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万物の先輩

第15話

~万物の先輩~




人が生の内に必ず出会うもの。

それは先駆者。

自身より先を征く者。

彼らに追い付く術はない。

どう転んでも。

どうあがいても。

先を征く者の隣に並ぶことは許されない。

追い付く事はできない。

追い縋り待ってくれと叫んだ所で、彼らの歩みを止める術はない。

時の遡行が不可能である事と同義に。

彼らと共に歩む事は許されない。

だが。時間さえ止まってくれれば彼らに。

そう。時間さえ止めてしまえば彼らは。





さて、それはこんな話だ。





行商人らしき者が地べたに申し訳程度の絨毯を敷いて、ヘンテコな置物を妖しげに販売している。

値札には目玉が飛び出るような額が書いてあったり、あるいは腹が立つような数字が書いてあった。

ヘレルダイトは交易の町ゆえに商人の数が無駄に多い。

右を向けば行商人、左を向けば客引き、前を向けば押し売りがいると言われる程だ。

傍に馬車が置いてあるのは金持ちの商人。屋台のような簡易な売り場が金回りの良さを暗示させる。

尻を地面に付けているのは金の無い商人。突風に舞う砂で商品が薄汚れて貧相かつ不衛生に見える。

ヘレルダイトは格差の都でもあった。

富める者はより裕福に。

貧する者はより貧困に。

その差が永遠に埋まる事のない実力主義の街だった。



「駄目だよお客さん!そんな小銭じゃあ売れないよ!」



テレジアの差し出した小銭は、店員の男が提示した額よりも遥かに少なかった。

それを見たその男の顔がみるみる内に赤くなり、焦ったように唾を飛ばしながら怒鳴り声を上げる。

それはそうだろう。

目の前の小娘が余りにも馬鹿にしたような額しか差し出さないのだ。まるで桁でも間違えましたというかのように。



「何故ですの!相場通りの額のはずですわぁーー!!」

「相場通りじゃないから言ってるんだよ!お客さんの目は節穴なのかい!」

「節穴ではありませんわぁーー!!」

「節穴だよ。」

「お兄さん!お兄さんからも言ってやってよ!こんなの絶対おかしいよ!」

「ああ、こいつはおかしい。俺が保証する。」

「あなたは一体どっちの味方ですのーー!!」

「店員だよ。」

「どぉしてそんな事言うんですのーー!!」



喧々諤々。

ヘレルダイトの往来を通る馬車の座席で煙草をふかす男が、やれやれと肩を竦めて早馬で去って行った。

日常なのだ。こんなのは。

商人と客の衝突は多い。日常茶飯事なのだ。

いかにもダルそうに。腕組みで街灯の柱に背を預けるレオがテレジアの暴挙を遠目から見ている。

店員の男の方は目の前のじゃりんこガールが理外の存在という事に勘付いてきたのか、若干冷静になってきている。



「はぁ、お客さん。冷やかしなら帰ろう。帰って美味しいご飯を食べればきっと落ち着くよ。」

「一理ある。帰ろうぜ。」

「駄目ですわぁーー!!まだ売買は成立してませんわぁーー!!」

「いやもういいって。ベルに頼んだから。」

「ここで逃げたらコーディン・ホテルの名が泣きますわぁーー!!いっちょやってみっかですわぁーー!!」

「悪かったな。これは慰謝料だ。納めてくれ。」

「お兄さん、今回はこれで勘弁してあげるけど、次は無いよ。」

「ああ。すまなかった。」

「どぉしてワタクシ達が慰謝料を払っているんですのーー!!」



レオはテレジアを羽交い絞めにすると、渋面の店員にコインを何枚か投げて渡した。

それを店員が受け取るのをテレジアの肩越しに見届けてから、テレジアごとクルリと向きを変えた。

宙ぶらりんのテレジアの足と体がぶらぶらと揺れに揺れる。



「あっ!屋台ですわぁーー!!良い匂いがしますわぁーー!!」



哀れテレジアは二秒前の出来事など忘れ、新たな興味へとその情熱を向けた。

情熱はいつだって生物全ての魅力なのだ。

それはきっとテレジアだって例外ではないだろう。

と、そこで。



「買ってきた。」



左右にブレるテレジアの両足をのれんのように掻い潜り、ベルが顔を見せた。

その手には買い物袋。それとなく膨らんで、仕事の完遂を誇るようにベルの手に輪っかを食いこませている。

ベルの目は自信に満ち溢れていた。レオがその顔に浮かべる濁り切って荒んだ瞳とは対照的に。

そしてそれを見て驚くテレジアの双眸は、二人のどちらとも違う中庸で凡庸で平俗な色をしていた。



「なぁっ、えっ、ワ、ワタクシがおつかっ、えっ……?」

「買ってきた。」



ベルは鼻息をふんすと吐き出し、テレジアに見せつけるかのように手に提げる袋を誇示して、口外に褒めろと宣う。

テレジアは焦燥の表情を見せ、やがてそれは絶望に染まり。



「どっ、どぉして……。」

「お前じゃ無理だろうから頼んでおいた。よくやったクソガキ。後でしこたま褒めてやる。」

「よろしくぅ。」

「そんな……。」

「ぶい。」



勝利のVサインも決まり、いよいよもってテレジアとベルの格付けが(もう既に済んではいるが)終了。

打ちひしがれるテレジアを尻目にしたベルはと言うと、懐から『ベルちゃんよくできましたスタンプカード』を取り出し、レオに『ベルちゃんよくできましたスタンプ』を捺してもらっていた。



「なんですのそれは……ワタクシそれ知りませんわぁ……。」

「『ベルちゃんよくできましたスタンプカード』だよ。こいつが何かメリーさんの手伝いを無事にこなす度に『ベルちゃんよくできましたスタンプ』を捺す決まりになってるらしい。今日はメリーさんが来れないから、俺が代理で『ベルちゃんよくできましたスタンプ』捺してんだよ。」

「ワタクシは貰ってませんわ、それぇ……。」

「そりゃそうだろ。『ベルちゃんよくできましたスタンプカード』なのにお前が持っててどうすんだよ。お前が何かできた所で『ベルちゃんよくできましたスタンプ』は捺せないだろ。常識で考えろ常識で。」

「依怙贔屓ですわぁーー!!ワタクシも『テレジアちゃんよくできましたスタンプカード』欲しいですわぁーー!!」

「だあぁ、うるせぇ!メリーさんに言えメリーさんに!」

「にっくきメリー!今に見てろよコンチクショウですわぁーー!!」

「目上の人にはさんをつけなさい。」

「だっ、誰が目上なんですのぉーー!!目上で言ったらワタクシの方が目上ですのよ!コーディン・ホテルですのよ!!」



騒ぎ立てるテレジアを街の人々がぎょっとしたような目で見たが、その音源が年端もいかない小娘である事に気が付くと皆一様に知らん顔をした。

君子危うきに近寄らず。

ヘレルダイトの全てを象徴する不眠不休の建造物。その高貴な城はそれと同時に畏怖の対象でもあった。

表だってコーディン・ホテルを悪し様に言う者はヘレルダイトには滅多にいないだろう。

だがしかし、人の口に戸は立てられないものだ。

誰かが流した悪い噂に尾ひれがついて、背びれがついて、それから胸びれまでついて。最早どれが本当の事なのか分からない。

好評も悪評も清濁併せ呑むその豪華絢爛な街のシンボルは、今日も元気にヘレルダイトを一望していた。



「ああもう、とにかく帰ろうぜ。お使いは終わっただろ。」

「コーディン・ホテルですのよ……コーディン・ホテルですのよ……。」

「よしよし。」

「年下に慰められると一言では言い表せないようなとても複雑な感情がワタクシの胸中を駆けずり回りますわぁ……。」

「ほら、帰るぞクソガキ共。屋台で何か買って食いながら帰ろうぜ。」

「やったぜ。私、飴がいい。」

「ワタクシ、粉物でお願いしますわぁ……。」

「こいつ……働かない癖に食い気だけはいっちょ前にありやがる……まあいい、ここで待ってろよ。」



レオが買い物のお釣りから数枚コインを抜き取り、屋台の方へ行ってしまう。

そして、残されたのは二人。

路上に屈み込んで木の枝で地面にのの字を書いているテレジア。

店員に値切り交渉を吹っ掛けるレオの背をじっと見ているベル。

そのベルの背に黒い影が忍び寄った。



「お嬢ちゃんかわいいね。いくつ?」



急いで振り返ろうとしたベルの腕がまず捕まった。

万力のようなその握力は獲物を絶対に逃がさないという強い意志を感じる。

冷や汗がベルの背を伝った。

油断していた。

保護者と離れた瞬間を狙われた。

これがレオの言ってた悪い奴か、とベルが判断を要するその数秒の間に。

ベルは地面の上に転がされていた。



「……ッ!」



足払い。

そう気付いた時には既に視界が全部青空に変わっていた。

口からハッと空気が押し出される。

転ばされた時に少し背中を打ったようだ。

テレジアは……駄目だ。きっと役に立たない。

レオが戻るまでは一人でどうにかしなければ。

なんとか藻掻こうとしたが、倒されたままではロクな抵抗など出来なかった。

ジタバタと暴れた所で、酸素が無駄に消費されるだけだった。

影から伸びた腕に口を掴まれた。

悲鳴など出せないように。

助けなど呼べないように。

狡猾なその行為がベルの心にに恐怖を植え付けた。

体が竦むとはこの事なのだろうか。

恐れを抱いた瞬間、急に全身に力が入らなくなった。

怯えるベルの眼球が辛うじて動き、自身に覆い被さらんとする者の表情を捉えた。

その表情は。



「かわいいなぁ。その表情。堪らないなぁ。」



嗤っていた。

ニタァと口の端が耳まで裂けそうな厭な笑みだった。

怖気が走る顔だった。

ベルの肌が総毛立った。

生理的な嫌悪感。

得も言われぬ忌避感。

もうこれ以上見たくないと瞑った瞳の端から雫が零れた。

固く閉じた瞳はそれ以上の景色は映さなかったが、それが却って先程の卑劣な表情を忘れさせてくれなかった。

声にならない悲鳴が、掴まれている指と指の間をすり抜けていく。

脳への酸素供給が足りず、思考がまとまらない。

ああ、これはもう駄目かもしれないな。

様々な後悔が脳裏を掠めて、ちょっとだけ悲しくなった。



「な、何をするんですのぉーー!?離れなさい!!離れなさい!!」



テレジアが叫んでいる声が聞こえる。

でも、多分彼女では駄目だろう。

ほら、テレジアもすぐに地面に転がされてしまった。

きゅうと唸って伸びてしまった。

どうせ狙うならあっちを狙って欲しかった。

なんでこっちを狙ったんだ。

どうして。

ずるい。

そこまで考えた所で。



「待ってろって言っただろ。何してんだお前ら。」



助けが入った。



「ヒッ!保護者!」

「逃がすか馬鹿。」

「オウフ!」



逃げ出さんとする者を足蹴に。レオの重い重い右足が下手人をベルから引っぺがす。

吹き飛び、そして壁にぶつかり、少々ぐったりとしたその影が白日の下に晒されて、鮮やかな顔色が浮かび上がった。

その顔から推察するにベルとそう変わらない年齢だろうか。

幼いようにも見えるその少女の顔は焦りと怯えとそれから若干の達成感に満たされていて、今にも殴りかかりたくなるような小憎たらしさを覚える。

ただ、その顔にはどこか見覚えがあった。



「お助けぇ!出来心なんです!ヤバイと思ったけど性欲を抑えられなかったんです!」

「あ?お前の顔、どっかで見たな。」

「ひえぇ!挿入まではしてないから許してー許して!」

「あー……あ?あー……っとぉ、あ、あれだ。ギルドの人だ。確か、ええと、シャっ、シャルっ……。」

「いつつ……ああっ!性犯罪者が伸びてますわぁーー!今こそワタクシの正義の鉄槌を下す時!くらえっ、必殺テレジアボンバァーですわぁーー!!」

「ひぎぃ!」



正気を取り戻したテレジアが息も絶え絶えの獲物を見つけ、最後のトドメを刺さんと地面からバッタのような跳躍を見せ、それから彼女の全体重を乗せた尻からのプレスが変態を襲った。

悲痛な喘ぎ声をあげた変態は観念したように一切の抵抗をやめ、コヒューコヒューとテレジアの体重に負けたような呼吸をしている。

レオはこのままでは事情聴取すらままならないと思い、力無く打ちひしがれる変態の上からテレジアを摘み上げて脇へとどけた。

いくらかの咳音の後、喉の痰を切るように一際大きな咳払いがあり、レオは指先を変態の鼻先に向けて思案に耽る。



「待てよ。今思い出すから……シャン、シャス、シャル……シャルロット!」

「いかにも。私はシャルロット。親しみをこめてシャルロット先輩と呼んでくれていいですよ。」

「誰?レオの知り合い、なの?」

「あれだ、商人ギルドの受付の人だ。何でこんな事したんだ。こんな事が職場にバレたらまずいだろう。」

「チョロそうな幼女がぼーっと突っ立ってたから、こりゃまた幸いとばかりに求婚しちゃっただけですよ!私は悪くないんですよ!この幼女がメスガキ特有の甘ったるい濃厚なフェロモンを大量に出して私を猛烈に誘惑してきたのが悪いんですよ!」

「何言ってんだこいつ……反省の色が見えないな。おい、テレジア、警察呼んで来い。」

「拝承致しましたわぁーー!国家権力を持ってこのアワレな性犯罪者に相応の末路を迎えさせてやりますわぁーー!」

「ま、待って待って!同性だから!同性だからノーカンなの!見逃して!見逃してくれたら次回の換金時に15%お得になるクーポンあげるから!」

「微妙にリアルなお得感で釣るのはやめてくれ。心が揺らぐ。」

「揺らがないで下さいまし!もう許しませんわぁーー!!」

「許してぇー!」

「どうするベル?」

「いいよ。」

「いいんですの!?」

「ぃよっしゃぁー!これもう合意だろ!さぁお嬢ちゃん続きをしようぜぇ!もちろん二人きりでやるのぜぇ!デュッフッフ!」

「やべぇなコイツ。やっぱ警察呼んで来るわ。」

「やぁなのぜやぁなのぜぇー!」

「私が直接手を下すから、いいよ。」

「えっ。」

「おいベル、殺すのは流石に過剰防衛になるぞ。」

「じゃあ、瀕死までにしておく。」

「待って。許して。お願い。」

「大丈夫。死なないから。」

「あっ、あっ、あああああぁぁぁ……。」

「でも、死ぬほど痛いから、我慢してね?」

「ああああああああああああぁぁぁぁ!!!」



雷光一閃。

ベルの手指の先に集積された魔力が青白い光を放ち、シャルロット先輩とやらの鼻先を掠めた。

たったそれだけなのにシャルロット先輩の肢体はコメツキムシのようにぱっちんと跳ね飛び、足の先に火花が散った。

通電したのだ。

口から白い煙を吐いて地面に倒れ込む、ベルとどっこいぐらいの小さなその体。

ロクな受け身も取れずにバタンと大の字になり、そのまま起き上がって来ない。

自業自得は自業自得なのだが、幼くすら見える少女のような体躯の悲惨な姿が痛々しさを醸し出し、やりすぎ感を高めてしまっている。

白目を剥いて。口をあんぐり開けて。

いかにも死体のような姿は大変惨たらしい。

テレジアは目の前で起こった事態の衝撃に目を奪われて、そしてハッと我に返って先輩を名乗る輩に駆け寄る。

肩を掴んでガクガクと揺らしてみれば鼻と口から白い液体が泡と一緒になって飛び散った。

見るからに死体を作り上げてしまったのだが、ベルの瞳が濡れていたのであまり強くは責められなかった。

心臓に耳を当てて見たら微かに鼓動の音が聞こえた気がしたので、とりあえずは大丈夫という事で皆納得した。

せっかくなので警察も呼んでおいた。







第16話 ~ ごめんで済んだらヘレルダイト・ポリス・デパートメントは必要ねぇんだよ ~ へ続く







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