怪しい人影の行方は?
バレッタは話し終えるとふぅっと深呼吸した。すかさずアニキはその後について付け加える。
「んで、バレッタにはフリントのその後について話したんだ。ヒュジオンって宗教団体に興味を持って、俺の反対を押し切って入信した。それ以来、全く連絡が取れないってな」
「そういうこと。アタシとしても、もちろん彼のことは心配だった。でも、三人で一緒に会社を立ち上げる気でいたから、そっちで頭がいっぱいだったのさ。とりあえずフリントの行方も探しながら、仕事をして行こうって決めたんだよね」
アニキとバレッタの過去とフリント、そしてソルブ・トリガーの成り立ちを聴いた三人は、それぞれ違った表情を浮かべていた。
ハウは二人を気遣って言葉を選んだのか、おずおずと口を開いた。
「…この会社も、今こうしてお仕事しているのも、フリントさんの一言がきっかけということなんですね。ボクも一度会ってみたいなぁ」
「当然、今も諦めてないよ。きっと会わせてあげるさ」
ハウはホッとした様子で微笑み、頷いた。
「フリントって人、聞いた限りではめっちゃいい人そうだね。あちし、多分気が合うかもしれない」
ジェシカは(珍しく)真剣な面持ちで言った。
「そうだな。そのためにあいつの情報を集めてるんだ。そうだろ?」
アニキはエールを見る。エールは頷き、おもむろに口を開く。
「うむ、その通りだ。心配しているみんなのためにも、フリント君を一刻も早く見つけ出さなくてはならないね。私は心の底からそう感じたよ」
「ああ。頼りにしてる。…その、あんたの持ってきてくれる情報をな」
「素直に言やいいのに。エールを頼りにしてる、ってさぁ」
バレッタはアニキの背中をポンとはたいた。するとアニキは照れを隠すように、唐突に話題を変えた。
「ところでなんだか見覚えがあるような気がするが、ここはどこだったかな…。確か、俺とフリントが三年生の時の教室だったかな」
「本当? アタシも三年の時の教室、ここだったんだよ。おかしな縁だね」
「マジか。だったらあの壁の落書き、お前の代にもあったものか?」
「そうそう! アレね、描いたのはアタシの同級生だよ。ムカつく教師の顔描いて、見つかって怒られてたっけ」
「はは、いたなぁそんなの。色々と思い出すもんだな…」
アニキとバレッタが思い出話に花を咲かせるのを見たエールは、ハウとジェシカにそっと耳打ちし、僕にもその声は届いた。
「しばらく二人にしてあげよう。我々は少し、校内を散歩でもしようか」
「そだね。それがいいと思う」
「…ええ、そうですね。………」
「よし、お邪魔にならないように行こう。ツルギ君も、よければ一緒に来たまえ」
教室を出る三人に、言われるがまま僕はついていった。
「マズさんとバレさん、ここで始めて出会ったんだね。もっと昔からの付き合いかと思ってたから意外だったな」
階段を上がって二階に行き、長い廊下を歩きながらジェシカは呟いた。
「私もそう思っていた。それでも長い付き合いを感じさせるということは、相性がいい二人だということなんじゃないかな?」
「そうともいえるかもね。なんだか楽しそうに話してたし。ねぇハウりん?」
「そ、そうですかね。ボクにはあまり…よくわからない、です……ええ」
ハウはそっぽを向きながら、とぎれとぎれに答えた。さっきの教室を出る時から、彼女に妙な違和感を感じていた。
それはジェシカも感じていたらしい。
「どうかしたの? 何か変だよ」
「べべ、別に。何もありませんけど?」
「ふーん、ならいいけど。…ん?」
ジェシカは突然、一点を凝視した。視線の先には、扉が壊れて開きっぱなしの教室があった。
訝しげに、ハウは尋ねる。
「あの、どうしました?」
「いや、今あそこに何かチラッと見えたような気がして」
「…何か、とは?」
「んー、人影、的な?」
それを聞いたハウは、いきなりジェシカにしがみつく。ジェシカは困惑していた。
「ちょっ、今度はどうしたの?」
「ぼ、ボクそういうのダメなんです…。ホラー系はすごく、苦手で…」
「そうなの? でも虫の怪物とか魔獣とかとは戦ってきたじゃん。アレは怖くないの?」
「あれは別です。出てくるのわかってて、足もついてるし。幽霊はそうじゃないから怖いんですよ…」
「そういうモンなのかな…。まぁでも、多分あちしの気のせいだから安心してよ」
しかしエールは、ばつが悪そうに口を挟んだ。
「申し訳ないがハウ君、私にも見えたんだ。人影がね」
「…マジですか。エールさんまで…」
ハウはますます狼狽えた。三人は人影が見えた教室をずっと凝視している。今は何も動く気配がなかった。
「行ってみる? あそこ」
「え」
「そうだね。なんだか気になる」
「えええ…」
エールとジェシカはその教室に向かった。
ハウはすぐに足を踏み出さなかったが、やはり一人は心細かったのか、二人の元へ向かう選択をした。
教室の中は埃っぽく、机や椅子が乱雑に置かれており、どこか不気味さを感じた。
しかし、三人以外の人の姿はどこにも見受けられなかった。
「ふむ、誰もいないようだね。だが、しかし…」
「おかしいな。あちし、目がおかしくなったのかな」
「ほ、ほらぁ。やっぱり気のせいだったんですよ。早く出ま…」
その時、ハウの肩に何者かの手がポンと置かれ、彼女は言葉も身体も凍りついた。
「ここにいたのかい? ちょっと目を離したらみんないないんだもん。焦ったよ」
バレッタとアニキだった。いつの間にか雑談を終え、追いついていたようだ。
ハウはへなへなと床に座り込み、そのまま横になってしまった。
「ち、縮んだ………」
「何が? 身長? バスト?」
「…そんなわけないでしょう。寿命ですよ。じゅ・みょ・う!」
からかうジェシカに、ハウは床に伏したまま突っ込みを入れる。
「その割にはけっこう元気じゃん。バレさん、ハウりんは怖いの苦手なんだって。気をつけてあげてよ」
「ありゃりゃ。ゴメンね、怖がらせちゃって」
「そういや、この学校にも七不思議とか噂あったっけな。誰もいないのに、後ろから肩叩かれるとか…」
「かか、勘弁してくださいよぉ…」
ハウは身を縮こまらせ、辺りをキョロキョロと見回した。
そんな場の空気を、エールは真剣な表情と口調で変えさせた。
「盛り上がっているところすまないが、由々しき事態かもしれないぞ、マズル君」
「どういうことだ?」
「私とジェシカ君は、この教室に入る人影を見たんだ。二人とも見たのだから気のせいとは思えない。そして、ここから出た姿は確認していない」
「…つまり、そいつはまだ近くにいると? でも、他の所から出たのかもしれないだろ?」
エールは教室の窓を指さした。そこにはギザギザした穴が空いていた。
「あの窓から逃げたのかと最初は思ったが、ここに来るまでにガラスの割れる音は聞いていない。それに、あそこを人が通れるかと言えば疑問が残る。おそらく、誰かがイタズラか何かで外から割ったものだろう」
「てことは、やっぱり今もこの中にいるんだね。…人か、はたまた化け物か」
全員が一塊になり、身構えて周囲を見渡した。
緊張で静寂が流れ、外からの風の音や、鳥のさえずりくらいしか聴こえなかった。
それからアニキたちは恐る恐る教室内を捜索したが、ネズミ一匹見つけることはなかったのだった。
「…どうやら本当にいないようだね。奇妙なこともあるもんだ」
「うちら、異世界行って魔獣退治やらされてるくらいだし、あってもおかしくなくねっすか?」
「にしても、何でまたこんな場所に人がいるんだ。泥棒にしたって、金目の物なんかあるはずなかろうに」
「まぁアタシらには関係ないことだし、放っといてもいいんじゃないの。…ところでハウ、さっきからすごく動きづらいんだけど」
「早く帰りましょうよぉぉぉ…。もう仕事は終わったでしょう」
ハウはずっと、バレッタの背中にピッタリくっついて行動していた。普段の彼女からはあまり想像できない光景だったので、なんだか新鮮だった。
「よし、そんじゃ帰るか。出口はっと………ん?」
アニキはふと自分の足元を見て、しゃがみこんだ。
立ち上がると、手に紙の切れ端を一枚持っている。
「なんだいそれは?」
「さあな。わかんねえけど、何か書いてあるな」
そこには確かに何か書かれていた。しかし、その場の誰にも内容はさっぱり理解ができなかった。
『三、F−13、下』
それから事務所に戻ったアニキたち。一緒に寝てくださいと懇願したハウの部屋に、ジェシカは一晩泊まることになった。
全員が自室に戻ると、途端に事務所内は静かになった。
アニキはベッドの上で寝転がり、件の紙切れに目を通していた。
「何か引っかかるんですか、アニキ?」
思いきって聞いてみた。常時声は届くようになったとはいえ、今日はそうする機会がなかった。
「…ああ、まぁな。あん時はハウがビビってたし、あえて言わなかったんだけどな。この字、実は見覚えがある。…フリントの字に見えるんだ」
「フリントさんの字…ですか?」
「あいつの字だって証拠も確信もない。それでも手がかりになるかもしれないし、持って帰って来ちまった」
沈黙が流れる。気まずくなった僕は考えた。何か声をかけないと…。
「み、見つかるといいですね、フリントさん」
「そうだな。俺はこう見えて希望を持ってんだ。あいつはどこかで元気でやってる。もしものことがあったら、何かしら耳に入るはずだからな…」
更に空気が重くなってしまった気がする。アニキの声は徐々に小さくなっていった。フリントが無事だと思っているというよりは、そう信じたいという方が近いだろう。
しかしアニキは、自分から重い空気を破った。
「心配すんな。もうすぐ決着は着く。エールの言う話が確かならな。明日はきっとお前の世界だろう。冒険、頑張ってくれよ」
「…ありがとうございます。アニキも追体験、よろしくお願いします」
自分のことで手一杯のはずなのに、こちらの心配をしてくれている。そう言われたら頑張らないわけにはいかない。
僕は遠ざかる意識の中、ぐっと気を引き締めた。




