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悪魔の産まれた日

第34話

~悪魔の産まれた日~




急速に成長するコーディン・ホテルは、正しく留まる処を知らぬ存在だった。

だが、盛者必衰も然り。その成長に水を差す者がいた。

躍進するコーディン・ホテルを叩き潰す為に送られた刺客。

外力による崩壊は難しいであろうと考案された作戦はこうだ。

内部に密偵を放ち、情報の奪取や攪乱を行う。

あわよくばコーディン・ホテルに取り入り、同盟関係を結ぶ。

その手段は問わず。暗殺、脅迫、情報操作、ハニートラップ。

コーディン・ホテルがそうしてきたように、ありとあらゆる手法を以て陥落せしめよ。

そこまで全部と、そこから察せられる数々の庶務が作戦内容だった。

そして、それらを実行するにあたって、一体誰が担当するのかという話になる。

数々の議論を重ね、吟味を重ね、洗脳を重ね。

一人の女に白羽の矢が立った。

その女はコーディン・ホテルへの献上品として、豪華な飾りつけをされて恭しく差し出された。

狂ったように使命に尽力する彼女は、コーディン・ホテルの裏の顔として狭く深く知られるようになる。

コーディン・ホテルの当主がその女を妻として擁立するまで、さほどの月日はかからなかった。





さて、それはこんな話だ。





触手と触手の応酬がコーディン・ホテルのエントランスを揺らしていた。

互いに貪り合う姿はさながら車輪のようで、ぐるりぐらりと回り回って重なり合って。

果てなく回る輪の上で、無数の白い矢が飛び交う。

白き矢はヨシュアの袂へと集まり狂い、黒い触手が懸命にその身を挺してヨシュアを庇っていた。

千切れ飛ぶ黒い触手の破片が床や壁に汚い染みを作っていく。



「ああ、ここまで。よくぞここまで。」

「うわ言を言い始めたぜ。」

「人の子よ。人の子よ。それでこそ相応しい。」

「ベル、続けなさい。」

「任せろ。」

「今日は、良い日だ。実に、良い日だ。」



不意に、コーディン・ホテルの地の底から蛇蝎のごとくに邪悪な気配が蘇ってきた。

急いで飛び退いたフィオナとベルの間を割るように、地面から巨大な触手が生え聳える。

豆の木でも植えたかのように、高く高く。天まで昇って、そして空が落ちて来る。

空のように見えたそれは、明るんだ空から来る光に燦々と輝く、巨大な氷の塊だった。

打ち砕く雷轟一閃。粉々に砕けた氷の破片が黒い触手の肌に水滴を付けていく。

天の光に照らされて七色に変化する氷飛沫。

その向こうに見えた人影は、マキナの雰囲気を纏っていた。



「フィイイイイオナアアアアア!!!」



地の底から湧いて出たような叫び声が轟々とコーディン・ホテルのエントランスに反響する。

声高に宣戦布告をしたマキナらしき者の姿は、最早生者の有り様ではなかった。

骨の顔、襤褸の服、眼窩は砕け、鼻はもう穴しかない。

肉も皮もない。人ではなく骨。骨の塊。足だって手だって末梢までは無く、片方ずつが途中までしかない。

声帯もなければ、ならば声などどこから出しているというのか。

骸骨お化けのマキナだった。

動いた拍子に肋骨から蛆が零れ落ちる。叫んだ拍子に足元から苔の破片が跳ねる。

無残無体の悲哀まみれ。悲しみだけがその身を包む。死の影を体現したかのような。



「あれは……マキナ……本物の、マキナなのですね……。」

「我が妻の最期の姿。照覧あれ。」



抜けだらけの歯が牙を剥き、黒ずんだ顎が限界まで開かれる。

肉や皮膚の枷を捨てた最大最悪の開口。

その中から吐いて出るのは、吹雪のようなブレスだった。

空気を凍らせ、水分を奪い、あらゆる熱を殺していく。

上空から圧殺するかのように広範囲にばら撒かれたそのブレスは、コーディン・ホテルをホワイトアウトさせた。

フィオナの触手も、ヨシュアの触手さえも、色付くものは全て氷の海に沈められようとしていた。

だが、その白く美しい雪原の中を、白く煌めく矢が縦横無尽に駆け巡る。

空に浮かぶマキナの淀んだ襤褸切れ目掛けて、白き矢じりは打ち抜き貫き突き通す。



「アアアアアアアアアァァァァァァ!!!」



幾十、幾百、幾千の。

白き矢が次々に骨の化け物に撃ち込まれる。

関節や孔を削り取り、突き刺さったままの白き矢は束のように。

最早、矢なのか骨なのか、判別がつかない程に混じり合ってしまっていて。

顎から脳天に突き抜けた白い矢がマキナの口を塞いで、氷のブレスを喉の中に閉じ込めていた。

それに十字を切るように。白き矢がマキナの身体を横に貫く。

骨々を砕き穿つ白矢によって、マキナの身体は中空に縫い付けられて磔になった。

空に浮かぶ要塞と化したマキナに向かって、手のひらを向けるフィオナ。



「マキナ。今、楽にしてあげますよ。」



フィオナの手の先から魔力波が勢い良く放たれると、その魔力波は真っ直ぐマキナの首から上を吹き飛ばし、マキナの頭を粉微塵に粉砕する。

糸が切れたように力を失ったマキナの半身が、磔になったまま床に向かって静かに落下を開始した。

天より落ちるマキナの墜落模様こそ。それはコーディン・ホテル最後のショー・パレードなのだ。

ガランと軽い音で硬着陸したマキナの残り身は、両肢をだらしなく投げ出してしまう。

両腕は断然白く濁っていて、骨なのか矢なのか見分けがつかない。

というより、上半身全てが歪みに歪んでおり、どこからが骨でどこからが矢なのか、恐らくマキナ本人にだって分からないだろう。



「お母様……。」



全身ずぶ雪のテレジアの、呟きにも似た独り言が聞こえたが、打ちのめされたマキナはピクリとも動かない。

ヨシュアもじっとマキナの姿を脳裏に焼き付けているようだったが。



「余所見してんじゃねぇぇぇぇっっ!!」



凍り付いた触手達の山を乗り越え、霜だらけのレオの剣がヨシュアの頭上に迫った。

上目遣いで切先を見上げたヨシュアだったが、避ける事も防ぐ事もなく、ただレオの動きをじっと見上げるだけで。

切り付けた霜の剣はヨシュアの正中線を捉えて、そしてヨシュアの身体に触れると同時に勢いを吸収されて止まってしまう。



「チイッ!!」



今度は横薙ぎに。

しかし、それもヨシュアの身体を傷つける事は叶わず、寸止めしたようにピタリと動きが止まる。

剣の腹で叩こうとしてみてもまた同じ事で、何度繰り返してみても、結果は全て同じだった。

レオがヨシュアと戯れている間。

フィオナは魔力を高めていた。

手の平に全てを充填し、それが手向け。餞。

さようなら、マキナ。

今度は言葉に出さず、それだけを祈った。



「さようなら、お母様……。」



代弁者はテレジアだった。



「解放。」



身を切り裂く程の魔力がフィオナの手から一斉に照射される。

壁程の厚みもある魔力波が、動かないマキナに雪崩かかった。

燃え盛る骨が塵となって魔力の中に溶けていく。

ピクリともしないまま、マキナはフィオナの魔力の中に消えていった。



「マキナよ……最後は人の子の手によって……。」



ぶつぶつと独語激しいヨシュアが、レオに滅多打ちにされながらも、無傷のままマキナの最期を見届ける。

フィオナの放った魔力波によって跡形も無く消し飛ばされたマキナは、もう誰の目にも映らなかった。



「お母様……安らかに……。」



祈りを捧げたテレジアの瞼の裏に、在りし日の母の姿が映っては消えた。

優しかったお母様。厳しかったお母様。美しきお母様。見るも無惨なお母様。

数々の思い出が走馬灯のようにテレジアの中に蘇って、そしてあぶくのように弾けていく。

その一方で、感心した様子で天を仰いだヨシュアの顔といえば。実に晴れ晴れとしていて、見開かれた両眼は見る者に不気味さを覚えさせる程に。

虚空を見つめるヨシュアは両の手を左右に大きく広げ、そして上に向けた手の平の中に魔力が宿る。

レオも一旦追撃を止めて、警戒模様で後退り。



「素晴らしい……我が願い、成就した。」

「……自分で手を下す勇気もない臆病者め。」

「その通り。臆病さこそが我が最大の宝である。今ここに、マキナは勇敢な人の子の手によって、正しき最期を迎えた。」

「なんだそりゃ。欺瞞だな。お前が納得できなかったから、やり直そうって腹かよ。」

「それもまた然り。だが、人でなしは人の子によって討たれるのが道理というもの。」

「人でなしが人でなしを討っただけだぜ。人の子というには、俺たちは人の理を外れ過ぎているように思うが。」

「何を言うかと思えば。片腹痛い。人の形を成した俗物が一端の異形気取りか。」

「……そうかい。お前にとっちゃ全部余興でしかないって事か。それならもう、何も言う事はない。」

「で、あれば、続きといこうか。」



ヨシュアの両手の魔力が黒く渦巻く。

見るからに邪悪な何かがその手から生まれようとしていた。

泡を噴いて盛り上がる黒い魔力は、列柱を並べて整列し、それを足掛かりにして巨体を構成する。

出来上がってみれば、その巨体は不気味な顔無しの巨人のような形を成し、天井まで届きそうな。

見上げる程に大きいその四肢は膨れ、ヨシュアごと包んで一つになると、背中から生えた巨大な頭部を重たげに持ち上げた。

緩慢にも見える動作に比べ、踏みしめる床の沈み具合が、その巨躯の破壊力を嫌でも予想させる。



「おい、ベル!何してる!あれを狙い撃て!」



ベルの方を振り返って見たレオの視界に、両の手を組んで静かに祈るテレジアの姿だけが見えて。



「おい!どうした!」



慌てて上下左右を見渡すレオの視界に、やはりベルの姿は見当たらない。

フィオナの目が、じっとレオを見つめ、視線を絡ませ合う二人。

ハッと気付いた時には、フィオナの首が縦に振られていた。



「マキナと共に、消えました。」



拳を握り締めて答えるフィオナ。

爪が手の平に食い込んで、痛々しい痕を赤く滲ませる。

暫時、ポカンと目を点にしていたレオだったが、すぐに現実を呑み込んで言葉を結んだ。



「……魔力を、使い果たしたのか。」

「よくやってくれました。あのマキナを討ったのですから。後でまた創って、それからうんと褒めてあげましょう。」

「って事は、二人きりであれを倒すのか。中々骨が折れるな。」

「ええ。いつも通り、サクッと終わらせたい所ですね。」



二人の視界の先には咆哮を上げる巨人の姿があり、部屋の隅でテレジアが耳を塞いで悲鳴を上げている様子も、音ではなく空気で感じられた。

ビリビリと震える空気が耳朶を打って。

黒い巨人は大股で一気に距離を詰めて来る。

はだかる赤い触手の群れを、花畑を蹴散らすようにぞんざいに踏み渡るその巨体。

大きく一歩踏みつける度に、地響きがコーディン・ホテルごと震わせる。

遥か見上げるその顔は、ヨシュアの面影が少しだけ残っているようにも見えたが、斜視のように別々の方向を向いた瞳と、白痴のように涎を振り撒く開きっぱなしの口が、巨体に残る理性の乏しさを感じさせた。



「もしもの時は俺を使え。」

「頼りに、していますよ。」

「長い付き合いだったな。」

「レオ、愛していますよ。」

「ああ、俺もだフィオナ。」



巨人が黒い手を振り上げる先で熱い抱擁を短く交わした二人だったが、すぐさま磁石のように反発し合い、巨人の叩き付けるような掌底を散り散りになって回避した。

勢い余って引っ叩かれた床が脆くも砂塵を舞い上げ、再びの巨人の咆哮とテレジアの悲鳴がコーディン・ホテルのエントランスを賑やかに脚色する。

いつの間にか巨体の股の下まで潜り込んでいたレオが振りかぶった剣で足を叩いてみるも、衝撃ばかりが自分へと返ってくるだけで、黒い向う脛には掠り傷すらもろくに付かない。

それどころか、巨体の震脚で踏み砕かれた床と一緒に宙に浮かされ、再度振り抜かた巨人の掌底に叩き飛ばされて、遥か向こうの壁にベチンと叩き付けられてしまった。

叩き付けられた衝撃で体の中外の様々な場所が破裂し、腹や背中に開いた穴から普段は体の中に仕舞われているものがはみ出してしまっているレオ。

即座に赤い触手が追い討ちをしようとする巨人の足止めに向かったが、あえなく掴まれ、縦に裂かれて巨人の大口の中へと放り込まれる。

むちゃむちゃと汚い咀嚼音を放って束の間の食餌を終えた巨人は、再びのしのしと大股でレオの元へと近付く。

中身が飛び出た腹を両手で押さえ、虫の息で虚ろに上を見上げるレオの目には、持ち上げられた巨人の足底がゆっくりと落ちて来る景色が、ハッキリと映っていた。

どちゅん。どしん。どしん。

数度踏みつけられた巨人の足の下には、粉々に砕かれてこま切れ肉のようになったレオの遺骸がひしゃげ伸びて。

まだ満足いかないとばかりに更に数度、どしん、どしんと。

レオを足の下に敷いたまま振り返って、にいと気色悪く口を歪める巨人の斜視は、天に向かって腕を伸ばすフィオナのすまし顔を眼下に認める。

追い縋る赤い触手を後ろ手に振り払った巨人は、遥か先の目下に待ち構える小さな少女を目掛けて。

唾と涎を存分に泡立たせ。

待ち構えるフィオナの手には例の黒い本。

巨人の放つ腐臭にも負けない強烈な瘴気が、フィオナの周囲の空間に汚泥のようにこびりつき始めた。







第35話 ~ そして時は動き出す ~ へ続く







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