第五章 変幻
初投稿です。
仕様等まだ慣れていない為、設定・操作ミスありましたらご容赦ください。
登場人物の残忍さを表現するため、残酷な描写があるためR15としていますが、それ以外は復讐ものと言いつつ笑いネタ満載のアクションコメディー
翌日、劉煌は割れるような頭の痛さで目が覚めた。
ふと横を見ると、お陸が呆れた顔で旅館の朝飯を頬張っていた。
「芸妓芸は一人前なんだがねぇ。酒が飲めないんじゃ0点だね。落第。」
お陸が劉煌の弱点をオブラートに包まずはっきり言うと、
「14歳に酒盛る方がどうかしてるのよ!」
間髪入れずそう叫んだ劉煌は、自分の叫び声が頭に響いてすぐに頭を両手で抱え込んだ。
それを見たお陸が、かっかっかっと高笑いしたので、それがまた劉煌の頭を直撃して劉煌は悶絶した。
劉煌は負けじと、悔し紛れに自分の頭を犠牲にしてまで叫ぶ。
「言っとくけど、酒に強ければいいってもんじゃないのよ。あんなに飲んでも平気だってことは、明日のデモの麻酔はきっと効きにくいわね。麻酔が効かなくて痛みで悶絶していたら、もっと顔が皺くちゃになるわよっ!」
そして案の定、頭を抱えてうずくまる。
「そんな生意気な事言うんだったら、遊郭にあのまま置いて帰れば良かったよ。」お陸は顔をしかめて忌々しそうにそう言うと、「二日酔いの薬もあげない!」とひねくれた。
「置いてくれば良かったじゃない。師匠が一生孫娘になれないだけだから。薬も結構よ。師匠のより、もっと強力な処方を知っているから。」
劉煌はそう言うと、湯飲みに注がずに水差しから直接水をがぶ飲みした。
やおら布団から出てお陸の前に座った劉煌は、お陸を睨みながら、まずスープを飲み干し、それからご飯をゆっくり噛んで食べ始めた。
お陸も劉煌を睨みながら黙々と箸を進めていたが、自分の分が悪いと早々に判断し、唐突に「0点じゃなくて、30点」と不貞腐れて言ったものの、劉煌から「ふーん。ってことは、芸妓能力は、飲酒が7割で、芸事の出来が3割ってことじゃない。それなら普段弟子に、あんなに芸事の練習に力を入れさせず、酒飲ませるだけでいいってことじゃない。師匠として失格。」と言われてしまった。
二人はその後も睨み合いながら無言で朝食を食べ終わると、劉煌は何も言わずに部屋を出て厠に行った。そして部屋に戻ってくると、お陸の姿はどこにもなくただ机の上に白い包み紙が一つ置いてあった。
劉煌は、それがすぐにお陸が置いていった二日酔い薬と気づいたが、それを何も警戒せずに飲んだら、また「毒だったら即死だったよ、失格!」と言われそうだし、かと言って飲まずに放置していれば、「人の親切をないがしろにした!」と文句を言われるに決まっていると思った。
劉煌はそう言っているお陸の顔が頭に浮かぶのを抑えながら、3分間考えた。
そして、その丸薬の臭いと味からその薬の構成生薬がわかると、その生薬名をスラスラと紙に書いていき、その処方の自分なりの考察まで記して置手紙として机の上に置いてから、その丸薬を白湯で飲んだ。
コンスタンティヌスのリストで、3人の美容外科はわかったものの、情報収集の訓練もしたいことから、更なる美容外科がいるかも含めて、劉煌は二日酔いの身体に?頭に?鞭打って街へと出かけていった。
自分で考えた情報収集の場所の中からまず薬舗に行った劉煌は、先ほどの丸薬の効果を高めかつ毒消しとなる甘草を購入しながら、麻沸散について店主に話題を振った。
年若い娘が麻沸散のようなマニアックな処方を知っていることに驚いた店主は、劉煌の素性を探ろうとすると、劉煌は自ら、自分の母が暴漢に襲われ顔を傷つけられたと話し、父が母の顔の傷を事のほか気にしているので、母が美容整形でその傷を治したいと思っているという話をでっちあげた。
その話を聞いた店主は、この娘の母親に酷く同情した。
「あんたのお母さんの力になりたいがなぁ、誰がそんな手術しているか、もとい、そんなことがそもそもできるものなのかね。」
「そうよね。私も噂で聞いただけなの。この島にそういうことができる人がいるらしいって。だけど、顔に傷ができただけで父が母を邪険にするのが、私、見ていてたまらなくて。母が可哀想で可哀想で。だからなんとかしてあげたくて。」
劉煌は、自分の中の自己陶酔型ナルシストのペルソナを全面にだしてそう言うと、左目からポロっと涙を流してみせた。
親思いな綺麗な年若い娘が、涙を流しているのを見て、店主は困ってしまい、
「そうかい。アンタは本当に親孝行ないい娘さんだね。できることなら、なんとかしてあげたいけど、、、」と益々同情した。
ハンケチで目頭を抑えながら、劉煌は、
「ご主人は本当にいい人ね。ありがとう。......わからないけど、そういう手術ができるとしたら、麻酔をかけないとできないと思うの。ねぇ、ご主人、誰にも言わないから、麻沸散に使う曼荼羅華を誰に売ったか教えていただけないかしら。」科を作って、口を少し尖らせ、瞬きを何回かしてから目からおねだりビームを出して店主にお願いした。
店主は、少しも躊躇することなく帳簿を出して、曼荼羅華を売った相手を劉煌に教えた。
一軒目にして、コンスタンティヌスのリスト以外に新たに3人の名前が見つかった。
次に劉煌の姿は、髪結い処で見られた。
劉煌の普段の女の子スタイルは、髪の1/3は長く垂らしておくのだが、今日は明日の通訳の仕事のために年齢が高く見えるよう髪を全部結い上げてもらった。
劉煌はここでもまた、架空の顔に傷を負った母の話をし美容外科の話を振ってみたが、髪結いの人はそんなことができるなら、自分がとっくにやっていると、頭ごなしに劉煌の話をありえないと相手にしなかった。
「お肌を綺麗にしたければ、そんな顔を切ったり貼ったりしなくても、エステティックでなんとかなるんじゃないの?」
いつの間にか隣に座ってやはり髪を結ってもらっているご婦人が、劉煌に話しかけてきた。
”エステティック?それはなんだろう......”
劉煌は、すぐにそれに反応し「ねえねえ、お姉さま。そのエステティックとやらは一体なんなのかしら?私は初めて聞くわ。」と高い声で聞くと、隣のご婦人は、おばさまと呼ばれて当たり前の年齢なのに、お姉さまと言われたことで大変気をよくしながら、「まあ、お嬢ちゃんの年齢では必要ないものね。でもお母さまの顔の傷を癒すのには、助けになるかもしれなくてよ。エステティックとは西域の美容法のことよ。」と鼻高々に劉煌に教えた。
ところが、それを聞いていた劉煌の髪結いの人も「ああ、あれね。最近よく聞くようになりましたね。私も受けないかって聞かれたけど、受けたらシミになったという声も聞いたから、行ったことないの。」と水をさした。
先ほどの劉煌への返事といい、隣のご婦人との話といい、どうもこの髪結いの人は、明らかに接客には向いていないようだが、劉煌が鏡を見ていると髪結いの腕だけは良いようだった。
面子を潰された隣のご婦人は、ムッとしてすぐに反撃に出た。「それは施術後の注意事項を守っていないからよ。施術後は、お顔をお日様の光に当てないようにしなくちゃ。」と、ご婦人は前にある鏡に映る不愛想な髪結いを睨みながら言うと、今度は鏡に映る劉煌に優しい口調で、「ね、お嬢ちゃん、良かったら、髪が終わったら一緒に行ってみない?化粧品店の二階なの。」と誘った。
劉煌はそれを断る理由が全く見つからなかった。
「それはそれはお姉さま、有難いお誘いですわ。是非御供させてくださいませ。」
劉煌が髪結い処を出て通りを右に曲がったのを確認したお陸は、屋根裏から飛び降りてきて髪結い処に入ると、エスコートも待たずに勝手にどっかと席に座り、「髪を真っ黒に染めて、さっきの若い子と同じ髪型にしておくれ。」と言った。
一方、見ず知らずのご婦人と化粧品店に来た劉煌は、ご婦人の顔パスで、関係者以外立入禁止と書かれている扉を開けて2階に上がった。
化粧品店の2階の部屋は、8畳ほどの四角い部屋に、幅の狭い寝台が一つと足を投げ出せる大きな背もたれのついたフカフカの椅子が一脚あり、部屋の壁一面に大小のへらやスパチュラ、乳鉢、様々な大きさのハケが並び、棚には数十個の瓶が所狭しと並んでいた。
劉煌を連れてきたご婦人は、部屋に入るなり「お顔のパックをしていただける?」と言うと、劉煌の方を振り向いて、「あなたは必要なさそうね。」と残念そうに言った。すると、ご婦人にパックをお願いされたお肌のきれいな女性が、「そうですね。でもお嬢さん、ちょっとマニキュアはいかがかしら。手の御指の毛を抜いて、爪の甘皮をとって爪を磨いて整えるの。」と提案すると、劉煌は好奇心から「是非お願いしたいわっ。ところで、あなたのご職業は何と言うのかしら。こんな素晴らしい所があるなんて知らなかった。」と聞くと、彼女はニッコリして答える。
「お嬢さん、私の仕事は、美容家といって、お客様の美しさのお手伝いをしているのよ。美顔、脱毛、手足のお手入れが主なお仕事ね。お嬢さんは美容に興味がおあり?」
美容家と名乗った彼女は、劉煌に丁寧に答えながらも、ご婦人を寝台に寝かせるのを手伝い、すぐにパックの準備に取り掛かった。
ご婦人は横になりながら美容家に言う。
「この子はお母さんのために美容外科を探しているのよ。」
「確かに、明らかに美容外科で手術された方もお見えになるけど、自らそういうことはお話しにならないから、残念ながらどこにそういう人がいるのかはわからないわね。」と言いながら、美容家は、様々な瓶から粘性のある何かを取り出しては乳鉢の中に入れていた。
劉煌は、もはや美容外科よりも、ここで何が行われているのかの方に興味津々で、「ねえねえ、美容家のお姉さま、お仕事されているのを横で見ていてもいいかしら?」と聞くと、彼女は嬉しそうに、「どうぞ。」と言いながら、何やら乳鉢の中の灰色のドロドロをかき混ぜ始めた。
劉煌が不思議そうに見ているのに気づいた彼女は、「これはパックよ。お顔に塗ってお肌の老廃物を出して、新陳代謝を高めるのよ。」と言いながら、別の瓶からへらでさくらんぼ大の白いクリームを手の甲に取り出すと、気持ちよさそうに寝台に横たわっているご婦人の側に行ってそのクリームをまんべんなくご婦人の顔に塗っていった。
「このクリームはお化粧落としよ。お化粧を綺麗に落としてからパックはやってね。」と言って劉煌にウインクすると、彼女はご婦人の顔を蒸し手拭いで綺麗に拭いていった。
「このお部屋が少し暖かいのは、蒸し器をずっと使っているからなのね。」と劉煌が呟くと、「乾燥はお肌の大敵なのよ。お嬢さんもお肌は乾燥させないように気を付けてね。」と言いながら、彼女はご婦人の顔に乳鉢の中の灰色のドロドロをハケで丁寧に塗っていった。
目と口周りを残してご婦人の顔を灰色にすると、彼女は劉煌に椅子に腰掛けるように言った。「さあ、手のお手入れをしましょうか。」
彼女は劉煌の左手を蒸し手拭いで温めると、「毛穴が開いてきたのわかります?」と聞いてきた。劉煌がただ頷いていると、彼女は突然毛抜きで劉煌の手の毛を1本抜いた。劉煌の美しい顔が痛みで歪む。彼女は劉煌の歪んだ顔をチラッと見てふっと笑うと「始めは痛くてたまらないかもしれないけど、慣れるから。」と言いながら、容赦なくどんどん毛を抜いていった。劉煌はいつになったら慣れるか、待っていたが、結局最後の1本を抜き終わるまでずっと痛く、慣れることはなかった。
劉煌が、”女でいることは、とても大変なことなのだ”と初めて気づいた瞬間でもあった。
彼女はご婦人の様子を見に行ったが、「もう少しですね。」とご婦人に声をかけてから奥に入っていった。
奥に入ったと思ったら、すぐにお椀に湯を入れて劉煌の側にやってきた彼女は、劉煌の左手を取ると、指先だけそのお椀の湯の中につけるように言った。劉煌が言われた通りにお椀に手を突っ込んでいると、彼女は金属製の細い棒、小さな糸切はさみ、爪やすりと紙やすりを持って劉煌の側に戻ってきた。
彼女は劉煌の左手をお椀の中から引き上げると、爪溝近くの爪を細い棒で優しく押して引き上げていった。
その頃には、脱毛の痛みが治まり、劉煌の興味もまたムクムクと蘇っていたので、「お姉さま、それ何をしているの?」と聞いた。「甘皮を取っているのよ。」そう言いながら、彼女は慎重に小さな糸切はさみで甘皮を器用に切って行った。
彼女は劉煌の甘皮を取り終わると、ご婦人の所に行き、器用にパックをへらで取っていき、最後に蒸し手拭いで顔に残ったパックをふき取り、ご婦人のお顔にまた新しい蒸し手拭いをかぶせた。
彼女は劉煌の小指の爪を爪やすりで綺麗に形を整えてから、爪全体に紙やすりを、粗い目の物から順に細かい目の物に変えて当てていった。そして満足げにうんと言ってから、席を立ち、残りは後でやるからと劉煌に言い残してご婦人の元に行った。
彼女はいい匂いのする水のようなものをまず、ご婦人の肌になじませ、次に薄くクリームを塗ってまた新しい蒸し手ぬぐいを乗せた。
彼女は劉煌の薬指の爪に、小指と同じ作業を施すと、またご婦人の所に戻り、顔から手拭いを取った。ご婦人は満足げなため息をついてから「ああ、これでようやくお話できるわ。お嬢ちゃん、あなたのお爪はどう?」と劉煌に聞いてきた。劉煌はご婦人がどうなっているのかの方が気になって、自分の手の状態のことはすっかり忘れていて、自分の手の仕上がり具合に初めて目を向けると、自分の左手の小指と薬指の爪がキラキラと輝いていることに気が付いた。
劉煌は、思わず左手を高く上げて、うっとりして「わあ、綺麗。」と呟いた。
美容家は、「まだ全然仕上がっていないわよ。」と不服そうに言うと、劉煌の左手の残り3本の爪を次々とぴかぴかに磨いていった。そして最後にいい匂いのする水のようなものを左手にたっぷり塗り、それから彼女の手にクリームをつけて劉煌の左手をマッサージした。
「はい、これで左手は終了。」と言うと、彼女はご婦人の所に戻り、ベースメイクを始めた。劉煌は、椅子から立ち上がると彼女の横につき、興味津々にプロの化粧の仕方を見た。
劉煌は気づいていた。
ご婦人の肌が赤ちゃん肌に戻っていることを。
そしてそんなお肌の状態だと化粧のノリもよく、おしろいも少ない量で十分だということを。
劉煌は、我にもなくこれにとても感動して、彼の母がいろいろな美容法を試していたことを思い出し、
”わあー、この技術は凄い!母上にもしてさしあげたい......”
劉煌は、知らず識らず、ついふとそう思ってしまった。
9歳で生き別れ(と言うか、たぶん死に分かれ)になってから5年間、どんな時でも、たとえ夢の中でさえ、劉煌は、少しも思い出させることなく心の奥底に封印してきた母が、このエステティックとやらで不覚にも彼の心の扉の鍵が溶け、扉が勝手に開き、瞬く間に表に浮上してきてしまった。
全てにおいて上品で、たおやかで、規則を遵守する、まるで生まれながらにして皇后になることが決まっていたかのような人だった劉煌の母は、何故か劉煌からは皇后陛下と呼ばれるのを拒み、公の席でもこれだけは皇室規定を無視して自身のことを母上と呼ばせていた。
優しく美しかった母の笑顔、
部屋をそっと覗くと、鏡に向かって唇に紅をさしていた母、
鈴のような声で劉煌を呼び止めていたこと、
「父上には内緒よ。」
上品に微笑みながらそう言って、劉煌を抱きしめ、劉煌のおでこに優しくキスをしていた、あの母のぬくもり・・・・・・
”母上......”
劉煌は、まるで今、ここで、あの頃のように母に耳元でそう囁かれ、母の胸の中に自分自身が包まれているかのような錯覚に陥っていた。
それは、エステティックで使っている香粧品の香りが、母の香りに似ていたからかもしれない。
今迄必死に封印してきた母の記憶が、芋づる式に次から次へと劉煌の前に、まるですぐそこに母が居るかのような、臨場感を持って流れ始めた。
彼の目は、母を捕らえた。
それは、幻であったが、彼の脳はそれが幻だとは認識できなかった。
”母上!母上!母上ぇーーーーー!”
劉煌の胸は、はちきれんばかりの勢いでドッドッドッドッと大きく音を立てて波打ち、当たり前のようにしていた呼吸が、突然、どう息を吐いて、どう吸ったらよいのかもわからなくなった。
呼吸が思うようにならないので、母を呼んでいるつもりが、あっあっあっという口から呼気が漏れる音にしかなっていないことにも、目から涙が溢れ出て、それがこぼれ落ちて頬をツーッと伝わっていることにも、劉煌は、しばらく気づかなかった。
そして、そんな劉煌のことを、屋根裏から綺麗にセットされた髪型になったお陸が見ていたことにも気づかなかった。
劉煌は、目をつぶり、今本当は自分がどこにいるのかを思い出すと、両手を拳にしてギュッと握りしめながら、思い出してはいけない、思い出してはいけないと自分自身に言い聞かせはじめた。
この動揺を相手に知られないように、劉煌は、掌でサッと涙を拭くと、すぐ心を落ち着かせるため足の裏と丹田に意識を持っていった。さらに、しばらく深呼吸をしてから普通の呼吸に戻すと、心に落ち着きを取り戻した劉煌は、最愛の母をまた心の奥底の部屋に丁寧に押し込み、その扉を固く閉じてしっかり鍵をかけた。
幸い、美容家もご婦人も、化粧に夢中で劉煌の変化には全く気づかず、劉煌の意識がここにしっかり戻ってきた時、ちょうどご婦人の化粧が完璧に仕上がったところだった。
劉煌はくノ一モードにしっかり切り替えると、ご婦人の使用前使用後を目の当たりにし、
”お化粧の技術も凄いわ。悪いけど、お陸さんのは時代遅れね。”
と心の中で美容家の技術を評価した。
そして、そう評価した直後に屋根裏でチッと言う小さな舌打ちの音が聞こえたことも聞き逃さなかった。劉煌は、お陸がどこにいるのか気づくとやれやれと思いながら、首を横に何度も振った。
そして、意識を屋根裏からこの部屋に戻すと、お陸の美容整形手術のため少なくとも術後2週間はここに滞在しなければならないと計算し、劉煌は、美容家に懇願した。
「ねえ、美容家のお姉さま、私がここに滞在している間、毎日ここで見学させていただいてもいいかしら?」
美容家は、ご婦人だけお見送りすると、ようやく劉煌にむかい、まるで断る口実をみつけんがためかのように、あれやこれや質問し始めた。
どうも彼が商売敵になるのではないかと懸念していると感じた劉煌は、自分がこの国の人ではないことを伝えると、彼女が一瞬明らかにホッとしたのを見逃さなかった。
”これだけの美容家なら、美容に関する西域の最新動向が知りたいはず......”
劉煌は、爪やすりで、自分の右手の爪を整えながら、賭けに出た。
「ただ明日はここにはこれないの。通訳の仕事があるから。」
美容家は劉煌の話がとても意外だったらしく、斜に構えていたのをやめて劉煌にまっすぐ向きなおすと、「通訳って?」と、身を乗り出して聞いてきた。
劉煌は勿体ぶらずにすぐ、まるで当たり前のように「羅天語よ。」と最後の小指の爪を整えながら言うと、美容家は突然ガバっと席から立ち上がり、何を思ったのか、奥にすっ飛んでいった。
”あれ、勘は外れちゃったかな......”
劉煌がそう思っていた矢先、美容家は1冊のボロボロにすり切れた本を持ってきて、劉煌に聞いた。
「これ、わかる?」
劉煌がその本を手に取ってパラパラ頁をめくると、心の中でガッツポーズを繰り返しながら、涼しい顔で美容家に向かって答える。「当然よ。」
これで劉煌のエステティック見学は決定した。
まだ何もやっていなかった右手を蒸し手拭いで蒸らしてもらいながら、劉煌は、渡された本の1頁目から、どんどん声に出して訳して行った。
美容家は、劉煌の右手のお手入れをしながら、劉煌の翻訳に耳を傾け、わからないところがあると施術中にも関わらず、手を挙げて質問してきた。
幸い劉煌は5歳から医術を学び始め、9歳では御典医に羅天語文献を翻訳してあげていたほど、人体生理・解剖・病理学に精通していたので、美容家の質問には全て楽々答えられた。
劉煌の施術が終わる頃には、すっかり美容家は劉煌が気に入ってしまい、劉煌の施術料すら受け取ることなく、彼女の名刺を劉煌に渡すと、明後日また来てくれるのを心待ちにしているとまで言って彼を見送った。
劉煌は、外に出た途端、鼻息を粗くして思った。
”昨日といい、今日といい、語学ができることで救われた。”
”全くままったら、生きていく上で何の役にも立たないって言ったけど、この語学スキル、滅茶苦茶役に立っているじゃない!”
そう思いながら思わず大股で歩いていた劉煌は、行きかう人々が自分のことをチラチラ見ていることに気づくと、ハッとして急に科を作り小股で歩き始めた。
少しずつ、男から女モードに切り替わって行くと、次第に興奮が納まり、彼は冷静に今日一日を振り返ってみた。
”本当に人生、何がいつ役に立つのかわからないものだ。願わくば、くノ一修行もとい忍者修行が、僕の希望通りの役に立って欲しいものだ。”
次の呉服店に向かいながら劉煌は、そう思わずにはいられなかった。
しかし、今迄の有益情報が嘘のように、呉服店、宝石店、装飾品店ともに美容整形の話は空振りで、劉煌が最後の刃物屋にやってきた時には、店はもう閉店の準備をしているところだった。
劉煌は、財布を懐から取り出し、購買意欲を全面に出して言う。
「爪を綺麗にするお道具が一式欲しいの。」
「そんなもの、うちにはないよ。」
「化粧品屋の2階のエステティックで使っているのよ。」
「ああ、あれは爪の道具なのかね。」
「そうよ。それが欲しいの。」
「あれは特注なんだよ。」
「もう一式作って。」
「そう言ったって、お嬢ちゃん、1週間はかかるし、千両もするけど。」
劉煌は、明日の報酬金額を聞いていなかったら躊躇するところだったが、その金額も全く意に介さず、「そうね、いいけど、998両で何とかならないかしら。」と2両ほど値切ることを忘れなかった。
そしてすかさず劉煌は、「他の特注品も扱っているの?」と店主に聞いた。
店主は、店側が要求していないのに前金としてその場で500両支払った劉煌にたいそう気をよくして、何も考えずに答える。
「ああ、あるよ。何かとても小さい刃物をね。医者だって言ってたけど、出羽島の医者じゃなかったけどね。」
そしてまたもやでっちあげの話をして店主の同情を買うと、すかさずその道具を注文した人の情報を聞き出すことに成功した。
劉煌が宿に戻ってきた時には、もう日がとっぷりと暮れていた。
そして部屋にはお陸が腕を組んで机の前に座っていた。
「美容外科の情報は掴んだのかい。」
開口一番が「お帰り」ではなく結果を求めることであるのも、師弟関係ならではのことである。
「それは、師匠も知っているでしょ。ずっとつけてきてたの知ってるんだから。」
”情報収集といい、私の尾行に気づいていたことといい、本当に筋がいいねぇ。”
お陸はそう思いながらも、それをおくびにも出さず、上から目線で聞く。
「じゃあ聞く。どうして薬舗と刃物屋だけは情報がつかめたんだい?別の言い方だと、その他の店はどうして情報がつかめなかったのか。」
「......うーん、他の店は情報が無かったから?」
「それだけだと思うのかい?それなら....」
ここでお陸は思いとどまった。
”また0点というと、なんだかんだこのお嬢ちゃんはイチャモンつけてくるだろう。”
案の定、ちょっと怒った声で劉煌は叫ぶ。
「それならなによ!」
「それだけだと思うなら、情報収集は30点。」
お陸が答える。
”ふふふ、この修行の満点が今一万点に変わったのには気づくまい。”
お陸は不敵な笑顔でこう思っていると、劉煌はその笑顔を見て目を細め、低い男の地声で
「師匠、何点満点なの?」
とすかさず聞いてきた。
”全く、変に頭の回転が早い子はやりにくいったらありゃしないよ。”
お陸は匙を投げながらこう思うと、
「とにかく、全く情報収集ができていない訳じゃないってことだよ。それで満点にならなかった理由は自分でわかったのかね。」とうまくはぐらかして言った。
劉煌は薬舗と刃物屋とそれ以外の店の相違点を考え始めた。
「もしかして、店員の性別の問題?」
しばらくして劉煌が自身なさげにそう言うと、
お陸は、大きく頷いて「その通り。」と言った。
「いいかい。基本、男相手は女。女相手は男。可愛いお嬢ちゃんが、涙ながらに訴えて心を動かされるのは男だけ。女にとっちゃ「それが何か。一昨日おいで。」もんだよ。あんたは男なんだろう?女が男のふりをするのは難しいが、あんたが男になるのは簡単だろう?いいかい、弱みは強みにもできるんだ。覚えておきな。何事も臨機応変だ。」
劉煌は神妙な顔をして、今のお陸の話を咀嚼していると、お陸は突っ込まれても困るのですぐ話を変えて言う。
「じゃあ、また前祝いに行こうか。」
それを劉煌は大の字になってお陸の行く手を阻み、「ダメっ!」と大声で叫んだ。
「何でダメなんだよ!お前の酒飲み修行なのに!」
お陸得意の劉煌のせいにこじつけるトークがさく裂した。
だが劉煌にもうその手は通じなかった。
「手術の前日に飲酒なんてもってのほかよ。一生お天道様の下で顔出して歩けなくなるわよ。」
お陸は開き直って悔し紛れに「じゃあ、手術終わったらすぐお前の酒のみ修行だ。」と、あくまでも劉煌のためだと言うと、サラッと劉煌が釘をさす。「術後1か月経ってからね。」
「そんなに飲めないの?」
「顔が崩れてもいいんだったら飲めば。」
ギリギリギリ
お陸は露骨に歯を食いしばってフンと言うと、掛け布団をガバっと開けて布団にもぐりこんだ。
劉煌は言った。
「そうよ、早く寝たほうがいいわ。明日は寝ているだけとは言っても相当疲れるはずだから。よく休んでおきなさい。」
そう言われてしまっては、布団の中で、もはやふて寝する以外、お陸に道はなかった。
お読みいただきありがとうございました!
またのお越しを心よりお待ちしております!