栄養周期説を作物の増産に役立てようという機運が全国で盛り上がり、福岡県田主丸町でも昭和23(1948)年に車椅子姿の大井上氏の講演会が行われた。これが田主丸におけるブドウ栽培の最初のきっかけとなった。

 が、大井上氏は昭和27(1952)年9月、巨峰が全国に行き渡ることを見ることなく逝去。享年六十。

 

 提唱者の死によって、田主丸のブドウの火は一時消えるかに思われたが、昭和31(1956)年、大井上康氏の門下生であった越智通重氏が度々招かれ、越智氏も、田主丸の砂礫質の土壌が果樹栽培に最適であることを早くから見抜き、移住を決意。直接の指導を開始する。

 そして、江戸時代から続く酒蔵・若竹屋の第十二代・林田博行氏から土地の提供を受け、九州理農研究所を農家の有志で設立。

 稲作だけではなく、高度な果樹栽培技術を身につけることで未来のこどもたちに農業を継がせる、という高い目標を掲げ、翌年五人の会員によって巨峰苗二百本が植え付けられた。


 その後苦節三年。

 見事に実った糖度二十度、直径三センチもの大粒に人々は歓喜し、巨峰はたちまちのうちに評判となる。


 さて、普通ならここで大団円を迎えるところであるが、人生とは数奇なものである。

 大評判となった巨峰だったが、実こそぶどうの王様といえる大きさと甘さであるものの、当時は開発途上。想定以上に痛みやすい、粒落ちが早い、ということがわかり、一気に市場からは嫌気されダメ出しをくらってしまう。

 農園主たちは苦悩したが、ここでめげないのが彼らの真骨頂であった。


 売れないなら、ここに客に来てもらえばいい。

 観光農業の始まりである。

 園主たちは、手分けして、考えられるかぎりの顧客先を訪問。テレビ、ラジオなど、そしてバス会社に持ち込んだところ、当初は眉唾であった反応も、実物を試食してその態度は一変。

 やがて、バスツアーが企画され、その評判を聞きつけた人々が次々と押し寄せ、ついには筑後川から田主丸の町までの道路が大渋滞となるほどの盛況に至ったのである。


 まさに死中に活の大逆転。

 諦めない、という心が全国に先駆けての「観光農園ぶどう狩り」を生んだ。


 この諦めない、という不屈の精神を思い起こさせるエピソードが田主丸の巨峰には実はもう一つある。


 もともと「売れ残ったら必ずワインの原料として買い上げる」として、巨峰の生産者の一人であった若竹屋の林田博行氏は農家たちを励ましていたが、彼は、店頭に並べることが出来ない巨峰を破棄するのではなく、すべてフルーツワインとすることを思い立つ。


 しかし、ここで巨峰は発酵に向かない、という定説が彼に立ちふさがる。

 試行錯誤のすえ、林田氏はついにフランスのボルドーで巨峰にあった酵母を発見。開発から十年、その名を「巨峰ワイン」とした。

 現在も田主丸のツアーバスが必ず訪れるという「巨峰ワイナリー」。異国情緒も感じられる地下のワイン酒庫は、当地の一大観光スポットとなっている。




 長くなったが、大井上氏から田主丸までに至る巨峰の発展の歴史は以上のとおりである。

 現在も福岡県民を中心として、田主丸の巨峰狩りには、先にも触れたようにたくさんの人々が訪れ、活況を呈している。

 たしかに、大井上氏は、このような田主丸や全国における巨峰の発展を見ることなく逝去した。

 しかし、彼が夢見たごとく、巨峰の存在は、現在も、富士山の裾野のように、全国の農家を潤わせ続けている。

 かくして、現代日本のブドウ種の六割は巨峰を起源にもつに到った。


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引用・参考文献は以下の通りです。

後記して感謝申し上げます。



「田主丸ぶどう狩り・ナビ!」「巨峰誕生物語」『田主丸観光ぶどう協会ホームページ』,最終アクセス日,平成30年10月10日,URL

http://www.tanushimaru-budougari.com/cn15/ksbirthstory01.html


「大井上康」『フリー百科事典ウィキペディア日本版』,最終更新日,2018年2月27日2時32分UTC,URL

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BA%95%E4%B8%8A%E5%BA%B7


「巨峰ワイナリー」, 最終アクセス日, 令和6年8月2日, URL

https://www.kyoho-winary.com/about/index.html.




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