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遍き愛を

第20話

~遍き愛を~




じゃあなにか。

私がおかしいのか。

私が間違っているのか。

この思いが。この気持ちが。

間違っているというのか。

お前達の勝手な考えだけで。

お前達が基準の価値観だけで。

私の心を踏みにじるのか。

畜生。畜生。畜生。

人の心を亡くした鬼共め。

多様性を認めない差別主義者共め。

ならば、お前達をも愛してやろう。

お前達をも愛せるようにしてやろう。

今に見ろ。

今に見ていろ。

私は全てを愛してやる。





さて、それはこんな話だ。





メリー・メリー・メギストスのダイニングで、シャルロット先輩が正座をさせられていた。

その膝の上には重りが乗せられ、逃れる事などできない状況に追い詰められている。

更に目の前に仁王立ちしているユッタ、ベル、フィオナの怖い顔が無言のままに圧力をかけていた。

別にそんな事をせずとも、既に虫の息に近いシャルロット先輩など、どうやっても逃れようはずもないのだが。

最早単純に責め苦を与えるのが目的になってしまっているのだろう。

それらの非人道的行為に加え、荒く深い呼吸を繰り返すシャルロット先輩の背中を、テレジアが時折棒のようなもので小突いていた。

肉体にも精神にも、両方に対して等しく暴行を加え、とにかく彼女を痛めつけてやろうという気概が感じられる。



「話す気になりましたか?」



フィオナが腕組みのまま尋問を再開する。

既に呼吸以外をする気が無さそうなシャルロット先輩の背中を、テレジアが思い出したように棒の先で小突き、衝撃を加えられた背中が痛みでビクンと跳ねた。



「ですわぁーー!!」

「ひぎぃ!」



一際甲高い声が上がる。

静止を促す者は、いない。

それでも悲鳴しか漏れず、言葉らしい言葉もシャルロット先輩の口からは出てこない。

痺れを切らしたらしいフィオナは、足音を立てながら罪人のような格好のシャルロット先輩に近づいたかと思うと、床に落ちている魔石を手に取ってしげしげと眺め始めた。



「これは魔石。そうですね?」



フィオナ嬢の言葉それ自体は優しく尋ねるようだが、語気は強い。



「どこで手に入れた?」



刺すような視線。傲岸な態度。鞭打つような迫力。

精神を抉るような恐ろしい魔力も肌に感じる。

シャルロット先輩はなけなしの力を振り絞ってどうにか目を逸らそうとしたが、フィオナの手に顎を捕らえられて、あえなくフィオナの両眼を覗き込む羽目になってしまう。



「言え。」



フィオナ嬢の目が妖しく瞬く。

それを目にした途端、シャルロット先輩は蛇に睨まれた蛙のように縮こまってしまった。

見てはいけないものを見てしまったような。

恐怖。畏怖。途轍もない不安がシャルロット先輩の心を蝕んだ。

戦慄する事しかできない。

何か冒涜的で背徳的な存在がフィオナの瞳の向こう側に蠢いていたように思えた。

言葉で表現する事すら混迷を極める脅威が。逆らってはいけないとすら思えるひどく恐ろしい悪質な威迫が。フィオナに与する邪悪な影が。

シャルロット先輩の脳裏を掠めるようにチラついて、おぼろげな不安の種を深く植え付けてしまう。



「い、言う……言います……。」

「よろしい。」



シャルロット先輩が圧倒的な力の前に屈すると、フィオナの両目から邪悪な気配が消えた。

だが、依然として威圧的態度は崩れていない。

シャルロット先輩が話し終えても、きっとその態度は変わる事がないだろう。

フィオナの手中に収まる魔石は主を亡くしたまま、鈍く暗い魔力を残して不安げに佇んでいる。



「ヘレルダイトと言えば。そう尋ねれば、もう見当は付きますか?」

「…………。」

「ヘレルダイトの名所。象徴。代表。言葉は数あれど。」

「やはり……。」

「ええ。コーディン・ホテル。ご存じでしょう?」



シャルロット先輩の表情は死んでいた。

無表情にも、無感情にも、仮面を被ったようにも見えるその表情は一切の合理性を廃して、ただ事実を伝える為だけに表情筋を動かしていた。

フィオナは苦虫を噛み砕いて飲み込んだような顔で手指に力を込めた。

ピキキ、とヒビが割れる音がして、それから小さな魔石はさらに小さく細かく砕かれてしまう。

飛び散った破片と魔力がみるみる間に赤い触手に捕食され、跡形もなく消化されて塵ほども残らなかった。



「ヨシュア……。」



フィオナが怒りを額に滲ませる。

怒りを込めて咲かせたのは笑顔だった。獰猛で残忍な薄ら笑い。

ヘレルダイト最大の美点であり、ヘレルダイト最大の暗部でもある。それは。

コーディン・ホテル。

その実態はヘレルダイトの秩序を乱す悪の居城だったらしい。

魔石をバラ撒いて何をするつもりなのか。

その場に居る者の中で、その理由にピンと来ていたのはフィオナだけだった。



「どういうことですの?話が読めませんわ。」



勿論、その身内だったハズのテレジアも事態の展望を掌握できずにいた。

横ではベルがその発言に頷き、頭の上に?マークを浮かべてフィオナの方を見ている。

怒りで頭をフットーさせているフィオナの代わりに、シャルロット先輩が答えた。



「コーディン・ホテルは言うなれば密売人です。魔石を切り売りして、富を得ているのでしょう。」

「お父様が……そんな事……。」

「金の亡者ですからね。あそこの奴らは。それか、もっとよこしまな考えがあっての事か。」

「買った奴がよく喋る。」

「いやいや、私は仕事中に見つけて回収しただけですよ。偶然です。偶然。偶々。」

「悪いけど、信用できない。まずは僕を元に戻してから同じ事を言って欲しいね。」

「何故ですか?その体なら好きな人に愛して貰えるんですよ?」

「ちょっと意味がわからない。いいから戻して。」

「戻したらそのまま火傷で死ぬでしょうね。別の時間軸にズラした体なんですから。」

「…………。」

「良いじゃないですか。愛されボディ。私だってこんな状況じゃなかったらあなたの身体にむしゃぶりついてますよ。」



ユッタは絶望したような顔で黙ってしまった。

それを見たテレジアが、仇でも取るかのように手にした棒の先端でシャルロット先輩の背中を激しく突いた。



「ですわぁーー!!」

「あひぃ!」



悲痛な声が木霊する。

静止を促す者は、やはりいない。

そうこうしている内に、レオがメリー・メリー・メギストスの入口から顔を出した。

その上半身は何事も無かったかのように健康体だ。

メリー・メリー・メギストスの扉上部に佇む鈴がチャリンと安堵の溜息を吐く。



「メリーさんはこのまま買い物してくるそうだ。夕方頃に帰るとさ。」



避難させていたメリーさんを誘導していたのだ。

戦闘能力が無さそうなメリーさん(若い)を危険に晒すわけにはいかない。

メリーさんが死ぬという事はすなわち自分たちが路頭に迷うという事。

それを良く理解している面々は、メリーさんの身の安全を保証するのが至上命題だと感じているのだ。



「ですわぁーー!!」

「ぴぎゃあ!」



つんざくような喚声。

テレジアが手にした棒がシャルロット先輩の背中を突然叩いた。

理由はわからない。

恐らくは物の弾みで叩いてしまったのだろう。

しきりに小首を傾げるテレジアの困惑顔が、理由なき暴力の理不尽さを物語っていた。



「で、どうなったんだ。話はついたのか。」

「どうもこうもないよ。」

「魔石の出処はわかりました。」

「それで充分じゃないか。」

「そうですよ!こんな惨い仕打ちを受ける謂れは無いんですよ!」

「あるよ。」

「何でこいつはこんなに元気なんだ。」

「恐らくは巻き戻していますね。」

「例のあれか。すごい魔法なんだろ。」

「ええ。本来なら扱える時点で排除対象にされるのは免れないのですが。」

「ですわぁーー!!」

「んほぉ!」

「……放っておいても大丈夫でしょう。と、言うよりも。」

「優先順位が低い、か。」

「ええ。それより先に解決しなければいけない事があります。」



フィオナは窓の外に遥か聳えるコーディン・ホテルの外壁に焦点を合わせると、忌々しげに口を一文字に結んだ。

コーディンホテルは飄々と。風の運ぶ砂埃を足元に。

舞い散る昼過ぎの太陽光。それはまるでコーディン・ホテルのスポットライト。

コーディン・ホテルは眠らない。

眠らず踊り続ける壊れた遊具。

ヘレルダイトの権化にして傘下のその不夜城は、今日もご機嫌麗しく不断の照明を焚き続ける。



「結局ユッタはどうなったんだ。」



不意に、レオが何気も無く聞いた。

ユッタを見れば、その顔は暗くも見えるし、どこか期待するような影も見え隠れする。

複雑な感情を押し込めたような、何とも言えない表情。



「レオ……。」



ユッタの塗れた瞳がレオを射貫いた。

艶めく唇が新たな言葉を発する度に錆びた呼気が吐き出される。

乾いた涙がユッタの両目から零れたような気がした。



「僕は……。」

「ユッタは反転させられました。時間軸を反転させられ、もう一つの可能性だったはずのユッタとして……。」

「つまり、どういう事なんだ。」

「僕は、子供を産める体になってしまったみたいだ……。」

「そうかい。そりゃ良かったな。」

「何だよそれ……!そう思うんなら、レオにも手伝ってもらおうか……!」



ユッタは縋るようにレオに迫ろうとしたが、横から飛んできたベルに妨げられてしまった。

ユッタを組み伏し、馬乗りになって。絶対優位のマウントポジション。

ベルはユッタに組みつき、駄々をこねるように騒ぎ始める。



「ユッタ!大丈夫!私がついてる!」

「ちょっ、ちょっ、ちょっ。危ない。危ないから。」

「私が!他でもない!私が!」

「分かった、分かったから。」

「私があああ!!私があああ!!」

「ちょちょちょちょ、ストップ!ストップ!」



ユッタに同情でもしたのだろうか。それとも別の理由でもあるのだろうか。

ベルは、レオから引き離すようにユッタをずるずると奥へ引き摺って行く。

ユッタはまるで無抵抗のまま連れていかれてしまう。手だけはレオの方に向いていたが、それだけだった。

その一連の流れを見ていたフィオナが鼻だけで笑って見せた。

訝しげにフィオナを見たレオの眉と、表情に朗らかさを取り戻したフィオナの眉が、それぞれ反対方向に動く。



「で、どうする。乗り込むのか?」

「流石に準備が必要ですね。一度、下見にでも行きましょうか。」

「お。お嬢直々にか。いいねぇ。お供しますぜ。」

「頼りにしてますよ。」



フィオナとレオの話が纏まり、いざ鎌倉とばかりに二人はメリー・メリー・メギストスの二階へ上がろうとする。

しかし、それに待ったをかける者がいた。



「待って待って!行く前に私を解放して下さい!かんっきんっはじゅうっだいっないほーこーいですよ!」

「ですわぁーー!!」

「モルサァ!」



テレジアにしこたま打ち据えられたシャルロット先輩が涙の懇願をしてきた。

別にそのままテレジアに任せて定時の鐘代わりに使ってやっても良かったのだが。

フィオナに顎で指示されたレオがシャルロット先輩の上から重りを残らずどけてやる。

途端にシャルロット先輩の顔が輝き、勢い良く立ち上がると、全てが許されたとばかりに調子こきだした。



「いやーやっぱり優しい!いやいやいや!お優しい!おっ、おやさっ、人質解放宣言!」

「ですわぁ?」

「あっ、やめろよ!棒はもう片付けろよ!そんなの持ったままじゃ怖くて会話もできないだろ!」

「ですわぁ……。」

「そうそう。それでいいんだ。それで。いやぁシャバの空気は美味い!ちょっと背中がジンジンして腫れるどころか出血までしてるせいで極上の痛みだしちょっと意識も朦朧としてるけど!ちょっと視界も霞んでるけど!倦怠感もあるけど!」

「何だ。元気そうだな。」



レオはどけた重りをメリー・メリー・メギストスの端に寄せ、再びシャルロット先輩に近づく。

そして。



「ふんっ。」



無防備だったシャルロット先輩に腹パンをして差し上げた。



「おぶっ……。」



めり込んだグーパンがシャルロット先輩の体内から空気を全部吐き出させた。

内臓を外から破裂させられたかのような。強烈な拳を腹部に受け、その場にくずおれるシャルロット先輩。

顔中を脂汗でテカテカとさせ、閉じなくなった口からは涎をボトボトと垂れ流し続ける。

胃の中の物が出て来ないだけマシだろう。

いや、胃の中の物はもう既に出きってしまった後なのかもしれないが。

腹を手で抱えてうずくまるシャルロット先輩が黙っていられずに鳴き声を発した。



「どっ……どぼぢで……。」

「そのままで帰すわけないだろうが。これぐらいは迷惑被った側の権利だ。」

「やめ、やめちぇ……。」

「ま、今日はこれぐらいで勘弁してやるよ。だが、次は無いぞ。」

「うぅ、うぐぅ~……甘い……甘いですね……あまあまさんですね……。」

「あぁん?さっさと失せろ。目障りだ。」

「今に見てろよぉ~……お前も美少女にしてやるからなぁ~……。」



腹部を押さえながらほうほうの体で去って行くシャルロット先輩の後ろ姿を、チリンと小さく鳴った鈴が呆れたように見送った。







第21話 ~ 不夜城を臨めば ~ へ続く







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