やさしい面接、守りに入った面接
(* ̄∇ ̄)ノ 奇才ノマが極論を述べる
面接とは、人物像や能力を見たり聞いたりするために、直接会って対話などをする行為のこと。
就職や入学などで一度は面接を経験した人が多いのではないだろうか。
私はと言えば、倒産やリストラもあるがよく仕事を辞めていたものだ。なのでアルバイト、派遣、契約社員などに申し込み、面接をした回数は多い方ではないか、と思う。
思い返せば、とあるミュージカルのオーディションも面接の一種だろうか? サクッと落ちたが。
面接というのは初対面の相手に自分を売り込むようなもので、緊張する。また、自分が値踏みされるというのが落ち着かないものである。
そして不採用となれば凹む。
面接で一度しか会わない面接官のことなど、よほどの事が無ければ記憶に残らないもの。
だがそんな面接官の中で、今も憶えている人がいる。世の中にはこんな人もいるのか、とちょっと楽しくなった記憶だ。
一期一会とは言うが、こういうこともあるから現実とは面白い。
もっとも私の友人が言うには『オマエの仕事運はなにかオカシイ』ということらしい。
面接ではこういうこともあるのだ。と、知ることで少しは面接への不安感、要らぬ緊張など減らせるかもしれない。ので語ってみよう。
これは私の面接での体験だ。
◇◇◇◇◇
とある工場の募集に応募し面接することに。
応接室の中、面接官と1対1。挨拶をして椅子に座り履歴書を見せる。ハローワークの募集を見て連絡したことを伝える。
面接官は当時の私より少し歳上の、爽やかな青年に見えた。
「当社を選んだ理由をお聞きしても?」
面接官からお約束の志望の動機を尋ねられる。私は製造業の経験があり工作機械のいくつかを扱った経験があること、通勤しやすそうなところにこの工場があることの二つを告げた。
そこから私がどんな仕事の経験があるか、という話になった。
なぜかそのまま盛り上がり、ダメな工場あるある話に花が咲く。話題が自分の面接から逸れた雑談をしばらく続けることに。
話が落ち着いたところで、面接官は言おうかどうしようかと悩むような素振りをしてから、ちょっと声を潜めて、
「正直に言うと、ここに就職するのはやめた方がいいですよ」
「え?」
これまで仕事の面接で、こう言われたのは初めてだった。面接官からやめた方がいい、とは? その理由を聞いてみると。
「ウチの社長、経営のことが分かって無いお山の大将ですから。この会社、先は長くありません」
「まあ、小さな会社はたいていが社長のワンマン経営ですけれど、そんなに不味いんですか?」
「今、もっているのがおかしいくらいです。どうにもならないのをマンパワーで無理矢理回そうとしてる感じですね」
「仕事はある、ということですか?」
「利益率の低い面倒なのを親会社に押し付けられるのを仕事というなら」
「あー、それ分かります。私が前に働いていた工場でも、一個当たりの利益率がマイナスの製品作ってましたね。上司が、『この部品、作るほどに赤字になるから、注文来なきゃいいのに』というのがありましたね」
「どこも同じなんでしょうか? 昔はこの工場で作る部品も性能は良かったんでしょうけど。今では中国で作ったものの方が安くて性能もいいので、競争して勝てるとこひとつも無いですよ」
この頃は大手企業が海外に自社工場を立てるなどしていて、そちらの方が国内の下請けよりも技術力が上がってきていた。
人件費が日本より安いことから、中国に進出する企業が増え、中国は世界の工場と呼ばれるほどの一大製造拠点となっていく。
その後、製造拠点が集まり過ぎたことから、中国の人件費高騰に繋がっていくことになるのだが。
そして面接官はぶっちゃけた。
「私、ここ辞めるつもりなんですよ」
「あ、そうなんですか?」
「ええ、辞めて個人で起業しようと考えてます」
こういう人に面接されるのは初めてだ。その青年は真摯に言う。
「お話を聞いて、あなたのように仕事のできそうな方がこんなとこに勤めるというのは、実にもったいない。時間の無駄です。もっとマシなところがある筈です」
「いや、それがなかなか見つからないものでして。苦労してます」
「私はなんでこんなところに就職したのかと、ずっと後悔してますよ」
「それは、その、お疲れ様です」
どうやらこの会社、ダメダメらしい。それを親切に教えてもらったので、ここで働くのは止めよう、と決定。
お茶を飲みながら内情を教えてくれたことにお礼を言う。
その青年はこの会社がいかにダメで終わってるか、というのを愚痴混じりに語った。
「まあでも、この会社に勤めることで、ひとつだけ身のためになることはありました」
「お、なんだか良かった探しみたいですね。なんです?」
「あんなサルでも社長が務まるなら、自分の方がもっとマシにできる、と自信が持てます」
「なるほど、起業の意欲に繋がったわけですね」
おそらくだが、この青年はこういう話をできる相手が社内にいないのだろう。というのは、私はしばらくこの話をそこで青年から聞くことになったからだ。
溜め込んでいた愚痴を言いたかったのか、面接としてはけっこう長い時間になったと思う。
就職する予定の無くなった面接を続けた訳だが、いろいろとおもしろい話を聞くことができた。
面接を終え私が帰るときには青年とガッチリと握手して、「お互いに頑張っていきましょう」と激励しあい別れた。なにやら青春っぽい感じである。
勤める前に会社のことを教えてもらえるのは実にありがたい。ここはやめておこうと判断材料になる。
この話を友人にしたところ、その友人もまた変わった面接官の話を教えてくれた。
その友人がかつて勤めていた会社、そこで応募者の面接官をした社員が休憩時間にこんな話をしていたという。
「この前来た人、若いけどしっかりしてて頭良さそうだった」
「じゃ、採用すんの?」
「いやー、あぁいう仕事できそうな元気な若手が入ってきたら、自分の仕事と立場がすぐに奪われそうで。だから適当に理由つけて落とした」
実にヒドイ面接官だ。その面接で落とされた人は、本当の理由を知ることは無いのではなかろうか。
こんな理由で落とされるなんて、と思う人もいるかもしれないが、この場合落としてもらった方がありがたい。
というのも、もし採用となればこの人事担当のような考え方の人達がいる職場で働くことになるからだ。仕事をこなすよりも同僚の足の引っ張り合いが好きで楽しい、という人には理想の職場かもしれないが。
ちなみに友人がその仕事を辞めたのは契約期間が終わったのもあるが、その会社の上層部が腐っているというのが一番の理由だ。
ちなみにこの話、世の中にはこんな面接官もいるということで、私が知人に話してみるとおもしろい反応があった。
30代と40代の人に話すと、
「え……?」
と、絶句したり。
「先ずはその使えない社員をクビにしろ」
と、呆れて言ったりする。このような社員は会社の為にならない、という考え方だろう。
ところが同じ話を50代と60代の人にしてみると、先ず笑う。そして、
「まあ、そんなこともあるだろ」
「自分の仕事と生活を守るためには、仕方無いよね」
と、その面接官に好意的な応えが返ってきた。仕事を続け、会社の中で居場所を守るためには、自分より仕事のできそうな人は採用しない方がいい、という考え方らしい。
サンプルが少ないのでなんとも言えないが、もしかしたらこの話に対する感想とは、世代間で大きな開きがあるかもしれない。世代別アンケートなど見てみたいところだ。
面接で何が分かるのか、短い時間で人の何を判断するのか、という意見もある。
韓非子(中国戦国時代、韓非の思想書)の中には、見た目で人を選んだらその人物は見た目ほどしっかりしていなかった。また、弁舌で人を選んだらその人物は口ほどに頭が回らなかった。選んだ自分に人を見る目が無かった、と孔子が嘆くという話がある。
人の能力を判別するには、先ずはやらせてみて評価せよ、ということのようだ。
昔から採用の為の面接とは難しいものだったのかもしれない。
一方で見た目で人を判断する科学的な研究もある。
アメリカのLovelace生物医学研究所(Lovelace Biomedical Research Institute)部門心研究ネットワーク(Mind Research Network)、ニューメキシコ大学心理学科の研究から。
臨床家は司法面接中にサイコパシー特性が高い人が、目で見てわかる独特の対人的スタイルを示すことに気づいていたという。
被験者の頭部の動きを観測し、その運動量を定量化するという研究。
頭部の運動を観測するのは、研究チームの予測によれば頭部の動きはサイコパシー特性と関連しているとのこと。
人は人の話を聞くときに納得すれば頷いたり、疑問を感じたなら首を傾げたりなど、感情が動作に現れる。
これは言葉を使わない非言語コミュニケーションであり、人がスムーズに会話を行う上でこの頭の動きで感情を相手に示すという。
解析の結果は研究チームの予想通りになった。頭部の滞留時間の比較で低サイコパシー特性者群よりも高サイコパシー特性者群の方が、頭部の位置が固定されていた。
サイコパシー特性者は、カメラや面接者に直接面と向かっていて、視線が固定されていることが多い、と示す結果が現れた。
研究チームは、反社会的行動が生涯にわたって持続している高サイコパシー特性者は、対人的コミュニケーションの最中に頭部の動きが硬直し、一点に集中したような指向性を示すことを示唆する、としている。
これはサイコパシー特性者の感情が動作に現れない、または感情と身体動作が分断されている、もしくは感情そのものの欠如と考えられる。
臨床心理学から採用学、面接学が進歩したならば。
やがては性格、人格が反映された身体動作を測定し読み取り、サイコパシー特性以外の心理的傾向も読み取れるようなプログラムができるかもしれない。
見た目で人を判断する機械が完成すれば、人の面接官は不要になる時代になる、そんな未来もあるかもしれない。
採用面接を科学的に研究するものでは、『非構造化面接』が『構造化面接』に比較して優秀な人材を見分けることで劣っている、むしろ優秀な人材を見分ける能力を阻害してしまうことが分かってきた。
構造化面接とは、臨床心理学においては古くから使われてきた手法、『あらかじめ定めた評価基準や質問項目にそって面接を実施する手法』のことを言う。
非構造化面接とは、面接官が自由に質問を行い評価を行う。この手法では面接官の裁量で質問の内容を自由に決められる。
構造化面接では誰が面接官となっても評価基準が変わらない。必要な人材に合った質問と評価基準を用意しておけば、面接の効率化になりミスが少なくなる。また明確な基準があるため公正な評価を行える。
非構造化面接では応募者も自由に発言できる。面接官は応募者の性格や機転など、構造化面接では見られない一面を見つけやすいメリットがある。
分かりやすく例を出せば、非構造化面接では、
『無人島にひとつだけ持っていけるとしたら、何を持っていくか?』
『自分を家電製品に例えるとなにか?』
といった質問がある。これに応募者がどう答えるかで応募者の人格を見抜こうというものだ。
この予測不能の質問に対してどう答えるか、応募者の機転と弁舌が試される。
この質問の問題とは企業の事業とは無縁の質問であること。そしてこういった質問に上手く答えられる人というのは、良く言えば機転が効き頭の回転が速く、質問者の意図を読むことに長けると言える。
反面、悪く言えば弁舌で煙に巻く、口先で誤魔化すことに長ける人物とも言える。
反対に非構造化面接の自由な質問に上手く答えられない人。予想外の質問に考え込んでしまい、パッと話せない人。
こういう人は、悪く言えば愚鈍と評価され非構造化面接ではマイナス評価となるだろう。
しかし、逆の面から見ると言い訳、言い逃れが下手な性格で、仕事をやらせてみれば言い訳の必要が無いほどにキッチリ仕事をする職人気質の人物かもしれない。
前者と後者、面接で評価されるのは前者だが、仕事で評価が高いのは当然後者になる。
企業としては仕事の上手な人を採用したい。しかし非構造化面接では、面接は上手だが仕事は下手な人を選びがちになるようだ。
また、このデータをもとした予測に対する自信の結果が興味深い。
被験者を二つのグループに分け、片方は応募者のデータのみで判断してもらう。もう片方のグループにはデータに加えて面接の結果を加味する。
実際の企業で行われた採用選考のデータと、入社後数ヶ月後の業績データを照らし合わせて比較する。
どのような選考手段が応募者の入社後の業績を最もよく予測できるか、という調査だ。
結果、応募者の入社後の業績の予測に役立ったのは、試験で測定された知的能力と性格特性の得点であり、場当たり的な採用面接による得点はまるで役に立たないという結果が出た。
これは面接で得られた応募者の評価は、入社後の業績の評価とまるで結びつかないということになる。
しかし面接での評価を被験者は役立つと考え、その評価を信用し自信過剰の状態になってしまう。
面接の評価から応募者を判定すると、人は科学的根拠の無い自信過剰の状態に陥りやすい、ということらしい。
採用面接は科学的根拠は否定され、優秀な人材を選ぶのに害になることが判明されたが、現代では未だに非構造化面接は多くの企業で行われているようだ。
フリートーク面接についても、運用が難しく妥当性も精度も低いことが明らかになってきた。しかし慣例として続けられ改善もされないというのが多い。
こういうのも、人は理解しやすく納得しやすいストーリーが付随した間違った答えを選びがちになる、という人の心の機微の表れだろうか。
面接では単純に企業にとってどのような技能の持ち主が必要か、どのような人材を募集しているか、だけを訊ねた方が良い結果が得られそうだ。
応募者としてもこの部分がハッキリしている方が、できそうか、無理そうかと判別しやすくありがたい。
私はかつて、とある羽毛布団の営業という仕事に応募したことがある。
そのとき面接では面接官がハッキリと言ってくれたことで、自分には無理だ、とアッサリ分かった。
「うちで働くには、あなたは見た目が怖く無いので髪型をスキンヘッドかパンチパーマにしてもらいますが」
「え?」
「この仕事、客を脅してナンボの商売ですからね」
ハローワークもなんて仕事を紹介しているのか。