領主の教育は偏執的?
ブランシュ=メノウ
ビアンカ=メノウ
クロマの両親。身分が下の相手にも、平等に接する人間。だがしかし…?
当主が姿を見せると、ツルギたちは慌てて立ち上がって頭を下げた。しかし当主は、直前まで座っていた来客に対して、嫌な顔をするどころか、実ににこやかだった。
「ああ皆さん、そんなにかしこまらなくてよろしいです。どうぞおかけになってください」
当主に偉ぶった態度は微塵もなく、ツルギたちを座席に促す。それは奥方も同じだった。
「私はこの一帯の領主を務めさせていただいております、ブランシュと申します。以後お見知りおきを」
「私、その妻のビアンカですわ。魔物退治、ご苦労様でした。感謝申しあげます」
領主二人は深々と頭を下げる。姿を別にすれば、身分の差を感じさせない振る舞いだった。
「こ、こちらこそありがとうございます。ご、ご当主自身があ、挨拶していただけるなんて…」
ツルギは背筋や指の先をピンと伸ばし、しどろもどろに挨拶を返した。完全にド緊張している。
しかしビアンカは微笑み、意に介した様子なく答えた。
「あらまぁ。うふふ、そんなに固くならないでください。私たちの娘のお仲間さんですもの。赤の他人ということでもございませんでしょう?」
ビアンカはクロマをちらと見る。クロマは杖をグッと握り直し、顔を隠すような動きを見せた。
「お久しぶりです。父さん、母さん」
もしかしたら、クロマにも確執があるのかもしれない。ハウと同じく、両親に対する確執が。彼女の今日の反応を見ていたら、容易に想像がついた。
「皆さんには感謝しているんですよ。クロマがお世話になっているんですから。ご迷惑など、おかけしていないですか?」
「ご迷惑だなんて。クロマさんは僕たちの攻撃の要です。たくさんの戦いを切り抜けられたのも、クロマさんのおかげですから」
「…自信がなさすぎるのが、玉にきずだけどね」
「そだね」
はっきりと言い切るツルギの傍で、マジーナはワカバの耳元で囁いた。だが、ツルギの言葉も含めて全て真実だとは思った。魔法使いが二人のパーティで、クロマの放つ魔法はマジーナを凌駕している。攻撃の要と言っても過言ではない。
「いえいえ、ご健闘は皆さんの努力の賜物でしょう。私たちのクロマは優秀ではありませんからな。ははは」
ブランシュは明朗に言ったが、思い切り自分の娘を否定していた。続くビアンカも同じだった。
「クロマは昔からそそっかしくて、世話が焼けますのよ。きっと皆さん、気をお遣いになっているのでしょう?」
「ええ…私は役立たずの足手まといです…」
クロマは誰に言うでもなく、俯いて一人呟いた。その瞳は虚ろで、光を失っているように見えた。
「お言葉ですがご当主様方。娘さんはよくやってくれています。確かに未熟な点も多く、迷惑を全くかけていないと言えば嘘になる。だが、我々がこれまで何度も助けられているのも事実。彼女は大切な仲間だと、少なくとも私は思っているのです」
「カサンドラさん…」
カサンドラは口を挟んだ。沈黙を貫いていたが、堪えきれなくなったという感じだ。
当主二人は聖騎士の言葉に少し威圧されたように見えたが、その意思は変わらないようだった。
「聖騎士様がご一緒とは驚きました。しかしながら、これが私どもの教育方針でして。謙遜こそ、上に立つ者のあるべき姿だと、昔から教えているのですよ」
クロマは黙って頷いている。だが相変わらず伏し目で、床だけを見つめていた。
「で、でも、クロマさんは頑張っています。そこは褒めてあげたりとか、しないんですか?」
「お優しいのですね、お嬢さん。ですが慢心は心にも隙を生み出します。その隙を突かれないようにと、日頃から教えていたのです。そこはご理解ください」
マジーナも堪らず声をあげたが、柔らかくもきっぱりとした言葉で否定されてしまい、それ以上言い返せなかった。
その時、屋敷の使用人が部屋に入ってきた。
「失礼いたします。旦那様、よろしいでしょうか?」
「どうしたのかな。慌てた様子だが」
「それが…」
使用人はひそひそと、ブランシュの耳元で囁いた。
「なんと。湿原に再び魔物が現れたと?」
「そうなのです。いかがいたしましょう?」
「うーむ。ここいらであまり魔物は現れないから油断していた。どうするべきか…」
「あの、それなら僕たちがまた退治しますよ」
会話を聞いていたツルギは口を挟む。きっとそうするだろうと、俺には予想できた。
「よろしいのかな? この依頼は契約にはなかったはずだが」
「仕方ありませんよ。そちらにとっても予想外のことでしょうし」
「ではお言葉に甘えるとしよう。我々も精一杯のサポートをいたします。さぁ、湿原へ向かいましょうぞ」
湿原へと向かう道中、マジーナはツルギにそっと耳打ちした。
「ツルギ、いいの? どんな魔物が出たのかわかんないし、追加報酬が出るかもわかんないのに」
「みんなで戦えば大丈夫だよ。それに、クロマさんの戦いを近くで見てもらえば、あの二人の考えも変わるかもしれない。一緒に来てくれたのは好都合だった」
「そゆことなの。だけど変心してくれるかしらね、あの二人」
後ろを見ると、不安そうに進むクロマがいた。両親は娘の後ろ姿を見ることなく、集団の先頭を歩いていた。
湿原にはツルギたちが退治したものよりも大きな、黄色のスライムがいた。通常の個体の倍はあり、年少の子供くらいの大きさがある。
「アイツ、前にあたしたちが戦った奴じゃない?」
「多分そうだ。グロウスライムだっけ。逃げたのがここまで成長したのかな」
二人はそのスライムに見覚えがあるらしい。スライムに記憶能力があるのかはわからないが、相手も身体をピョンピョンと跳ねさせ、二人を目の前にして敵意を見せたように思えた。
「グロウスライム。戦っただけ経験を積み、成長する魔物だという。だがこの程度ならば苦戦はしないだろう。早々に決着を…!」
カサンドラは槍を構え、スライムに突き立てた。しかし、柔らかい身体は槍を包み込み、衝撃を和らげているようだった。
「む…物理攻撃に耐性を持っているのか。少々厄介だな」
それを聞いたマジーナは、しめたとばかりにクロマの元へ駆け寄った。
「クロマさん、チャンスよ。物理攻撃がダメなら、魔法使いの出番じゃない」
「え、ええ。でも、魔法ならマジーナさんも…」
「何言ってんの。ご両親の前だから譲ってあげるのよ。頑張って」
「はい…ありがとうございます…」
ありがた迷惑ですと、クロマの顔に出ているような気がした。
スライムに対峙すると、クロマは呪文の詠唱を始め、一気に解き放った。
「…はっ! "レール"!!」
雷の魔法はスライムに命中したが、大して効いている様子はなかった。するとクロマは、いつもの流れでがくりと膝をつく。
「ああ…ダメでした。やっぱり私は…」
「しっかりしてよ。ここで頑張らなきゃ、いつまでもダメなままよ」
「そうだよ。エールさんのこと、思い出して」
マジーナとワカバは、うなだれるクロマの耳元で言葉をかけた。エールを思い出したからなのか、クロマは再び立ち上がってスライムに向けて杖を構えた。
「ありがとうございますお二人とも。私、もう一度やってみます! …やぁっ、"メガ・レール"!!」
強化された雷の魔法は、スライムの真上から身体を貫いた。一瞬動きが止まったかと思うと、敵は木端微塵に吹き飛んだ。
「はぁ、はぁ、や、やった。やりました…」
息を切らし、足を震わせるクロマ。表情には笑みも戻っている。
だが、その笑顔はすぐに消えることになる。
「いやー素晴らしい! 見事でしたよ皆さん。やはり、カサンドラ殿の攻撃が決め手だったようだね!」
ブランシュはカサンドラに向けて拍手をし、健闘を讃えた。
「ツルギさんたちのご活躍も評価に値しますわ。以前の経験を元に、的確な判断を下されましたものね」
「いえ、僕たち褒められるようなことは何も…。トドメをさしたのは、というかほとんどクロマさんのおかげで…」
「娘をあまり甘やかさないでくださいませ。クロマのためになりませんから。それに戦いの勝利は、お仲間あってのことですもの。違いますか?」
ビアンカは微笑みながら言った。その笑顔には悪意は見られない。本当にクロマのためと考えているらしい。
あまりにも断定的な物言いに、ツルギたちはその場では何も言い返せなかった。
「さぁ、屋敷へ戻りましょう。先ほどのスライム退治の報酬とは別に、何かおもてなしを施します。期待していただいてよろしいですよ。わはは」
ブランシュは気持ち良さげに帰路につく。その後にビアンカ、カサンドラ、そして後ろを気遣うツルギと、マジーナとワカバに手を引かれ、笑顔の消えたクロマが続いた。
この時、俺も含めて全員気づくことはなかった。木端微塵になったスライムの一部が、ひっそりと逃げていくのを。
ブランシュたちのもてなしとして屋敷で食事を済ませたツルギ一行は、自分たちの拠点に戻ってきていた。食事の時からの気まずさは帰ってからも続いており、クロマは椅子の上で膝を抱えて塞ぎ込んでいた。
「クロマさん、大丈夫ですか? 元気出してください」
「…ご心配ありがとうございます。久しぶりに両親と会って、予想はしてましたが昔からあんな調子で。
まさか殴られたり蹴られたりしたことはありませんが、両親から褒められた記憶がないんですよ。だからエールさんに励ましていただいた時には、複雑な気持ちになりました」
全員、何と声をかけていいのかわからないのか、沈黙が流れた。
「ちょっと、散歩してきます。遅くならないうちにちゃんと帰りますから、心配しないでください」
クロマはおもむろに立ち上がると、出口に向かって歩き出し、誰に問われるわけでもなく言った。
クロマが出ていった後、ツルギたちはテーブルを囲んで会話を交わす。ワカバは既に眠っていた。
「クロマさん、ああいう家族の元で育ったのね。そりゃ引っ込み思案にはなるわ…」
「そういえばおばあちゃん子だって言ってたなぁ。今考えると納得がいくというか…」
「皆、普通でいたいと言ったこともあった。あれは彼女の本音だったのかもしれない。ご両親も悪い人間ではないはずだが、いささか教育が偏っているようだ」
その後、就寝時間になってもクロマは帰らなかった。ツルギは彼女を待つことなく、自室で横になっていた。
「いいのか? クロマを待たなくて」
「あの人なら一人でも大丈夫ですから。朝になってもいなければ流石に探しますが」
「そうだな。今は独りにしてやった方がいいかもな」
「ええ、それがいいと思いますよ…」
ツルギはそう言ったものの、思うところがあるのか黙り込んでしまい、そのまま眠ってしまった。
この分じゃ俺は明日もこっちの世界で追体験か。何も解決していないんだから…。
翌日目を覚ますと、ツルギは既に起きていた。今日もよろしくとだけ挨拶を交わし、居間へと向かう。
そこにはマジーナたちに加え、クロマも無事に帰ってきていた。少し気持ちが落ち着いたのか、穏やかな表情を浮かべていた。
「おはようございます。クロマさん、戻っていたんですね」
「はい。すみません、遅くならないと言ったのに。ご心配をおかけして。でももう大丈夫です。今日も一日頑張って…」
その時、強く戸を叩く音がした。マジーナが出迎えると、あの領主の使用人がそこにいた。
「はぁ…はぁ…朝早く失礼いたします。ツルギ様方のご自宅で…間違いありませんね」
「どうしました? 慌てた様子ですが?」
使用人は息を切らしている。髪の毛も整える暇がなかったのか、ボサボサに乱れていた。
「お見苦しい姿をお見せして申し訳ありません。緊急事態でありまして、一刻も早くお伝えせねばと…」
「緊急事態? 一体何があったんですか!?」
クロマは使用人の言葉を聞くや否や問いただした。全員が、次の言葉を待っていた。
「大変申し上げにくいのですが…。貴方様のお屋敷が、占拠されたのです」




