囮作戦は大失敗?
闇夜にそびえ立つ大きな屋敷。入り口には灯りが点いている。火の明かりではないようだが、魔法具とかいう類の物なのだろうか。
同じく入り口の前には、人と変わらない衣服を纏った魔物が二体立っている。こいつが件のクレバーゴブリンに違いない。
クロマが近づくと、片方のゴブリンは気づき、声をあげた。
「何者だ!? …人間か。何用だ?」
俺の知ってる魔物はワカバやシンを除いて言語を話していなかった。しかし、目の前のゴブリンは流暢に喋っている。
「わ、私は近くの村の者です。こちらのお屋敷に、新しい領主様が来られたと聞きまして、ご挨拶にと思いまして…」
胸元の酒瓶を差し出しながら、クロマは言った。
ゴブリンは訝しげにクロマを睨み、疑り深く尋ねてきた。
「それは殊勝な心がけだな。だが貴様、まさかここの前の持ち主ではあるまいな? 我々を出し抜いて、屋敷を取り戻そうなどと画策しているのではないのか?」
そこまで見抜いているとは。ツルギたちの言う通り、人並みかそれ以上に賢いのはマジらしい。
「ちちち、違います。滅相もない。ただの村娘ですから」
クロマは慌てて否定した。だがかえって怪しく見えてしまいそうだ。
するとゴブリン二体は、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。思わず身を縮こまらせるクロマだったが、奴らはクロマの持つ酒瓶をひったくり、耳元で言った。
「良かろう。ならば調べさせてもらう。お前の身体をな」
「し、調べる…?」
ゴブリンはクロマのボディチェックを始めた。露出が多く、凶器など隠す場所が少ない彼女の身体を、隅々まで探していた。マントをめくられ、薄い布で覆われた胸部をまさぐられたクロマは、顔が真っ赤だった。恥ずかしさや恐怖を、必死に堪えているのが伝わってくる。
俺は見ているのが申し訳なくなり、途中から後ろを向いていた。ゴブリンに性別があるのか知らないが、こいつらどんな気持ちでやっているんだろうな…?
「これはなんだ?」
ゴブリンの声で、俺はふり返る。奴の手には、カサンドラから渡された御守りが握られていた。
「御守りです。えっと、私のお母さんからもらいました。あなたはいつもそそっかしいからって…」
できるだけ自然に聞こえるように嘘の説明をしたクロマ。少なくともさっきの返事よりは本当らしく聞こえる。ゴブリンにもそう聞こえたらしい。
「なるほど。魔力は感じられない。どうやらただの装飾品のようだな」
「はい。当然です。そのお酒も、皆さんで召しあがってください」
「そうしよう。まずはお前も一緒にな」
「へっ? 私も?」
「当然であろう。お前が持ってきた酒に、毒が入っていないとどうやって証明できる? 我々と飲み交わそうじゃないか」
「はい…そうですよね。一緒に飲みましょう…」
クロマはフラフラと、ゴブリンに連れられて屋敷の中に入っていった。
クロマの後ろ姿を見届けた俺は、引き返してツルギたちの元に向かう。ツルギは俺の報告を待つために、地べたに横になっていた。事情を知らない奴がいれば、緊張感がないように見えてしまう。
「戻ったぞ。クロマは酒の毒味のため、屋敷の中に連れられていった。早いとこ助けに行こうぜ」
「やっぱりそうなりますか。あまり待たせるとクロマさんに恨まれちゃいますからね。急いで行かなきゃ」
ツルギは起き上がり、マジーナとカサンドラを連れ、屋敷の裏口へと向かう。
ワカバは夜に弱いということと、朝までに帰って来なかった場合の保険ということで、茂みに置いていく手はずになっていた。回復役と戦力が削がれるのは痛いとは思うが、それが賢明な判断だと思った。
屋敷の裏側に到着したツルギたちは、使用人から貰った屋敷の見取り図を眺め、突入と脱出の手順を確認していた。
「…まずはこの裏口から入って、そこは倉庫だ。それから階段を上がって、この廊下に出る。そこからゴブリンたちを倒しながら中を進んで…宴会を開くならこの広間だろう。ここでクロマさんと合流して、残りのゴブリンたちを殲滅する。あくまで理想的な話だけど」
「よし、気合い入れるわよ〜。ところで、相手のゴブリンたちは何体なの?」
「そういえば聞いてなかった。今からアニキに見てきてもらおうかな…」
ツルギは再び横になろうとするが、カサンドラはそれを止めた。
「ここまで来たら止まっている場合ではないだろう。クロマの身が心配だ。今すぐ突入すべきだと思う」
「それもそうですね。それじゃ、行こう」
ツルギたちは一直線に、裏口へと走った。
だが、この日は厄日だったのか、三人の目の前に立ち塞がる者がいた。
「これはこれは。人間の皆さん。ご用ならば表口からいらっしゃればよろしいのではありませんか?」
ゴブリン三体が、裏口に待ち構えていた。クロマの陽動にも警戒を緩めておらず、奴らの賢さを思い知らされた。ツルギたちも、そこを侮っていたようだ。
「くっ、ここにも見張りがいたのか…」
「当然でしょう。この屋敷を奪ったのですから、取り返しにくる者が現れると考えるのはごく自然なこと。あなた方人間も、そう考えるのではありませんか?」
「腹の立つ言い方だけど当たってて悔しい。考えが甘かったかしら…」
「どうする? 正面突破は厳しいが…」
カサンドラの言葉が終わらないうちに、ゴブリンの一体が炎の魔法を放ってきた。カサンドラは咄嗟に盾を構え、攻撃から二人を守った。
しかし、大抵の攻撃にはびくともしないと思われたカサンドラは、ゴブリンの魔法によろめき、仰向けに倒れてしまった。
「カサンドラさん!! 大丈夫!?」
「ああ…。心配はいらない。だが予想以上だな。クレバーゴブリンの魔法というのは…」
「聖騎士様にお褒めの言葉をいただけるとは光栄です。早々にお引き取りいただかなくては、もっと痛い目を見ることとなりますよ…?」
ゴブリンたちは炎をちらつかせながら、ツルギたちににじり寄る。一時撤退も選択肢にはあった。しかし、クロマを中に残している以上、それはできない。ツルギの性格から考えれば、その選択も容易に想像できた。
「どうしたらいい、何か方法は…。この裏口以外で、屋敷に入れる所は…」
ツルギはゴブリンたちに注意を払いながら、屋敷の見取り図を見る。俺も何か力になれないかと、傍で見取り図に目を通す。パッと目に入ったのは、煙突だ。それがある場所は…。
「「上だ!!」」
ツルギと俺は、同時に叫んでいた。マジーナはそれを聞いて理解したのか、初めて見る魔法を唱えていた。
「そっかわかった! "マキ"!!」
三人の周囲から風が吹き、竜巻状になったかと思うと、強烈な上昇気流となり、三人を空高く持ち上げ、ツルギたちは屋根の上へと登ることができた。
「あたた…。この魔法、あんまり使ったことないのよ。でも成功して良かった〜」
「助かったよ。なんとか撒けたな」
「安心するのはまだ早い。感づかれた以上、仲間を呼ばれるのも時間の問題だ。早くクロマの元へ行こう」
「そうでした。あの煙突から中へ」
「大丈夫? けっこう高さあるけど…」
心配するマジーナをよそに、ツルギは煙突に向かった。
煙突に足を入れる前に、ツルギはマジーナに尋ねた。
「ねぇ、さっき僕と一緒に上だって叫んだの、マジーナ?」
「急になに? あたし言ってないよ」
「私もだが。空耳ではないのか?」
「そうかな。…まぁいいや。早く行きましょう」
ツルギは煙突に飛び込み、マジーナとカサンドラも続く。
あの時声が聞こえたって、俺の声以外に考えられない。一体どういうことなんだ…?
考えてもさっぱりわからないので、俺も煙突に飛び込んだ。
降下したその先には、煤だらけのツルギとマジーナ、カサンドラ。そして、テーブルに突っ伏しているクロマがいた。
「けほっ、けほっ…良かった。クロマさん無事だったわね」
マジーナはほっと胸を撫で下ろすが、クロマは無事、というわけでもない様子だった。
「うーん、なに…あれれ、みなはんお揃いでどうされたんれすか〜? あははっ、マジーナはん真っ黒〜」
完全に酔っている。今年でちょうど二十歳と言っていたし、酒を飲んだ経験もなかったのだろう。見ると、酒瓶の中身もほとんど空だ。
「ああー…なんだか申し訳ないな。一番損な役回りさせちゃって、こんなになって…」
「今は悔いている暇はない。早くゴブリンたちを倒し、脱出を…」
「させると思うか?」
棚の陰から、またしてもゴブリンが数体現れた。一体はあの入り口で、クロマのボディチェックをした奴だ。さっきの奴らと同じく、指先に炎をちらつかせて迫ってきている。
「くそ、ここで終わりなのか…?」
その時、誰かが一歩前に出た。酔ってフラフラの状態のクロマだった。
「なんだ? 足手まといが何を…」
「ダメれすよぉ、ほんなに怖い顔してぇ。また、仲良く飲みまひょうよぉ? えへへぇ…」
「ほざけ。貴様の目論見などとうにわかっている。邪魔するならば、貴様から始末するぞ」
「そんな酷いこと言わないの。お仕置きしちゃいまぁふ」
クロマが両手を上に上げると、そこから巨大な火球が作り出された。驚くゴブリンたちに向かって、その火球が投げつけられる。
凄まじい轟音と熱気が消えたあとには、奴らの姿もなくなっていた。それだけでなく、周囲の壁やテーブルなども、跡形もなく消え去っている。
「い、今のって、新しい魔法? 確か、上級魔法"ギガ・エル"?」
「魔法については詳しくないが、好都合かもしれない。この調子で他のゴブリンたちも倒していくぞ」
「はぁい。わたしにお任せを〜。ぐふふ…」
未だに酔いの醒めないクロマを連れ、ツルギたちは屋敷内を回り始めた。




