デーモンコア
第11話
~デーモンコア~
最初は光り輝いていたのだ。
いつからか。
鈍色にくすんだその光はいつしか暗黒に染まった。
白く揺らめく美しき羽は黒く胎動する禍々しき羽に。
ガラスのように透き通った角は光を拒絶する昏き角に。
天の使いなどと持て囃されていたのだ。
いつからか。
何の間違いか。
この身は醜く肥え太り。
この意識はただ欲望を満たすためだけに。
ただ、それはこの上なく甘美で、真に抗い辛いものだったのだ。
さて、それはこんな話だ。
ユッタが石畳を走り回る音が木霊する。
レオの鎧が打ち据えられる音がする。
銛状の触手が部屋の壁を穿つ音が聞こえる。
粉塵舞いたるその部屋の、床、壁、天井、全て穴だらけ。
穴に添えられたヒビの端が繋がれば、それこそ二人諸共生き埋め必須の状況だった。
はらはらと踊る触手の幹がゴム紐のように柔らかい。
「何とかしろユッタァ!」
「今やってるよっ!」
何度かユッタの小剣の剣先が悪魔の額を掠めたが、その度に悪魔の両腕の迎撃を受けて離脱を余儀なくされた。
宝石状のそれに掠り傷が増えれば増える程に、悪魔の両腕は激しく暴れ狂ってユッタの接近を許さない。
「くっ……!」
悪魔の片腕がユッタのマントの端を捉え、その一部を切り裂く。
ユッタ自身には布の破れた衝撃だけが残るのみだが、その動きを補足されているという事実がユッタに焦りを植え付けるのだ。
「カハァァァ……!!にぇっ……にぇぇぇぇぇ……!!」
悪魔は足元だけではなく、口からも泡立つ汁を飛び散らせて、何事かを懸命に叫んでいる。
触手の動きは多彩になったが、やはりそれのみの一辺倒ではレオの牙城を切り崩すには至っていない。
「どうした出来損ない!ユッタに熱上げてる場合じゃねぇぞ!」
触手の切っ先を腰の剣で打ち払い、レオが啖呵を切る。
悪魔の両目は炎のように揺らめくのみで視線の如何は計り知れないが、それでもユッタの軽快な動きに翻弄されているのかどこか忙しない。
ユッタは床を跳ねながら悪魔の腕の動きに注意を払い、その腕の間隙を縫わんと動きを直線的かつ鋭利なものにしていく。
防御や回避を二の次に、それはもうレオに任せたと言わんばかりに。
同じ場所に同じように傷を与え、何度も何度も繰り返し浅く切れ込みを入れる。
「ニェェァアアアアァァァア!!!」
「あっ。」
悪魔の触手が、重力のせいで着地を余儀なくされたユッタの胴体に迫った。
だが。
「おらよぉっ!」
横入りのレオが触手の竿に体当たりし、そのまま抱きついて足を地面から離して全体重をかける。
安物だが重さはいっちょ前の鈍重な鎧が功を奏し、触手は途中からたわんで中折れし、ユッタの遥か横へと吹っ飛んでいった。
その一瞬にユッタは床を飛び立ち、マントを翻して悪魔の額に狙いを定める。
一旦悪魔の両腕の間を通り、一度飛び越して迎撃を誘ってから、後ろの壁を蹴って宙返り。上から一本線に小剣を振りきった。
「捉えた!」
「アアアッ……!!」
ユッタの一撃が遂に宝石の芯を捉えた。
ただの掠り傷とは違う、楔のような一撃がその宝石の表面を抉った。
痛みでも感じたかのように悪魔の両腕がビクンと痙攣し、暴れ狂う動きが殊更に激しくなる。
そして、ユッタを狙って何度も触手を向けた。
その感情的な攻撃は、せいぜいがユッタの衣服の一部に小さなほつれを生み出させる程度の精度だった。
明らかに焦った反撃である。
致命的な一撃も何度かあったが、レオの妨害によってやはりユッタの動きを捉えられていない。
レオへの意識も半ばになっているのかもしれない。触手の狙いが一層定まらず、ただただ無為な攻撃を繰り返す。
二人を同時に対処する事が徐々に困難になってきているのだろう。
その下半身が万全の状態であったならば、或いは二人を軽く引き千切っていたかもしれないが、動けない以上は標的にされて嬲られるだけだ。
ユッタが床と壁を蹴る速度を上げていく。
壁を蹴り、すれ違いざまに悪魔の額を切り付け、その腕の迎撃を振り切って床に着地、すぐさま飛び立ち触手の追撃を逃れ、そしてまた壁を蹴ってムーンサルト。
着地の隙を触手の鞭が再度襲ったが、脇から躍り出たレオの肉壁に阻まれてユッタに傷を負わせることはできなかった。
「利いてるぞユッタァ!」
「段々弱っていくね。あと何発で倒れてくれるのかな。試してみようか。」
床を跳ぶユッタの小剣が青白い室内に幾度も煌めいた。
それに比例して悪魔の額の裂傷も無数に刻まれる。
黒く羽ばたくユッタの足跡が残像のようにも見える。
筋骨隆々の巨体も虚しく、ただ甚振られるだけの悪魔は悲鳴を上げてのたうつだけだ。
「アアアアァァァ!!」
悪魔の両腕は大事な所を庇うように額に被せられたが、それでも尚その腕の隙間からユッタの剣が忍び込んでくる。
「ハハハ。無駄無駄。そんなノロマじゃ、死ぬだけだよ。」
四方八方から角度を変え位置を変え、防御不可能な斬撃が悪魔を襲う。
こと室内での高速戦闘においてはユッタに大きな分があった。
攻めへの使用を諦めて守りの為に背中から伸びる触手が使われだしたが、それも時既に遅く、トップスピードに乗ったユッタがこれでもかと剣撃を浴びせてくる。
「アッ、……アアアッ、アアアアアアアァァァァ……!!」
悪魔の巨体が揺らぐ。
元から大した支えなどなかったが、それでも踏ん張りは最低限効いていたのだが、それすらも失ったその上肢は重力のままに地面へと吸い込まれていく。
ズシン、と重そうな音がした。
砂塵にも満たない細かい埃がふんだんに散った。
それに怯むこともなく、ユッタの影が悪魔の上体に飛び掛かる。
既に無抵抗に等しい程に悪魔の動きは弱々しかったが、ユッタの追撃は止まらない。
悪魔の額の宝石が割れたガラスのように鋭利に壊されていく。
何度も、何度も、何度も、何度も。
ユッタの小剣が悪魔の額から光を奪い去っていった。
「ギッ、アッ、ヒギッ……。」
悪魔はもう満身創痍だ。
動く力も残っていないのかもしれない。両腕がだらしなく床に這いつくばっている。
背中の触手も針先の形を維持できなくなったのか、元の羽のような姿に戻ってしまい、床の上にだらしなく伸びていた。
ユッタの攻撃はまだ止まない。
レオもその無慈悲な連続攻撃を見守るだけになっていた。
星の数程の一文字が悪魔の額に刻まれる。
最後に悪魔の上体がビクンと大きく一度だけ跳ねて、そして動かなくなった。
砕け散った宝石のようなものがハラリと床に落ちると同時に、悪魔の巨体はドロリと溶岩のごとくに溶けだして床に染み込んでいく。
「倒せた、のかな?」
「っぽいな。お手柄だ、ユッタ。」
「ま、ざっとこんなもんだよ。」
「はいはい偉い偉い。」
先程まで部屋内を駆け回っていたにしては呼吸の乱れがないユッタの表情が少しだけ満足そうに見える。
レオは手を叩いてその健闘を称え、ユッタの頭に手を伸ばそうとしたが、その腕は頭上の辺りでユッタに払われてしまった。
「で、結局、何がどうなったんだ。」
「僕に聞かれても。」
結局今の茶番は何だったのかと、二人は部屋内を見渡してみる。
そして、悪魔の倒れた跡に黒く焼け焦げた男が倒れ伏しているのを発見した。
近寄ってみれば、うめき声のようなものも聞こえる。
もしかしたら、ギリギリのところで生きているのかもしれない。
だが、二人はそれはどうでもいいことだと、別のところに興味を移していった。
「魔石、だよね。」
「ああ。しかも相当デカい。出処は聞いておきたかったが、肝心の情報源があれじゃあな。」
「これ、持って行って良いんでしょ?」
「良いんじゃないか。咎める奴は、あー……いるかも知れんが、多分じきに死ぬ。」
「よし。今回は、僕の手柄ってことで。」
「はいよ。お嬢に一杯褒めてもらいな。」
「欲がないなぁ、レオは。」
「一回死ねば誰でもそうなる。」
「一回死んでても欲ありまくりなのを一人知ってるんだけど。」
「……あいつは例外って事で。」
「例外率五割かぁ。高すぎじゃない?」
軽口を叩きながら、天井に埋め込まれている魔石を見上げるユッタ。
一度その場にしゃがみ込み、それから全身のバネを使って地上を飛び立ち、天井に小剣を突き刺す。
そしてそれにぶら下がり、自分の体重を使って引き抜いて着地すると、同じことを少し位置を変えて何度も繰り返し始めた。
「身軽なもんだ。」
ユッタを見上げるレオが感心したように言うと。
「練習すればレオもできるようになるよ。」
ユッタは薄く笑った。
「よっ……と。」
天井から降りて来たユッタがすぐに脇に退く。
間も無く、天井が床にストンと落ちて来た。
その衝撃で魔石はいくつかに分割されてしまったが、それが逆に奏功し、両手で抱えられるぐらいの大きさになってくれた。
ついでに下敷きになった何かもあるにはあったが、二人にとっては些細な事だったので、すぐに忘れてしまった。
「じゃ、依頼完遂って事で。」
「良いんじゃない?依頼主いないけど。」
「さっさと帰ろうぜ。これ以上崩れたら困る。」
「ん。」
かち割れた魔石をベルトでくくり、レオは軽々と持ち上げる。
鉱石のような見た目に反し、重量はそれほどでもないのだ。
皮よりは重いが、石よりは軽い。
知らぬ者が見れば土工が鎧を着て歩いているようにも見えるかもしれない。
後ろに背負った見た目未満の重みを苦にもせず、レオとユッタは些か暗くなった部屋を出て、梯子を上る。
帰り際、悪魔の額にあった宝石のようなものの残滓が床に溶けずに薄暗い部屋の中に寛いでいたので、それも持って行こうとしたのだが。
しばらくするとそれすらも溶けて、レオの手の中で蒸発しきってしまった。
揺れ消えた蝋燭を横目に。微かな光を頼りに。
随分久しぶりに感じる地上は、まだ昼の明るさを捨てきれずにいた。
「まだ、昼過ぎぐらいじゃない?大分明るいよ。」
「あそこにいると時間間隔おかしくなるな。」
「どうする?出入口潰しておく?」
「放っとけ放っとけ。」
「そう?レオが良いなら良いけど。」
「金は……無さそうだな。」
「あったら前金で出してると思う。」
「違いない。くそ、結局貰い損か。」
廃屋もかくやの研究室を逃げるように後にした二人は、襤褸切れ達の物乞いを無視して貧民街を離れる。
少なくとも、岩のような物を軽々と担いでいる(ように見える)二人の足をわざわざ止めに来る物好きな輩はいなかった。
人々の奇異の目が何度か二人の背中を見たが、それが石か岩のどちらかであると分かると、途端に鬱陶しそうな目を地面に向ける。
細い路地ギリギリを通ったせいで壁にガリっと擦る事もあったが、昼時の往来を走る蹄の音に描き消えてしまった。
やがて二人が見慣れた通りを見つける頃。
目の前には昼の最中にも関わらず「Close」の掛け看板が静かに佇むメリー・メリー・メギストスがあった。
閉店の報せも虚しく、開け広げられたメリー・メリー・メギストスの扉に据え付けられた小さな鈴が、チリリと望外の客に不満を告げるように鳴って、それから閉まる時にまたチリリと欠伸をするように鳴った。
第十二話 ~本日の営業は全て終了しました~ へ続く