目標があるから頑張れる
頑張る人には頑張る理由も目標もある。仕事にしても「昼夜」掛け持ちで働く人も多いのではないか。
たとえば、昼夜、働く人に対して人は素直に「お疲れ様」という気持ちを持てているのだろうか?
自分には関係がないのに(なんで?そんなに働く?)などと考えたりはしないだろうか。
ひとつの仕事をやるだけでも大変なのに、ふたつの仕事を掛け持つ事は更に大変だ。環境も仕事内容も違うしすごい苦労と体力も必要だろう。しかし、わたしたちが想像する入り口はその頑張りを理解するより先に、家族が病気なのかな?借金があるのかな?何かを買いたくて貯金するのかな?などの想像が生まれる。単純に(お金がないんだ)と決めつけた考えも持つ。そこには、頑張ってるなぁとか、働き者だなぁという前向きな思いはなかった。
人は所詮、自分には関係のない事であってもやたらと想像し考えてしまう生きものであるが、時として勝手な想像が言葉となり、人のこころに深い傷をつけてしまう。
たとえば、母子家庭で頑張るお母さんだ。本職でバスガイドをしながら、夜はスナックで働く。休日の昼間はスーパーのレジ打ちをする。眠くても目標があるからと泣き言も言わずに、ただ一生懸命働く。
自分のことなど何も出来ない中で、自分の子に不自由な思いはさせたくない!の為だけに命を削る。
だけど、そんな努力の人に対して心無き言葉を吐き捨てる人間もいて(世の中のお金をそんなに集めてどうするの?)と事情も知らない他人が簡単に言葉にする。人は時として、軽はずみな言葉で誰かに大きな傷を与えてしまう。冗談のつもりで言ったことでさえ深く悩ませてしまう事だってある。一生懸命頑張っている側が悪く思えるような気になる言葉もあるんだということさえ知らないようだ。人一倍働いて努力しているものが、他人の戯言がきっかけで無力になってしまう事だってある。頑張っている人を無力にした責任など取れる筈もないし取返しもつかない。オレが基本、嫌だなと思う人間に限って共通する点は(常に人の事を気にしている人間が多い)自分のことなど見てもいない。そういう人が言葉にすることは決まって人のことであるから不思議だ。
本当に働くことが好きで働く人もいるし、貯金が趣味の人もいるだろう。逆に、本当は子供と一緒にいる時間を増やしたいのに、我慢して働きに出る人もいる。働きたくなくても働かなければならない人もいることを忘れてはいけない。誰もが目標をもって頑張っているし、頑張り方の違いだってある。それを理解出来ない人間が(世の中のお金をそんなに集めてどうする?)と嫌味を言葉にするべきではない。
嫌味を言う人間に限って努力や人のこころを知らないように思えてしまうから寂しいことでもある。
傷ついた言葉や受けた傷は必ずどこかに残るし、取り返しがつかないという事を忘れてはいけない。人の立場に自分が立った時に、人は成長できるのではないかと常に感じ、勉強するようになった。
世の中には、努力もせずに金稼ぎを企み犯罪を犯す連中もいる。その連中にこそ、厳しい言葉が必要だ。
弱い者をいじめたり騙したりする自分の弱さと汚ない根性に恥を知れ!と言いたいくらいだ。
頑張っている人や努力をする人を尊敬出来る人間になろう。頑張っても頑張ってもダメなこともあるし努力しても失敗もする。頑張って努力し挑戦した!前を向いて歩いた!その結果がどうであれ、努力した結果ならすべてよしである。まずは行動で動かなければ問題点も見つからない。問題がわからなければ改善策もわからない。失敗しても改善すべき問題が理解出来れば、次は成功する。
目標があるから人は頑張れると思う。ひとりひとりの目標は違うけど、努力をする事は誰もが同じであり大変な努力であることには間違いない。
第2章
今日も仕事かぁ。毎日同じことを考えながら朝を迎える。ここ何年はゆっくり出来た時間がない。
たまにはゆっくり寝てたいなと思うが、管理職になってから更に寝る暇さえない。いずれ話すが、オレは管理職という立場には向かない人間だ。他社の管理職なんかを視ると年配が多く、いかにもベテランのオーラ丸出しが多い。その点でいえば、うちの社長のタヌキ爺も見た目はオーラ全開であるのだが、中身がいけないから困ったもんだ。言葉にする事と行動に説得力がない。だけど、色々と経験をする中で感じることは、役職が貰える立場になると人は立場を大事にする為に、本来の自分を忘れてしまう人間が多いように思える。立場が人を変えてしまうというべきか?よくわからないが、ひとつ確かなことはトップが無能だと下の者が苦労することだけは自信をもって言える。
朝は挨拶から始まる。(おはようございます)と会社のドアを開けての出勤。
おはよう!と姉さんからひと言、返って来た。
姉さんは毎日、朝早くからの出勤で既に仕事をこなしている。さすがだなぁと、こころで思っているのに
言葉に出るのは(お歳を重ねますと目が覚めるのもお早いですね。)である。当然ながら姉さんからは睨みと軽いげんこつをいただくのだが、これは(暗黙の了解)であるから許してもらおう。
オレがこの会社に入社した時から世話になっている姉さんには、入社前の面接当日から驚かされている。
あの時は、当時の所長と社長であるタヌキ爺のふたりがオレの面接をしてくれたんだけど、まあ、これといった面接ではなく世間話程度で採用が決定した。田舎のタクシー会社は高齢乗務員も多いので、ある程度若ければ(歓迎入社)である。参考に話すが、タクシー乗務員になりたいと思ってもタクシーをやるには二種免許がいるからレベルが高いと思ってる方もいるのではないか?自費で二種免許を取るのか?など不安要素が先に想像されるだろうが、二種免許は会社が面倒を見て合宿などの用意をしてくれるのでご安心頂きたい。
合宿は8日くらいで終わるし、合宿中も給与も出るので損はない。合宿が終わったら、後日試験を受けて合格すればタクシー乗務員の資格が持てるわけだ。試験も合宿で勉強してくるので心配はない。
69歳で始めた乗務員もいるし、平成生まれも今では頑張っている。令和生まれには19年後に期待したい。
ひと昔前は、ひと癖もふた癖もあるような人間が最終的にたどり着くのがタクシー乗務員であったが、現在では一流企業までとは言えないが、中途半端では勤められないような企業に生まれ変わっている。
時代もあるが、昭和世代には、現代社会の流れにはついていけないのも現実で、若者に頑張ってくれたまえと、常日頃思うようになった。まだまだ若いもんには負けんぞ!などと言う元気も体力もなくなっている。タクシー乗務員も今では女性ドライバーが活躍しているし、けっこう魅力がある職だとオレは思う。
オレの場合は、二種免許を自身で取得していたので合宿やら教習所やらという事もなく即戦力での採用であった。当時のオレは多少の茶髪でひげを少々伸ばしていたことから、面接時に(茶髪はダメ)など指導を受け、ひげも剃って来なさいと言われた。田舎タクシーの割にはキチっとしているなと感じた。
喫煙者であることも言われた。タクシーの車内がタバコ臭いとお客は嫌がるので出来ればタバコは止めた方がいいとまでアドバイスもされたことで、この会社は案外しっかりした会社だなと感心したものだ。
タクシーは、お客様の命を預かる職なので、気を引き締めて頑張ろうという気になって面接は終了した。
2階で面接していたオレは、所長とタヌキ爺と雑談をしながら共に1階に降りたのだが、1階に降りると1台のタクシーが待機していた。それもタクシーの中では(高級車)と呼ばれるロイヤルサルーン・クラウンが、かっこよく見えた。オレは入社したら、このタクシーに絶対に乗ろうと勝手な想像までもしたくらいきれいなタクシーであったのを覚えている。
このタクシーに乗れる乗務員は間違いなく、超ベテランのスーパー乗務員だな!と瞬時に思えた。
運転席側のドアを開けて足を外に出しながら座っている乗務員の姿が確認出来たので挨拶をしようと近寄ったのだが、そこに居たのは、まっ茶な金髪のアフロヘアーの女性で、これが姉さんとの出会いである。
それも、運転席に座りタバコを吹かしているから驚くしかない。それも社長と所長の目の前だから凄い!
オレは今見ている現実と、さっきまで面接で指導された言葉を思い出しながら後ろにいる所長とタヌキ爺に目を向けた。所長とタヌキ爺は、姉さんに、今度入った新人だから色々教えてあげてくださいとペコペコしながらオレを紹介している。言われた姉さんは、加えタバコで頷いているのだが、オレの中での矛盾が騒ぎ出し、ちょっと待てい~と内心で吠えている。
オレも言いたいことは言葉に出す人間なので、すぐさま所長にこっそり(金髪なんだけど?)と言ってみた。所長は苦笑いで逃げたが、タヌキ爺が代わりに答えた一言が(この人は外人なんだよ)であった。
へえ~外人さんなんですか?とでも言えればオレも大人なんだろうけど、返した言葉は、外人なわけねえだろ!であった。ましてや運転席でタバコも吸っていたので、この説明はどうするの?とも突っ込む。
慌てて所長は、ドアを開けて匂いを出しているから大丈夫だよ。と来たもんだ。そういう問題か?
オレは利口ではないが、そこそこバカでもない。調子のいい人間くらいの見極めは出来ると思う。
どうも、この所長と社長は信用の置ける人間ではないなと確信した瞬間だ。だけど、相手が姉さんなら仕方ないのかなと今は思う。
姉さんは当時、会社への不満がたまりにたまっていて、日々反発を繰り返していたので、タクシーの仕事も辞める方向でいたという。当時の姉さんには、姉さんなりに会社には不満があり、それを態度で示していたのだと後になって知ることになる。
それにしても、会社のルールがある中で姉さんは誰に媚びることもなく自分の信念を貫き通していた。
逆に、こんな人が会社に居るのなら面白いと思ったことで、オレは入社を完全に決意したようなものだ。
この先はまた話そうと思うが、この時のオレにはまだ、この会社で長年起きている「闇」を知る余地もない。(いじめ)や(横領)といった闇組織が存在する中で、弱い立場の乗務員たちが苦しみ、泣いていたことも知らない。闇組織で運営される会社で、一生安泰と思っていた筈の鬼たちを、オレは見逃さない。
姉さんが居たから鬼退治も出来たし今がある。この話も後でしよう。
そんな姉さんも、今では乗務員を降りて内勤と変わり、事務所をまとめる立場である。もちろん金髪アフロは健在で、更にブロッコリー大盛である。しかし、仕事は出来るし人気もあるから何をしても勝てる気がしない。髪の量まで勝てないのだから恐ろしい。姉さんという人は、生き様ですべてに納得させる力やオーラがある人で女性ではそういないタイプであろう。
そんなことを考えて仕事を始めていると、後ろから(おはようございます)とささやく声が聞こえた。
ねこ婆の出勤である。昨日よりは多少良く声が聞こえたような気もしたけど、もう少し大きな声を出してもいいかな?と自分の中でつぶやいてみた。
ねこ婆は、席に着くなり姉さんと会話をし仕事を教わっている。何となく元気が薄いのは慣れないせいなのか?性格の問題か?などと考えながら、ねこ婆にちょっといいかなと話しかけてみた。
姉さんとねこ婆のお母さんは昔からの知り合いだから、ねこ婆は、姉さんを学生時代から知っているようだ。そのせいか、ねこ婆も姉さんと話す時はリラックスした場面も見えるようにも思えたのだが、時々の会話の中で(ねこ×2)という言葉が出ていたのは気になった。
ねこ婆とは、初めて向き合った気がする。白髪頭で60歳を過ぎているといってもよく見ると40代に見える。この人、髪をきちんと染めればいいのに・・・と一番最初に感じていた。基本、髪を気にしない性格なのかなと思えたが、思ったことを言葉にしてしまう悪い癖があったオレ。話の流れで、ねこ婆にお客様と接する会社であることを伝え、出来たら髪を黒く染めて欲しいとお願いをしてみた。
正直なところ、オレの目で見た、ねこ婆はだらしないように思えたので思ったままを言葉にした。
ねこ婆は素直に返事をし、翌日には髪を黒く染めて出勤してくれたのだけど、後日の話の中でオレの一言により、ねこ婆に迷惑を掛けていたことを知る。
ねこ婆と話す中で、家では(ねこ)をたくさん飼っていて、ひとりでねこの面倒を見ていることも教えてもらった。話してみれば気さくな性格で、気取った様子もない。どちらかといえば苦労話も笑いに変えられる強い気持ちの持ち主だ。そのせいか気も強いし慣れれば結構、言葉使いも多少悪い。その点は姉さんも同じで、姉さんに関しては、年々オレに対する言葉は悪くなっているような気もしなくもない。オレを呼ぶにも(おえっ)と呼ぶから恐ろしい。既に男になりつつある?いやっ男以上かもしれない。最近は髭が生えてきた気もするから尚、恐ろしい。よし!明日から姉さんを(おっさん)とでも呼ぼうかとさえ考えている。
姉さんほどではないが、ねこ婆もそこそこおっさんだ。近所では(ねこ屋敷)の子で有名らしいが、近所のおじさんが野良ねこをいじめているのを見たねこ婆が、そのおじさんの胸ぐらを掴んで振り回した話も有名らしい。でも自分が大事にしているものを誰かに粗末にされたら怒るのも当然のことだ。
ねこ婆にしたら、それが野良ねこであっても同じことだ。何よりもねこが大事な人だからなぁ。
野良ねこを追い払う人をオレも見たことあるけど、追い払う人の姿は見ていて良い印象は持てない。
野良ねこだって好きで野良で生まれたわけじゃない。生まれた環境で人からの見方が変わってしまうことは悲しいことではないか。野良ってだけで見る目を変える人間の冷めた感情は改めるべきかもしれない。
食べるものもない、温かい場所でのんびり休めることも出来ない野良ねこは常に耳を傾け警戒しながら生きている。人を見たら逃げ出し、音がすればびくつく。そんな野良を見ていると(ごめんな)とさえ思える。お前たちだって温かいところで安心して寝たいよね。そうすればケガもしないし病院にもいけるのに
と言ってあげたいけど、近寄れば逃げてしまうので手を差し伸べることも出来ないから落ち込む。
人間が、野良ねこに与えて来た恐怖や、自然で生きる環境がそうさせたものであって野良ねこには罪などない。飼いねこのように腹を空に向けて眠れるような場所で安心させたいなと今も考えている。
もしかしたら自分も野良で生まれていたかもしれないし、人間であっても野良のような扱いを受けることだってあるのではないか。何事にも(優しくなろう)そんなことを考えることが出来る人が(ねこ屋敷)と呼ばれ、良い印象では受け止めることが出来なかった自分の先入観には恥を感じている。
野良という先入観、その野良を飼う家への先入観。人間は何も知らない中で知ろうともせず、目の前だけにとらわれる弱い生きものだと思うようになったし、野良にしたら危険な世界で生きるよりも屋根の下で優しく育ててくれる飼い主が居るだけで幸せだと思う。鋭い目をしていた野良を優しい目に変えてあげられるねこ婆の真似は、なかなか出来る事ではない。
こうして偉そうなことを言っているオレ自身も、ねこ婆から学ぶことで人として気づかされたことが多い。ねこ婆だけではなく、野良ねこちゃんたちにも色々教わってもいるオレだ。
ねこ婆の話は、ねこの話題がほとんどだから、ねこに興味のなかったオレもねこが好きになった気がした。だから、どこにいてもねこを見かけると自然と目が向き観察する癖もついた。
雨風を防ぎながら寒い外で震えるねこや、その中で子育てをしている親ねこなどの様子も良く見かけた。
観察すればするほど、人間なんかよりも野良ねこの方が強くてたくましく思えたし、人間が学ぶこともあるように思えている。ねこ婆自身も幼い頃からひどい環境で生きて来たとしばらくしてから教えてもらったが、ねこ婆にとってもねこがいたから、今があるんだと思える。
とにかく動物を大事にする人間には悪いものはいない。何に対してもだが、人や動物の痛みがわかる、こころの優しい人間になれる努力をしようと考えるようにもなった。
ねこ婆の話に戻そう。
ねこ婆は、幼い頃に野良猫に卵ボーロをあげたことがきっかけで(ねこ)とのお付き合いが始まったらしい。毎日、自分のおやつを与え、ねこと居ることが当たり前であった。だからねこ婆には、ねこが居ない環境が考えられないし、ねこの為にだけ働いているとまで言うほどだ。ねこが大好きでねこの話をしだすと止まらず生き生きしているので、落ち込んでいるような時はねこの話題を振ったりしている。ねこ婆にとれば、ねこは大事な家族であり、生き甲斐なのだろう。生き甲斐になるものがあることは大切だ。
オレは、どちらかといえば(わんちゃん派)で、ねことの関りもなかったけど、話を聞いているうちにねこも、かわいいなぁと思えている。ていうか、既に会社の事務所には野良ねこから育てたねこちゃんたちが、のびのびしながら仕事の邪魔をしている。
もともと動物は好きなので、どんな動物にたいしても興味がないわけでもない。
いけないと思うのだけど、動物を見るとエサを与えてしまうことも多々ある。おそらく熊と出くわしても馴らそうと考えエサを差し出し大怪我ををするタイプであろう。ただ、カラスだけはどうも好かない!
見るなり石を投げたくなるからオレもダメな男である。投げた石を交わされると、尚ムカつく!下手に知恵があるからムカつくのかは自分でもわからないが、逆に、カラスから言わせたら、オレが一方的な感情で嫌っているのだから迷惑な話でだろう。カラスからしたらよっぽど(バカァーバカァー)と、オレに腹も立つだろうから謝ろう。カラスさん、ごめんなさい。
ねこ婆が髪を染めて来た当日の朝、姉さんから(ちょっと来て)と呼び出しが来た。
あらら・・何か問題でも起こしたかな?オレは恐怖でしかない。これで、所長なんだから情けないことである。年功以前に、人としてもう少し大きくならなきゃいけない。ついでに頭もアフロにしようかな?
恐るおそる姉さんの前に立つが、どうも怒っている様子ではないので内心ホッとして話を聞いた。
ねこ婆が昨日の夕方、こっそり姉さんの肩をたたき(500円貸して)と、お願いして来たと話してくれた。
えっ500円!素直に驚いたが、姉さんは姉さんで何でとも聞かずに(500円なんて言わず5千円持っていけ)と、おっさんらしく5千円札を出したらしい。でも、ねこ婆は5千円なんて返すの大変だから500円でいいのと言って、500円を借りて帰宅したというのだ。
この話を聞いて、オレが考えたことはふたつであった。人間はこうやってすぐに想像に走ってしまう。
ひとつは、姉さんが 5千円を出したのに(返すの大変だから)と言って甘えなかったところで、ねこ婆の人間性が良く受け止められた。オレの中では、500円借りたい人に 5千円を出したら手を出したいのが普通だと思うからだ。たぶん、ねこ婆も本当はのどから手が出るほど5千円を抱きしめたい気持ちだったのではないか?この時代、500円で何が出来るのだろうとさえ考えてしまうから、余計なお世話である。
ふたつめに考えたのは正に、500円で何をするのかな?であった。
何度も言うが、オレは思ったことを言葉にしてしまう性格だから、改めなければならないと反省する日々を過ごしているけれど、なかなか性格は直らないから困っている。特に気になると聞きたくなるからやっかいでしかない。ただ、今回の件に関しては気にはなるが(なんで500円借りたの?)と聞き出せなかった。自分にブレーキを掛けられるように多少なりつつあるのかもしれない。生まれて初めて踏むブレーキは気持ちがいいものだ。この調子で大きい男になるぞ!
ねこ婆が入社して、1か月が過ぎた頃、誰もが喜ぶ(給料日)となったので、たまには所長らしく社員40名に、弁当とお茶でも振舞って(一致団結)を固めようと思った。
若造のオレに色々と意見される先輩方の中には、腹が立つこともあるだろうし、我慢もしてくれているだろうから、ここはブレーキを知ったオレが、もう一皮男を見せようと自己満足の世界に飛び込んでいた。
そんなことを考えていたせいか、軽く微笑んでいたオレに姉さんが、なに(ふざけた顔してんだよ)と言いながら給料明細を手渡してきたので、たまには(サプライズ)でもしようか考えているんですよ。と、声を大にして応えた。珍しく姉さんも、オレのサプライズの言葉には反応したようで、みんなに焼肉でもおごるのかと、ニアピンの返しが来たから凄い。とりあえずはサプライスなんだから弁当のことは言わない。ここは、ブレーキ、ブレーキと沈黙を通したのだけど、口元だけは、みんなに弁当を・・・と言いたくて言いたくてたまらない。でも、急ブレーキは効いていたし、ここまでは上出来である。
さて、社員40名にサプライズする為には必要である(給料明細開封)の瞬間である。ハサミで丁寧に封筒をカットし、今月頑張った結果発表の時間だ。
封筒の中身は、明細1枚なので薄いのは当たり前と知りながら、昭和の人間はお決まりで(薄いなぁ)とか言っちゃうからアホである。ひと昔の給料日は、茶封筒に入った現金が支給されていたので、明細しかない給料袋は昭和世代には寂しい気もする。
とりあえず、鼻歌なんかを吹かしながら明細を開いたが、ねこ婆の履歴書を見た時以上に目が丸くなった。今月はやたらと引かれている明細に向かって(なんでだよ~)と天を仰ぎ半泣き状態であるオレ。
この会社の管理職は給料が少ない。40人いる会社で下から数えた方が早いくらいの給料でしかないのだが、この月に限っては、株主やら役員費やらでごっそり引かれていた。これじゃ家にも帰れやしない。
たぶん、放心状態であったのであろう?後ろを振り向くと姉さんが(サプライズ中止か)と笑っている。それを聞いた、ねこ婆もその場の空気を読んだのか笑っているから軽くイラっとしてしまう。
おまけに、この場には英語が出来るバイトの女性も居たのだが、そのバイトが英語で一言小声 Never mind!(気にするなよ)とかいうので、オレも少々イングリッシュわかりますけどぉと吐き捨てる。
とにかくピンチという土俵に上がってしまったし、大きく塩も撒いてしまった以上、ここは引けない。
オレは震える手で給料明細を折りたたみ封筒に戻すのだが、なかなか明細が封筒に収まってくれない。
お前まで笑っているのか!と封筒にまで怒りをぶつける始末のオレはこの日を忘れる事はないであろう。
でも、ちょっと待て!冷静に考えたら、オレは所長ではないか。そうか!オレにはまだ相撲が取れるぞと息を吹き返した。自分の土俵ではなく、会社の土俵で相撲を取ろうと考えたオレは非常に最低な奴であることは、我ながら理解しているので、ここはひとつお許しください。
その場を離れたオレは、早速(お花見会実施)という稟議書を本社に上げて、見事に弁当40個をゲットしたことで、思いとは違ったが所長として、社員全員に日ごろの感謝を少しだけお返し出来たかな。
後日、みんなで美味しくひとり(2千円)のお弁当をいただきました。本社に感謝です。
オレに取っては、焦った給料日ではあったが、すぐ横でねこ婆が姉さんに500円を返していた。
あっ!あの時のかぁと思い出したので(500円どうしたの?)と、ねこ婆に知らぬふりして聞いてみた。
ねこ婆は素直に(借りたんだよ)と話し、うどんを買うお金が無くて姉さんにうどん代を借りたと答えた。うどんだけにあっさり答えたのだが、うどん?と、なぜか気になるオレの悪い癖が出始めたのであるが、聞き始めたらオレのブレーキはノーブレーキどころかアクセル全開で遠慮もない。やっぱり、聞かなければわからない事ばかりの世の中だから、聞くことも時として必要なのだとも思うから聞いてみた。
ねこ婆は気取らないし、人が恥ずかしいと思う事でも正直に話してくれる。単純に事実しか話さないからオレも駆け引き無しで向き合えたりもするのだけど、ねこ婆が採用された一番の理由は、こういうところなのだと思える。
下手に見栄を張ったところで(かっこいい)とは言えないし、見栄っ張りに限って中身が空っぽである。
嘘つきと見栄っ張りをダブルで持っている人間ほど最低なものはない!それも、平気な顔で自然に嘘をつく人間は、腐りきったやつなので注意したい。嘘で固めた人生ほど詰まらないものはない。ねこ婆がいうように、自分の身分を理解して身分なりの人生を送ることが大事なんだと思う。人は人であり、自分は自分なのだからな。自分で進むレールを引いて、前に進むことは難しいけれども、誰かに引かれたレールを我慢して歩くよりは、よっぽどいいと思う。
ねこ婆は、500円借りたことや、そのお金でうどんを買ったことも笑って話してくれたし、その奥の深い話までも聞かしてくれた。それは、オレに取って考えさせられることばかりの悲しい話であった。