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ねこ屋敷から学んだオレ


人生はどこでどう転ぶか、本当にわからないものである。

生きものにはすべてに感情があるように、想像する力も持っている。想像出来る能力は素晴らしい。

だけど、その素晴らしい能力の使い方を、わたしたちは間違えてはいけない。


はじめに

言葉ひとつにしても使い分けは難しく、表現の仕方ひとつで相手の受け止め方や頭で描く画が変化する。

大阪のおばちゃんに(おばさん)と呼ぶと怒り出すようなものだ。おばちゃんと呼べば「はいよ!」と返事をするのに、おばさんと呼んだ日は「誰がおばさんだい!」と突っ込みが入る。

「たこ焼き屋のおばちゃん」から学んだことだが・・・何が違うのか未だに不思議である。

言葉は難しい。おばさん呼びは、お年寄り扱いをしているように聞こえるのかな、と想像したりもする。


例えば、『ねこ屋敷』と言われたらどんなことを想像するだろうか?

「どんな家で、何匹のねこがいるのだろう?」と考えるよりも『ねこ屋敷』と聞いた瞬間に想像してしまうのは、なんとなく「古民家」でボロボロの家にねこが山ほどいると、勝手な想像をしてしまう。

それも、ねこまでも想像して「白黒模様のねこ」とか「茶ねこ」なんだろうと考えるのだ。

更に、『ねこ屋敷』の主は、なぜか?昭和のお婆ちゃんがひとりで暮らしているとまで想像してしまう。

実際に見たこともないし、関わったこともないのにであるからおかしな話である。

おそらく自分の頭にある『ねこ屋敷』とは、貧乏そうな主が野良猫を育てている家だと思い込んでいるからで、餌にしてもパンの耳や魚の骨なんかを与えて育て、ほとんどほったらかしのイメージしかないからだ。何も知らない自分が『ねこ屋敷』と聞いただけで、これだけの想像をしてしまうのだが、みなさんはどうなのだろうか?

これまで生きて来て、何を根拠にイメージを作り上げたのかわからない。自分の頭にある引き出しに勝手に描き、「こんなもの」と決めつけて思い続けていることが、たくさんあるのではないか。

いずれにしても『ねこ屋敷』と聞いた時、良い印象には受け止めることが出来なかった自分の愚かな想像力には反省している。中途半端な想像で物事を考えてしまうことは、何においても情けないことである。


では、言葉を変えて『ねこ御殿』と言われたら、頭の中にはどんなイメージを描くのだろうか?

間違いなく『ねこ屋敷』の真逆の想像であり、ねこを「ねこちゃん」などと呼んでしまうのではないか?

豪邸に住み、高額な金額で購入し、毛が長く青い目をした「ねこちゃん」たちが出窓や高級ソファーで

くつろいでいる上品なねこちゃんでステーキが餌なのかもと想像し、良いイメージしか浮かばない。

人間の頭は、何もわからない中で勝手な想像を生み、知らないうちに誰かを傷つけていることが思うよりあることに今更ながら気づけた。

想像することは自由であるが、間違った想像を言葉にした時と態度に出した時は、大きな責任が自分にのしかかるものだ。言葉ひとつで人生が変わってしまうことは、ニュースなんかを観るとよくあることだけれども・・・

身近でいえば、誰かに聞いた言葉で自分とは関係のない者を嫌ってしまうことはないか。実際は聞いた話とは違うと気づいた時は、手遅れになったことも多々あるはずだ。しなくてもいいケンカに巻き込まれたり、いつのまにか誰かの言葉による先入観で嫌な思いをすることは、誰もが経験しているのではないか。

そもそも、陰であれこれ人の悪口を言う人間に植えつけられる先入観は、やっかいなものである。

腕力以上に言葉の暴力は何よりもひどい!と教えてもらったが、それだけ言葉の力は凄いものであって、だとしたら言葉は誰かを助ける為に使うべきものではないかと思う。


『ねこ屋敷』と『ねこ御殿』は、言葉は違うけれど、「家でねこをたくさん飼っている」のは同じである。どちらの家も、ねこが大好きで大切に育てている素敵な家であるのに、言葉によってイメージは変化する。

動物であり大事な家族、その家族を育てることは、本当に大変な努力と苦労である。赤ちゃんと一緒で、

かわいいだけでは育てられない。命あるものを育てることは、半端な覚悟と責任では出来ないことであり、命の尊さを私は「愛犬」を家族に持つことで考えるようになった。

すべてに言えることだが、誰かの言葉ひとつで自分の中の印象や想像が変化してしまうことは恐ろしいことであり、自分の目で視て、自分の耳で聞くことによって、何かに向き合うことが出来るのではないのだろうか。


『ねこ屋敷』の主で知られる、ねこ好き婆ちゃんとの出会いにより、自分の人生の甘さすべてを教えられた。ねこ好き婆ちゃんのことは『ねこ婆』と呼ぼう。この『ねこ婆』から学んだことを、自分の言葉で伝えることが誰かの為になり、誰かが何かを感じ、何かが変わればいいなと思う。

人は少しのキッカケで良くも悪くも歩く道が変わり、優しくも凶暴にもなってしまう。

生まれた時はみんな同じである。人生を生きる中で学ぶことが何よりも大切なことで、その大切なことを忘れていた自分がいた。

自分自身と誰かが変わることができる為に出来ることが、ここから始まる。



第一章 人としての間違い


『ねこ婆』との出会いからである。

オレはタクシー会社で「所長」と呼ばれる立場にあり、一応管理職だ。周囲は先輩ばかりで日々学ぶことが盛り沢山の所長である。先輩の中でも特に「姉さん」と呼んでいる先輩には頭が上がらない。オレが新入社員の頃から世話になり、色々と仕事も教えてもらった。姉さんはこの道30年以上のベテランで、オレが入社前から所長以上の存在感で会社を引っ張ていた女性であり、社員全員が認める実質的トップの存在である。

姉さんとの武勇伝はあとで話すとして、『ねこ婆』が面接に来た時(3年前)の12月のことから話そう。

本来、会社の面接は前もっての打ち合わせがあり、日時を決めて所長を中心に面接をおこない、雇用するかどうかの判断をするはずだ。少なくてもオレはそう認識している。

ところが、休暇を終えて出勤したオレが椅子に座り、ひと呼吸すると同時に、姉さんから「今日から新入社員が来るからね。」とサラッと言われた。

「えっ!」新入社員って、オレは知らないし、面接した覚えもない。「いつ採用したの?」と訊いてみた。姉さんは鼻の穴を広げながら、「昨日の午後だよ。昔から知ってる家の娘さんだから頼むね。」で終わり。

「なんか文句ある!人手不足の中でひとり確保したんだよ。」とでも言いたそうな顔で、オレに無言の報告をして仕事をしている。確かにどの会社も人手不足で「猫の手」も借りたいくらいだけど・・・。


まだ頭が整理できない状態で30分ほど過ぎた頃、事務所のドアが静かに開き、白髪の見知らぬ女性が入って来た。昨日面接して採用された新人さんだから、制服も間に合わず私服で登場だ。

入るなり慣れた社員のようにスタスタと空いていた机についた。向き合ってみたが既にベテランのオーラしかない。「何かがちがう?」オレの勘が騒ぐのだけどわからない。でも何かはあるに違いない。

ドアを開けたときに小さい声で「おはようございます。」と言ったような気もする?

「この子だから宜しく頼むわ!」と姉さんは指さし、この子はこの子で「よろしくお願いします。」と軽く顔をあげて挨拶終わり。入って来たときから何となく下向きではっきり顔を見せない人だな、とは感じていた。

そう、この子が『ねこ婆』である。姉さんから見たらこの子であるが、オレからすればまたまた年上である。


とりあえず挨拶はしたが、何もわからないのには変わりはなく、姉さんから履歴書を預かり拝見してみた。所長であるから履歴書はよく拝見するので、いつもの調子で開いてみた。履歴書の折りたたみ方などから気になるオレは、「きちんと折られているな。」と、先ずはよしであった。文字も丁寧に書かれていて安心も出来た。気持ちよく拝見しながら、履歴書をめくる。

オレは幼い時から目が細く大きな瞳には憧れたものだ。だけど、この時は目が飛び出るほどびっくりした。未だかって、目が大きく開いたことはない。オレの目ってこんなに大きくなるんだと、思ったほどだ。『ねこ婆』の職歴の数には腰が抜けた。

こっこれは短編ですか?と言いたくなって出た一言が、「すげぇ仕事の数!」であった。

単純に、18歳で就職して1年ずつ職替えすれば、60歳までに42カ所で職経験が出来る訳なんだから驚くことでもないのだろうが、『ねこ婆』もあれこれ職を経験し、30ヵ所以上で頑張って来たようだ。

オレのひとり言が大きかったせいか、今度は『ねこ婆』が「なんか文句ある?」の顔で一瞬こっちを見た気がした。

「文句はないがお尋ねしたいことはありますよ。だって所長のオレはあなたを知らないのだから」と心の中で思いながら、姉さんから仕事を教わる『ねこ婆』をながめた。

初対面で感じた変なオーラ。絶対にこの子は普通じゃない何かがあるに違いない!


なんとなく腑に落ちないままの午前中が終わり、お昼になった。

姉さんもお弁当を食べ始め、『ねこ婆』も弁当箱を開いた。

「へーっ弁当持ちかぁ。ちゃんと料理する人なんだ。」なんて考えながら、オレはコンビニ弁当を食べる。姉さんのお弁当はマジで美味しそうで、さすが毎日朝5時には起きて息子の弁当を用意しているお母さんである。時々姉さんにはおすそわけをしてもらい、美味しい思いもしている。

オレは親に弁当を作ってもらったことがなかったし、母親の愛情ももらったことがないから、姉さんみたいなお母さんをを持つ息子は幸せだなと常に思った。

『ねこ婆』もちゃんと弁当を作っているし、朝から早起きして弁当を作ることは大変な事で、尊敬さえする。『ねこ婆』の弁当も気になり、さりげなく覗くと小さいお弁当箱にパン?んっ・・・サンドイッチみたいなのが詰まったお弁当であった。

この日は仕事も忙しくて、『ねこ婆』と具体的な話も出来ずに終了。明日にでも軽く面接をしよう。

『ねこ婆』もこれまでいろいろと仕事経験を重ねていることで、仕事での対応能力はたいしたものであった。


夕方、『ねこ婆』が初出勤を終え帰宅。時間できちっと帰ったの見て、家に帰ってからも女性は忙しいのだろうと思った。男性に比べ女性は本当に働き者であり、最敬礼である。

姉さんも帰宅準備を始めたので 「『ねこ婆』と昨日どんな話をしたの?」と尋ねてみた。

「特に何も話してないよ。社長も『姉さんの知り合いならいいよ』で一発OK!」と即答した。

「社長も面接の場に居たの?社長からも何の報告もないけど?」まったくもって(報連相)のない社長だ。めったに顔も出さない社長がたまたまお茶を飲みに寄り、居合わせたようだが、このタヌキ爺も姉さんの知り合いだから、で済ませてまともな面接もしていない。結局、『ねこ婆』は姉さんの顔付け入社でしかない。たまには仕事してくれ、タヌキ爺さん。

タヌキ爺ですら姉さんに頼るばかりで、会社に寄ってはお茶を飲み、出された菓子をポケットにしまい込んで帰るのが定番であった。優しい社長なのだが、信頼関係が築けないから日々問題は起きている。

このタヌキ爺についてもいずれ紹介しよう。


続きは次回の『ねこ婆』出勤2日目からである。

















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