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何も起こらないハズが無く

第10話

~何も起こらないハズが無く~




何かが落ちて来る。

空の上の天の上の遥か遥か上から。

誰かが囁いている。

耳の中の脳の中のそのまた奥の方から。

殺せ。

目に映るものは全て。

壊せ。

見渡す限りの全て。

潰せ。

その世界の全て。

ああそうだ。

確か、それが使命だったのだ。

その使命を帯びていたはずだったのだ。

何故今まで忘れていたのか。

思い出した。

思い出した。

思い出した?

思い出した。

思い出した。





さて、それはこんな話だ。





「じゃあ、行って来る。」

「はい。行ってらっしゃい。」

「おみやげよろしくね。」

「えぇ……遊びに行くんじゃないんだから……。」



レオとユッタがメリーさん達(若い)に見送られていた。

どう見ても保存食の朝餉を終え、一息ついて、それから二人は鎧を着込んだ。

レオはいつもの通り、鉄板を伸ばして作った安物の鎧。腰の後ろには片手用の剣が据えられている。

ユッタはいつもの通り、上着の下に鎖で編んだ重い服を着る。マントの裏側に数々の暗器が隠れていた。

メットを被ろうとしたレオだったが、視界が著しく狭まる事に不満を覚えて床に放ってしまう。



「まぁ、夕飯までには戻るさ。」

「戻らなかったら?」

「お経の一つも読んでくれ。」

「洒落になってないよ……。」



テレジアは厨房に引っ込み、ガチャンガチャンと何やら不吉な音を鳴らしている。

フィオナはお勉強会の準備があると言って、粘土のような朝食を拒否した後に自室で籠城してしまった。



「行くぞ、ユッタ。」

「うん。」



メリー・メリー・メギストスの扉は開かれる。

外の世界は朝もやのように陽光が白みがかっている。

一日の始まりを知らせる鳥の声が一帯に鳴り響く。

それに負けない程度に開城の音を打ち鳴らすドアベルがチリンと震えて、それを朝の挨拶とした。

二人の歩みは遅い。

急ぐほどでもない、というのが一番大きな理由だが、無駄に体力を消耗する事もないという理由もあった。

何しろ朝に出された食事が予想外に貧相だったので、満足な補給ができていないのだ。

いや、出されただけでも珍しい事なのだが。

とにかく、良い気分ではなかったのだ。

だが、二人の気分の良し悪しなどお構いなしに、目的の場所まではそれほどかからなかった。

よく見知った場所からそう遠くなかったのと、馬車を使わずに細い路地を通る事でほぼ最短距離だった事が要因だろう。

想定していたよりも楽に辿り着いた事で、二人の足取りも若干軽くなるかと思いきや。

下層も下層、貧民街。

あちこちでたむろするボロ布の存在が否が応にも悲壮さを感じさせる。

分かってはいたが、目の前の貧相な掘っ立て小屋は二人に百抹の不安をよぎらせるのに十分な安普請だった。



「何が研究所だ。あばら屋じゃねぇか。」

「しっ。こんなにボロかったら、外で話しても中まで聞こえるよ。」



二人の失礼な会話が聞こえたのか、布が垂らされただけの入り口から誰かが顔を覗かせた。

その男の顔はひどくやつれ、正気と狂気の境目がその顔の半分ずつをそれぞれ占めている。

ぎょっとするぐらいには邪悪で、むっとするぐらいには不機嫌だ。



「見世物じゃない。見世物じゃないんだ。他所で。他所でやってくれ。」



挨拶も無しに放たれた不躾な言葉が二人の耳朶を打った。

家の門前でその家の悪口を話していた二人の方がよっぽど不躾なのは重々承知しているが、男の言葉から発せられる排他的な雰囲気は二人を苛立たせるには十分な程の不快さだった。

だが、ユッタもレオも苛ついた気持ちを抑え、努めて冷静に男に声をかけた。



「張り紙を見て来た。これだ。」

「そうそう。この儀式の手伝いってやつ。」



レオが懐からゴワゴワとした紙を掴んで取り出して男の目前に差し出した。

男は猜疑の目を紙に向け、それから二人を値踏みするようにジロジロと三白眼で見つめる。

男のじとっとした視線は舐め回すようで厭らしく汚らしい。

教養の無さが透けて見えるようなその睨みが、余計な程に二人の癇に障る。



「そうか。そうか。つまりはお客さんだ。お客さんってわけだ。」



男の顔の皺が寄り、にかっと痛ましい笑顔を作る。

媚びるとも喜ぶともないその笑みの奥では、欲望に塗れた瞳が笑っていない。

所謂、獲物が調味料と一緒にやってきたとでも言わんばかりの態度。



「善は急げだ。善は急げって言うだろう。丁度、儀式の準備をしていた。準備をしていた所なんだ。」



急変した男の卑屈な態度がとても気に食わない。

レオとユッタは無言で視線を交わらせると、「やべぇ奴に関わってしまった。」と頷き合った。

唐突に異様なフレンドリーさを発揮した男はレオの腕を掴み、ボロ屋もとい研究所の中へとグイグイ引っ張ってくる。

その力は外見相応の非力なものだが、変な迫力がある上になんかもう怖い。



「さあ。さあさあ。こっちだ。この中だ。来てくれ。来てくれ。」



腕を引く弱い力に流されるようにレオが男に連れられて行く。

ユッタはその背を見ながら、今からでも自分だけ逃げてしまおうかと考えていた。

しかし、レオに掴まれた腕がピンと伸びて、痛みを感じたユッタは引っ張られるままに足を動かしてしまう。

三人の腕同士が連結し、子供達が遊び場を移す時のような無邪気な光景が出来上がってしまった。

男に腕を引かれてあばら家の中に入った二人だったが、まず最初に鼻から入ってくる臭いに顔をしかめる事となった。

それから、掃除もろくにされてないせいで真っ黒になった埃や、得体の知れない見たこともない色の汚れがそこら中に飛び散っている室内が二人の前に現れた。

汚い、臭いという普遍的な言葉で足りるかどうか分からない。

二人が今まで見て来た汚い部屋の中でも一番二番を争う汚部屋。

窓が無いから暗いのか、それとも汚れてるせいで暗く見えるのか。

レオの頭の上で儚げに揺れるランプの頼りない灯が今はありがた迷惑な程に。

視界の端で蠢くのは鼠か虫か。あるいはもっと不潔な何かか。

それらを避けるように部屋の隅へ視線を移せば、そこには地下へ降りる為の梯子が見えた。

見えたというよりは男が指を指したので、薄暗い中でもなんとか視認できた。



「あの先だ。あの梯子の先だ。そこにある。そこに準備をしてあるんだ。」



掠れかける程に上擦った声が男の喉を通って外気に晒される。

その痩躯のどこに一体これ程の気力が隠されているのかと。

人二人を引いてなお男の足は前に進めるのだった。



「離してくれ。自分で歩ける。」



梯子の袂まで連れてこられたレオがなんとか男の握力を振りほどく。

二人は掴まれた腕をさすりながら、諸手を嬉しそうに小刻みに震えさせる男の後ろを征く。

ユッタは肩の動きも気にしていたが、何度かぐるぐると回してみた後、なんともないと判断したのかすぐに大人しくなった。



「ああ。ああ。夢のようだ。夢だったんだ。ついにだ。ついに叶うのだ。」



梯子を滑るように降りる男の頭頂部に経年が感じられる。

白髪交じりのそのまばらな髪は脂でなんとか光を反射しているに過ぎない。

レオもユッタも最後の逃亡の機会ではないかと目配せし合ったが、レオが諦めたように梯子に足をかけると、ユッタもレオの頭の上に足を乗せる勢いで飛び降りてきた。

数メートル程も降りただろうか。

狭いのもあるが、何より暗くて距離感が掴めない。

道中の灯りを担当する燭台に乗った蝋燭に次々と火を灯す男を見下ろし、その先の闇に本能的な恐怖を覚える頃。

男の頭頂が下にではなく後ろに動いた。



「ここ。ここだ。」



地面に降り立った男が横にある壁に触れると、男の少し先にある壁が横にズレていく。

音を立てながら岩の扉が開く。

レオもユッタも梯子の上から肩越しにそれを眺め、そしてそのテクノロジーの異質さに舌を巻いた。

その玄室のような部屋は地上の男の自称研究所よりも大分広く、天井が高く、それでいて霊安室と言われても納得するような不気味さがあった。

降り立った景色に目を奪われる二人を尻目に痩せた男は部屋の中を忙しなく動き回る。

不思議と部屋の中は明るい。青白く彩色されたその部屋にはどこか神々しさが感じられないこともない。

青白く発光する部屋内の光は恐らく魔石の光によるものだ。

魔石。まともな人生を送っていたら手にする事はおろか目にする事も稀な貴重品。

使い方を知らなければ只のゴミクズではあるが、少なくとも貧民街にいるしょぼくれた中年の男が面白半分で持っていていい代物ではない。



「これはまた……。」

「結構な趣味じゃないか。道楽で作るにはちょっと大掛かり過ぎる。」

「ふ。ふふ。だろう。そうだろう。私の全てだ。ここが私の全てなんだ。」



少年のような瞳を崩さない男は部屋の中央にある見るからに邪悪な紋様を指でなぞり、恍惚としたように背筋を震わせて熱い溜息を吐いている。

悪魔召喚。

伊達や酔狂で決行しようとしているのではないのだろう。

この男は本気だ。そう思わせる偏執的な狂気が見て感じ取れた。

男の呼びかけに応えるように紋様が妖しい光を紡ぎだす。

何かを求める声が直接脳内に語りかけてきている気がする。

地の底から呻くその渇望の怨嗟は一体何者の仕業なのだろう。



「二人とも。二人とも来てくれ。そこに。そこへ並んで立ってくれ。早く。早く。」

「……まぁ、その、なんだ。一応仕事だから言う通りにはするけどな。ユッタ。わかってるな。」

「うん。来なきゃ良かったよ。」

「はっ。ははは。もう。もう遅い。」



魔法陣の上に並んだ二人はこれから起こるであろう事態への対策を既に練ってあった。

明らかに悪魔召喚の生贄にされる的な雰囲気がここに来るまでずっとあったからだ。

何もせずにむざむざ生贄に捧げられてたまるか、と。

いやまぁ、そんな事は依頼状を掲示板から剥がした時から考えていたのだが。

紋様の周囲を這う謎の光線が現れ、薄暗い地下室に響く望郷の声がすぐ近い。

レオは走り寄る気味の悪い色の光線を鈍重に跳んで避けると、無防備に膝をついて両手のひらを合わせて拝み祈る男の首根っこを捕まえた。

そして、両手両足が石のように固まった男を魔法陣の方へ投げ込む。

男の肢体が落ちた先からジュウッと黒い炎が立ち上がり、一足早く陣外へと逃げていたユッタが息を呑んだ。



「おいおい、燃えたぜ。」

「捧げられたって事?」

「わからん。もしもの時は俺を置いて逃げろよ。」

「死ぬときは一緒、じゃないの?」

「お前が先に死ぬんじゃあ、一緒ではないだろ。」

「なるほど、そうか。」



黒炎が石像と化した男を飲み込んでいく。

それは獲物を捕食するかのようで。

バリバリと食い破る音さえ聞こえそうで。

瞼を固められた男の顔が一瞬だけチラリと見えて、そしてまた黒い海の中へと沈んでいった。



「……贄……足り……我は……叶えたり……!!」



空洞の中に反響する欲望の声が一層強くなった。

何を言っているのかが遂に分かるようにまでなっていた。

黒炎の揺らめきがより激しくなり、雨乞いの為に踊る人々のように。

その切れ端が中空を舞ったと思うと、巨大な重圧が魔法陣の彼方より飛来した。



「オオオオオオォォォ……!!顕現せし……!!我、求めり……!!」



下半身がドロドロに溶けた悪魔のような物体がそこにはあった。

上半身は辛うじて神話のような黒く煮え滾るデーモンのそれだった。

有角人と見紛う双角を頭部に宿し、その瞳は燃える炎が青白い背景から切り取られて靡いている。

翻る半翼は刺々しく、触れれば八つ裂きにされそうな拳腕は獰猛さを如実に体現していた。

半面、下半身は赤黒く泡立ち、夏場に溶けた氷菓のごとくに爛れた姿。

見る者の恐怖心を煽る上半身と、痛々しく目を背けたくなるような下半身のアンバランスさがグロテスクな印象を加速させている。



「アァァアアァァ……!!我、欲す……!!更なる贄を……!!」



途端、悪魔の片翼が矢のように尖り、離れた場所にいた二人を目掛けて飛んでくる。

一時は受け止めようとしたレオだったが、横からユッタに蹴り飛ばされて床を転がった。

転がるレオの横を大槍のように鋭い物体が駆け抜けていった。

石畳の床をいとも容易く抉ったその触手は、ズルズルと床からゆっくり這い出て来る。

それ以外の攻撃手段を持たないのかもしれない。

両腕は我儘な子供のようにブンブンとその場で振り回されているが、せいぜいが掠った壁の一部を削り取るだけだ。



「なんだこいつ……。」

「異界の悪魔さんって感じ?どう?倒せそう?」

「殴って倒せる相手じゃないだろ。とりあえず時間は稼ぐ。後はなんとかしてくれ。」

「もう!レオはいつもそれだ!」

「来るぞ!」



ズドンと的を射貫くように触手が床を貫通する。

避けるのと同時にユッタが振り払ったナイフが触手の肌を撫でていたが、肉を裂く時の独特の手応えらしきものは感じられなかった。

床から引き抜かれた針先が再びウネウネと蠢き、狙いを定めた。

雁首をもたげた蛇のように。

ふと見れば、その触手の先には巨体を傾げた出来損ないの姿があった。



「あっちを叩いた方が得策じゃないか?」

「そうだね。動けないなら存分に甚振ってあげよう。」



レオの腕ほども太い針が錐揉み回転しながら二人の間を裂いた。



「おっと危ない!」

「すぐにそこから離れて!」

「無茶言うな!」



ほんの少しユッタより遅れたレオの胴が触手の幹によって強かに打たれた。

地面を支点に触手が折れ曲がり、鞭のようにしなったのだ。


「がふっ。」



鎧の上から叩かれたにも関わらず、内臓を揺らすその衝撃は尋常のものではない。

レオの口から胃の中身がどっと湧き出しかけて、それに耐えながらレオは地面に落ちた。

その間に触手は再度二人の頭上を取っていた。



「ゲホッ、結構、頭が良いな。そっちも、成り損なってくれりゃあ、良かったのによっ。」

「どんどん応用が利いてきてる。早めに倒しておきたい所だね。」

「ああ、急いでくれ。多分長くは、持たないぞ。あと、頃合いを見て、逃げれたら、逃げていい。」

「そうならないように足掻くだけは足掻いてみるよ。」

「それでいい!」



レオの頬を切り裂きながら、床へと激しいキスを降らせる触手。

腰の剣を抜いてその竿を切り付けてみたレオだったが、弾かれるどころか勢いを吸収されるかのように止まった刃に眉を寄せる事しかできなかった。

ユッタはユッタで迫り来る飛翔体を素早く避けながら悪魔の本体の様子を伺う。

そして、その両角の間に宝石のように妖しく光る物体に気付いた。



「あったよ!弱点っぽいのあった!」

「でかした!」



声高に叫ぶユッタの勢いを挫くかのように触手が飛んで来る。

大きく飛び退いたユッタを庇うように前に出たレオの腹が触手の幹に鞭打ちにされる。

内臓を肌を筋肉を直接叩かれたかのような苦痛にレオの口が開いては中から色とりどりの内容物を飛び散らせた。



「げあぁっ……!クソがぁ……!」

「レオ!」

「俺に構うなっ……!次来るぞっ……!」

「オオオオオォォオオ……!!」



一向に当たらない攻撃に業を煮やしたのか、悪魔の本体が大きく呻く。

生物の形を保てていない下半身からごぽりと液体が溢れ、そして黒煙を残して石畳の中へと消えていった。



「贄……!贄っ……!贄ぇぇええ……!!」



言葉が一つ覚えになり、理性が少しずつ失われているように思える悪魔だが、その一方で攻撃の冴えは格段に増し、徐々に攻撃手段が多彩になっている。

試しに悪魔の弱点らしき場所にユッタがナイフを投げてみると、暴れ狂う悪魔の両腕がそれを叩き落とした。

恐らく弱点で間違いないのだろう。

やられる前にやる。

二人の方針が決まった。







第11話 ~デーモンコア~ へ続く







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