人は迷惑が掛かっていないことに興味を持つ
久しぶりに着た服の中にお金があったり、ふとしていた場所に忘れていたお金があったりしたことは誰もが、経験しているのではないか。逆に、金欠となりどこかに忘れたお金がないかと探すが、そういう時こそいくら探してもないものだ。
ねこ婆から姉さんになんで?500円借りたのと直球で聞いてみた。やっぱりブレーキのきかないオレ。
ねこ婆は、常に計画性を持って暮らしていて、毎月の給料のほとんどが、ねこに使い終わるようだ。
この時も、余計な出費が出来たことで、500円を借りたというのだけど、入社時にオレが髪を黒く染めて欲しいとお願いしたことで髪染めを購入した出費であった。
毎月、ギリギリの生活をしていた、ねこ婆の事情も考えずに会社の事情やオレの感情でお願いしたことで人は大変な窮地に追いこまれてしまうんだということに気づかされた。
髪染めを購入したことで生活費がなくなってしまう。そんなことも考えられなかったのかと今は思うが、実際は何も考えずに発してしまう言葉は多く、そこまで考えてものを言うことも難しい話だとも思う。
でも、今回の件では、オレがお願いしたことで、ねこ婆は(髪を染めなければ仕事が出来ないかも)と考えたのかもしれない。仕事が出来なければ、大切なねこたちのごはんが買えないと思い、残り少ない生活費を使ってまでも文句を言わずに髪染めを購入し髪を染めてくれたのだろうと考えた。姉さんから借りた500円は給料日までの食費として借りたと話してくれたが、給料日まではまだ2週間あるのにどうやって生活したのかも話してくれた。
姉さんから500円を借りてすぐに、スーパーに行き、税込み(19円のうどん)を、26個買いこみ冷凍保存したらしい。このうどんが2週間の食事だ。味を変え、色々なレパートリーで食べれば飽きも来ないとねこ婆は笑う。会社に持ってくるお弁当も毎日パンであったが、食パンを買い込み毎日2枚の食パンにジャムをぬり弁当箱に詰めていたようだ。これらすべてが節約によるもので、自分が寂しい思いをしても、ねこたちには美味しいものを食べさせたいという気持ちから来る優しさと責任感でしかない。
だから、ねこ婆はこうして平気な顔で正直に話してくれるし、自分のことなんて何も考えず、ただただ、ねこに幸せを与えることだけを考えて生きている。
でも人は、こうゆうねこ婆の姿を見た時に何を思うのだろうか?
単純に(バカじゃないの)という者もいる。食パン弁当を笑う者もいた。うどんを主食にしていることに対しても同じだが、誰かに迷惑をかけたかい!とねこ婆に言われても仕方のない事でしかない。
世の中には、身分相応の生活というものがあって当たり前で、自分の中の価値観で人を判断してしまう事が多い。オレ自身もそうであったし、何かのキッカケがなければこのことには気づくことはないと思う。
生きることは本当に大変なことだ。でも、生きているからこそ、幸せも苦労も感じられる。
ここで学ぶことは、自分以上に守るべきものがあれば、苦労とも笑って戦えるということ。そして、誰がどんな生活をしていても、誰かに迷惑を掛けてもいない人の事を笑ったり、バカにしたりはしてはいけないということだろう。自分の価値観で人を見下すような人間ではいけないし、誰であっても同じ目線で、ものを感じることが大事なのではないかと思う。
あの時、働いたばかりのねこ婆に、明日にでも髪を染めて欲しいと言葉にしたオレには後悔しているし、この後悔を学びに変えて、二度と同じことがないようにしようと考えている。
オレは貧乏な家で生まれ育ってきたから、貧乏は貧乏なりに幸せだってあることや、貧乏だから学んだ知恵もある。大人になる中で、忘れていたものが今になって思いださせられる。
自分自身が嫌いであった人間に、自分がなっていないかを改めることが出来た時間に感謝したいとさえ思う。
ねこ婆も、ねこが居ない生活なら働く必要はないという。でも、ねこが居るからねこ婆は幸せなんだ。
ねこの為に苦労を苦労と思わず日々、嫌なことがあっても耐えて働く姿には、学ぶものばかりだ。