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青空晴れて

第37話

~青空晴れて~




空が、晴れる。

青々とした空が。

清々とした空が。

全てを消し飛ばす風が。

全てを攫って隠す風が。

狂おしく、狂おしい。

何も残らなかった。

何も得られなかった。

何も変わらなかった。

あるのは、ただ一つ。

これで終わりだという、事実だけ。





さて、それはこんな話だ。





コーディン・ホテルを背に歩く二人の影が伸びていた。

いつの間にか、夜が明けていた。

滞在時間を考えてみれば当たり前なのだが、二人ともそれに考えが回る余裕などなく。

どこかから聞こえて来る鳥の声に、不夜城の夜明けをまざまざと感じさせられていた。

後ろ髪を引かれたテレジアが一度だけ振り返ってみれば、人の気配も光の気配も失われた、ただ大きいだけの建物がそこにはあった。

もう一度振り返った先には、先を歩くフィオナの背中が零れ落ちていくような儚さを湛えて、テレジアは自然と小走りで追いかける事となった。

手の中に残った短剣を握り締める。そうすると、不思議と気持ちが落ち着く気がした。



「本当に、目と鼻の先。」



フィオナが急に足を止める。

その視線を追ってみれば、安っぽい材質の板にメリー・メリー・メギストスと。案の定、慎ましい字で。

普段と変わりないメリー・メリー・メギストスの姿が、絶対的にその場に君臨していた。



「まるで童話の世界から帰って来たかのようですわね。」



テレジアの洒落た言い回しなど聞こえなかったのか、フィオナは黙って入口の扉を解放する。

チリン、と。

これまた変わりなく頼りない鈴の音が、今日だけは普遍で定常な安心感を提供してくれる気がした。



「おかえんなさい。」



メリー・メリー・メギストスは変わりなく。

そして、メリーさん(若い)も変わりなく。

ただ違うのは、人数だった。



「…………ただいま。」



ややあって、フィオナが返答を絞り出す。

ジロリと。フィオナの後ろに隠れるように小さくなっているテレジアを見つけたメリーさん(若い)は、それが二人だけしかいない事を確認すると、いつも通り手元の本へと視線を戻した。



「……何も聞かないんですの?」



こわごわとテレジアが訪ねる。

メリーさんは数秒だけ本から目を上げなかったが、億劫そうに本に栞を挟むなり、テレジアの質問に答えるように視線を合わせた。



「思ってたよりも早かったじゃない。って事は、何か無茶したんでしょ。」

「……ですわぁ。」

「ま、宿賃は前に貰ってるからね。頼まれても返さないわよ。」

「今更返せと言うつもりもないですが。」

「じゃ、それで良いじゃない。」

「ですわぁ。」

「あ、一つ聞いとかなきゃいけない事はあったわね。」

「どうぞ。」

「ヨシュ坊は?」



メリーさん(若い)は、フィオナの目をじっと見つめる。

テレジアには目もくれない。



「実家に帰りました。」

「そ。忙しそうね。」

「……ですわぁ。」



それだけ聞けば後は興味も失せたと。メリーさんは再び本の世界へと耽って行った。



「私も、そろそろ実家に帰ります。呼ばれてしまったので。」

「あらやだ。お見合いでもあるの?」

「そんな所です。」

「良い男なら捕まえときなさいよ。良い男逃すと、何年かしたら後悔する事になるんだから。」

「肝に銘じておきましょう。」

「あんたは?」

「え……。」

「あんたはどうするの?」

「ワタクシ、は……。」

「ヨシュ坊についてくの?」

「ワタクシは……。」



言い淀んだテレジアはしばしの逡巡を見せ、手に汗握ったせいでベトついた短剣に目をやる。

そして、何かを決心したのか、一度頷くと。



「ワタクシはもうちょっとここでお世話になりますわぁーー!!」



空元気で虚勢を張って見せた。

メリーさん(若い)はそれを聞いて、微妙そうな顔をした後。



「そ。じゃ、頑張んなさい。」



一応、受け入れてはくれた。

それを見届けたフィオナは目を閉じて軽く頷く。

さもあらん、とでも言うかのように。

フィオナのしたり顔に、メリーさんは互い違いの眉を作って見せる。

テレジアは短刀を手にしたまま、はしゃぐ。

鬱陶しそうにその手の先を見上げたメリーさん(若い)は、これ見よがしに溜息を。



「ワタクシ、今まで以上に頑張りますわぁーー!!」

「言い出しっぺはメリーさん(若い)ですからね。面倒を見るのは当然の義務です。」

「あんまり言い返せないのが悔しい所なのよねぇ。」

「テレジアを、頼みます。」

「…………お嬢ちゃんもそういう事言うのね。」

「私はもう、戻れそうにないですから。」

「今生の別れかしら。」

「かもしれません。お世話になりました。」

「ホントにね。レオさんが二人を担いで来た時は何事かと思ったわよ。」

「その節は。」

「いいわよ。こっちもそれなりに楽しかったから。」



噛み締めるようにメリーさん(若い)が思い出話に花を咲かせる。

目を瞑り、在りし日を反芻するメリーさんの瞼の外では、フィオナが額に脂汗を滲ませていた。

呼吸こそ平静を装ってはいるものの、顔色が明らかに悪い。

元来から白い肌を持つフィオナだが、それに輪をかけて青白く。

浸るメリーさんが再び目を開けた時には、フィオナは背を向けてメリー・メリー・メギストスの入口へと歩いていた。



「もう、行くの?急ぎ?」

「ええ。時間があまりありません。」

「そ。大変ね。」

「ですわぁ……。」

「それでは、ご機嫌よう。」

「ご機嫌よう。」

「ご機嫌ようですわぁーー!!」



フィオナは倒れ込むかのように扉を開くと、一度だけ足を止めて、たたらを踏むように出て行った。

頭上では、扉に備え付けられた鈴がチリンと弔鐘を奏でる。

閉められたメリー・メリー・メギストスの中で、メリーさん(若い)とテレジアが目を合わせ、それからお互い肩の荷が下りたように溜息を吐いた。

それはフィオナの強がりを見透かすようで。



「行っちゃったわね。」

「ですわぁ。」

「どうせ死ぬなら、ここで死ねば良いのに。」

「……ですわぁ。」

「あの子はいつもああやって年不相応に恰好付けるのよねぇ。」

「あの、どこまで分かって……。」

「そりゃ分かるわよ。あの顔見れば。何があったのか。これからどうなるのか。それぐらいはね。」

「……ここまで来ると超能力の域ですわね。」

「魔法の方がよっぽど便利よ。あ、そうだ。あんた、魔法使えるようになりなさい。できれば、ベルちゃんと同じぐらいに。」

「え、それは……。」



メリー・メリー・メギストスを背後に。

フィオナの膝は地についていた。

掻き抱く心の臓は苦痛をフィオナに訴える。

止まるぞ、止まるぞ、と。

なんとか立ち上がって、手を付き、壁伝いに。フィオナがゆっくりとメリー・メリー・メギストスを離れていく。

天に昇りきった新たな太陽がフィオナの顔に影を落とす。

伸びた影はフィオナを通り越し、路地の向こうまでも。

刺すような陽気が陽炎を湛えて。

道を外れた暗がりに倒れ込んだフィオナの両腕は、最早受け身を取る余裕すらなく。

とん、と。フィオナの身体が地に落ちると同時に、上空に向かって極細の魔力波が放たれる。

細長い蜘蛛の糸のように真っ直ぐ伸びたそれは、フィオナの手の中の黒い本を焼き飛ばし、そして遥か青空の先へと消えていった。

その導線は雲を突き抜け、空を突き抜け、目に見えない遠くの彼方まで。

塵と燃える黒い本と一緒に、フィオナの命も燃えきっていく。

閉じていく視界と意識。



「会いたい……。」



最後に零れた懇願は誰の耳にも届く事はなく。



「ベル……ユッタ……レオ……。」



叶えてくれる相手はもうどこにもいなかった。











テレジアがフィオナを発見したのは次の日の朝の事だった。

フィオナを、というよりも、フィオナの着ていた服が、そっくりそのまま落ちていたのだ。

フィオナの身体はその場になく、代わりに黒い砂山がフィオナの服を着ていたらしい。

メリーさんは、テレジアから受け取ったその服を自分の部屋の衣装棚の奥底にしまい込むと、もう二度とフィオナの話をする事はなかった。

その内、ベルの事も、レオの事も、ユッタの事も、次第に話題に出さなくなった。

ヨシュアの事も、すっかり忘れてしまったかのように気にしなくなった。

それから、テレジアもほんの少しだけ、メリーさんの言う事を聞くようになった。

相変わらず結果は付いてこなかったが、それでも以前よりはほんのりしおらしくなった。

あの小刀は、テレジアの部屋に飾ってある。見る度悲しくはなるが、それと同時にいくらかの勇気も貰えるのだ。

コーディン・ホテルは沈んだ。

だが、不夜城の夜明けは早かった。

その瞬間を虎視眈々と狙っていた者達に、すぐさま取って食われてしまったのだ。

現在、コーディン・ホテルのあった場所には、新たに別のホテルが建てられているらしい。

その座に就く誰かが、また次の権力を手に入れているのだろう。

名前こそ変わってしまっているが、その程度ではヘレルダイトの街に大事はない。

最初こそいくらか騒ぎになったものの、何日かの内に忘れられてしまった。

皆、過去より今や未来の方が、よっぽど大切らしい。



「あと十年はかかるわねぇ。」

「じゅっ……!?あれ、結構早いんじゃありませんこと?」

「お掃除一つに十年よ。全部出来るようになるまで何十年かかるのよ。」

「ですわぁ……。」



ふと。

視界の端に、黒い影が映った気がした。

誰にも気付かれないその影は芋虫のように這いずり、何かの隙間にするりと入り込んだ。

そして隙間の淵を黒い触手がじゅるりと舐め、それから、何事も無かったかのように静かになった。







終わり







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