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泣かないで

第8話

~泣かないで~




俺は見た。

戦火の海を埋め尽くす血と骨と臓物の嵐を。

僕は見た。

震えた声で懺悔するちっぽけなあの人の最期を。

私は見た。

全ての自由を奪われたおぞましい化け物が訴える誰にも理解できない必死の懇願を。

私は見た。

叩かれ売られ引き摺られていく首だけの仲間を。

私は見た。

血濡れの人間を二人も担いで飛び込んで来た男の生気が無い暗く悲しい瞳を。





さて、それはこんな話だ。





「なぜ……なぜですの……こんな……こんな事が……。」

「ぶい。」

「まぁ、角付き相手にゃ頑張った方だろ。」

「いい所全く無かったと思うけど。」



飛び掛かった途端に足元を唐突に吹いた風で掬われてすっ転び、後は流れでボコボコにされたテレジアが床に這いつくばって震えていた。

目に見える部分には喧嘩の痕を残していない所を見るに、フィオナの教育の賜物なのだろうか。

ベルの方は床に転がる芋虫を勝ち誇った目で得意気に見下ろしていた。



「はい終わり終わり。お帰りはあちらだよ。」

「うぐぐ……ワタクシは……ワタクシは……。」



敗者に鞭を打つようにユッタが少女の肩を掴んで床を引き摺ろうとして、慌てて自立したテレジアはユッタの腕を跳ね除ける。

フーフーと何かを堪えるように息を吐いて、唇をぎゅっと結んで。

人が泣き出す直前の感情の爆発に近いそれだった。

その淵ギリギリで今は留まっているものの、ふとした刺激で容易く決壊してしまうだろう。

だが、それは。



「コーディン・ホテルですわよ……コーディン・ホテルなんですのよ……。」

「あんたのお父さんこないだ菓子折り持って謝りに来たわよ。あんまりお父さんに迷惑かけるのやめなさい。」



様子を見に来たメリーさん(若い)の一声ですぐに限界が訪れた。



「どうしてそんな事言うんですのーー!!びええええぇーーー!!!」

「うへぇ、また始まった。」

「泣かしたー。」

「目を離した隙にいなくなるってお父さん困ってたし、しばらく大人しくしてみたらどう?」

「いいですわぁーー!!いいですわぁーー!!見てやがれですわぁーー!!首を洗って待ってろですわぁーー!!」



目元の涙と溢れ出る鼻水を服の袖で拭きながら、敗走の将は一目散に逃げだす。

躓きながら、もたつきながら。

後ろ手にバタンと勢いよく閉まったドアの上で小鈴がチリンと塩を撒くように鳴った。



「なんだったの……?」

「あれな、月一くらいで来るんだよ。今回は珍しく捨て台詞残して行ったな。」

「いつもはお嬢が外までぶっ飛ばしてたもんねぇ。」



しみじみと。

台風の去った後に残るのは静寂。

やれやれと落ち着いてみれば、埃舞い散る室内がそこにあった。

メリーさんは嫌そうな表情を作ると、部屋の隅で眠る掃除用具入れの扉を開けた。

ギッと短く錆びたような音がして、最初以外の抵抗もなく開いた扉に沢山の汚れた雑巾が垂れていた。

メリーさんはモップを一つ取り出すと。



「誰かお手伝いしてくれる気の利く人はいないかしら。」



と、うそぶいて見せた。

レオもユッタも顔を一度見合わせた後、お互いがお互いに譲るように澄ました顔をする。

その二人の間から。



「ここにいるぞ。」



片手をピンと伸ばし上げたベルが、率先して自分から役を買って出た。

途端にメリーさんは輝いた顔を見せる。

レオもユッタもあまり見たことがないメリーさんのイキイキとした表情だった。



「やっぱいいわねぇ。お姉さん、娘を持った気分になっちゃう。」

「お姉さん……?」

「あぁ?」

「なんでもないです。」



一瞬業魔の顔をしたメリーさん(若い)が余計な一言を漏らしたユッタの方を睨みつける。

ユッタはしまったと眉根を寄せて反省の色を示したが。

メリーさんは背けたユッタのその横顔を業火の形相で凝視して脅しをかけ続けた。

一方レオは相も変わらず、我関せずとばかりにすっかり冷めた埃混じりのお茶を最後まで飲み干していた。



「ほらバケツ。で、足でこのレバー踏めば口が閉じて水を搾れるから。」

「ほへー。科学の力ってすごい。」



メリーさんが手取り足取り、ベルを立派な家政婦に育て上げる。

その姿は自身のノウハウを伝授する師のようでもあり、女手一つで娘を養う力強い母親のようでもあった。

レオもユッタをしばらくはその様子を眺めていたが、時折チラチラと圧をかけて来るメリーさんの熱烈な視線に居心地の悪さを覚え、額に手を当ててそれらをなんとか誤魔化そうとしている。

二人がさてもうそろそろ自分の部屋に戻って午睡の一つでもおっぱじめようかと思い始めたその矢先。

本日二度目の嵐がメリー・メリー・メギストスに吹き荒れた。



「コーディン・ホテルですわぁーー!!」



バァン!と勢いよく壊れる程に。

壁と扉に挟まれた鈴が苦しそうにジリンと辞世の句を読んだ。



「不死鳥ですわぁーー!!リベンジですわぁーー!!吠え面かくなよですわぁーー!!」



一度は片付けた埃がテレジア台風の風圧に巻かれ、花が散ったように周囲に溢れる。

踏ん反り返るテレジアの目はまだ充血し、所々に先ほどの醜態の残滓が窺える。



「また来たの。今度はなぁに?」

「手短にね。」

「せっかく掃除したのに……。」

「そういう態度を取れるのも今の内だけですわぁーー!!」



つっけんどんにお帰りを願う皆様の願いも虚しく、テレジアは得意満面の笑みすらを浮かべた。

まさか日に二度も災難に見舞われるとは思っていなかったのか、怒り心頭のフィオナ嬢が我慢の限界と言った様子で階段を下りて来た。

これ以後はもしかしたら血を見る事になるかもしれない。



「良い度胸ですね。一度は許してやった恩を仇で返すとは。飼い犬に手を噛まれるとはまさにこの事です。」

「だっ、誰が飼い犬ですの!!そっちがその気なら、こっちもその気ですわぁーー!!先生、お願いしますわぁーー!!」



テレジアがパンパンと手を叩き、扉の向こうに隠れる誰かに合図を送る。

その音を聞きつけ、メリー・メリー・メギストスの扉がゆっくりと勿体ぶるように開けられる。

ゴクリと誰かが生唾を飲み込む音が聞こえた気がする。

扉を開けてメリー・メリー・メギストスに侵略してきた人物。

それは。



「おうおう!こンのお嬢ちゃんいじめた奴ァどっこのどいつだァ!?オイラがコテンパンに叩きのめしてやらァ!」



存外元気そうな覆面の男だった。



「あっ。」



ユッタがいの一番に気付いて、気まずそうに目を逸らした。

次に気付いたフィオナも嫌そうな顔を露骨に作った。



「あっ。」



覆面の男の方も、つい先日見たヤベー奴らだという事を理解し、一気にクールダウンした。

つい二秒前の威勢の良さが削がれているのは火を見るよりも明らかで、周囲一帯が非常に気まずい空気になった。

メリーさんとベル、そしてテレジアは展開の急落に理解が追い付かず、何々何なのとオロオロしている。



「会わないようにしようって言っただろ……。」



レオが呪詛を噛み締める。

フィオナも口外の態度によってその言葉に便乗するように覆面の男を責めている。



「そうだけどよォ……いや、こンなのあり得ねェだろォ……えぇ?」



急にもじもじとしだした覆面の男。

お互い勝利の余韻の中で割とカッコつけて別れた手前、なんか妙な恥ずかしさがあるのだ。



「な、何をしてるんですの!?さっさとぶっ倒して下さいまし!!お金はもう払ってるんですわよ!?」



テレジアから檄が飛ぶ。

テレジアが煙たそうな周囲の視線も省みず泣いて逃げ返ろうとしていた時、偶然近くに居合わせた覆面の男がビジネスチャンスの香りを嗅ぎ付け、仕返しを持ち掛けたのだ。

覆面の男の口八丁にコロっと引っかかったテレジアは気前よく言い値の倍額を支払い、再度メリー・メリー・メギストスの門戸を文字通り叩いたのだった。



「いやァ、すまん、お嬢ちゃん。無理だわ。勝てん。」

「はあぁーー!?何故ですの!?元々はあなたが持ちかけた話ですわぁーー!!」

「大人にゃあ、できる事とできねェ事ってェのがあってだな。こいつァ……まぁ、できねェ事なんだわな。」

「そ、そんな……。」



そのまま速やかに潔く土下座の姿勢を取った覆面の男の哀愁漂う後ろ姿を見て、テレジアはよろよろと力無く後ずさって壊れかけの扉にぶつかる。

逃げ場は無いぞと言うかのように扉の上の鈴がリンと短く彼女を追い詰めた。



「お前は雇われただけらしいからな。お嬢は許して下さるそうだ。」

「ありがてェな。しっかし、お前ェさん、別人みてェに綺麗な顔になってんなァ。えぇ?」



正座の膝上に重りを乗せられた覆面の男の目がパッと輝いた。

後ろ手に縛られたまま、自分に責任の一切は発生しないはずだと延々訴え続けたのが功を奏したようだ。

また、即座に降伏し、余計な手間をかけさせなかったという事が、フィオナ嬢の情状酌量を誘ったのだと思われる。



「特別に最低限度のおしおきで許してあげましょう。」

「え、これが最低限じゃねェのかよぉ。まだ上あンのかよぉ。」

「ユッタ。入口を開けておきなさい。」

「ん。」

「おいおい、何する気だよぉ。こンなの聞いてねェよぉ。」



メリー・メリー・メギストスの入口の扉を開けるユッタ。

開かれた扉のその向こうに往来を征く一般的な人達が見える。

幾人かは急に開いたままになったその扉から何かを察し、周囲の人たちに注意喚起をし始めた。

人々は知っている。それは月一で起こるパレードの始まりの合図のようなものなのだと。

結果、人々の行き来の規則性が変わり、メリー・メリー・メギストスの正面に立つ者が失せる。



「じゃ、二度と私の目の前をうろちょろしないって事で。よろしく。」

「努力ァするぜ。」

「それで十分。」



フィオナの左手に強烈な魔力が充填されていく。

それを目の前に見せつけられる覆面の男の表情がみるみる青ざめる。

しゅんしゅんと空気を切り裂く音が聞こえ、眼前のそれがえげつない何かに変わっていく。

男は絞首台への階段を登っていく時のような心境だった。

もうさっさと終わってくれとすら思えた。

え、まだ魔力溜めんの?と男が不安を覚え始めた時。



「解放。」



その胎動は終わりを迎え、一瞬の後に巨大な光陽が閃いた。

眼前から押し寄せる膨大な魔力の塊が質量を持って男の身体を弾き飛ばす。

踏ん張る事も許されず、モロにそれをブチ当てられた男の体は宙を舞い、愛する地上を離れて空の旅へご招待。

比例グラフのように伸びた爆発が往来を焦がし、覆面の男をコーディン・ホテルの遥か上へと連れていった。

流れる星のように飛び去る男の悲鳴をも置き去りにして、遥か彼方へと視線が追い付かないスピードで消えていく。

生死は定かではないが、どちらかに賭けろと言われたら十人中十人が死んでいる方に賭けるだろう。



「ふう。」



一仕事終わった様子でフィオナの溜息が漏れる。

心なしか、憑き物が落ちてスッキリした顔にも見える。

その傍らではテレジアがガクガクと震えていた。

いつも自分が吹き飛ばされる時のアレよりも何倍も鋭い一発だったからだ。

相当怒っているんだろうなと思った。

あれは死んだだろうなと思った。

結局お金返して貰ってないなと思った。

覆面の男がそうされていたように、両腕は後ろ手に縛られて膝の上には重りがある。

逃れる事などできないその恐怖は彼女を日に二度目の号泣に誘うのには充分過ぎた。



「びええええぇーーー!!!」



涙で川を産めそうなぐらいに泣き腫らし、逆に言えば泣くことしかできないテレジア。

あとはもう地獄の沙汰を待つだけなのだが、どうにも執行前に焦らされてしまって、恐ろしさだけが加速式のように増大していく。

彼女を取り囲む五対の目も針のように鋭く彼女を苛む。



「さぁて、どうしてくれましょうか。とりあえずレオのチン〇でも舐めさせますか。」

「ヒイィーー!!」

「やめてくれよ……お嬢の冗談笑えねぇよ……。」



さめざめと泣くテレジアのリボンが小刻みに揺れている。

主人の心を代弁するかのようにしゅんと項垂れたそれは、今や高貴な本来の持ち味を活かせないでいた。



「あんた、ここ別館にするって言ってたけど、ちゃんと管理できるの?」

「えっ、でっ、できますわっ!!できるに決まってますわぁーー!!」



突如メリーさん(若い)がテレジアに問いかける。

その顔は悪い考えが浮かんだようにも見えるが、多分気のせいだろう。

決定権が自分にあると思っていたフィオナが驚いてメリーさんを見た。

メリーさん(若い)はここは任せろと一発ウィンクを返し、フィオナを引き下がらせる。



「何するか分かってる?お金の管理だけじゃないのよ?経営って。」

「なっ、わっ、知ってますわぁーー!!それぐらいぃーー!!」

「というか、あんた炊事掃除洗濯できるの?ま、多分できないんでしょうけど。」

「でっ、できますっ!できますわぁーー!!ワタクシを侮るんじゃないですわぁーー!!」

「ほほう。そういう事ならやってみなさいよ。ベルちゃんと比べてどっちが家事できるのかしらね。」

「こんな小娘にこのワタクシが負けるハズなどありませんわぁーー!!」

「さっき思いっきり負けてたけどね……。」



テレジアの両腕縛りを解いてやり、膝の上の重りを外したメリーさんがテレジアの手にモップを握らせる。



「ベルちゃんに負けるようじゃ、この宿は譲れないからね。」

「目ん玉かっぽじってよく見ておくがいいですわぁーー!!腕が鳴りますわぁーー!!」



結論から言うと、彼女の家事の腕前は散々だった。

掃除はバケツをひっくり返すわ、埃を集めるどころか散らかすわ。

料理は指を切るわ、調味料の分量が目分量過ぎて誰の口にも合わない逸品ができるわ。

洗濯はポケットの中身を出し忘れて地獄絵図になるわ、洗い立てのシャツを地面に落とすわ。

枚挙に暇がないほどにそれはもう散々だった。

決して上手とは言えないまでも、(お互いにメリーさんの補助はあったが)無難にこなしたベルの方が余程上等な仕事に見えた。

最後の方は皆が同情的な視線になっていた。

なんかもう呆れを通り越してかわいそうだった。

その実情が露呈してしまった今の彼女と言えば。



「ヒック……ヒック……。」



部屋の隅でうずくまってまた泣いているのだった。

最早彼女の自信という自信は見事に打ち砕かれ、立ち上がるだけの余力すら残されていなかった。

ズタボロになった彼女の高いプライドが音を立てて崩れていく。



「わかったでしょ?今のあんたじゃあ、年下の子にすら劣るの。」

「ううぅ~~……どうして追い討ちかけるんですのぉ~~……。」

「だから、当分はここで修行しなさいな。お父さんには連絡しておいてあげるから。」

「え……。」



泣き腫らした顔を上げたテレジアの顔に猜疑の表情が現れた。

何を言っているのかわからない。

そんな顔だった。



「えっ、なっ、えっ……?」

「それで、私が認めるぐらいに仕事が出来るようになったら、ここの土地も権利も全部譲ったげる。どう?いい案でしょ?」

「いや、その……えっと……え……?」

「それとも、このままおめおめノコノコと尻尾撒いて逃げる?」

「ワタクシは……ワタクシは……。」

「これは私からの挑戦状でもあるの。あんたにできるかしら?ま、親の七光りにはちょ~っとハードル高いかもだけど。」

「でっ、できますわぁーー!!やったろうやないのですわぁーー!!その言葉、死ぬほど後悔させてやりますわぁーー!!」



先ほどまでの意気消沈はどこへやら。

切り替えの早さだけはいっちょ前のテレジアはおもむろに立ち上がり、ビシッと指をメリーさん(若い)の眼前に叩きつけた。



「いいでしょう。あなたの挑戦、受けて立ちますわぁーー!!」



眉を上げ、ジュルジュルと鼻を啜りながらも、テレジアは宣言する。

メリーさんはしてやったりとニッコリ笑ってそれに答えた。

かくして、置いてけぼりの四人を蚊帳の外にしたメリーさんの一計は成り、長い長い溜息がメリー・メリー・メギストスに木霊したのだった。







第9話 ~修行編~ へ続く







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