旅立ちの時
夜明け前。女神コスモの前に、つかつかと近寄る足音が響く。
「主様、お呼びで御座いますか?」
セタは恭しく頭を下げ、問いかけた。
コスモとは不可思議な繋がりを持つセタは、彼女のテレパシーにも似た呼びかけに反応し、その眼前へと馳せ参じたのだった。
「ご苦労様です、セタ。ようやく出立できるようですね」
「はい、一時はどうなることかと不安になりましたが、皆様の寛大な御心のおかげで御座いまして……」
「その通りです。全てが完了した暁には、充分な御礼を差し上げなければなりませんね」
「ええ。……して、私に何かご用があったのでは?」
セタは思い出したように尋ねた。
「重要なことではありません。ただ、旅立つあなたに挨拶をしたかっただけです」
「私のような者に、もったいないことです。必ずや、使命を果たして御覧に入れましょう」
「ええ。期待しておりますよ」
コスモは優しく声をかけた。
しかし、セタはその場を動こうとしなかった。
「主、ひとつだけ、お願いが御座います」
セタは唐突に切り出した。
「お願い? あなたからそんな言葉が出るのは珍しいですね。どんなお願いですか?」
「恐れ入ります。実は……」
セタは静かに、自らの願いを伝えた。
「……良いのですか? さすれば、二度と今のあなたには戻れないでしょう」
「もとより覚悟の上です。これまで皆様にかけた苦労に比べれば、大したことは御座いません。それに、これから皆様と行動を共にするのであれば、その方が都合が良いかと思ったのです」
セタは真剣な面持ちで伝えた。
コスモは目を閉じ、暫し考えた後、答えを出した。
「わかりました。あなたがそこまで願うのならば、言う通りにしましょう」
「感謝いたします、主様……」
夜明け。目覚めた者がひとりまたひとりと、広間に集まった。
全員が揃った時、セタは皆に向けて声をあげた。
「おはようございます皆様。それではこれより、最初の目的地であるフォーグ王国へと向かいます。準備はよろしいでしょうか?」
「大丈夫です。心残りはありません」
クロマは答えた。
「バッチリすよ」
「問題ないよ。詳しいことは伝えなかったが、なんとかわかってもらえた」
ジェシカ、エールも同じく答えた。
「アニ……マズルは大丈夫なんですか?」
「俺は大丈夫だよ。親とは離れて暮らして長いからな。しばらく連絡がなくても心配しねえだろう」
「そっか。僕も同じようなもんです。心置きなく旅に出られますね」
「ありがとうございます。くどいようですが、本来ならば無関係の皆様を巻き込んでしまい、誠に心苦しく……」
セタは申し訳なさそうに頭を下げた。
「本当にくどいよ、セタ。今さらもう後戻りできないじゃないか」
「そうよ。第一あたしたちに無関係だなんて、そんなことはないんじゃないの?」
バレッタ、マジーナは反論する。
「不の種、だったよね。それが僕たちの世界にも影響してるって言ってましたよね?」
ワカバはセタの説明を思い出して尋ねた。
「ええ、仰る通りです」
「それじゃ、僕たちにも無関係じゃありませんよね」
「そうです。私の両親があんな風になったのも、もしかしたら不の種のせいかもしれません。そうだったら、見過ごすことはできませんっ」
クロマは偏った教育を受けさせられた記憶を思い返し、力強く言った。
「うちの親はどうだかわかりませんが……。でもみんなのためなら、やる価値はありますね」
ハウも記憶を思い返しながら、賛同した。
「そうだな。騎士は民のため、仲間のため、主君のために戦う存在だ。私には断る選択肢も、理由もない」
カサンドラは静かに答えた。
「僕らがあなたたちの言う勇者なら、これも使命だと思って戦いたいと思います」
ツルギは拳を握りしめ、答えた。
「使命ねぇ……。俺にはピンと来てないが、戦う理由としては、なんつーか……悪くないんじゃないか」
マズルは言葉を濁し、言った。
広間の全員の視線が集まるのを感じる中、マズルは再び口を開いた。
「救ってやろうじゃねぇか。世界二つ、いや三つをな」
全員が頷き、拍手まで起こった。マズルは照れを隠すように、後ろを向いた。
「よーし、そうと決まればいざ出陣!」
「お前が仕切るんじゃない。我々の長はマズル殿とツルギなんだぞ?」
思いがけなく、ジェシカにカサンドラが突っ込みを入れる形になった。
「あ、そーでした。サーセン」
勇者たちに、笑いが巻き起こった。セタとマズルの顔にも、笑みがこぼれていた。
(フリント、お前がどこかで生きてる世界を救うんだから、まぁ悪い話じゃねぇよな。元の世界に戻ったら、また会おうぜ……)
マズルはひとり、心で呟いた。
その頃、神殿から離れた城で、男が目覚めた。
目覚めた、と言ってもベッドに横になっていたということとはわけが違った。男は立ったまま、目の前の像に向けて目を閉じ、身動き一つしないでいたのだった。
男は目を開け、像を見上げると呟いた。
「やはり何も仰ってはいただけませんか。いえ、良いのです。貴方様のお考えは、全てこのエクリプスが理解っておりますから」
エクリプスは像に向けて頭を下げた。
その時、背後から声がかかった。男の声だった。
「エクリプス。そろそろ時間では?」
「ええ。全員、集まりましたね?」
エクリプスは振り返り、人数を確認した。
彼を含めて五人。否、エクリプスの足元に、男女二人の子供がいた。子供たちはエクリプスの服を掴み、キョロキョロしたり足踏みしたりと落ち着きなく身体を動かしていた。
「では、本日もネビュラ様へ祈りを捧げましょう。人々に、主の救済があらんことを……」
エクリプスの言葉に従い、一人を除いて他の全員が膝をつき、祈りを捧げた。
「ライサ、真面目にやれ。ネビュラ様の御前だぞ」
エクリプスに声をかけた男が言った。
「へーいへい」
ライサと呼ばれた者は、やはり男の声で気だるげに答えた。
「……よろしい。では先日も話した通り、コスモの呼び出した勇者とやらが動きを見せました。取るに足らないこととは思いますが、念のために警戒をしましょう。それぞれの持ち場につきなさい」
エクリプスの命令を受けた四人は、すぐにその場から姿を消した。
「あなたたちも自分の部屋に戻りなさい。私が声をかけるまで、いい子でいるのですよ」
「はい、お父さん」
「退屈は嫌だよ。早くしてね」
エクリプスを父と呼ぶ二人は、どこかへ消えていった。
その直後、エクリプスの背後にもう一人が現れる。
それは人かどうかもわからないほど、全身を漆黒のローブで包んだ、マズルとジェシカが遭遇したあの黒ずくめだった。
「おや、おかえりなさい。首尾はどうでしたか、ロッシュ?」
「まぁまぁだったよ。特に問題はない。…………」
ロッシュと呼ばれた者は答えると、しばらく黙り込んだ。
「何か言いたいことがあるのですか?」
「いや、ちょっと懐かしい顔に会ったから、思い出してただけさ。それより、今は二人だけなんだから普通に呼んでくれてもいいんじゃない? フリントってさ」
ローブを脱いだその顔は、にやりと微笑んで言った。




