9.争いは、悲しいですよ
カチャ カチャ
小さな食器の音だけが夕食の音楽だ。
「それだけで足りるのか?」
かなり距離があるんだけど、第一王子、グレインさんの視線に晒されているのに困って聖女というのを訂正できないまま、とりあえず理由を述べた。
「お腹いっぱいで。残して申し訳ございません」
決して不味くないんですよ。ナンみたいなパンや冷たいスープも美味しい。ただ、量が多すぎるよ。あとは、とにかく暑さと湿気のせいかな。
「しかし、貴方のような方がアレを消したとは思えん。いや、悪い意味ではなくな」
「私もそう思います。普通過ぎる私は、この食事の中で一番浮いている。そう自覚しています」
陛下が、隣の王妃様に睨まれ、やってしまったみたいな様子を見て、ちょっと和んだ。
「このような場でする話ではないのですが」
カフェで珈琲でもすすりながら新聞を読んでいそうな、おじいちゃんにしか見えない陛下へ目を向けた。
「私は、貴国に住むことはできません」
「どういう意味だね?」
「陛下ではないとは思っていましたが、此方へ来る前に素敵なお手紙を頂きまして」
フランネールに従えという脅しのお手紙。
「私は、辛うじて生きているんですよ」
「どこか具合がわるいのか?!」
グレインさんが椅子から立ち上がり、険しい顔を向けていた。その表情には嘘はなさそうだけど。
「陛下、私はこの世界に来る直前、もう全てが嫌になっていまして。人身事故を起こさないで済んだのは、喚ばれたお陰なんです」
でも、じっくり考えると、これは罰なのかなとも思った。安易な方法を選ぼうとしてしまった私への。
「喚ばれた時に直ぐに反応できなくて、一瞬で数十人が燃えました」
──暖かい。
私の右側からは、侍女だけど由緒ある家柄なのもあり夕食の出席を特別にと許可されたジャスミンさんと左側からは、ルモンドさん。それぞれの手が私の膝の上にある両手を包んでくれた。
「懺悔の気持ちから私の手を取る気はないと?」
そんな事でかというニュアンスのグレインさんは、私に対しての苛立ちを隠さない。
「いえ。そもそも殿下は珍しい生き物が欲しいだけと感じます。まぁ、分からないでもないですが」
未知の生物に興味を示す人はどこにでもいそう。
「私は、偶然とはいえチドリ・メイルとして生活できて幸せです。それはお互いが尊重する関係だからだと思います」
グレインさんの私を見る目は、まさに真新しい玩具を前にしている。買いたいけど買えないというような。
違う執着心。
ルモンドさんとは全く違う。
「生意気に思われても仕方がないですが、私が今、貴国にいるのは、国の友好関係の為に、また純粋にお祝いと他国に対しての文化の興味です」
もう、あの匂いも光景も目にしたくないの。
戦争だけは、駄目だよ。
「チドリ殿。不快な思いをさせてすまんかった。手紙の件は、直ぐに調べよう。良い機会だ。短い滞在期間だが我が国を純粋に楽しんでくれ」
「ありがとうございます」
私は、席を立ちお辞儀をした。
拳をつくり怒りが収まらない気配のグレインさんを端にとらえながら。
***
「チドリ」
「お説教は明日でお願い致します」
ルモンドさんの腕に手をかけながら与えられた自室へと戻るなか、頭上の人の視線が刺さってきているのは知っています。でも、初日ですっごい疲れたので許してください。
明日、正座して諦めて聞きますから。そう覚悟していたら。
「偶然に私との生活だなんて、悲しかったのですが」
え、そこ?!
「忙しくて顔合わせもせず対応は酷かった」
「あ、いや」
「実際、こんなオジサンですし」
「ちょっ、ルモンドさん!」
「婚姻の際の腕輪の色といいシャートにはあの後ずっとクソ気持ち悪いとも言われているし」
いや、シャートさん! なんて事を言っているんですか?! しかし明後日の方向に向きながら歩くの凄いな。じゃなくて。
「ルモンドさん!」
「違います」
「え?」
「先程、教えましたよね?」
たまに押しが強い時の彼には勝てる気がしない。
「……ルー、とりあえず早く部屋に戻りたいです」
「御意」
警護の為とはいえ、通路には間隔を開けて人が立っているのだ。あまり目立ちたくない。やっとこちらを向いたルモンドさんの腕を引っ張り、千鳥はいつもより足を早めた。
「もう手遅れだと思いますが」
小さく呟いたジャスミンの声を前を行く二人には聞こえていなかった。
* * *
スースー
小さな寝息を聞いていたルモンドは、絡めていた小さな手をそっと離し、ベッドから起きると続く応接室へと扉を開けていく。
「お休みになられましたか?」
そこには深夜を感じさせない、姿勢を正し椅子に座るジャスミンとルモンドの部下達。
「遮断を広範囲にかけたのですね」
部下の一人、ブライトが不思議そうだ。まぁ確かに、これから話をするこの場だけ消音にすればよいのだが。
「彼女は、寝てから約二時間後にうなされ始めるから。外には知られたくないようだからね」
信頼している部下は、すぐに察した。
「恥じる事などないのに」
一番年重のモールが呟いた。そして全員の表情が曇る。
「でも、随分回数は減った。精神的にもこの世界の生活に慣れたのかもしれない」
一番若いシンカの肩を叩いた。
「彼女には、もう嫌なモノは見せなくない」
二度と、あのような光景は。
「だから、頼む」
今夜のグレインの様子では、何か仕掛けてくる可能性が高い。
「そんな事、言われなくてもわかってますわよね。この場にいるのは、志願者であり能力を認められた者のみ」
ジャスミンが広げていた扇を閉じ、この私を怯むことなく見上げ更に口を開いた。
「まず、くだらない手紙を寄こしてきた者のあぶり出しからですわね?」
私が上官なんだがな。
チドリが絡むと今は不在のレイリア嬢といい目の前のジャスミンといい敵わないな。
彼女は、いまだに気づかない。自分の短所ばかりを見ているから。真面目で時に頑固で不器用な人。
「ああ。始めようか」
皆、チドリのフニャリ笑う顔が好きなのに。
早く、気づけ。