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詫び石

第18話

~詫び石~




その男は死んでいた。

死んでいるようにしか見えなかった。

その男の体には無数の矢が深々と突き刺さり、頭もどこからが首でどこからが顔なのかわからない程に擦り切れていた。

正体を知る前にミートパティだと言われていたら、きっとそれを鵜呑みにして信じていただろう。

それを見れば、辛うじて生きているという事がいかに残酷かという事がよく分かった。

人はここまで損傷しても死なないものなのかと思った。

人体の神秘と言ってしまえば聞こえはいいのかもしれないが、泥と血を混ぜて作ったようなそのボロ雑巾は、到底人であるようには見えなかった。

周囲を見れば、それは普遍的かつ当たり前の事であるというのがすぐに理解できた。

彼だけが特別かわいそうなのではない。ただ、その男が特別なのはそうなってまでも生きているかもしれない、ということ。

仮に何もしなくても、一分と待たずに、すぐにでも、その男は死んでいただろう。

きっとその一分の猶予を与えられた事こそが、その男の最大の不幸だったに違いない。

その時が初めてだった。憐憫の情を理由に人を殺したのは。

男は抵抗も反撃も無く、嗚咽も慟哭も無く、命乞いも断末魔も無く。ただ死んでいった。





さて、それはこんな話だ。





明るい陽の下。メリー・メリー・メギストスの扉が開かれるなり、土下座をした格好の少女が佇んでいた。

誰も何も言わない内から、呆気にとられている内から、床に額を擦りつけて靴を舐めるような態度でその少女は聞き取りが難しい言葉を叫んでいた。

メリー・メリー・メギストスの扉に備え付けられた鈴が戸惑い気味にリリンと震えている。

シャルロット先輩だ。

一度は何処かへ連れ去られて行った彼女が、何を血迷ったのかメリー・メリー・メギストスの門戸を叩いたのだ。

誰にこの場所を聞いて来たのやら。いや、何故メリー・メリー・メギストスが本拠地だと悟られたのか。いやいや、そもそもどうやって逃げ出してきたのか。

三つ指をついたままに固まっているシャルロット先輩には聞きたい事が山ほどあったが、それより前にまずやるべき事があった。



「誰?」



彼女の事を知らない人に、シャルロット先輩がどのような人物なのかを説明する必要があったのだ。

お客様ではないこと。敵性が認められる危険な人物であること。前科者であること。あとついでに商人ギルド員であることなどを、かいつまみはしたがどうにか情報共有する事ができた。



「シャーシェンシタァッ!!マッコトモーシャシェンシタァッ!!」

「何て言ってるのコレ?」

「わかんない。」

「まぁいいわ。お風呂掃除してくるから、終わったら呼んで頂戴。」

「任せろ。」

「シェンシェンシャラァ!!ワッシャッシャワラーシャタァッ!!」



声だけは大きいその少女の剣幕はあまりに真剣味を帯びておらず、聞けば聞くほど大げさに首を傾げるハメになってしまう。

事実、メリー・メリー・メギストスのお歴々も彼女の存在自体を疑わずにはいられないようだった。

その後にそれなりの悶着もあったのだが、口を開く度に同じような文言しか発さないその無礼で失礼な態度に皆困惑し、遂には呆れて閉口せざるを得ない。

ただただ空虚に滑っていく身の無い謝罪の言葉は誰の耳にも心にも響かず、吹けば飛ぶような薄っぺらい印象だけを与え来る。



「モーシャシャンシャァッ!!ユッシチェシャッシャァッ!!」

「さっきから何喋ってっかわかんねーんだよ!」

「もういいでしょう。これ以上は時間の無駄です。ユッタ。入口を開けておきなさい。」

「ん。」



周囲の魔力の流れが変わった。そして、前に出されたフィオナの手の平が青白い光を放ち始める。

物理的にお帰り願おうかとフィオナ嬢が得意の殺人魔法の為の魔力収束を始めだした時、シャルロット先輩の懐から小さな石ころがまろび出て来た。

その石は一見ただの小石なのだが、フィオナ嬢の興味を惹くだけの価値が秘められていた。

人差し指を目の前の少女の方に向けるフィオナ。それと同時に高まりつつあった魔力の砲台は哀れ虚空の彼方へと鳴りを潜める。



「その石。」

「ハッ、ハヒィ!コッ、コレは石でしてコレェッ!」



逆巻く空気の奔流に死の予感すらを感じていたシャルロット先輩は、乾いた口でなんとか声を絞り出した。

冷や汗と脂汗の集合体がシャルロット先輩の全身から滝のように吹き出し、顔面をテッカテカにコーティングしている。

三途の川を垣間見たシャルロット先輩の口調はなんとか人間の言葉に戻っていて、傍で見ていたテレジアも在りし日の恐怖を思い出して震えていた。

小刻みに振動する顔面テッカテカな変態少女など置いておいて、皆の視線は小石へと移る。

何のことはない鉄分の塊に見えるそれは、フィオナの魔力に呼応してオーロラのように自身の色を移ろわせ始めた。



「まずい。それをこっちに渡しなさい。」

「なんっ、だっ、コレ、コレ、なんっ……。」

「お前のような者が持っていて良いものではありません。さぁ早く。」

「あげ、あげましゅうぅ!こんなの良けりぇばいくらぢぇもあげましゅぅのじぇぇっ!!」



覚束無い手で小石を拾い上げたものの、足がもつれた拍子に小石を上空に投げやってしまうシャルロット先輩。

フィオナの背後から伸びた赤い触手がそれを優しく受け止めて恭しく地に降ろしたものの、色めきだったその石は歓喜に打ち震えるようにカタカタと床の上でタップダンスを踊った。



「馬鹿め……総員、戦闘準備。中にいるのが出てきますよ。」



フィオナがそう言うや否や。小石は卵のように二つにパカッと開いて、青白い煙をモクモクと燻らせたかと思うと、その殻の中から小さな異物を産み出した。

地に足を付ける事を嫌ったその異物は、ハエのように陽気に辺りを飛び回り始める。

呆気に取られている面々の目玉程の大きさの何かが、ブンブンブリブリと音を立てて軽快な空中遊泳を楽しんでいた。

ベルの目が輝く。



「なんだこれ。初めて見た。」

「見た目は小さくても歴とした魔族です。油断していると……。」



コバエの背からチカッとした光が排出された瞬間、レオの上体が消し飛んだ。



「こうなります。」



消え去ったレオの上半身の向こうにはメリーさんのいる風呂場があった。

赤い触手の膜に覆われた扉の奥から微かに鼻歌のようなものが聞こえて来る。メリーさんは無事なようだ。



「小娘。メリーさんを連れて外へ。」

「ワ、ワタクシですの!?」

「緊急事態です。とっとと動け。それとも今ここでレオのようになりますか?」



レオの下半身が床にドッと倒れ伏した。上側を失った腰の辺りに熱に溶かされたような跡があった。

熱光線のようなものにやられたのだろうか。爛れた断面が焼けてないステーキのように赤みを残している。

顔を青白くしたテレジアが一目散に駆け出し、慌てて風呂場に逃げ込むとすぐにどんちゃん騒ぎを始めた。

反応の遅れたユッタが果てしなく飛び回る飛翔体を目で追ってみたが、コバエの方は気ままに同じ所ばかりをブンブンと周遊するだけだ。



「次、来ますよ。」

「わかってるんならどうにかならないの!?」

「被害を抑えるだけで精一杯でした。防御はこちらでするので、アレの対処をお願いします。」

「任せろ。」



ベルの手の平から枝葉のようにしなる雷光が迸った。

電光石火の早業に弾け飛んだ大気がビリリと電子音を残して蒸発する。

その攻撃はコバエのすぐ傍までは到達したが、間一髪でコバエの方が素早く飛び退いて直撃しなかった。

華麗に逃げおおせたコバエは、煽るようにブンブンブリブリ空中に8の字を描いて楽しげに暴れまわる。

ベルは暫時感心の情を見せ、それからキッと口を真横に結んで連射の構え。

シャルロット先輩は頭を抱えて床に這いつくばり、命乞いなのかどうなのか、聞き取りが難しい呪文を延々垂れ流し続けている。



「その調子。回避行動を取らせ続けなさい。攻撃させる隙を与えるな。」

「任せろ。」



二撃、三撃、四撃と、ベルから放たれた電気の塊が最短距離をうねりながらコバエに襲い掛かる。

だが、それは全てコバエの羽すら掠める事はできずに大気の中へと消えていく。

ベルの眉が吊り上がった。



「全然当たらない。」

「良いから。とにかく時間を稼ぎなさい。」

「でも。」

「でもじゃない。」



ベルとフィオナの口論を遮るようにユッタの影がコバエに迫ったが、やはりこれもヒラリと華麗に避けられてしまう。

いくらなんでも的が小さすぎるのだ。

ヒラリヒラリと舞い遊ぶように羽を翻らせるコバエ。その度に鳴り響く不穏で奇怪な羽音は、まるで小馬鹿にされているような印象を覚えさせる。

壁に反射したユッタの軌道がもう一度鋭角にコバエを追い詰めるものの、寸での所でやはりフラリハラリと明後日の方向に逃げられてしまって。

スカを食い続けるユッタの通り道のその横をベルの雷線がバチバチと駆け抜ける。

その余波はユッタの黒いマントをユッタの白い肌に静電気でもって接着させるだけの力があった。

それでも尚、コバエに向けられた殺意は掠り傷をも与えられない。



「緊急事態なんですわぁーー!!急いで下さいまし!!」

「わかった、わかったから!ちょっと!強く引っ張らないで頂戴!」



薄く聳え立つ赤い壁の後ろからメリーさん(若い)とテレジアの押し問答が聞こえて来る。

その喧騒は廊下を渡り、メリー・メリー・メギストスの裏口へと騒々しく消えていく。

避難完了。

フィオナが合図を送ると、赤い触手は即座に瓦解し、地を這い、蠢き犇めいて、コバエの元へと殺到する。

数える事すら骨が折れるような大量の触手がコバエの逃げ道を片っ端から潰し、壁のようになって徐々にコバエを潰しにかかった。

フィオナにかかれば事も無かったのだ、と周囲の面々は安堵の溜息を吐いたが、コバエはそれを嘲笑うかのように愉快で不快な羽ばたき音と一緒に、フィオナの触手の隙間をくぐり抜けて来た。

忌々しげな表情のフィオナの舌がチッと短く鳴る。

それに呼応するかのように細い触手が次から次へと上から下からコバエに飛び掛かかる。

赤黒いその触手の大群はまるで針のむしろだった。

無限に湧き出ては棘のように尖った先端が、順番もなく無造作に無慈悲に無秩序に。

虫を捕食する食虫植物さながらの機械的で生物的な動作は、コバエの羽や胴体を掠め、だがしかし致命には至らず、コバエの蠱惑的な空中機動に翻弄されて、むしろ自分達同士で衝突し合っている。

触手の大群の隙間に捻じ込まれる電光の合いの手も振り切り、コバエは増長した曲芸飛行を繰り返した。

赤い触手と青い稲妻の追撃をバレルロールで華麗に回避し、フラフラと踊るように足場の無い空間を跳ね回る。

触手と雷線が一瞬休止すれば、その瞬間にユッタの黒い動線がコバエを正確に狙って突っ込んで来る。

僅かに揺れたコバエの羽のほんの一部を切り取ったユッタの刃が、風を切ってヒュンと高い音を残して通り過ぎていった。



「追い詰めています!続けなさい!」

「合点!」

「任せろ!」



フィオナの指令が飛ぶ。

三方から息も吐かせない一気呵成の攻撃が仕掛けられ、コバエはその小さい図体を回避以外の事に使えなくなっていた。

たった数メートル四方の空間で行われる小さな攻防だったが、焼け溶けたレオの上半身を鑑みれば、その空間内に敵を押し留めておくことが最善策なのだろう。

奈落へ引き摺り込もうと手招きする触手。絶大な熱量で空気ごと焦がし唸りを上げる電光線。レオの仇を取らんと飛び交うユッタ。

三位一体となった攻撃だったが、お互いが遠慮するようにピタリと攻撃が止まってしまう瞬間があった。

ユッタが突っ込む瞬間。フレンドリーファイアを避けて二つの攻撃が止む瞬間。

その瞬間を虎視眈々と狙っていたであろう者が見逃すはずもなく。

チカリと一光。

それだけでユッタの服は燃え上がり、中身を焦がした。



「うああっっ!?」



たまらずユッタは床を転がって消火に専念する。

ユッタの転がった跡は炭の痕が線を引き、炎の熱がユッタの全身を包んだ事を雄弁に物語った。



「ユッタ!」

「よそ見しない!」

「でも!」

「でもじゃない!」



フィオナの説教が飛ぶ。

煙を上げて痙攣するようにピクピクと横たわるユッタの焼き料理がメリー・メリー・メギストスのランチタイムの一品となってしまった。

だが、ユッタの治療に時間を割く余裕がない。

少しの間、ユッタは使い物にならない。

泣く泣くユッタから目を切ったベルの目が怒りを映す。

その対象は勿論、変態機動を繰り返し、我が物顔でメリー・メリー・メギストスを観光飛行する小さき魔族。

ベルが纏う静電気がバチバチと破裂音を奏で出す。

怒りに我を忘れているようだ。

フィオナの髪までもが静電気に囚われて孔雀のように羽を広げて八分咲きの様相を呈している。

さながら、魔女。

魔女二人とコバエ一匹の第二ラウンドが始まった。







第19話 ~ 電光絶佳のド迫力 ~ へ続く







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