3.そうして魔女はひそかに笑う
馬鹿らしいこと。
アイビーさんが王宮に侵入してくることは既に予見していた。娼館では従業員からも客からも評判が悪く収入は少ない。そんな中大きな収入源であったフィロス殿下が来ないとなれば居ても立っても居られなかっただろう。
「フィロス殿下。あなた、アイビーさんの元へ行きましたわね」
そう問えば殿下は気まずそうにうつむいた。
「人目があったからさっきの嘘はあなたの尊厳のために見逃してあげただけよ。何か言うことがあるのではないかしら」
わたくしはベッドに腰掛け足を組んだ。対する殿下は自室だというのに床に膝をついて座っている。
「もうしわけ、ありません……俺はアイビーに会いに娼館へ行きました……」
「ふうん。来週末には約束の1ヶ月だというのに、我慢もできないのね。約束は無かったことにしましょうか」
「待ってく、っいや、お待ちください!!」
フィロス殿下は泣きそうな顔でわたくしを見上げる。
「娼館に行ったのは事実です。しかし……結局何もせず帰って来ました」
「どうして?」
「そ、れは……」
今度は顔をぼっと赤くする。
「お、俺はあなたと約束をする前まで、ずっとアイビーの元に通っていました。ですが、気付いてしまったのです。俺にはあなたしかいないと」
「まあ。見栄を張ってどうなさったの。もっと正直に言いなさいな」
「うぐ……」
以前までの殿下であれば、こんな言い方をされれば怒って声を荒げていたはずだ。しかしどうだろう、今の殿下は。瞳を潤ませて顔を赤らめ、恥ずかしそうなそぶりを見せながらも心の内では満更でもないように見える。
「俺はっ……カトレア様に愛してもらわなければ身体も機能しないような惨めなオス犬でございます! どうか! 俺に慈悲をください!」
そう言って床に頭を擦り付ける。
「素直に言えて偉いわね」
足で無理矢理顎を上げると、喜色を浮かべた殿下とバッチリ目が合った。
最初のころ、フィロス殿下はわたくしを組み敷いて辱めることを企んでいたらしい。殿下はあくまで王太子。守る人間が周囲に居るので鍛えてはいないし、かといって人心を掌握する術もない。このわたくしに恥辱を与えることができるなんてずいぶん思い上がれたものだ。
女性は感情が伴ってはじめて快楽を得られる。前戯もろくに知らない殿下が女性を悦ばせられるはずがないだろう。
逆に男性は以前までの殿下のように、気持ちがなくとも刺激を与えれば反応してしまう生き物だ。しかし感情の昂ったときに得られる快感は、そうでない時とは比べものにならないことは男女ともに同じ。
さて、そんな殿下にじっくりと本物の悦というのを教えてやると一体どうなるのか。答えは明白だろう。
アイビーという愛したはずの女の肢体を前に、フィロス殿下はピクリともしなかった。あの2人の交わりがあまりにも幼稚なものであったことに、殿下はついに気が付いたわけだ。
性と愛は別物といえど、世にはそれを一緒くたに認識する者は多い。殿下もそのうちの1人だ。
アイビーさんへの性欲を失い、魅力的に見えなくなる。魅力的に見えなくなり、性格も悪く見えてくる。欠点が見え始めると次から次へと不満が湧き出す。そしてわたくしを見て殿下は思うわけだ。「カトレアはこんなに美しく、素晴らしい女性であっただろうか」と。
反抗的な人間が調教され従順になる過程は非常に愉快だけれど、あまりにもチョロいからいっそつまらないくらいだった。今では命令してもいないのに2人きりになればわたくしを「ご主人様」と呼び敬語を使う始末。まあ、従順であっても少々欲張りすぎて鬱陶しいので、このへんも追々躾けてあげないと。
「わたくし、猫って嫌いなのよね。気まぐれで、言うことも聞かないし、そのくせこちらにはあれこれ要求してくるんだもの」
大魔法時代、わたくしは魔女と呼ばれた女だった。魔女といえば使い魔に猫というイメージがあるらしいが、まったくもって理解不能だ。従順で言うことを聞く犬の方がよっぽど使い勝手が良い。彼らは馬鹿で、そして愛おしいのだ。
「もう2度とわたくしに逆らわないでね。わかったら「ワン」と鳴いて言うことをお聞きなさい」
「ワンッ」
フィロス殿下は迷いなくそう鳴いて、本当に犬のように転がって腹を出した。わたくしは美しく見えるよう計算された角度で「いい子ね」と笑みを深め、おしおきと称してその日それ以上のことは敢えてしなかった。
僅か5年ほどで王国は大魔法時代の文明を取り戻した。大魔法時代の中でも当然発展はあったので、あらゆるものを当時最新のものに絞って研究・開発すれば、実現は思いの他早かった。未知のものを作るより知っているものを作るほうが手っ取り早いのは当然だけど。わたくしの専門外である部分も多いので完全にとまではいかなかったが、教育機関も発展させたことだしあとはなるようになるだろう。
「カトレア、これはどうする?」
「今週中に済ませておいて」
「わかった」
フィロス殿下といえば、もうすっかりわたくしの下僕だ。周囲の目には仲睦まじく映るらしく、王太子は王太子妃の尻に敷かれているともっぱらの噂だ。
我慢すればするほど気持ちよくなれる身体になってしまった殿下は、ここ数ヶ月夜に訪れることもない。貞操帯の鍵はわたくしが管理しているから、自主的におあずけプレイを楽しんでいるのだろう。
そんな感じなので、わたくしとフィロス殿下の間にいつ子が産まれるかと期待する者も居るらしいと聞いて、すっかり忘れていたと思った。
正直子どもは欲しくない。できてしまえば1年近くは拘束されるだろう。生まれて乳母に預けたとしても、乱れた身体の調子を整えるのにも時間がかかる。5年で大魔法時代のほとんどを取り戻せたのだ、1年あればなんだってできる。それを縛られるというのはいただけない。
それに子どもは嫌いだ。言うことは聞かないし、言ってもすぐ忘れるし、うるさくて汚い。子どもとはそう言うのものだと言ってしまえばそれまでだし、わたくしも大人なのでそれは理解しているから公ではとやかく言わないけれど。
公爵家から養子でも取ろうか……外聞が悪いから人形を作る方が良いか。成長に合わせて改装しなきゃいけないけど、その方が都合の良いモノを作れる。妊娠期間は引きこもればいいし、身近な関係者は既にほとんどが人形なので話が漏れることもない。人の心は移ろうもの。生身の人間なんて信用できるわけないものね。
あれからアイビーさんはしつこくわたくしや殿下を狙ってきたが、当然何ができるわけでもなく最終的には諦めて娼館で大人しくしていた。しかし娼館での売り上げも芳しくないからすぐクビになったようだ。衣食住付きの高級娼館に金にもならない害虫を置いておくわけもない。
その後生家の子爵家を訪ねるも当然のごとく門前払い。居座ったすえに出てきた子爵はわたくしの抗議文によってアイビーの王宮侵入を把握しており、堪忍袋の尾が切れたのか奴隷商に売られた。廃嫡されて娼館に売られた時のほうがまだ幸せだっただろう。
「そういえば、アイビーさんですが……」
わたくしがペンを走らせながら言うと、同じく書類と睨めっこしている殿下が「アイビー?」と首を傾げた。
「誰だい、それは」
「…………あら。アイビーさんとご友人だったのは他の方だったかしら」
フィロス殿下はアイビーさんのことをすっかり忘れているらしい。彼女が今どうなっているか教えてあげようかと思っていたけれど、それならそれでいい。わたくしに仇なした者だもの。もちろん彼女が死ぬまで監視は続けるわ。
学はあるので計算などの書類仕事は殿下に任せ、外交や内政はわたくしが行っている。現王もそろそろお年なのでわたくしたちが25歳になる2年後に譲位する予定だ。少し前から王としての執務も少しずつ行なっていて、1年もすれば国王夫妻の指導がなくともじゅうぶんこなせるようになるだろう。
国のトップに立ったら今度は何をしようか。
フィロス殿下はあまりに忠犬になりすぎて面白くないから、そろそろいたぶってじわじわ殺してしまうのもいいかもしれない。
他国では冒険者活動が流行っているらしいから、国を捨てて遊び回るのもいいわね。
だって、わたくしの未来はこんなにも明るいのだから。ええ。もう間違えたりはしないわ。
むかし、むかし。ある国にある王女さまがおりました。
王女さまはおてんばでわがまま放題。けれどもその好奇心の強さでみるみる知識を蓄えるので、将来は立派な女性になるであろうと思われました。
ことが起こったのは王女さまの教育が始まる直前の5歳のころ。悲鳴に騎士たちが駆けつけると、血だらけで倒れた女性の上に王女さまがまたがっているではありませんか。
「ナイフで刺したらどうなるのか、気になったの」
王女さまの好奇心は止まりません。
ある時は乙女の血を浴びれば若くなるという話を聞いて娘たちを皆殺しにし、風呂桶に3人分の血を溜めたところで「生臭いわ。こんなの浴びれるわけないじゃない」とあきらめ。
ある時は神というのはどれだけ強大かが気になって、神の依代とされる石像に呪いをかけ続けて土地を枯らせ。
ある時は絶滅を危惧されていたエルフを攫って研究の贄とし。
ある時は国内を暴力によって支配し。
王女さまはいつしか女王になっていて、まだ若かった父も、母も、あんなにたくさんいた兄弟たちも、なぜだかいません。女王は圧政こそしませんでしたが、気まぐれに人を殺したり土地を壊したりするので、民衆からは恐れられていました。
「だって、世の中にはまだまだ未知のことがあるのよ! これを解き明かさないでどうするというの!」
悪虐のかぎりを尽くす女王の前に団結した民衆が立ちはだかりました。彼らはひとりひとりの力は弱いけれど、全員で力を合わせて女王に立ち向かいました。
女王は国を追われ逃げ出します。しかしそれからも、別の国で女王の被害に遭ったという話が湧いてきます。
しかたのないことでした。女王は目を見張るほど美しく、洗練され、老若男女問わず見る者を魅了するのですから。
そうして女王は魔法で姿を変えながらも、その生涯を探求に注ぎ込みました。
女王を追い出した国は恐怖から解放されたと安堵しました。以降、その国は魔法で素晴らしい発展を遂げます。
人々は女王をこう呼びました。
────傾国の魔女カトレア、と。