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白き刃は即ち己の右腕

第1話

~白き刃は即ち己の右腕~




例えば、この世に受け入れられることのない人物がいたとして。

その最たるものは何かと言われたのならば、それは一体何なのだろう。

無能、醜悪な外見、集団にそぐわない思考、言動。

思うに、それら全てをおおよそ一度に解決する方法が一つだけある。

それはその者の抹消。つまりは、死をくれてやることだ。

この世から受け入れられないとはすなわち、終わりがないという事なのかもしれない。





さて、それはこんな話だ。





吹き荒ぶ砂埃がその男の薄い鎧を白く染めていく。

それでも、その男の動きが止まったのは指で数えて二つか三つの秒数の間だけ。

瞬間、丸太のような腕がその男の肩を掠めた。



「っぶねぇ!」



寸での所で振り下ろされた筋肉の塊を避けた男は、捻くれた身体のまま白く尖った右腕を突き出す。

そう、その男の肘から先は白いカルシウムの塊となっていた。

白いとは言いつつも、僅かに残るピンク色の肉片と、赤黒い血合いのようなサムシングが根本から先端にかけてほとんどを占める。



「ガアアアァァッッ!!」



白い刃は筋肉達磨の分厚い皮膚を突き破り、その奥にある内なる臓腑を捉えた。

腹部を貫く激痛で巨体の動きが止まったのを良いことに、男は右腕を真横に押し退けていく。

刃物が突き刺さっただけだった傷が横に拓かれ、新たな裂傷と共に新鮮な内臓がブチブチと引き裂かれる音が男の耳にも聞こえた。

男が右腕を伸ばし切ると、鮮やかな赤い血が途端に噴出し、遅れて黒みがかった血が破裂爆発。二つの美しい赤い虹を描いた。

まるで牛のような頭部を持つ筋肉人形は、切り裂かれた腹部を半ば反射的に両手で押さえ込む。

押さえたは良いものの、無残に破れた腸らしき内臓からは黄色い液が漏れていて、砂地に染み込む赤と黄の警戒色二色がその傷は致命傷なのだと無言のままに語る。

そして、血の気が引いた(ように見える)牛頭の両側にある目が両方共ぐりんと白目を剥いたかと思うと、筋肉に包まれた巨体がグラリと傾いた。

一度は両膝が落ちていく上半身を支えたが、片方の膝が折れ曲がるともう耐えきれず、牛頭が前のめりに砂地に沈む。

その倒れ方は二足歩行の生物が死ぬ時の倒れ方。

こんな風に倒れたら生物というものはもう二度と立ち上がれないだろう。見た者にそう思わせる倒れ方だった。



「……げふっ。」



牛頭が倒れ伏したその隣。右腕が欠損した男もまた地に膝を屈し、口内の血をせっせと吐き出す。



「おぅえぇぇっ、つぉえぇぇっ。がっ、ぶぇっ。」



砂と血と、それからよく分からない羽虫の死骸のようなものを全て吐き出し、男はようやく息を吸う。

牛の頭を持つ巨体の生物は、もうピクリとも動かない。



「お疲れ。何とかなったね。」



飄々とした声と一緒に、クロークに身を包んだ背の低い少年が岩場の影から出てきて、男の前に立つ。



「……右腕が潰された。一旦街に戻ろうと思う。」

「治るまでどれぐらいかかりそう?」

「何もしなきゃ夜までにはってところだな。まぁ、一泊もすればいいだろ。」

「一泊、ね。」



鑿と槌で牛頭の鎧から装飾品だけを丁寧に割り取り、肩にかけた鞄の中にしまい込むと、外套が血で汚れるのも厭わずに少年は男に肩を貸す。

しかし、男は小刻みに首を振り、更に残った片手を軽く振ってそれを辞退した。



「じゃあ、レオの右手。これで隠して。」



少年が肩掛け鞄の中を漁り、そして、レオと呼ばれた男の前に何かを差し出す。

少年が鞄の中から取り出したのは包帯と布。それを剥き出しになった骨身にぐるぐると巻きつける。

程なくして布だけでなく包帯までもが赤く濁ったものの、不思議とそれ以上の出血は無かった。



「用意がいいな、ユッタ。俺がこうなる事でも予想してたか。」

「ははは。まさか。」



ユッタと呼ばれた少年は言葉だけで笑い、そしてブーツを叩いて砂を払った。



「というか。毎回毎回、用意してないレオの方がおかしいんだよ。」

「どうせ放っておけば元に戻るんだ。いらないだろう。」

「今必要な状況になってない?」

「……ぐうの音も出ない。」



右腕を縁起良く紅白に染める男は名をレオといった。

彼には元々名前がなかった。「おい」とか「お前」が彼の名前だった。

彼が物心ついたときには魔物と剣を交えていた。

日銭が欲しければ魔を斬るしかなかった。それ以外の生き方なんて知らなかった。

親も兄弟も知り合いも。頼れる者など皆飢えて死んだ。

死にたくない。生き延びたい。そんな思いが彼の全てだった。

目についた魔物を片っ端から斬るだけの毎日。

たかだかコップ一杯の水を得る為に血で血を洗う毎日。

やがて彼が死の淵に立つのは至極当然の事だった。

大量に射られた矢の一つが彼の肩に刺さった。くず折れる彼の元に、すぐに幾百の矢が殺到した。

足の止まった獲物は死ぬまで的になる。彼の幸いは、前にいた別の人間がいくらか盾になってくれた事。

血だらけ、矢だらけ、泥だらけ。

矢弾の雨あられは無数の死体の上に止み、彼もまた身体中に刺さる矢をおぼろげな目で見つめながら浅い呼吸を繰り返すだけの泥人形と化した。

そして、ハイエナというのはどこにでもいる。

火事場を荒らす盗人は戦いの終わった戦場とあらば現れるのだ。

彼の眼の前に現れた火事場泥棒は、一人の外道だった。

死屍累々の地獄の園には到底似合わないような小綺麗な少女だったが、その後に彼が受けた仕打ちは外道のそれだった。

少女の手にする怪しげな魔導書から、墨を吐いたような黒煙が飛び出して彼の身体を蝕む。

蝕みは彼の穴という穴から体内へ入り込み、筆舌に尽くしがたい苦痛と不快感が彼を襲った。

激痛と自分が自分でなくなる恐怖に、彼の脳は全てをシャットアウトするべく、それ以上の意識を手放した。

次に彼が目を覚ました時、彼は「レオ」という名前を与えられ、外道な少女の奴隷にされていた。



「ユッタ。」

「ん?」

「……感謝はしてるぞ。」

「ん……。」



少年ユッタの半生は、武力に限らない暴力がほとんど全てだった。

ユッタの両親は良い両親ではなかった。

彼は数枚の硬貨と引き換えに、両親の下から別の両親の下へと受け渡された。

新しい父親は毎日のようにユッタを固い棒で打ち据えたし、新しい母親にはユッタの若い身体を使う事を求められた。

父親に付けられた痣を、毎晩母親に撫でられた。

苦痛と恐怖と嫌悪と怨嗟と。

ユッタの日常はそれ以外に無かった。

ユッタの年齢がそろそろ二桁にもなろうという頃、とうとう母親と行っていた事が父親にも知られてしまった。

その日、ユッタは両親と家とそれから多少の血液とを引き換えに、いくらかの自由を手に入れた。

初めて手にした自由は手が震える程の恐ろしさがあったが、それとはまた別に達成感のようなものもあった。

だが、自由とは言え、腹は空く。

一切れのパンを求めて彷徨う日々。

盗みは勿論やったし、ゴミだって積極的に漁った。必要とあらば殺しまでやった。

月の見えない夜の事だった。いつものように身ぐるみを剥ごうとした相手の首をナイフで切り落としたが、なんとその首から新しい首が生えて来たのだ。

あまりに驚いてユッタは腰を抜かし、あまつさえその相手に捕らえられてしまった。

ふん縛られたユッタを愉快そうに見下ろす男。

それがレオとの出会いだった。



「ユッタ。やっぱ肩貸してくれ。左足もいってるわこれ。」

「え、やだ。」



二人が向かった街の名は、交通都市ヘレルダイト。

都市中央から外壁に向かって大きな交易路が幾本も伸びているのが特徴的な都市で、政府機関による定期便の馬車が配備されている。

農業があまり盛んではないものの、移動に困らないこの街は交易と行商によって無難に賑わっていた。

城壁に立つ兵士に声をかけると、兵士は身分証の提示を求める。

レオが懐から血で汚れた札を差し出すと、それを見た兵士がギョッとしたが、何かを察したのか引きつった笑みを返してくる以上は何も言わなかった。

彼ら二人は外壁から門をくぐり相乗り馬車に乗り込む。

乗り合いの行商人や見るからに平民の女達が、レオの痛々しい右手を見て憐憫やら同情やら、或いは汚い物を見るような目をした。



「商人ギルド~。商人ギルド~。」



馬の荒い鼻息に混じって、御者の男が間の抜けた声でその場所の名前を口にした。

レオとユッタは馬車を飛び降りると、御者の男にいくらかの金品を渡す。

馬車は無料では無かったが、政府による金銭の支援があるため、破格の値段で乗る事ができた。

二人の目の前には馬車停止場を示す看板と、そしてその先には厳かな建物があった。

レオが先陣を切って厳めしい扉を開け、ユッタもそれに続く。

扉の上に備え付けられたベルがカランカランと小気味良く来客を告げた。

正面のカウンターに眼鏡をかけた男が一人。

どうも、書類に目を通している所のようだった。



「ようこそいらっしゃいましたー。」



眼鏡の男は書類を見ながら声を発した。見るからに忙しい。



「戦利品の換金に来た。鑑定を頼みたい。」



レオが開口一番に用件だけを眼鏡の男に伝え、ユッタがいそいそと鞄の中身をカウンターに並べる。

眼鏡の男はそれをチラリと流し見た後にまた書類に向き直った。



「三番窓口へどうぞー。シャルロット先輩ー、換金のお客様ですー。」



すぐにカウンターの奥から背の低い女性がやってきて、眼鏡の男のすぐ隣でニッコリと笑った。

彼女が立ってる場所の天井からは三番窓口という吊り看板が伸びて、風も無いのにその場に揺れている。

レオとユッタは一度広げた品をいそいそと鞄の中に仕舞い込み、三番窓口に向かうと、もう一度同じ物を鞄から出して広げていく。



「あーこれは魔物の遺品ですね。すぐに鑑定致しますので、少々お待ち下さい。」



笑顔のままカウンターに無造作に置かれた装飾品を白手袋で触り、グルグルと角度を変えてはレンズのような物でじっくりと観察する。

そして、何度か上げたり下げたりした後、カウンターの下から白い布を取り出して、その上に現物を置いた。



「800。500。200。」



シャルロット先輩と呼ばれた小柄な女性は、並べて置かれた装飾品を指差しながら笑顔で数字を述べる。

それを聞いたレオが即座に反応した。



「おいおいおいおい。結構綺麗なままだろうがよぉ。相場の半額以下ってのはちょっとどーなんだ。ミノタウロス族のお宝さんだぜ?」

「いやぁ、指紋付着、血液付着、体液付着、端欠け、経年劣化、一部錆。これでも大分サービスはしてるんですよねぇ。」

「いやいや、そこはほら、後で拭き取ったり磨いたりするんだろ?そしたらその何倍もの価値になるわけじゃん。ミノタウロスだぜ?」

「そこにかかる人件費と薬品代を考えたら、これでも大分サービスはしてるんですよねぇ。」

「見てほらこの腕の傷。ヤバくない?ヤバイっしょ。ミノタウロスだぜ?」

「うわぁ、ちょっと、見せないで下さい。だから、これでも大分サービスはしてるんですって。」

「ミノタウロスだぜ?亜人族の中じゃあ……。」

「サービスしてんだよぉ!」



ドン!とカウンターを拳で叩き、遂に小柄な女性がキレた。

カウンターの上のペン立てが一瞬宙に浮き、金属音と共に華麗に元の場所に着地する。

しんと静まったギルドのカウンターにコインをいくつか放り投げる音が聞こえ、レオ達はそれらを無言で拾って逃げるようにその場を去った。



「ご利用ありがとうございましたー。」



眼鏡の男は去り行く二人には目もくれずに、ペン立てからペンを一本拝借して紙に走らせた。



「コーディン・ホテル~。コーディン・ホテル~。」



たおやかな動作で馬車が止まり、御者の男が呑気な声を張り上げる。

その声を聞いたレオ達は馬車を降りて御者に金を払った。

降りた馬車のすぐそこには大層立派な宿屋がある。

昼間だというのに照明のようなものでライトアップされ、無駄に金をかけていそうな外観が上品に照らし出されている。

コーディン・ホテル。

この街に住む富裕層の間では泊まる事がステイタスとされる高級宿屋。

レオ達二人はそんな高級宿屋を一瞥して、それからくるりと踵を返して向かいの普通の宿屋へと足を進める。

二階建てのその宿屋の看板には、慎ましい字でメリー・メリー・メギストスと書かれていた。



「メリー・メリー・メギストスへようこっ……なんだ、レオさんかぁ。」

「ただいま、メリーさん。」



ドアに付けられた鈴の音を聞いて、頬杖から弾けるような笑顔になった後またすぐに頬杖に戻った女性が二人を迎えた。

彼女の名はメリー。宿屋メリー・メリー・メギストスの女将(若い)その人である。



「はいはーい、おかえんなさいねぇ。」

「うわ、すごい塩対応。」

「愛想が足りんのじゃないか。」

「はいはい、愛想が欲しかったら宿代のツケを払って頂戴。」



メリーさん(若い)は手をしっしっと振って、そこでレオの右手の包帯に気付いた。



「あらレオさん。右手、どうしたの?」

「いやぁ、ちょっと牛と格闘してて。」

「大丈夫?救急馬車呼ぶ?」

「メリーさんが美味い夕飯作ってくれればすぐに治るさ。」

「そう?まぁ、夕飯出すのはいいんだけど、宿代のツケをだねぇ。」



レオ達は逃げるようにその場を後にして、カウンター横の階段を駆け上がる。

上がった廊下の奥にある角部屋、207号室。

他の部屋よりちょっと広い角部屋のドアを、レオは3回ノックする。

少し待っても返事は無かったが、レオはそれ以上待たずにドアノブを回した。

部屋の中にはソファーにもたれかかりながら、棒付きの飴を口にする少女がいた。



「あ~?」



少女はソファ越しに二人を見ると、低い唸り声を上げた。






第2話 ~飴と鞭~ へ続く






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