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黒き雷に捧ぐ

第4話

~黒き雷に捧ぐ~




雨は血を濯ぐ。

雨は死を雪ぐ。

雨は注ぎ、争削ぎて。

雨降る地は風に鳴く。

風に骸は無く。

風はまだ啼く。

風泣き叫べば、雷こそ降る。

雷は黒く。

黒く。

黒く。

黒く。





さて、それはこんな話だ。





ただ一塊の雷雲が空に浮いていた。

ユッタもフィオナもそれにすぐ気が付き、どちらからともなく、それを指差した。



「あれですね。間違いない。多分、探していますよ。」

「おいでなすったね。レオは?」

「まだ伸びてます。」

「肝心な時に。」



見れば、二の腕と折れ曲がっていた足が正状態に戻りつつあるレオが、未だ頬を水溜まりに漬け込んでいた。

病的なまでにピクリとすらしないが、ユッタもフィオナも気に留めすらしなかった。

気に留めている余裕があまりなかったのもあるが。

雷雲がビリビリと帯電を始めたのだ。

それを見て、二人はすぐにレオと同じ体勢を取って、地に這った。

瞬間、世界を白い光が駆け巡り、多大なエネルギーを持った熱気が大地を震えさせる。

その轟音の中心にて、白き雷を後光に立ち尽くす者がいた。



「…………。」



その頭上。両眉の丁度上辺り。獣の耳のように短く太い角が二つ。天を向いていた。

角の下に座る顔立ちはまだ若く、フィオナよりも幼く見えた。

有角人特有の野暮ったい民族衣装が、雨に濡れたせいで日に焼けたような浅黒い地肌を多少透かしている。



「…………?」



長い髪を揺らしながら不思議そうに周囲を見渡して何かを探していたが、ユッタとフィオナの姿を見つけた途端、眩しそうにしていた目の瞳孔がカっと開いた。

敵対認識されたのだろう。

ユッタもフィオナも弾かれたように立ち上がり、互いの逆方向に駆け出す。



「レオ!」



ユッタは伸びてしまったレオを呼んでみるが、やはり反応はない。

起きる気配のないレオの様子に仕方が無いと嘆息したユッタは、道に落ちている元は壁だったであろう石片を拾って、有角の少女に投げつける。

こういう時は、使えるものは何でも使うのだ。



「…………!」



少女の懐に迫った石片が、バチィ!と音を立てて燃え上がった。

黒雲が少女を守るように落雷したのだ。

白線に貫かれた石片は相当な電流を浴びたのだろう。

水溜まりの中へと焦げ落ち、プスプスと煙を上げている。



「お嬢!」

「5秒!」

「無理!3秒!」

「無理です!」



最低限の掛け声で意思疎通を図った二人がてんでバラバラに動き回る。

その間を雨が渡り、風が飛び散り、そして白い閃光をブチ撒ける。

幸い、閃光は二人には当たらない。

フィオナの本から飛び出す夥しい数の細長赤触手が、雷の到来をゴールキーパーよろしくパンチングして弾いていた。

有角の少女は微動だにしないが、彼女の周囲に揺らめき立ち昇るあの威圧感は魔力のそれだとハッキリとわかった。

ユッタもフィオナもとにかく手当たり次第に落ちている瓦礫を投げつけてはみるものの、全て少女の眼前でバチリと跳ね返されて黒焦げにされていく。

少女に近寄ろうものなら、間違いなくその身には稲妻が走り、恋に落ちた時のように崩れ落ちるだろう。



「消耗待てる!?」

「こっちが先にブッ倒れます!」



言っている間にも無数の稲光が重低音を引き連れて二人に襲い掛かる。

寸でのところで赤い触手の先っちょが庇ってくれるが、徐々にそのタイミングは遅くなってきていた。

依然、雷の頻度は落ちない。どんなに走って攪乱を試みても、正確無比に二人の居場所を狙って天から降りて来る。気付けば、ユッタもフィオナも体力の無駄とばかりにほとんど歩みを止めていた。手近な瓦礫の投擲だけはやめなかったが。



「くぅ……。」



フィオナの顔色が悪くなってきた。同時に、赤い触手の動きも目に見えて鈍くなってきていた。

段々と落雷の位置が二人に近い位置で弾かれるようになってきていた。

その距離が0になる時が二人のタイムリミットなのだと、地に響く轟音が告げている。

ユッタはしばしば動いて瓦礫の投擲を続けている。続けてはいるが、どれ一つとして有角の少女に傷をつける事は叶わない。逆にユッタの方がぜーぜーと肩で息をしている始末だ。

有角の少女は瞬きも少なに魔力を天に預け、落雷に全神経を集中させている。その顔には汗の一つもなく、涼しい。

無茶苦茶だった。この年齢の有角人にこれだけの魔力量というのがそもそもあり得ない。

有角人の女性は年齢と共に魔力を角に蓄え、有事の最にそれを解放するように大暴れする。歳を重ねれば自動的に強くなるのだ。若い有角人の女性が密猟者に狙われやすいのはそういう理由がある。



「レオ……ッ……!」



ユッタがレオの倒れている方を見た。その場所には黒く焦げたような跡があった。

瞬間、ユッタの血の気がサーッと引いた。

そういえば、全然気にしていなかった。勝手に大丈夫だと思い込んでいた。

無防備に倒れているって事は、それはつまり、真っ先にトドメを刺されるって事なのではないか?自分なら間違いなくそうする。

ユッタもフィオナもあの少女に直接手出しできない以上、残された突破口はレオしかない。

もし、その突破口焦げ朽ちてしまったとすれば……?

冷や汗が湧いてくる。最悪の事態が容易に想像できた。

フィオナは防御に手一杯でレオの現状を把握してはいないだろう。

じゃあ、伝えるのか?伝えてどうなる?気持ちが折れれば、それは即負けに繋がる。

フィオナが諦めた瞬間、二人とも黒焦げの焼肉になるだけだ。恐らくはレオのように。

3秒。どうにか3秒だけでも稼げれば。

手近な瓦礫はもう全て投げつくしてしまった。残っているのは持ち上げるのも大変なぐらい重い瓦礫か、もしくは、己の肉体。

もう玉砕の覚悟が必要なのかもしれない。

万が一何かの拍子に3秒稼げれば、二人とも助かる可能性はある。

或いは、どちらか、防戦一方のフィオナと比べればまだ自分の方が助かる可能性はあるのではないか。最悪逃げ出せれば。いや、しかし。

天秤が揺れた。



「お嬢。」

「何ですか!?」

「死んだらゴメンね。」

「は!?」



駆けだしたユッタを真っ直ぐ狙って直情的な雷線が飛び掛かる。

バチリと火花を伴って、赤い触手がユッタの頭上を庇い、白い煙を上げて地に落ちる。

それでもユッタは直線的に走り、有角の少女を目掛ける。

少女に近付けば近付くほどに雷鳴の頻度が増え、それに比例して赤い触手の残骸も増えていった。



「ユッタァ!!」



たまらずフィオナが叫ぶが、ユッタは止まらない。

最短を最速で。

ただ佇むだけの少女の表情がありありとわかる距離まで詰めた。

赤い触手の残骸の数も数えられないぐらいになっていた。

瓦礫を飛び越し、時に躓きながら、あと十数歩。

この距離からならばと袖に隠してあった投擲用のナイフを放ってみる。

それでも尚、雷霆の方が早かった。

爆発音がナイフを遥か遠くへ弾き飛ばす。

世界が揺れる。鼓膜の内側から揺さぶられる。地面を通して身体を直接叩かれたような爆音がする。耳鳴りがする。

轟音の直後は数秒だけ音が聞こえなくなる。

少女も同じなのだろうか。

だがその有角人は眉一つ動かさず、瞬きしてないと言える程に目を見開いて、まだあどけない表情を歪ませる兆しを全く見せない。

もしかしたら、魔力を使って鼓膜の保護でもしているかもしれない。

雷の音に怯んだユッタが一瞬だけでも止まれば、すかさず次の白線が頭上に襲来し、直撃しそうになって目を瞑った頃に追いついた赤い触手が身を挺してユッタの頭上の影になる。

弱々しく地面に倒れ込んでいく赤触手に、ユッタは更なる焦りを覚えた。

止まっている場合じゃないと奥歯を噛み締め、張り裂けるような大地の震動を堪えて、果てしなく長い十数歩を踏みしめた。

一歩。白と赤が交錯する。一歩。キーンとした音が遠くから聞こえる。一歩。有角の少女の眉の角度がハッキリと分かる。

一歩。靴の下が揺れて、思うように歩けない。一歩。締め上げられるような密度の静電気を肌で感じる。一歩。少女の額に冷や汗が浮かんだようにも見える。

一歩。大気が揺れて、それからもう何も聞こえなくなった。一歩。もう赤い触手が間に合っていない。一歩。頭頂に燃えるような熱を感じた。

ユッタが握りしめた最後の一本の先端が少女の視界に入り込む。

少女の視線がユッタの腕の先にある得物に留まった。

しかし、その切っ先が少女の喉首を捉える事はなかった。

ユッタではなく少女の頭上へと天来した雷閃が全てを弾き飛ばしたからだ。

ユッタのナイフも持ち主の手との結合を解かれ、折り重なる瓦礫の隙間へとむなしく消えて行った。

二度、三度と少女へ降り注ぐ高エネルギーは周囲の何もかもを弾き飛ばし、ユッタが随分苦労して詰めた十数歩を軽々と水泡に帰した。



「くっ……そぉっ……!」



宙を舞いながら悪態をつくユッタが見た光景は、白みがかる世界の中に立ち昇るレオの長い長い影だった。



「こんにちは、お嬢ちゃん。ご機嫌いかが。」

「っ……!」



レオの姿を視認するや否や雷光が滝のように少女の頭頂に雪崩落ちて、周囲を白炎で燃やす。

だが、レオは燃え尽きる事も、痺れ飛ぶ事も無く、悠然と少女へと歩み寄る。

鎧も服も焦げて最低限の残骸しか残っていないが、それでも尚レオは少女に近寄る。

少女がどこか怯えを孕んだ顔でレオの表情を窺う。その目は沸騰したように赤く渦巻いていた。

体には火傷跡とケロイドが広がり、目を背けたくなるような凄惨さが感じられる。

太鼓を打ち鳴らすような破裂音をBGMにして、レオはユッタのように鷹揚に距離を詰めた。

一歩。一歩。一歩。

白い視界に影を落とすように、レオの姿が陽炎になって映った。

皮膚は焼け焦げ、目玉も内側から押されるように飛び出しかけている。

なのに、まだ向かって来る。

少女の顔に怯えの表情がハッキリと浮かんだ。

幽鬼のような形相でのんびり歩いてくるだけの男が、異様な恐怖を少女に覚えさせた。

おかしい。おかしい。

肌は焼け焦げ、髪は煙を吹き上げ、全身が弾け飛んでもおかしくない程の高熱量を浴びて、それなのに顔色一つ変えない。

まさに不屈のゾンビ。

雷に打たれてはまた歩き出す。

赤い触手の庇護すらないというのに。

人間ではない、というのが現実味を帯びていた。

落雷の頻度は相変わらずだが、少女の額の汗が冷や汗から脂汗に変わるだけの時間が経った。

その間に、レオと有角少女の距離はお互いの腕を掴めるだけの近さになっていた。



「さっきは俺の仲間と遊んでくれてありがとな。でも、もういいぜ。」

「ぃぎっ…………。」



ニヤリと口の端まで歪ませて、レオが笑った。

狂気の笑顔だった。

レオ的にはイケメンハンサムスマイルだったのだが、少女には精神を薬にヤられた殺人鬼が獲物に見せる獰猛で野蛮な笑みに見えた。

耐えきれなくなった少女が焦ったような態度でその場を離れようとした瞬間、轟雷の到来が切れ間を迎え、そして、間も無くレオが少女の片腕を掴んだ。

レオはそのまま片手で少女を持ち上げ、空いてる方の腕も掴み、子供をあやす時のように宙ぶらりんにする。

タンパク質が焼けた時の何とも言えない匂いが辺りには充満していた。

少女の顔は既に怯えきっていて、その瞳に涙が爛漫と溢れ、そして下の方からも涙がしとどに漏れていた。



「かっ……は……。」

「はい、ゲームオーバー。お疲れちゃん。」



レオの腋の下をすり抜けるようにして、ドス黒い軟体生物が少女の四肢を掴み捉えた。

レオが少女から手を離しても、少女の足が地上に付かない高さに拘束され、動けない得物に群がる触手が少女の全身を次々に黒く食い潰していく。



「がぼっ……!?」



おおよそ人体に存在する全ての穴から触手が体内へと侵入し、衣服を溶かし、皮膚を引き裂き、内臓を甚振り、痛覚神経をけたたましく刺激する。

中枢を痛みに支配された少女の脳が、慣れない脳内麻薬を多量に分泌し、少女自身を守ろうとするも、それ以上の苦痛が少女の全身を駆け巡った。

ビクンビクンと五体が跳ね、この場にいない誰かに助けを求めるように五指がわななく。

少女の淡い期待も虚しく、空を掴んだその手は一転してぐっと握られ、甚だしい苦しみを堪えようと虚しく足掻き始める。

ごりゅごりゅと内臓が抉られる音が聞こえ、その合間合間に骨が細かく砕けていくような音も聞こえる。

何か考えようとして、大事な誰かを思いだそうとして、自分の意識の有無を確認しようとして、そしてその全てが時間の無駄になった。

たった1秒が永遠の苦痛のように思える。

地獄のような責め苦が彼女の意識を幽世から現世に縛り付ける。

目玉を穿られた穴から触手が入り込んできていて、涙一滴さえ流す事は許されない。

黒い触手は少女の全てを奪っていく。肌も、髪も、内臓も、記憶も、思考も、意識も、命をも。

無情にも、それらを最大限の苦悶と引き換えにして。



「がびゅあっ……びっ……。」



最早人語にすらならない低い呻き声だけが、悲鳴の代わりに少女の口から洩れる。

無論、口では大小様々な黒い化け物が蠢いているので、その僅かな隙間から溢れだすただの排気音のような気もするが。

千切れてボロ雑巾になった肌の皮下に這いずる触手の動きが活発になり、少女の全てを喰らわんと元気良く動き回る。

なおも黒い触手の攻勢は続き、次から次へと少女へ群がる触手の数は増え、外からはもう少女の髪の毛一本見える事のない、うぞうぞと脈動する黒い物体がそこに鎮座していた。

目の裏側にまで這入った触手が脳髄を啜る感触と音がする。

鼻と口を塞ぐ、束ねられた一本の太いの線ように連なる黒線の触手が群れを成して肺を黒く満たしていく。

尿道の壁を、産道の壁を、腸壁を、消化液のようなもので溶かして穴を開けて、そこに出来上がった小さな空きスペースに新たな触手が我先にと殺到する。

苦痛などとうの昔に感じなくなっていた。

脳内麻薬が過剰な程に出ていたのもそうだが、何より生命維持に必要なだけの体機能が確保できていないのだ。

有り体に言えば、少女はもう肉体的に死んでいた。

少女の体の中を触手がのたうち回る事約5分。

あまりにあんまりな蹂躙が終わり、黒い触手の動きも緩やかに減速していく。



「お嬢大丈夫か?ユッタは?」



有角の少女の人としての最期を見届けることなく、レオはフィオナのいる所に戻っていた。

片方の目の玉が歩いた拍子に飛び出し、火傷した皮膚がボロボロと剥がれ、中の筋組織までもが黒く焼けているのが見える。

少女とレオと。一体どちらの方が死人に近いのだろうか。

フィオナ嬢はそれを見ても臆する事はなかったが、膝を地面につけて、肩で呼吸をしていた。



「私はぁ、大丈夫です。ユッタ、はぁ……あーっ……と。あ、いた。」

「お嬢本当に大丈夫か。いやに魔力減ってないか。お嬢も苦戦するんだな。」

「どっ、かの……馬鹿共が、無策にぃ、突っ込んだ……せいでぇ、こちとらぁ、魔力が枯渇っ、気味ですよぉ……!」

「ユッタ回収してきまーす。」



レオは近くの瓦礫の上で目を回しているユッタを担ぎあげると、自分の肩の皮膚と筋肉が崩れ落ちるのも厭わずにフィオナの元まで運んできた。



「おい、ユッタ起きろ。起きろユッタァ!起きろ!ユッタ!ユッタァ!」



肩を揺さぶっただけでは飽き足らず、ユッタの頬を手の平と手の甲で往復して打ち据えるレオ。

ユッタの頬にレオの手が当たる度に、レオの体表にある黒い焼き芋の皮のようなものが剥がれて、ユッタの頬を黒ずませる。

軽く数十発程気味良く頬を張られたユッタは、眠そうに目元を擦りながら瞼を上げた。



「うひっ!?お化けっ!?」



眼前に映るレオの見目姿はまさに化け物だった。







第5話 ~誤算~ へ続く







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