教団の宗派は白か黒か?
アニキは握った拳を解いたかと思うと、大きく息を吐き、エールの顔を一切見ずに踵を返した。
「ちょっと、外出てくるわ。試合までには戻る。…いや、別に俺がいなくてもいいだろ」
そう言って、競技場の出入り口へと向かっていった。
「えっ、あの、マズルさん!?」
わけもわからず、ハウはおたおたとアニキとバレッタを交互に見た。バレッタはだいたいの事情を理解したらしく、同じくため息をついた。
「マズルの奴、仕方ないねまったく。ハウ、気にしなくて大丈夫だよ。あいつはちゃんと戻って来るから」
「そう…なんですか」
そう答えつつも、ハウはアニキの背中を心配そうに見る。僕はその背を追った。その途中、エールたちの声が少しだけ聞こえてきた。
「やはり、ヒュジオンの信者と聞けば快く思われないのは当然か。私は連中とは違うのだがね」
「連中とは違う?」
「ああ。私は―――」
アニキは競技場近くの河川敷まで歩くと、土手に腰を降ろして寝転がった。
その時、この状況ならばと考えた僕は、思い切って話しかけてみた。
「アニキ、大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。…ってそうか。こうやって横になれば会話できるんだったな」
アニキは周りを見渡し、誰もいないのを確認してから再び横になった。
「…こっちの世界にも、剣士はいるんですね。なんか親近感が湧きました」
「剣士つってもスポーツ、競技だけどな。お前たちの魔物退治とは違う」
「僕らの世界にも競技としての剣術はありますよ。だから理解できます」
「…そうか」
沈黙が流れる。次に口を開いたのはアニキだった。
「前に話したよな、ヒュジオンには嫌な思い出があるって。…昔、友人がいてな」
「友人が?」
「ああ。その友人が、ある時ヒュジオンに入信したんだ。それから音沙汰なしで、今日に至るってわけだ」
「そうだったんですか…。だから苦い思いがあると」
「そうだ。悪いがこれ以上は話させないでくれ。あまり考えたくねぇから」
「わかりました。でも、あの人が新しい仲間なら、迎えなきゃいけませんよね」
「そうなんだよな。あーあ、何かの間違いであってほしいんだが。第一、あのセタの言いなりになる必要が…」
その時、ハウの声が聞こえた。息を切らしながら、こちらに走って来る。
「マズルさーん! はぁ、はぁ…。ここにいた…」
「どした? そんなに慌てて」
「あ、あの、あのですね。はぁ、大変なことが…」
「まずは落ち着け。呼吸を整えてからでいいから」
ハウは胸に手を当てて深呼吸し、改めて伝え始めた。
「すみません。実は、競技場にヒュジオンの信者を名乗る人たちが現れて、バレッタさんが…」
「何!? バレッタがどうした? まさかあのエールが…!?」
ハウの言葉が終わらないうちに、アニキは彼女の肩を掴んで揺さぶっていた。ハウは震える声で補足する。
「おおお落ち着いてくださいいいい。エールさんじゃなくて別の人たちがあああ…」
「別の? どういうことだ?」
「ごほん…。と、とにかく案内しますから。行きましょう」
アニキとハウに続き、僕も競技場に向かった。
競技場内には、何匹もの奇怪な生物がそこかしこに転がっていた。蜘蛛や蝙蝠、百足に蠍。警備の人間たちは武器を手に、生物の処理に手こずっていた。
あの二人はというと、毒々しい色の大蜂を従えた一人の男と対峙していた。エールはバレッタを自らの背後にし、彼女を護っているように見えた。
「エール=N…。やはり我々の邪魔になる男。ここで始末しておかねば…」
「やれやれ、いつも人騒がせな連中だ。バレッタ君、私の後ろから離れないように」
「わかってるよ。…マズル、来てくれたの。遅いよ。エールがあらかたやっつけちゃったよ」
周囲の生物たちのほとんどはエールが片付けたらしい。小型の生物たちとはいえ、あれだけの数を相手にたった一人で戦ったなんて、すごい腕前だ。
「あいつが、護ってくれたのか?」
「ええ。だってエールは…」
その続きは聞けなかった。男は大蜂をけしかけてきたのだった。
「危ない、おしゃべりは後だよ。まずはこの危機を脱しなければ!」
エールは蜂の針を剣で弾き、華麗な身のこなしでその身体を一突きした。蜂は謎の液体を吹き出し、地に落ちて動かなくなった。
「どうだい? まだやるかな?」
「ぐっ…。今日は引いてやる。だが、せいぜい油断しないことだな…」
男は捨て台詞を吐き、走って逃げていった。
「待て! …もう、逃げ足の早いヤツ」
「深追いは禁物だよ。奴ら、何を企んでいるかわからないからね」
その時、床に転がる蜘蛛の一匹が動き出していた。ゆっくりと歩き出し、エールとバレッタの元に向かっている。気づいているのに伝えられないのがもどかしい。そう思っていると、蜘蛛は目の前から吹き飛んだ。
蜘蛛の接近に気づいたアニキは、銃で蜘蛛を撃っていた。全員の視線が注がれるのを感じたのか、顔を背けて言った。
「…別にあんたを助けたわけじゃない。仲間が危なかったからな」
エールはアニキに近寄ると、笑顔で手を差し出して声をかける。
「ありがとう、マズル君。キミの活躍あってこその勝利だよ」
「は? …ああ、どうも」
アニキは戸惑いながらも握手に応じる。エールは微笑みを崩さず、満足げに頷いていた。
「キミが私たちのことを良く思わないのは理解できる。私のことはどう見られても構わない。だが誤解しないでくれ。私たちは彼らとは違うのだから」
「彼ら? 違う? それはどういう…」
その時、エールのマネジャーと呼ばれる男がやってくる。慌てふためいていたのか、髪も服も乱れていた。
「エールさん、この後のことでお話が…。よろしくお願いします」
「わかった。すぐ行くよ。…すまない、そういうことなので後ほど話そう」
その後、当然ながら試合は中止になった。結局、エールと会話をする時間はなかった。だがバレッタは連絡先を聞いていたらしく、ケータイと呼ぶ板を介して話をしていた。
「話してきたよ。とりあえず、明後日の夜中に迎えが来るから、心の準備だけして寝てくれればいいってね」
「ありがとな。そんじゃ俺、もう寝るわ。今日は色々と疲れた」
仕事を終え、事務所に帰った三人。バレッタが報告をすると、アニキは寝室へと向かおうとした。
その背に、待ったとばかりにバレッタは声をかけた。
「『原典派』なんだってね。彼は」
「なんだそれは?」
「エールの言ってた話。今のヒュジオンは宗派が分かれてるらしくて、怪しい活動や実験をやってんのが『過激派』なんだって。詳しいことは全部聞けなかったけど、後日改めて説明したいってさ」
「へぇ。どんなお話が聞けるやら。楽しみにしとくよ」
アニキは皮肉を込めて言い、今度こそ寝室に入った。
僕もそれに続こうとすると、バレッタはハウに声がけをした。
「ハウ、ちょっとだけ時間もらえる? …それから、ツルギも」
小声で付け加えられた僕の名。想定外のことに戸惑いつつも、バレッタの寝室へと入った。
「さて、そこにいると思うけどツルギ、ハウ、一応話しといた方がいいかなと思ってね。マズルの友人のことなんだけど」
「マズルさんの、友人?」
「そう。話すかどうか迷ったんだけど、やっぱり知っとくべきだと思ったんだ。あいつのヒュジオン嫌いには驚いたろう?」
ハウは頷いた。バレッタは決心がついたように話し始める。
「マズルには昔、フリントって男が友人にいたんだ。アタシも何度か会ったことがある。子供の頃からの友人らしいから、付き合いは長かったみたい。だけどある時、彼はヒュジオンの教えに共感したらしく、反対するマズルを振り切って入信した。それから連絡も取れないし、姿も見なくなった。真相はわからないけど、嫌な印象持つのは当然だよね」
話し終えると、バレッタは神妙な面持ちで口を閉ざした。ハウも黙ったままだったが、なんとか言葉を探して口を開いた。
「…でも、エールさんは悪い人には見えません。それにあの人の話が本当なら、悪いのは過激派の人たちでは?」
「そうだけどね。それでも、一度ついちまった印象は簡単には拭えないモンだよ。ああ、そうですか、それなら誤解は解けました。もうヒュジオンを憎むのは止めます。…とはならないだろ」
ハウは今度は何も言い返せなかった。僕も考えがまとまらなかった。
ちょうどその時、意識が薄れ始める。追体験の時間切れなんだろう。バレッタとハウの姿が目の前から消えていく。




