4.涙
「今日はしこたま怒られたなぁ…」
いつもの帰り道、今日は一日通して天気が悪く、まだ雨がぽつぽつと降っている。
アルバイトを終えた僕は、いつもより落ち込んでいた。
いままでで一番くらいに怒られ倒したのだ。
昨日はお酒を飲まなかった。
やめ時だったのだ。
そう自分に言い聞かせる。
お酒に依存していることは自覚しているし、そんな生活ダメなことだってわかっている。
でも、バイト先で嫌なことが多くて、お酒を飲みたくなってしまう。
忘れたい。お酒を飲みたい。
そんな気持ちで、頭が一杯になる。
歩道を歩いていると、猛スピードの自転車が横を通り過ぎ去った。
水たまりが、びしゃりと僕の下半身を濡らす。
嫌な気分だ。
前から、親子と思わしき、若い女性と小さい子どもが手をつないで歩いてくる。
「今日はなに食べたい?」
「うーん、ビーフシチュー」
「いいわね!お父さんが帰りにケーキ買ってきてくれるらしいよ」
「え!やったー!」
二人とも幸せそうな表情で、楽しそうに会話をしながら僕の横を通り過ぎていった。
おそらく、豊かな家庭で幸せな生活を送っているのだろうなと考える。
嫌な気分だ。
雨が強くなってきた。天気予報では、この時間は雨がやんでいるはずなのに。
「傘もってないんだけど」
一人でつぶやく。
大粒の雨が僕の肩を打ち続ける。
雷がごろごろと轟いている。
なんだか、ひどい気分だ。
家についた僕は、おもむろに冷蔵庫を開け、缶チューハイを取り出し一気に飲み干した。
さっきまでの最悪の気分は、少し晴れた気がする。
明日は夕方からの出勤。
今日は夜更かししても大丈夫だ。
幼い容姿ゆえに、コンビニやスーパーでお酒の変えない僕は、アマゾンの定期便で箱ごと買うため、ストックもたくさんある。
今日は山ほど飲んでやろう。
そう考え、ゲームの電源を入れてから、二本目のお酒に手を伸ばした。
ゲームでは調子が悪く、負けが続いていた。
ゲームを初めてから6時間。
いつのまにか日は変わり、1時に差し掛かろうとしていた。
日々積み重ねたランクポイントが、どんどんと溶けていく。
強武器を持った相手キャラに無残にひき殺される。
「死ねよこいつら!きっしょ!きっしょ!」
苛立ちから、思わず叫び、コントローラーを床に叩きつける。
今日だけで、5、6回は、コントローラーを投げてしまっていて、コントローラーのスティックは、ぐらぐらになっている。
「おもしろくねぇんだよ!二度とやるかこのゲーム」
その勢いのまま、ゲームを切断し、違うゲームに手を伸ばすとしたその時、
インターホンが鳴った。
「なんなんだよ」
苛ついたままの僕は、散らかっていて足場の悪い部屋で、躓きそうになりながらも、玄関へと向かう。
ドアを開けると、隣に越してきた青井さんが僕を見下ろしていた。
「なに?」
僕は頭一つ分以上は高い背丈の彼女に対し、全力でにらみつける。
「前にも言いましたよね。日付が変わるまでは我慢してましたけど、うるさいです」
「うるせえ!僕が何しようと、僕の勝手だろうが!」
彼女は無表情で一歩前に出て僕に近づく。
「あのねぇ、前に謝りに来たよね。そのとき、二度としませんって言ったよね」
口調が変わり、責めるように喋ってくる。
「そんなの言ってねえよ!ばか女!」
僕はそれ以上聞きたくなくって、食い気味に反論する。
正直、言ったような気がする。
彼女は、もう一歩、距離を詰めてくる。
「また、お酒飲んでるでしょ。暴言吐いたらダメなこととか、未成年が、お酒飲んだらダメなことくらい学校で習わなかったの?ねえ、私が言ってることわかる?理解できる?」
なんだか、正しそうなこと言われて、頭がぐちゃぐちゃだ。
うまく反論の言葉が頭に浮かばない。
視界がぐるぐるしてくる。
「うるさい!お酒飲まないと無理なんだよ!頑張れないんだよ!僕が正しいんだ!」
何か言い返さないといけないと思い、そう口にする。
「うるさいじゃなくて、きちんと話して。それ、アルコール依存症っていうんだよ。こっちは大家さんに言いつけちゃってもいいんだからね。自分が正しいっていうなら、その理由をきちんと話して。」
変わらず落ち着いたトーンで、語りかけてくる。
なにか、なにかを言わないといけないと思うが、アルコールに侵された脳内はいろんな情報で混沌としている。
大家さん。
これだけはダメだ。
いままで、いろんなバイト先をクビになったり、バックレたりしてきて、
何とか今、安定してきているのだ。家賃も安くバイト先に近いこの家を手放す訳にはいかない。
言い返さないと、でも、言葉が出てこない。
目の前にいる彼女は、何を言っても、正論を返してくるだろう。
そう思うと、黙り込んでしまう。
「何か言ったらどう?さっきの勢いはどうしたの?」
どうしょうもない。けど、何か言わないと。
「ぅえ、あ、っあ、う」
いつもみたいに、どもってしまう。
勝てない。目の前にいるこの女性には勝ち目がない。
そう勘付いてきて、涙が出そうになる。
なんだか、目の前の存在が怖くなってきて、うつむいてしまう。
「部屋、汚いね。生活を整えないから、心がすさんで、アルコールなんかに頼っちゃうんだよ」
また、正論だ。
敗北感なのか、嫌なことが多かったからかわからないけど、涙が出てくる。
こらえないと。
目の前の彼女に目をやると、いたって冷静そうに無表情でこちらを眺めている。
あ、なんかだめだ。
今まで溜めていたものが吹き出るように、涙がボロボロと頬を伝い、地面に落ちていく。
「うぐ、うぅ」
こらえられない。
「ぼ、ぼ、僕だって、ぁ、や、やめたいのに…で、でもなんか、やめれなくって…辛いのに、頑張ってるのにぃ…誰も慰めてくれなくって…褒めてくれなくってぇ…」
顔が涙でぐちゃぐちゃだ。嗚咽と鼻水が止まらない。足がガクガクと震える。
今まで、泣くと心が折れてしまうと思って我慢してたけど、完全に折れてしまったのを感じる。
多分、もう頑張れない。
そう感じると、余計に涙が止まらなくなる。
苦しくて、呼吸が定まらない。
「ね、ねぇ、大丈夫?」
そう言って、彼女は近づいてきて、僕の背中をさする。
なにか、言わないといけないけど、言葉が出てこず、嗚咽だけが止まらない。
そんな僕の背中を、彼女は無言でさすり続けいる。
しばらく経って、呼吸がだんだんと落ち着いてきた。
「落ち着いてきたね。今日はもう寝た方がいいよ。お酒は絶対飲んじゃだめ。いい?」
うつむいているため、彼女がどんな表情をしているのかはわからないが、
さっきとは変わり、優しい口調でそう語りかけてくる。
心が落ち着いていくのを感じる。
「ぁ、あ、ぁ、はぃ、ご、ごめんなさい…」
涙は止まらないが、どうにか答えた。
「じゃあ、おやすみ」
彼女はそっと僕の頭を撫でてから、自分の家へと戻っていった。
泣いているからか、疲れ切った僕はなにも考えることなく、すぐに布団にくるまって寝た。




