本日の営業は全て終了しました
第12話
~本日の営業は全て終了しました~
交易都市における宿屋の需要は尽きない。
人の行き交う場所に自然と宿場町が出来るように、ヘレルダイトには多くの宿泊施設があった。
その最たる例はコーディン・ホテルだろう。
老舗の宿屋も多いヘレルダイトだが、新興の勢力であるコード家の辣腕は他の追随を許さなかった。
従業員の引き抜き、賄賂のばら撒き、誇大な宣伝、不穏分子の粛清。
黒い噂は絶えなかったが、それらを多大なる権力をふんだんに使って叩き潰したヨシュア・フォン・コードは、街の顔として知らぬ者はいないという所まで邁進した。
コーディン・ホテルは眠らない。
それは、ヨシュア・フォン・コードが不眠不休でヘレルダイトの街を牛耳り続けている事の証左でもある。
その膨大な仕事の量を見果てた人々は皆口を揃えてこう言う。
彼は人間なのか?
さて、これはそんな話だ。
「帰ったよ。」
ユッタの声が誰もいないエントランスに虚しく響く。
見渡す限りの静寂がユッタを歓迎してくれている。
賑やかしの筈の声は無く、宿主の気だるげな応答の声もまた無い。
「お嬢達は二階かな。」
「だろう。案外鼻提灯でお眠りあそばせているかもしれないぞ。」
「良い身分だね。」
「生まれが違うからな、生まれが。」
軽口もそこそこに。
二人は階段を踏みしめる。
背中から来る重量が肩にミシリと圧し掛かる。
見た目程の重さではないが、それでも大きさが大きさなのでその分重い。
連日のアクシデントにいい加減疲れていたのもあるし、単純に気が重いのもある。
何せ、今から話す相手には何をされるか見当もつかないのだ。
その時その時の気分で末路が変わる恐怖と言ったらない。
上がった廊下の奥にある角部屋、207号室。
中からは何やら話し声が聞こえてくる。
本来は家族客の為のその部屋の住人は一向に増える事なく、お嬢様の一人客を迎えた以降は増も減もない。
ノックの音は控えめに。でないと機嫌を損ねるかもしれないから。
微かに聞こえた話し声が静かになって。
「「どうぞ。」」
綺麗にハモった声が中から聞こえてきた。
「入るぞ。」
遠慮なくドアを開けるレオと、その後ろをおずおずと付いてくるユッタ。
勿論、背中にはドアの幅一杯の魔石。
部屋の中にはお嬢とそれから角二本。
「おかえり~。」
椅子の背もたれに背中を折られ、下を向いた角が床に細長い影を作り出す。
へらりと笑ったベルの手がひらりと揺れた。
対して対面に座ったフィオナは足を組んで浅い溜息を吐く。
「存外早かったですね。お供が有能だったようで何よりです。」
「お?見てたの。」
「ええ。それはもうばっちりと。」
「ああ、じゃあ説明はいらないな。」
「ん。魔石ですね。イヤに純度が高いですね。ユッタ、身体に異常は無いですか?」
「無いけど。」
「ならば良し。」
一人だけ得心したように頷くフィオナを見る三人の表情は硬い。
説明しろと言いたげな顔だが、フィオナの口が重いのは分かりきっているので、声には出さない。
その代わりに、レオとユッタは壁に石を立て掛けて荷を解いた。
「こんな石、何に使うの?」
沸き出る好奇心を我慢できなかったベルが口火を切った。
わざわざ二人が持ち帰って来たこの得体のしれない石は何なのか。
疑問点を解消せずにはいられなかった。
フィオナはじろりとベルに流し目を贈り、それから天井を見上げるように上を向いて答えた。
「魔石は文字通り魔力の宿る石。これがあれば私の悲願に一歩近付く。」
「悲願?そんなの聞いたこと無いんだけど。お嬢、何する気?」
「おや?ユッタにも話していませんでしたっけ。取り戻すんですよ。私の体をね。」
「え?何?どういう事?話が見えないんだけど。」
「レオ。」
「あいよ。」
レオが腰の剣を抜く。
重く鈍く、いかにも切れ味の悪そうなそれは、窓から入る陽射しを反射している。
その刀身をフィオナの白い首筋にあてがうと、そのまま力任せに振り下ろして骨ごと叩き切った。
「えっ!?」
「おおっ。」
ユッタとベルから素っ頓狂な声が上がった。
ごちんと床に額をぶつけたフィオナの生首から伸びる長い金髪が、振り下ろされた剣に絡まるようにしな垂れかかる。
「ちょっ、ちょぉっ、レオっ……!?」
予想外の事態にパニックを起こしたユッタだったが。
「ばあ。」
「わぁっ!?」
落とされたフィオナの首が自分の顔の前に飛んできて舌を出したのを見て、腰まで抜かしてしまった。
ぺたんと床に尻を付けてしまったユッタは、思わず目の前の首だけ女から目を逸らしてベルを見る。
ベルの瞳には好奇ぐらいしか宿っていなかった。
「ふふ。そんなに驚く事ないじゃないですか。第一、レオで見慣れてるでしょう。」
「いや、いやいや。こんなの何度見たって慣れる事はないよ。」
首だけでふわふわと浮かぶその物体は、確かにフィオナ嬢と相違ない。
切断された首元では、無数の肉芽が主の無い肉体を支えるように左右へバランスを取りながら蠢く。
頭の方の切断面からは細長い触手が束を成して、脊椎を模るように太く絡み合っている。
ブロンドの髪と肉々しい触手のコントラストは見るもおぞましく。
まるでゴルゴンのような様相の異質さは、フィオナを得体の知れない恐怖の対象と決定づけるのには十分だった。
だが、未知を恐怖と捉えない者もたまにはいるわけで。
「すごい。私もそれやりたい。」
「今度教えてあげますよ。今度ね。」
「やったぜ。」
「……お嬢も、そういう事なの?」
「正確には私だけがこうなんですよ。レオとベルはその副産物に過ぎない。」
「ごめん、理解しがたい。」
「理解する必要はありません。私も正確な事は分かっていないので。ただそうであると認識していれば、それで構いません。」
「そっか。じゃあそういうつもりでいるよ。」
「よろしい。」
首だけフィオナはふよふよと髪を垂らして中空を漂い、そしてあるべき場所に納まった。
肉芽と触手同士が念願の邂逅を果たして、じゅぐじゅぐと生々しい肉音を上げながら接合されていく。
終わってみれば何のことは無く、普段通りのフィオナ嬢がそこに居た。
「さて、レオ。」
「魔石だろ。お好きにどうぞ、だ。」
レオが壁に立て掛けてあった魔石をフィオナの方へと近付ける。
フィオナの手には黒い魔導書が瘴気を撒き散らすように鼓動していた。
「始めます。一歩も動かないように。動いたら貞操の保証ができなくなります。」
フィオナが何某かの呪文のような文言を囁くと、黒い魔導書から夥しい量の黒い塊が這い出て来た。
細くに太くに粘度の高い粘液に濡れて黒光りするそれは、それぞれが意思を持ったかのようにうねうねと三次元の動きを繰り返す。
あまりに狂気的な光景に冷や汗をかく者達の事などお構いなく。
黒く暴れる蠕虫らしき物体達は、餌を与えられた愛玩動物のように魔石をしゃぶり始める。
嬲るように表面を舐め回し、抱きしめるようにぎゅっと締め付け、石から仄かに漏れる青白い光を味わい尽くす。
ついでに魔石を支えていたレオの尻もつまみ食いをするかのように撫で回し、眉根を寄せたレオの肌表面が粟立った。
それでも微動だにしない彼の精神力は大したものだろう。
うじゅるうじゅると魔石を絞るように巻きついた大量の黒い触手達は次第に力を緩め、遂には御馳走様と言わんばかりにそそくさと魔導書の中へと引き返していく。
かつては巨石と言える程の大きさもあったその石は、小さく絞られて軽石のようにスカスカな姿になってしまった。
触手の食事の後に残されたのは、鈍く光を反射するだけの何の変哲もない石ころだけだった。
「満足してくれたようですね。」
「おい、動かなければ貞操の危険は無いって話じゃなかったのか。」
「どうせ動いたんでしょう?」
「動いてねーよ!」
話が違うとフィオナに詰め寄ったレオだったが、フィオナの底意地が悪いとぼけ顔に反論を封殺されてしまった。
それも束の間、フィオナの手に座する魔導書から何かを咀嚼するような音が聞こえて来ると、その不気味な旋律が場の雰囲気を全て掻き消してしまう。
次第に小さくなっていったその音が途絶える頃。
魔導書は嬉しげに青白い光を放ちながら震えると、フィオナの手の中に再度行儀良く収まった。
「魔力が充填されました。私の身体には異常等ありません。レオ、ベル。そちらはどうですか?」
「俺も特に何も無い。尻が焼けるように熱いぐらいだな。」
「うーん。なんかこう、今すぐ暴れたい感じ?そりゃ!」
パァン!と音を立てて鎧の上からレオの尻を叩くベル。
魔力の籠ったその手の平は、鎧の中にさえもその衝撃を伝える。
脈絡のない暴力がレオの尻を苛み、流石のレオも苦痛に悶えた。
「やめて!今敏感になってるの!マジでやめて!マジで!マジで!」
「こんなケツして何がやめてなんじゃ言うてみ!」
邪知暴虐に取り付かれた暴力の化身は、赤く腫れ上がって切なげに疼いている(であろう)レオの尻をそりゃもうパンパンと叩き続ける。
見かねたユッタがベルを無理矢理引き剥がすまで、その狂気は留まるところを知らなかった。
「……ベルお前覚えてろよ。」
倒れ伏してケツをガードしながら呪詛を吐くレオ。
余りの衝撃に立ち上がる余裕すらないようだ。
未だ興奮冷めやらず、ユッタの腕の中で藻掻き苦しむベルだったが、フィオナが額を指で小突くとすぐに大人しくなった。
「やはり魔力の純度が高すぎたようですね。産まれたてのベルには刺激がちょっと強すぎたかもしれない。」
「むしゃくしゃしていたからやった。相手は誰でもよかった。」
「クソガキィ~~……!!」
「えっと、まぁ、なんだ、一件落着、なの?これは?」
「ええ。それと、もう一つの方は一旦残しておきましょう。またベルが暴走しないとも限りません。」
「ユッタちゃんと抑えとけよ。二度と俺のケツにそいつを近寄らせるな。」
「はいはい。」
「もうしない。インディアン、嘘吐かない。」
「って言ってるけど。」
「クソガキィ~~……!!」
「何はともあれ、ご苦労でした。レオ、しばしの休息を与えます。当分は遊んで暮らしてよろしい。」
流石に憐れみを覚えたのか、やけに殊勝なフィオナがそう言い切った後、彼女が一瞬だけレオに目配せしたのをユッタは確認した。
だが、レオが瞬きでそれに答えた事までは確認できなかった。
何故なら。
「御免下さい。」
階下から端然とした声が聞こえてきたから。
ユッタが慌てて見に行くと、メリー・メリー・メギストスの門戸を開く者がそこには居た。
一見質素だが、その実は金の臭いが隠せていない出で立ちの珍客だった。
場末のくたびれた宿場の雰囲気にまるでそぐわないそのお客様こそが、ヘレルダイトのシンボルであるコーディン・ホテルの現オーナー。ヨシュア・フォン・コードその人だった。
第13話 ~ コーディン・ホテルから来た人 ~ へ続く