ハウとワカバ、夜の出立
宿へと帰還した一行は、セタの指示によって部屋へと入り、就寝の準備をしていた。
「明日の朝には国王陛下から通達があるはずです。それまで皆様、ごゆっくりとお休みくださいませ」
そう言い残し、セタも部屋へ戻っていった。
「ふぅ……」
自室へと向かう道すがら、マズルはため息を漏らした。
「どうしました? まだ何か不満でも?」
傍らのツルギは訝しげに尋ねた。
「いや、それはもういいんだが。色々ありすぎて整理がついてねぇってか……」
「僕も同じですよ。わからないことばっかりで。でも一緒の目線で過ごせるっていうのはいいですね。これまではお互いの世界を行ったり来たりでしたから」
「そうとも言えるか。まぁそれにしたって、この世界の情報をもう少し知れればいいんだが」
「セタさんが教えてくれるんじゃないでしょうか。もっとも、話してくれればですが」
「望みは薄いだろうな。あいつのことだから、もっと早く言えってなるのが目に見える……」
マズルは苦々しく言い、ツルギは苦笑いした。
二人がそれぞれの寝室に入った後、付近に身を潜める人影が動き出していた。
夜更け。ソラトニアでも空には月が輝き、フォーグ王国を照らしている。
国民の間には勇者たちの来訪が噂となり始め、かつての賑わいが微かに戻り始めていた。だが忘却の民と呼ばれただけのことはあり、昼間の興奮を忘れたかのように、今は門番すら寝静まっていたのだった。
そんな中、宿の廊下を彷徨く者がいた。
それは廊下を歩き、辺りをキョロキョロと窺うと、また元来た道を戻るという、挙動不審な動きを見せていた。
そこに別の影が現れ、声がかけられる。
「……ハウさん?」
「どぅえええっ!? ……ワカバ君か。びっくりした……」
滑稽な叫び声をあげ、滑稽なポーズを取っていることに気づいたハウは、慌てて平静を取り繕った。
「こんな夜中にどうしたの? みんな起こしちゃうよ?」
「いやね、慣れない場所で眠れなくて。ちょっと散歩でもしようかと思ったけど……。そういう君こそ、夜は寝てるんじゃなかったっけ?」
ワカバが太陽の光を力にしていることは、ハウも知っていた。だが今は、夜だというのにワカバはしっかりと目覚めている。
「いつもはそうなんだけど、ここに来てから、なんだか眠くなったりならなかったりして。今は全然眠くないんだ」
「違う世界に来たせいで……。時差ボケみたいなものかな」
夜の静寂の中、二人の間に沈黙が流れる。やがてハウは、一つの提案をした。
「ねえ、ちょっと二人で外に出てみない?」
「外に?」
「そう。散歩しようと思ったって言ったよね。どうせ二人とも眠れないなら、この町の中だけでも探検してみたいなって思ってね」
「でも、あんまり勝手なことしたら怒られちゃうんじゃない?」
「ちょっとだけなら大丈夫だよ。だけどワカバ君が行きたくないなら、諦める」
ワカバは一瞬考え、答えを出した。
「わかった。僕も一緒に行く」
「ほ、ホントに? 無理しないでよ?」
「大丈夫。僕も外を見てみたいから」
「そっか。それじゃ行こう。皆さんを起こさないように、静かにね……」
二人はこっそりと宿を出ようとした。
しかし、その目論見は呆気なく崩れることとなる。宿の前にいた、もう一人と鉢合わせをしたのだ。
「誰だ!?」
「ひぃっ! かか、カサンドラさん!?」
「ハウ殿? それにワカバもか。こんな夜更けにどうした?」
カサンドラは鋭い眼差しで、二人を見据えた。
「ぼ、ボクたちは、えと、その……。そう、お、お手洗いに行きたくて」
なんとか振り絞ったハウの言い訳に、カサンドラは眉をひそめた。ハウとワカバは思わず背筋を伸ばした。
「ふむ、手洗い場か。慣れない地では不便だろうが、行ける時に済ませておかなくてはな」
「そ、そうですね……えへへ」
「カサンドラさんも、お手洗い?」
「いや、私は少し鍛錬をな。一日でも怠ると、すぐに鈍りが出てしまう。ヒノコ殿の工房から借りてきたこれで素振りをしていた」
カサンドラの手には、ヒノコの工房にあった槍が握られていた。
「な、なるほど。……では、ボクらはこれで」
カサンドラを残し、ハウとワカバはそそくさとその場をあとにした。