角が立つ
第3話
~角が立つ~
欲しい。
あれが欲しい。
これが欲しい。
全てが欲しい。
目につくものならば。
形あるものならば。
全て。全て。
森羅万象が欲しい。
全知全能が欲しい。
何もかもが。
欲しい。欲しいのだ。
欲以上に無限なものがこの世にあるのか。
さて、それはこんな話だ。
朝。日が昇るそのほんの少し前だった。
メリー・メリー・メギストスの扉の前に3人が揃った。
ローブのフードを目深に被り、腰には安物の剣。
靴は鉄板を仕込んだ見た目よりも強固な靴。
目以外の顔を布で隠しきり、見るからに怪しい集まりだった。
傭兵というよりは、暗殺者のような。
見られては困るというような出で立ち。
「準備はいいですね。行きますよ。」
本当の所、有角人の暴動など起こってはいないのだ。
そういう理由を表向きに付けておいて、その実態は有角人の角を取ってきて欲しいという事なのだ。
周旋屋を通さず路傍の掲示板の端っこに申し訳程度に掲示されるという事はそういう事なのだ。
仮に正規ルートを通して暴動を鎮圧するのならば、規模にも依るが警察組織や軍隊が出る。暴動鎮圧なんていうオイシイ名目の仕事は傭兵なんぞに回って来ない。
傭兵が欲しいという事は、つまりは後ろめたいという事なのだ。
勿論、三人共それは理解している。
彼らには身分も家族も金も無いのだ。
生きるのにはとにかく金がいる。
生きる為には金を手に入れる必要がある。
例えそのための手段が血塗られたものだとしても。
「集まりが悪いですね。」
「……こんなもんじゃないか。喜び勇んで危険な密猟をやりたい奴なんかいないだろう。」
チラシに書かれた集合場所にはシケた顔の男やスレた顔の女が数えられる程にいた。
皆一様に顔を隠し、身体のどこかに武具を付けている。
陰気に黙るそれぞれが仄かに揺らめかせる負のオーラは正しくろくでなしのものだ。
ラベルもない酒瓶を片手で呷る者もいれば、極端に短い煙草を齧るように燻ぶらせる者もいる。
そんなならずものの集会の前に現れた恰幅の良い男。
所作は緩慢で余裕のようなものを感じさせるその男は蝶のような仮面を付けていた。
「御足労感謝する。用件は言うまでもないと思うので省略。場所はLの28番区。予定時刻は正午。期限は次の日の出まで。終わり次第ここに集合。日の出と共に私がもう一度ここに来る。そこで報酬を払おう。以上だ。」
一方的にまくしたてて、すぐさま降りてきた馬車に飛び乗る。
それと同時に、集まっていたならず者達も次々に消えて行った。
残っているのは、何が面白いのか喉の奥だけで笑う男と、そして地図を広げて指先でなぞる例の3人組だけだ。
「Lの28番区って言うと……ここから東の方か。ちょっと遠いな。」
「貧乏区ですね。」
「…………そうだね。」
「お前たちゃぁ、行かねぇのかい?えぇ?」
ククク、と笑う男が3人に声をかけてきた。
覆面の上からでもわかるニヤニヤとした表情はどこか気が触れているような迫力がある。
「ボヤボヤしてっとォ、お仲間に先を越されちゃうんじゃァないのかい?えぇ?今から向かったら着く頃にゃあ正午だ。違うかい?えぇ?」
「ああ。御忠告痛み入る。」
「ククク……そうかい。そうかい。余計なお世話だってかい?えぇ?」
フィオナとユッタは見るからに不愉快そうに男から顔を背けて、レオだけが男に相槌を打つ。
レオもレオで話しかけてくれるな、というのを語気に含めていたが、上機嫌な男の三味線は止まらなかった。
「知ってるかい?えぇ?28番区をさァ。あそこにいる角付きァ全員年老いたのだ。オイラが言うんだから違やねェ。年食った角付きったらば。わかるよなぁ?えぇ?」
「分かってるさ。だけど、こちらには勝算があるんでね。」
「ヒヒ……そうかい。そうかい。ま、仲良くやろうやァ。死ぬ時ァ一緒だぜ?えぇ?」
ふりふりと手の平をはためかせ、男はケラケラと笑いながら駆けて行った。
目的地と示された場所から考えると、男が去って行った先は明後日の方角なのだが。
レオもユッタもフィオナも、憮然として男の行く末を見守り、そしてすぐに忘れようと努めた。
だが、男が最後に残した忠告が少し気になった。
男の有角人は年齢と共に身体の衰えが著しくなるが、女の有角人は年齢が上がるに連れてその角に保有する魔力量がハネ上がるのだ。
老女の有角人はマズい。存在そのものが天災に相当するのだ。
先ほどの男の言い方だと男女どちらがいてもおかしくない言い方だったのだが、その鬱陶しい言い方が一番困るのだ。
老齢の有角人は男女で必要な準備に差が付き過ぎる。
3人はしばし作戦会議という名の沈黙を選んだが、もうどうでもいいやとばかりに歩き出した。
どちらにせよ、やる事は変わらないのだから。
「ユッタ、何時だ!?」
「今正午過ぎたよ。」
走りながら懐中時計を取り出すユッタ。
遅刻だ。
正午を過ぎたが、目的の場所に辿り着いてすらいなかった。
というより、探したけれど目的の場所がなかった。
「もう始まってる様子ですよ。」
大角の巨漢が建物だったであろう場所で暴れていた。
雨と風が視界と足場を奪っていた。
瓦礫が舞う。人体のパーツが舞う。
仮面をピンク色に汚した人の頭が胴体からいともたやすく引き剥がされて、風に吹かれて飛んでいく。
死体の山と瓦礫の山が盛り上がっていた。
男も女もない。皆一様に赤い水溜まりに漬かり、身体のどこかが揃って千切れている。
息のある者は大体瓦礫の下敷きになってもがいているが、それらが動かなくなるのもきっと時間の問題だろう。
その災禍の中心には背の高い有角人の男がいた。
額に長大な一本角を持った筋肉質の若い有角人の男は嵐も苦にせずに豪快な動きで死体を作っていく。
身体に切り傷や刺し傷が多量にある事から、相当な反撃があったであろう事が窺えたが、その所作には疲れらしきものがあまり感じられない。
その場には姿こそ見えないが、どこかに女の有角人も隠れているのだろう。
恐らく、若い男と中年ぐらいの女のコンビだ。
レオもユッタもフィオナも、全員心の中で舌打ちした。
かなりの被害が出てしまうかもしれない。そう思える光景だった。
いや、もう既に甚大な犠牲が出ているのだが。
「あのクソ野郎、嘘吐きやがったな。」
「嘘ではないんじゃない?ただ、アホだっただけで。」
「レオはあのデカブツの動きを何とか止めてください。そしたら後は私が何とかします。」
「オーライ。何秒。」
「10秒。」
「無理。」
「じゃあ5秒で。」
そこまで決まった所で、遅れてきた3人に気付いた有角人の男が、首無しの死体を放り投げて向かって来た。
構えもクソもない。直情的で直線的で、それでいて恐ろしく速い動き。
圧倒的な力を持っている。そう確信させる無駄の無い動き。
まるで追い風に乗るように飛び込んで来る。
「うおォイ!」
「かあっ!!」
バツンと音がして、レオが剣を抜いて男の拳を防いだことが分かった。
その時には既にフィオナは後ろに飛び下がっていた。
あとはレオに任せる、ということらしい。
レオが次の攻撃に備えようと剣を目の前に出すと、刀身が全て無くなっていた。
男の初撃を防いだはいいが、たった一撃で剣が砕けてしまったようだ。
先ほどの音は剣が砕けた音だったらしい。
安物とは言え金属だ。金属が砕ける音なんて、彼らは初めて聞いた。
雨さえなければ火花の一つもあったかもしれない。
「マジかよ!」
有角人の男は流れるように二撃、三撃と続けざまに拳を叩きつける。
「ぐぎゃっ、ぐっ。」
致命傷になりかねない場所への殴打だけは避けたが、かすっただけなのに皮膚を抉り取られるような痛みがレオを襲う。
勿論痛みに怯んでいる暇などない。既に次の攻撃がやってきているのだ。
とはいえ、降り付ける豪雨が男の拳をカムフラージュしていて、どちらに避けていいのかわからない。
運良くそれを躱せば、ビュンと風を切る音が耳の後ろから聞こえる。
男の身を切るような拳を、間一髪でかすり傷という名の重傷で済ませたレオは、砕けた剣の柄を男の顔へ投げ付ける。
目くらましと、あわよくば目に傷でも負ってくれれば重畳の一投。
しかし、その柄は風にさらわれてあらぬ方向へ飛んで行ってしまった。
失敗した。
その判断に要した一瞬の隙に。
男の拳がレオの左肩を吹き飛ばした。
「ごふっ。」
道中にあった服や骨や筋肉などおかまいなしに、穴が空いたように肩がブチ切れた。
その反動で捩じられた身体から剥がれたローブが障害となって、男の次の攻撃をなんとか逸らしてくれた。
「勝負あったな。」
有角人の男は掴んだ肩口を投げ捨てる。
地面にバウンドしたレオの左腕が二、三度跳ねて止まった。
レオは肩口を抑えてうずくまり、されど次の攻撃は受け流せるようにと最低限の態勢だけは整えていた。
「へっ。こちとら、心臓と引き換えでも惜しくはないんだぜ。」
「やめておけ。死ぬだけだ。」
「っせえな!俺は死なねぇんだよ!」
レオがやけっぱちで無謀な突撃を仕掛けようとしたその時。
「んっ……!?」
男の巨頭がぐらりと揺らぐ。
「ヒヒッ。まずは挨拶代わりに一発ってとこだァな。えぇ?」
雨雲の間を掻き分け、空から覆面の男が降って来た。
手には斧。しっかりと刃が欠けている。
脳天を割ったはずが、その頭皮の一欠けらすら削ることができなかった。
「あーあ。やんなるねェ。大枚叩いて買ったァ自慢の武器が一発でパァ、だ。」
「また増えたか。流石にこれで最後か?」
「そうそう。オイラが遅れてきた切り札ってェワケ。」
そう言うが早いか、欠けた斧を振りかぶって投げつける。
有角の男が避けるでもなく手刀で受け止め、斧の方が木っ端微塵になったのを見て、覆面の男も絶句したようだ。
どう贔屓目に見ても、そこらの人間が勝てる相手には見えない。
「なんだい、なんだい、こりゃあ。どうなってる。えぇ?」
「多分女がいる。そいつが何かしてんだろ。」
「えぇ?オイ。こんなんやってられるかよォ。オイラァ、逃げるぜ。」
「ざけんな。今来た所だろうが。」
レオと覆面が仲良く口喧嘩している隙を突き、有角人の男が踏み込んで来た。
「りゃぁ、っとォ!……っとぉい!」
覆面の男が高く跳躍し、益荒男な一本角を飛び越え、角の反対側にある後頭部目掛けて足刀をぶつける。
攻撃を当てたはいいが、その一本角は天を衝いたままで萎える様子を見せない。
半面、着地すら満足にできずに地を転げる覆面の男の様子から窺えるのは、その足が機能不全になったという絶望的な事実だった。
「いやぁ、こりゃ駄目だ。あぁそうだ、死ぬときゃ一緒、だろォ?えぇ?」
しかし、レオの方はレオの方で男の踏み込んだ手刀を後ろに下がってやり過ごしたと思ったら、後ろからの強風で押し戻されて、腹の皮が何枚か切れている状況だ。
「くっ……。」
「おいおい、勝算とやらァどうしたオイ。えぇ?」
レオを煽る覆面を無視した有角の男は、現状はまだギリギリ動けるレオの方に狙いを絞ったようだった。
最早、覆面の男の方は再起不能と判断したのだろう。事実、片足だけでこの強風と瓦礫の中を進もうと思ったら、匍匐前進でも無ければまともに動けまい。
次の一撃がレオへの最後の一打になる事は誰もが予想できた。
何せ、既に虫の息なのだ。途中駆けつけた救援も無惨に散った。
後ろの方にいるフィオナは様子を窺うだけで、何かを仕掛けてすら来ない。
有角の男はフィオナが全く動かない事に不気味さを感じてはいたが、目の前の搾りカス共を先に始末する方が優先されるべき事だと考えていた。
フィオナは恐らく魔導士だろうが、魔力の動きが皆無であったからだ。
こちらがこれだけ暴れているのに魔導士の支援が一つも無いという事は、支援ができるタイプではないか、或いは既に見捨てていて逃げる算段か命乞いの台詞でも考えているのだろうと結論付けた。
その角が雨の雫を地面に零したのを合図に、濡れる大地を蹴った。
「づあぁっ……!?」
万事何事もなく。有角の男のつま先は、予定調和にレオの右足を折り曲げた。
見切る事すらできない程に早い蹴りだった。
来ると分かっていても防御を許さないその速度たるや。
折れたのを確認した有角の男は、コンマ1秒、コンマ1秒だけ油断した。
砕け折れたレオの足から血がほんのわずかにも出ていない事に気を取られたのだ。
瞬間、男の動きの間を縫うように強い風が吹いた。
あまりに強い風だったため、レオも有角の男も態勢を崩し、男はつんのめるように。レオは崩れ落ちるように。
つんのめった有角の男は、さらに雨で足を取られて。
一瞬の隙だった。
くず折れたレオの頭が力なく地面に吸い込まれていく。
その一瞬が隙だった。
その一瞬は、レオの一撃がまともに当たるだけの隙を作った。
偶然とすら言える程の精度で、男の腹部にレオの頭頂が突き刺さる。
全体重が乗った渾身の一撃。
当たった場所は人体の急所。身体の中心線に沿う、その場所。水月。
咳を吐き出すように男の口から空気が漏れた。
「かはっ……!」
有角の男の目が白く剥かれ、呼吸が止まった。
気を失ったように横たわるレオを放置する程、呼吸の回復に時間を要した。
有角の男は膝を地に付け、腹部を守るように手を折って動きを止める。
そして、有角の男の動きが止まってから、5秒が過ぎた。過ぎてしまった。
おぞましく黒い邪悪な何かが視界の端に映った気がした。
映った事に気が付いた時には既に遅かった。
視界が黒く染まった。
あれだけ煩かった風も、あれだけ打ち付けていた雨も、何も感じない。
全てが黒く濁っている。
次に、手足の自由がない事に気が付く。
手も足も黒い何かに掴まれて寸分動かす事すら叶わない。
まるで泥中をもがくように。
せめてジタバタしようと試みるも何も起こらず、ただ視界と意識が黒く侵されていくだけで。
どうしたらいいものかと途方に暮れた時だった。
突然、激痛が襲って来た。
体中の穴という穴に黒いモヤが殺到し、男の体内へと侵入してきたのだ。
皮膚が無理矢理押し広げられていく鈍い痛み。
穴という穴が張り裂けていく鋭い痛み。
内臓がぐちゃぐちゃに破砕されていく激しい痛み。
ないまぜになった悪夢のような痛みが全て同時にやってくる。
全身に杭でも打ち付けられたかのような閉塞感。
腹の中に虫でも飼われたような不快感。
得体のしれない何かが自身を侵していくような不安感。
のたうち回って痛みを軽減する事すら能わない。
手も、足も、自分の力では指先すら満足に動かせないほどに黒い何かに強く握りつぶされている。
いや、手や足だけではない。全身が巨大なローラーか何かで平らに均されていくような異様な圧迫感がある。
最早、何が起こっているのかも分からない。それなのに何もできないぐらいに痛い。
痛い。痛い。痛い。
苦しい。苦しい。苦しい。
趣味の悪い事に、気を失う事すら許してくれない。
苦痛が気つけとなって、消えゆく視界を強引に黒く染め潰す。
死なない程度に殺されていく。
全ての感情が痛みと恐怖に汚染されていく。
拷問のようなそれは、全てを黒く塗りつぶした時にようやく終わった。
拳大の黒い塊に成り果てた、つい十数秒前までは有角の男だったものだけがその場に残っていた。
存在の全てを黒く否定し、最初からそこには何もなかったと毅然と主張するかのように。
「あっ、角残ってないじゃん!」
いつの間にか姿が見えなくなっていたユッタが瓦礫の影から飛び出して来て、開口一番文句を付けた。
「まさか。抜かりはありませんよ。」
「なんだ、良かった。」
フィオナの手には、主人を亡くして失望のまま鈍く輝く一本角が握られていた。
フィオナはそれをユッタに渡し、ユッタは懐へと仕舞い込む。
「こっちの方は失敗ですね。まさか形も残らないとは。」
フィオナが悪びれもせずに黒い塊を拾い上げて、少し観察してから後ろに向かって放り投げる。
塊は強風に巻き上げられて天へと昇って行き、すぐに行方がわからなくなった。
「こりゃあ、たまげた。今日は驚いてばかりだァ。一体全体、どうなってるってェんだ。えぇ?」
覆面の男が這う這うの体で声を絞り出す。
しかし、ユッタもフィオナもそちらを一瞥すらしない。
レオは倒れたまま、起き上がる気配すらない。
「ユッタ。もう一人の方は見つかりましたか?」
「駄目だね。でも、片割れを失ったら気付いて出てくるんじゃないかな。」
「おいおい無視かよォ。そうかいそうかい。一人で歩いて帰れってかい。」
レオも覆面の男も完全に放置で二人は暴風雨の中で背を合わせている。
どこから何が出て来ても、すぐにどちらかが声を出せるようにだ。
「出てきたら、せーの、だからね。」
「それはレオ次第ですねぇ。」
風が徐々に弱まって来た。
雨も小降りになって来た。
その代わりに、黒雲が一つだけ空に漂い始めた。
第4話 ~黒き雷に捧ぐ~ へ続く