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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

婚活女子は結婚したくない

作者: ピッチョン

【登場人物】

樋沢秋凪ひざわあきな:二十九歳。OL。親に結婚をせかされてうんざりしている。

菊井真緒きくいまお:三十歳。秋凪が婚活パーティで知り合った気弱そうな女性。秋凪の両親を説得するために協力を申し出る。バツイチ。



 結婚。日本においては一般的に男女が合意のもとに婚姻を行い、夫婦となること。

 人生の墓場と言われたり、幸せの通過点と言われたり、捉え方は人それぞれあるだろう。しかしながら昨今、男女共に結婚をしない人が増えているという。政府が発表した2019年の生涯未婚率は男性が23.4%、女性が14.1%。このままいけばあと二十年後には男性の生涯未婚率が30%になるのではと言われている。

 これを聞いて私が思ったのは『女性の8~9割が一度は結婚してるってマジ?』だった。

 なにを隠そうこの私、樋沢秋凪ひざわあきなには結婚願望がまったくない。

 何故この世のみんなはそんなに結婚をしたがるのだろうか。恋愛の末の自然な流れ? 世間体を気にして? ひとりが寂しいから?

 残念ながら私にはどれも当てはまらない。男性と付き合ったことは一応あるが、その人と結婚をしたいと思ったことは一度もなかったし、高校や大学の友達が結婚をしたと聞いても『そうなんだー、おめでとう!』としか感想は出なかったし、このままひとりで歳を重ねていくことに不安はない。どうしても寂しくなったら動物でも飼えばいい。

 ただまぁ、親というのは娘の幸せを結婚に見いだそうとする部分があるようで。事あるごとに『恋人はいないの? 結婚はいつになりそう?』とテンプレートのように聞いてくる。

 そんなの別に痛くも痒くもないし聞き流せばいいだけなのだが、最近になって今度は『小学校の同級生だった○○くん覚えてる? あの子、こっちに帰ってきてるんだけど独身らしいわよ』なんて言いだした。冗談じゃない、このままだと帰省したとき勝手にお見合いでも組まれそうだ。

 ということで嫌々ながら私も婚活を始めることにした。本音を言うと結婚なんて面倒で仕方ない。夫婦だからあれをしなきゃこれをしなきゃと考えるのは性に合わないし、少し前まで他人だった人に私の生活を乱されるのはゴメンだ。理想を言うなら結婚をして親に見せつけた後、フェードアウトするように離婚したい。

 当然、そんな考えの私が婚活でうまくいくわけがなかった。

「はぁー……」

 現在私は三度目の婚活パーティに参加していた。ホテルの大広間に長机がコの字型に並べられ、外周に女性陣が座っている。内側を男性陣が順番に回っていき、決められた時間だけ二人で話をするという流れだ。近ごろは男性の参加者の方が少ないことも珍しくないようで、すでに全男性と話し終わった私は手持ち無沙汰で他の人達が終わるのを待っていた。

「お疲れですか?」

「え?」

 不意に隣の女性から話しかけられて顔を向ける。一見してちゃんとしている人だと思った。年齢は同じくらいだろうか。肩口で揃えられた黒髪。すっきりと整った目鼻立ちにナチュラルメイク。優しく微笑んだ佇まいは上品ささえ感じる。

 他の参加者なんて一瞥するぐらいで全然気にしてなかったが、まさかこんな人も婚活しているとは。

(こんな、結婚相手に困らなそうな女性ひとがねぇ)

 とりあえず愛想笑いを返す。

「あはは、疲れてるように見えました?」

「えぇ少し。体調悪いんですか?」

「そういうんじゃないんで大丈夫ですよ」

 明るく返答するが女性の表情は晴れない。こんなところで他人に世話を焼くなんてよほどのお人よしか、親切なフリをして裏があるのか。

 ともかく心配をしてくれているのに突っぱねる理由もない。私は頬をかいて苦笑する。

「なかなかうまくいかないもんだなーと思いまして」

「そうなんですか? 話している男性の方々の反応は結構良さそうでしたけど」

「会話が弾んでるからって好意があるとは限りませんよ。っていうかよく見てますね」

「それはほら、やっぱり男性がどういう女性を好んでいるかは気になりますので」

「いやいや私なんて全然ですよー」

 実際は向こうからコンタクトがあっても私の方で断っていたりするのだが、そんなことを話して自意識過剰女だと思われても困る。さっさと話題を変えよう。

「私よりあなたの方が男性にモテそうですけどね。良いなって思う人いました?」

 女性は手を振って謙遜する。

「私も全然です。多分、結婚自体が向いてないんでしょうね」

「でも結婚したいからここに来てるんですよね? だったらそのうち自分に合う人が見つかりますよ」

「結婚……したいんでしょうか……」

 自問自答するかのように目を伏せた女性。しかし私が何かを尋ねる前に司会のアナウンスが場内に響いた。男性陣との一対一が終わったようだ。この後はフリータイムで気になった相手と自由に話せるようになっている。

 人の往来で賑わうなか、私は当然会場の隅っこでぼうっとしていた。数人の男性から声を掛けられたので適当に相手をしたが、それだけ。本来なら私のような不誠実な女は婚活パーティなんかに参加するべきではないのだろう。真剣に結婚相手を探している人達に対して申し訳なさすぎる。

(いっそレンタル彼氏でも頼むか……。でもそれだと帰るたびに『結婚はまだか?』って聞かれるんだよなぁ)

 さすがに結婚相手はレンタルできない。まぁ探せばそういう人達もいそうではあるが、あんまり危ないことはしたくないし。

 そうして何もないまま三回目の婚活パーティは終わった。今回のはカップリング希望などは取らず、気になった相手(複数人でも可)を運営に伝え、運営から相手に確認してもらって許可が出れば連絡先を交換となる。私のところにもいくつか来たが、やはり全て断った。メールやラインでやり取りをしたところで私の考え方が変わるわけでもない。

(結婚しないんならこんなパーティに参加するのは時間とお金の無駄だよねぇ。あーもう、めんどくさ! 実家帰るのやめよっかなぁー。友達に会うだけならそこに泊めてもらえばいいし、無理して親に顔を見せる必要なくない? まぁそうするにしても、一回親にはきちんと話しとかないと……あーあ、めんど……)

 何度目かの溜息を吐きつつホテルを出る。他の参加者がまばらに駅に向かうなか、私はスマホで周辺の地図を見ていた。小腹が空いたので近くにコンビニかスーパーでもないか探していたのだ。駅で買ってもよかったが、ホームで食べるのは人が多いので私的に好ましくない。

(すぐそこに公園あるし、そっちで食べよ。お、ちょっと歩いたとこにコンビニあんじゃん。行こ行こ)

 駅とは反対方向に歩きだしてすぐ、ホテル横の路地から声が聞こえてきた。

「あの……離して……」

「そう言わずに連絡先だけでいいから、ね?」

 見ると女性が男性に絡まれていた。どちらも見覚えがある。女性はさっき私の隣の席にいた人で、男性の方も会場にいた参加者だ。

 会話や二人の様子からだいたいの状況は察した。女性側が連絡先の交換を拒否ってそれに不服な男性側が終わったあとも迫っているのだろう。逃げようとする女性の腕を掴み、薄笑いの顔を近づけている。

(やなとこに遭遇しちゃったなぁ)

 面倒事には関わりたくないと思うのが人のサガ。ましてや相手は男性。手を出されたら女二人でも厳しいかもしれない。

 そのとき女性と目が合った。すがるような視線。唇が小さく開閉する。声は聞こえなくとも何を言いたいのかは誰でも分かる。

(でもま、ここで見捨てるのは女がすたるってやつか)

 スマホを取り出しながら大きく息を吸い込んだ。

「――そこで何やってんの!」

 男が驚いて私の方を向き、あからさまに嫌な顔をした。

「別に、普通に話してるだけだけど」

「相手の人嫌がってんじゃない。離してあげなさいよ」

「これは俺と彼女のプライベートな問題だ。部外者は引っ込んでてくれないか」

「さっきまで同じ婚活パーティにいた関係者だったんですけどー?」

 男は舌打ちをしてから女性を引っ張って奥に向かおうとした。すかさずスマホで撮影して叫ぶ。

「それ以上勝手なことするんだったら運営と警察に通報してSNSにも拡散するからな!」

 男が苦々しい表情を私に向けてから腕を投げ離した。そのまま足早に私の横を通りすぎていく。去り際に小声で「この行き遅れブスが」と言ってきた。カチンときて男の背中に言葉をぶつける。

「行き遅れはおまえもだろーが! それに私は最初から結婚する気なんかないんじゃーぼけー!!」

 うがー、と吠える私のもとに女性がやってきた。心底安堵した様子で深々と頭を下げる。

「ありがとうございました」

「あーいや、別にたいしたことは……」

 汚い言葉を聞かれたことに若干の恥ずかしさを覚えつつ、真顔に戻って女性に進言する。

「たまたま私がこっちに来たからいいですけど、ああいう状況のときは走って逃げるか叫ぶかしてください。自分の身は自分でしか守れないんですよ?」

「すみません……」

「まぁこれからは気を付けて婚活をしてください。それじゃ」

「あ、待ってください!」

 踵を返した私を女性が呼び止める。

「せめて何かお礼を」

「気にしなくていいですよ。ホントたいしたことしてないんで」

「それじゃ私の気がすみません」

 そう言って財布を取り出しお札をごっそり摘まむのを見て慌てて押し止める。

「いいですいいです! もらえませんって!」

「そういうわけにはいきません」

「いやホントいらないです!」

 それでも強引に私にお金を渡そうとする女性に、ついに根負けした。

「……だったら、コンビニで奢ってください」



 空には薄く雲が掛かり、太陽の光はどこかぼやけて地上を照らしている。身が締まるような寒さだが、風がないせいかそこまで苦痛にも感じない。

 人気のない冬の公園のベンチに座り、湯気が昇る肉まんにかぶりついた。ふわふわの生地と肉汁を口いっぱいで楽しんだあとは熱いホットコーヒーと一緒に飲み込む。すると体の芯から末端にあたたかさが広がってきた。寒い中であたたかい物を食べるときの充足感たるや。夏のかき氷と双璧をなす季節の名物と言ってもいい。

 隣では先程助けた女性がミニペットボトルのあったかい紅茶を飲んでいた。私の顔を窺いながら聞いてくる。

「本当にお礼はそれだけでいいんですか?」

「いいもなにも、小腹は満たされるし体はあったまるしで最高のお礼ですよ」

「そ、そうですか……」

 …………。

 場が沈黙する。気まずい。本音を言えばさっさと食べて帰りたかったが、肉まんを食べきるまでもう少し掛かる。こういうとき共通の話題でもあれば話せるのだが。

(……共通の話題あんじゃん)

 つい今し方二人とも同じ場所にいたではないか。

「そういえばさっきの結果どうでした? 気になった人と連絡先交換できました?」

「いえ、誰とも交換できませんでした」

「ウソ!? 希望は出したんですよね?」

 この見た目と雰囲気で連絡先交換を嫌がる男性がいるのか。好みによるとしても、少なくともさっきの男にとって彼女は魅力的に見えていた。

 女性が言いづらそうに答える。

「その……希望は出さなかったので」

 ここで普通の女性なら『なによお高くとまっちゃって。理想が高すぎるんじゃござーませんこと?』となるかもしれないが、私は違う。だって私も同じだったから。

 こっそりと囁き返す。

「実は私もなんですよ。希望出す気になれなくて」

「――――」

 女性は目をぱちぱちとさせて見返してから、ふと拳を握って口元に当て、考えるように呟いた。

「そういえば先程、『最初から結婚する気がなかった』みたいなことおっしゃってましたよね?」

「……あー」

 ごまかそうかどうか迷って、やめた。どうせ今日会って別れるだけの赤の他人。何を話したところで害になんてならない。それに、多分だがこの人は軽蔑したり馬鹿にしたりしないような気がした。

「正直に言っちゃいますと、『結婚だけ』したいんですよ私」

「結婚だけ?」

「親がマジでうるさくでですね。形だけでも結婚して黙らせてやろうかなと。なので書類上結婚しても生活は今まで通りがいいっていうか――あはは、めちゃくちゃ言ってますよね?」

 女性の方を窺うと、驚いていた表情から一転、優しく微笑んだ。

「そんなことないです。私も同じようなものですから」

「同じって……え?」

「私の場合は両親に言われるがままにお見合いして結婚したんです。でも結局うまくいかなくて離婚。親の顔に泥を塗って――って散々怒られて、だったら自分で相手を見つけてこい、結婚するまでは帰って来るなとまで言われてしまいました」

「…………」

「私にはそもそも結婚が向いていなかったんです。ならせめて形式上の結婚だけでも出来ないかと思って探してるんですけど、なかなか難しくて……」

 両親のことなんか気にせず独りで自由に生きればいいじゃないかと思うが、それは私の価値観でしかない。この人が悩んで苦しんでなお自分の両親を喜ばせてあげたいと思っているのならそれが全て。他人がとやかく言う資格はない。

「えぇとまぁ、お互いに頑張りましょう。でもあんまり思い詰めるようなら自分の生き方を優先していいとは思いますよ?」

 無責任な励ましと付け足しの助言。こんなもので変わるかは分からないがせめて何かのきっかけになってくれればいい。

「はい」と力無く笑ってから女性が考え込んだ。そうして私が肉まんを食べ終わり、コーヒーを最後まで飲み切ったところで女性が口を開いた。

「あの、提案があります」

「はい?」

「おそらくこうすればあなたのご両親には口出しをされずに済むのではないかと」

「そんなのあるんですか?」

 女性が頷き、真剣な眼差しを向けてくる。

「それは――女性と交際をしているフリをすることです」

「……え? いやいや、え?」

 困惑する私に女性が淡々と説明をする。

「結婚をすることなくご両親からの干渉をなくしたいのなら、結婚できない理由を作ればいいんです。さすがに娘が恋人として女性をつれてきたら、結婚についてあれこれ言ってこなくなると思いませんか?」

「そりゃまぁ確かに……」

 結婚うんぬんより同性愛者だとカミングアウトされたことによるショックの方が大きいだろう。

(でも言われてみればそうか。私がいくら口でヤダヤダ言ってても本気度は伝わりづらい。けど実際に女性の恋人を見せることで結婚に対する展望を完膚無きまでに打ち砕くことが出来る。……ありかもしんない)

 ただし、問題がひとつある。

「恋人のフリをしてくれる女性はどこで調達するんです? 友達は多分無理ですよ。近くにあんまりいないし、たいてい彼氏か夫がいるんで」

「私はどうですか?」

 あまりにも自然に言われたのできょとんとしてしまった。

「えと、それ本気で言ってます?」

「もちろんです。助けてもらったお礼も兼ねて」

「お礼はもうもらいましたしそこまでしてもらうのは……」

「ご迷惑ですか?」

「迷惑というか私が逆に迷惑をかけるほうだし」

「全然迷惑なんかじゃありません。むしろ私が役に立つのなら嬉しいです」

「…………」

 ここまで言ってくれるならお願いしてもいいかもしれない。本当に付き合うわけではなく、あくまで親に紹介するときに恋人のフリをしてもらうだけ。近くに住んでるなら予定も合わせやすいだろう。

「……じゃあその、ホントにお願いしちゃいますよ?」

「はい、お願いしちゃってください」



 私の恋人のフリをしてくれることになった女性――菊井真緒きくいまおさんは都内の会社に勤める三十歳。バツイチで子供はなし。

 ただこのまま菊井さんを親に会わせるのは不安だ。ある程度仲良くないと怪しまれてしまうし色々と準備をしておいた方がいい。

 なのでまずは菊井さんと親交を深めることにした。

 ある日の休日、菊井さんを私の家に呼んだ。

「お邪魔します」

「はいどうぞー。荷物は適当なとこに置いてください。あ、ハンガー使います?」

「あ、はい」

 コートをハンガーに掛け、菊井さんは座布団の上に腰を降ろした。私は台所で飲み物の準備をする。

「なに飲みます? あったかいのだと緑茶かコーヒーになりますけど。あ、あと牛乳も」

「ではお茶で」

「はーい」

 二人分の陶器のコップに粉末の緑茶とお湯を入れて、お菓子と一緒にもっていく。

「あ、ありがとうございます」

 菊井さんがぺこりと頭を下げた。姿勢よく正座をして口元を引き結んでいる様子はどこか緊張しているようにも見える。

 くすりと笑いながら尋ねてみる。

「どうしたんですか菊井さん。もしかして緊張してます?」

「い、いえ、そういうわけじゃ」

「あ、でも親に会うときはそのくらい緊張してくれた方がリアルかもですね」

「えっと、そのときは頑張って緊張してみます」

「頑張って緊張するとか、初めてそんな言葉聞きましたよ」

 私が笑うと菊井さんもつられて笑った。とにもかくにもお互いに慣れていかないことには始まらない。

 歓談もそこそこに、私は紙とペンを取り出した。

「じゃあ恋人らしくなるための一問一答をしていきましょうか」

 愛し合っている恋人同士なら好き嫌いや性格、嗜好などたいていのことは知っているはずだ。それは本来なら一緒の時間を過ごすうちに自然と培われていくもの。しかし私達はそんな悠長なことをやっている暇はない。なので知っておいた方がよさそうなことを問題形式で取り上げて情報を共有することで、知識として蓄えていこうというのだ。

 菊井さんにも紙とペンを渡す。肝心の問題はあらかじめスマホのメモ帳に書き込んでおいた。あとはこれを一問ずつ読み上げていけばいい。

「あ、そうそう。もう敬語は無しでいいですよね」

「えぇ!?」

「いやいや、そんな驚かなくても。付き合ってるのにずっとですますの方がおかしいじゃないですか」

「そ、そうですね」

「お互いの呼び方はどうします? 名前にさん付けあたりが無難なんじゃないかと思うんですけど。親に紹介するときもそう呼ぶだろうし」

「私もそれでいいと思います」

「ちょっと練習しときますか。真緒まおさん」

「は、はい。……あ、次私ですね。秋凪あきな、さん」

「はい、オッケーです」

 なんとも業務的なやりとりだ。ただ地元の友達以外から名前を呼ばれるのは新鮮で、少しだけ照れくさかった。

「よし、そんじゃ今から気持ちを恋人に切り替えて、問題に答えていきましょう」

「はい!」

 私が問題を読み上げて、それぞれ紙に回答を書き始めた。

「第一問。好きな食べ物は何か」

「一個にしぼった方がいいですか? それとも個数決めますか?」

「真緒さん、ですます禁止」

「す、すみません」

「自分で問題作ってなんだけど、好きな食べ物って結構あるんだよね。でもまぁいっか。思いつくまま全部挙げていきましょう」

「秋凪さんも丁寧な口調に戻ってますよ」

「あはは、いきなり変えるのって難しいですね」

 ちょっとずつ口調をフランクにしながら食べ物を挙げていく。二人で話せば話すほどあれも好きこれも好きと数が増えていった。

 ある程度書いたら切り上げて次の問題へ進む。嫌いな食べ物、得意料理、好きなスポーツ、好きな本、好きな映画、好きなテレビ、好きな音楽、好きな生き物、苦手な生き物、好きな色、好きな服装、使ってる化粧メーカー、使ってるシャンプー等、お風呂ではどこから洗うか、癖、出身地、行ってみたい場所、行ってよかった場所、小さいころにやってた習い事、小さいころの夢、学歴、現在の仕事と業務内容、特技、資格、性格、身長、体重(おおよそ)、スリーサイズ(おおよそ)、足のサイズ、視力、利き腕、利き足……。

 数時間かけて一問一答を終えた。完成した紙を見ながら息を吐く。

「はぁー、疲れたけどなんか達成感あるわー」

「最後のあたりは身体データって感じだったけど」

「細かいところもケアしとけば咄嗟の対応のときに知識を披露できていい感じじゃない?『向こうの看板に何書いてるか分かる? わぁすごーい、さすが視力1.2!』みたいな」

「逆にわざとらしい気が……」

「まぁまぁ。こういうのは知ってるって安心感が大事だから。テスト勉強するときだって範囲全部に目を通して覚えようとするでしょ? それと同じ」

「私達のこれもテスト勉強ってこと?」

「そそ。科目、樋沢秋凪と科目、菊井真緒」

「そう考えると覚えるのにも身が入るかも」

「でしょー? うちの親に満点見せつけてやろーよ」

 実際こうやって項目を作って挙げていくだけでも真緒さんのことはだいぶ分かった。なにせこの項目の数だけ話題があるのだ。話すことにまったく困らない。

(ヘタな婚活より婚活してるわ)

 今まで参加した婚活パーティもこれくらい真剣に取り組んでいればうまくいったのかもしれない。

(真緒さんがいればもう婚活なんてする必要ないんだけどね)

 あとは親に紹介するだけだ。それでようやく私の目的は達成される。


 それから毎週のように顔を合わせてお互いの情報を交換しインプットしていった。単純な情報量だけで言えば相手の家族よりも知っているかもしれない。それほどまで仕上げてからついに作戦を決行することにした。

『今度の土日に恋人と一緒に帰る』

 私が親に告げると電話の向こうは一瞬沈黙したあと喜びの声に変わった。

 ひとりで笑いを噛み殺す。そうやって喜んでいられるのもあと少しだ。まさに気分は悪役のそれだった。

 そして決戦の土曜。昼前に真緒さんと出発し、電車と新幹線を乗り継いで一時間半、私の実家の一軒家に到着した。

 来るまでの間は平気だったが、こうしていざ実家を目の前にすると少し緊張してくる。うまくいくだろうか。バレたりしないだろうか。怒るだろうか泣くだろうか。だけどここまで来て帰ることは出来ない。私は隣に立つ真緒さんに微笑みかけた。

「心の準備はいい?」

「た、多分」

「めっちゃ緊張してんじゃん」

「ち、ちょっとだけだよ」

 バレバレなのにごまかそうとする真緒さんが可愛くて小さく笑う。少しだけ緊張がほぐれた。

「普段どおりにしてれば大丈夫だって。そのために勉強してきたんだし」

 真緒さんが頷くのを見てから私はインターホンを押した。


「こちらは菊井真緒さん。仕事先で知り合ったの。年齢は私のいっこ上」

「は、初めまして、菊井真緒と申します。秋凪さんと、その、お付き合いさせていただいてます」

「…………はぁ」

 リビングのテーブルで四人が顔を合わせた。両親は案の定ぽかんと口を開けたまま目の前のことが受け入れられないでいるようだ。

 ボリュームの絞ったテレビの音声が聞こえる。それくらい静寂に包まれた。

「ということで、金輪際私に男を紹介しようとか思わなくていいから。そんじゃ私達は部屋で休んでるから晩ごはんになったら呼んで。あ、真緒さんは生の甲殻類アレルギーだからそれだけ注意してね」

 まくし立ててから席を立つ。真緒さんは不安そうに両親と私を見てから後につづいてきた。

 私の部屋に入るや否や、カギを掛けてから両手でガッツポーズをする。

「うっしゃ! 見た、あの気の抜けた顔!? ざまぁみろ! これで二度と結婚なんて言ってこないでしょ」

 喜ぶ私とは対照的に真緒さんの表情は浮かない。

「ん? なにか問題あった?」

「えと、ご両親に悪いことをしちゃったな、と……私から提案したことなのに」

「いいのいいの。どのみち真緒さんがいなかったら家に戻るつもりもなかったし」

「それでも、家族は仲良くするべきだと思う」

 いつも気弱な真緒さんだが、その言葉には強い意志を感じた。おそらく彼女自身が家族から突き放されてしまったからこそ、そう願うのだろう。

 私は肩の力を抜いてベッドに腰掛けた。

「別に私は親とケンカしたいわけじゃないし、向こうが受け入れてくれるんなら今まで通り接するつもりよ。けどこれで私を勘当でもしようものならそれまで。子供を都合のいい操り人形とでも考えてる親なんてこっちから願い下げ。それはいい?」

「……うん」

 まだ何か言いたそうではあったが、真緒さんは静かに頷いた。どのみちあとはなるようにしかならない。ここでうだうだ考えていてもしょうがない。

「っていうかこれからどうしよっか。かっこつけて部屋に来たのはいいけど別に時間潰せるものないんだよね。外行く?」

 真緒さんは部屋を見回して本棚で視線を止めた。私をちらと窺いながら小さく手をあげる。

「あの、もしよかったらアルバムとか見せてもらえないかな」

「お、全然いいよ」

 よっと立ち上がり、本棚を物色する。背中越しに真緒さんに話しかける。

「にしても恋人の実家でアルバム見るとか、定番抑えてるねー」

「そりゃまぁ、恋人なので」

「そうだったね」

 くつくつと笑いながら高校の卒業アルバムを引き抜き、床の上で広げて真緒さんと一緒に見始めた。ページをめくりながら真緒さんが写真を指さして楽しそうに声をあげる。

「あ、これバレー部の試合のとき? へぇ、かっこいい」

「私がバレー部だったことよく知ってますな」

「散々勉強したので」

 二人で顔を見合わせて笑う。ついこの間までお互いのことをまったく知らなかったのに、こうやって昔の写真を見ながら私のことをあれこれ話していると、まるで昔からの親友だったかのような錯覚を覚える。確かに恋人として勉強してきただけのことはある。

 しばらくして、部屋がノックされた。

「秋凪、入っていい?」

 母親の声だ。

「飲み物とかはいらないよ」

「そうじゃなくて、ちょっとお父さんと私から話があるの」

 真緒さんと視線を交わして頷く。むこうから話したいのなら望むところだ。

 カギを開け両親を部屋に入れた。私はベッドに腰掛けて足を組み、他の三人は床に座っている。

「で、話ってなに?」

「菊井さんに聞きたいことがあります」

 母親と父親が真剣な表情で真緒さんを見つめる。何か嫌な予感がして口を挟んだ。

「あんまり変なこと聞かないでよ。お客様なんだから」

「家族になるならお客様じゃないでしょう?」

「む――」

 言い返されて口を噤む。正論ではある。こうなればあとは真緒さんに任せるしかない。

 あぐらで座り、腕を組んだまましかめっ面をしていた父親が息を吸い込み低い声を発した。

「あんた、本当にうちの娘でいいんだな?」

 真偽を問うような鋭い目付き。内心はらはらしていた私の前で、綺麗な姿勢で正座をしていた真緒さんがはっきりと返答した。

「はい」

 強く、簡潔に、固い決意を覗かせて。

 その茶番であるはずの光景は、しかし張り詰めたこの場においては凄みとリアリティに満ちあふれ、まさしく『お嬢さんを私にください』と言っている現場そのものだった。二人の動向を見守りながら私の胸の動悸が早くなる。

 ふいに父親が頬を緩めた。

「そうかい。ならもう何も言うことはないよ」

 すかさず母親が馴れ馴れしく真緒さんの肩を叩く。

「あの子、色々わがままなところがあるからしっかり面倒みてやってねぇ」

 両親の物分かりの良さに私が戸惑ってしまう。

「ち、ちょっとお母さん、え、マジでいいの?」

「あなたが選んだ人でしょう? 私もお父さんも、秋凪が幸せになるならそれでいいのよ」

「…………」

 待ち望んでいた答えのはずなのに心から喜べないのは罪悪感があるからか。

「それじゃあ今から夕飯の下ごしらえするからね。菊井さん、唐揚げは好き?」

「は、はい、大好きです」

「よかった。いっぱい作るからたくさん食べてね」

「あ、あの、私もお手伝いしていいですか?」

「えぇもちろん」

 真緒さんと母親が部屋を出ていった。あとに取り残される私と父親。無言で腰をあげた父に声を掛ける。

「ほ、ホントにいいの?」

「いいって言っただろ」

「だって、孫見られなくなるのに?」

「そりゃ孫を見たくないかって言われたら見たいけど、秋凪が気にすることじゃないだろうが」

「そうだけどさ……」

「そういや今はアレがあるんじゃないのか? ips細胞ってやつ」

「まだ実用化してないよ」

「てことはそのうち実用化すれば孫が見れるかもしれないわけだ。だったらそれまでは娘がひとり増えたと思うことにするよ」

 父親が出ていって、部屋には私ひとりだけになった。

 言いたいことは色々あった。ips細胞を使って女性同士で子供が出来るようになるのはまだ先のことになるだろうし、そもそも本当は真緒さんとは恋人じゃないし、だいたい私の幸せを第一に考えてたんならもっと早くにそう言って欲しかったし――。

「…………」

 私はベッドに背中から倒れ天井を見つめながら、小さく鼻をすすった。


 晩ごはんを終えてお風呂に入り、私の部屋に布団を敷いた。ベッドを真緒さんに使ってもらい、私は床に敷いた布団で寝る。真緒さんは遠慮しようとしたが無理矢理ベッドに押しやった。

 明かりを暗くしてから話すのはもっぱら家族のこと。

「――お母さんもお母さんでさ、何かにつけて『真緒さんみたいな娘が欲しかった』って、実の娘の前で言うかね普通ー」

「それだけ心を許してくれてるってことだよ」

「真緒さんに心を許してる、ね」

「そうかな? 秋凪さんとご両親の間にあった壁みたいなのがなくなった気がするけど」

 鋭い。ただ正直に胸の内を話すのは気恥ずかしいので適当に答えておく。

「向こうもようやく私の気持ちに気付いてくれたんでしょ。私の人生は私のものだって」

「……うん。そうだね」

「これで実家帰るときも気が楽だわ。次はお盆か正月か」

「今度からはひとりで帰る?」

 真緒さんの質問に少し考え込む。おそらくもう私ひとりで帰省しても問題はないし、頃合いを見て本当のことを話してもいいとは思ってる。でも。

「せっかくうちの両親が真緒さんのこと気に入ってるんだからさ、一緒でいいんじゃない? あ、真緒さんが嫌だったら全然来なくていいから」

「そ、そんなことないよ。私もまた来たいなって思ってたから、その、嬉しい」

「真緒さんにそう言ってもらえてよかった。いや待てよ……このままいくと樋沢家の娘のポジションが奪われるのでは?」

「奪わないから安心して」

 真緒さんがくすくすと笑う。色々と冗談めかしはしたが、私ひとりだけでは両親と和解することは出来なかっただろう。それもこれも、あのとき真緒さんが私に提案してくれたからだ。

「――ありがとう、真緒さん。本当に感謝してる」

「私は別に……元々秋凪さんに助けてもらったお礼のつもりだったし」

「じゃあもう十分過ぎるほどお礼もらったね。もらいすぎたから私もお返しする」

「いいよ、お返しなんて」

「ダメダメ。こういうのはきっちりしとかなきゃ」

「具体的に何か考えてるの?」

「真緒さんの家に挨拶に行く」

「……本気?」

「本気。でも私が行ったところで余計に関係が悪化しそうならやめとく。まぁつまり、私も真緒さんの役に立たせてってこと。すぐじゃなくてもいいから考えといて」

「……うん」

 複雑な色の混じった声。私の家庭のようにうまくはいくほうが珍しいのだろう。だったらまた違うことで何か手助け出来ればいい。真緒さんは今や私の大事な友達なのだから。



 恋人のフリをして親に紹介をするという目的は終えたが、私と真緒さんは一週間か二週間に一度くらいは会っていた。出掛けるにしても話すにしても、互いの好みが分かっているから一緒にいて過ごしやすい。

 その日は二人で買い物をしたあと真緒さんの家にお邪魔していた。女性誌を読んだり料理を作って食べたりしてからマンションを出たのが夜の九時ごろ。街灯が頼りなく照らす路地を私はひとり歩いていた。

「あの」

「!!」

 急に後ろから話しかけられて死ぬほどビックリした。振り返りながらいつでもバッグを振り回せるように紐を強く握る。

 そこにいたのは男性だった。年齢は三十前後か。身なりはきちんとしており場所が場所じゃなければ好青年にも見えたかもしれない。

「な、なにか」

 私の声は震えていた。本当は何も言わずに逃げるべきなのだろうが、再び背中を見せることが怖かった。

 男性はすごく申し訳なさそうな顔をして頭を下げた。

「突然すみません。どうしてもお窺いしたいことがありまして」

「はぁ」

「あなたは菊井真緒とどういう関係なのでしょうか?」

「はぁ?」

 意味が分からない。なんでそんなことを聞かれなくてはいけないのか。

(まさかストーカー?)

 私が目付きを険しくすると男性は首と両手をぶんぶんと振った。

「あ、決して怪しいものじゃなくてですね――」

 怪しいやつほどそう言う。

「真緒の元夫、です」

「…………」

「それであなたは結局真緒とはどういう関係なんですか? さっき部屋から出てきましたよね? 正直に答えてください」

「待って待って、ちょっと落ち着いて。えぇととりあえず――」

 話が飲み込めないが今私がするべきことは。

「もっと明るい場所で話しませんか」

 自分の身の安全の確保だ。


 駅の入り口に入り改札前の大きな柱の横に立った。ここならば周りに人も多いし何かあってもすぐに逃げられる。

武中敦志たけなかあつしさん……ね。確かにこの写真は真緒さんみたいだけど」

 スマホに映されたツーショット写真から顔を上げ、武中さんに免許証を返す。

「信じてもらえましたか」

「まぁ、ギリギリ。で、その元夫さんがどうしてこんなところにいるんです?」

「その前にお答えください。あなたは真緒の何なんですか」

「ただの仲のいい友人ですけど」

「嘘だ! そんなはずない!」

「いやホントに友人なんですって」

 少し前に恋人のフリをしてもらったことは伏せておく。多分ややこしいことになる。

「友人だからって部屋にあがりこんで何時間も過ごすんですか!」

「過ごすでしょ。っていうかその言い掛かり失礼ですよ、マジで」

「あ、す、すみません、興奮してしまって」

 私が凄むと武中さんがぺこぺこと恐縮した。悪い人ではないようだが正直さっさと切り上げて帰りたい。

「……真緒さんとはもう別れたんですよね? 復縁でも希望してるんですか?」

「もちろんです! 私はまだ真緒を愛してますから!」

「でもこんなところでうろうろしてるってことは、真緒さんにはその気がないんじゃないですか?」

 前にもう結婚はしたくないというのを言っていたし。

 武中さんはずーんと肩を落とした。

「そうです……でも諦められなくて……。ようやく住所を聞き出して出向いてきたんです」

「女性から拒否られてるのにいつまでも未練たらたらでストーカーまがいなことをしてるっていうのは情けないと思いますよ」

「うぅ……」

 半泣きになった武中さんが可哀想に思えて少しだけ手を差し伸べる。

「はぁ……今度会ったときにそれとなくあなたのこと聞いておきますからそれで今日は勘弁してくれませんか?」

「本当ですか!?」

「でも結果に期待はしないでくださいよ」

「はい! あ、気に入らない部分は全部直すというのも伝えておいてください!」

「わかりました」

「いやぁ本当にありがとうございます! やっぱりあれは僕と別れるための嘘だったんですね」

「嘘?」

「えぇ、真緒が別れるときに言ったんですけど――」


 …………。

 ……。

(どうしよ)

 重い気持ちのまま私は翌週に真緒さんの家に訪れていた。

「秋凪さんが来てくれてよかった。駅の上のところでやってた北海道フェアが最終日で、思わずチーズとかベーコンとか買い過ぎちゃって、一人じゃ食べきれないなぁって思ってたんだ」

 うきうきと準備をする真緒さんを眺める。言葉を掛けようとしてもうまく出てこない。

「どうかしたの? 元気ないみたいだけど」

「あぁ別に、大丈夫」

 目をまともに見られずに首元に視線を落としてしまう。こんな態度をしていては怪しまれてしまう。極力自然に笑いながら真緒さんと会話をした。

 テーブルにお皿が並び、ぷち宴会が始まった。真緒さんが用意してくれたおかずを肴にワインや酎ハイを飲んでいく。

「この前の仕事であったことなんだけど――」

 アルコールが入ったからか真緒さんはいつもより陽気になっている。いっそ私も酔っ払いたかったが、そういうわけにもいかない。今日は確かめるためにここに来たのだ。

 バレないように深呼吸を繰り返し、胸の鼓動を抑える。ちょうど真緒さんの飲み物がなくなり「次の酎ハイ持ってくるね」と腰をあげようとしたとき、意を決して私は切り出した。

「先週、武中さんに会ったんだけど」

「……え?」

「武中さん。覚えてる? 真緒さんの前の旦那さん」

「…………」

 真緒さんは沈痛の面持ちで唇を固く閉じたまま微かに頷いた。そんな表情を見るのは辛かったが私は言葉を続ける。

「少しだけ話をしたんだけど、そのときに真緒さんが何で別れたか聞いたんだ」

「あ……」

 まるで地面が崩れてしまったかのような絶望の顔で真緒さんが私を見つめてくる。

「真緒さん、こう言ったんだってね。『私は女性が好きだからあなたを愛せません』って」

「………………はい」

 目をつむり真緒さんが静かに答えた。その表情は諦観に変わっていた。

 私は率直な質問をぶつける。

「なんで婚活してたの? 形だけでも夫婦でいいなら武中さんに頼めばいいのに」

「それは無理。私ね、男性が本当に苦手で。触られたりすると体が固まって動けなくなるんだ」

「そこまでイヤならなんで婚活なんか」

 私の突っ込みに真緒さんが力無く笑う。

「本当だね。でもお父さんとお母さんに嫌われたくなかったの。だから、もしかしたら男性でも私と同じ悩みの人がいるかもしれない、その人とだったら夫婦になってもお互いを思いやれるかもしれない。そう思って探してたんだ。結局見つからなかったけど」

 仮にいたとしてもあんな婚活パーティの短い時間で知ることは不可能だろう。連絡先の交換すらしていなかった真緒さんには尚のこと。

 真緒さんがふっと柔らかく微笑んだ。

「でもそのお陰ですごく素敵な人と出会えたんだよ。その人は私を助けてくれた恩人で、家族以上に私のことを知ってる友人で、一緒にいて幸せな気持ちになれる大事な人」

 真緒さんが澄んだ瞳を私に向けた。

「――私、秋凪さんのことが好きです」

 分かってた。真緒さんが同性愛者であることを踏まえて思い出すと、色んなことがその気持ちに繋がってくる。おそらくは恋人のフリをしようと提案したあのときから、真緒さんは私のことが好きだった。

 私が何かを返答するより先に真緒さんが笑う。

「ごめんなさい、こんなタイミングでこんなこと言って。もし私のことがバレたらそのときは告白をして終わろうって決めてたから」

 真緒さんが立ち上がる。

「私、トイレいってくるからその間に帰っていいよ。さすがに目の前で帰られるのは、ちょっとつらいから」

「…………え、なんで?」

 私が眉をひそめて返すと、真緒さんが目をぱちぱちとさせた。

「私に告白されてイヤじゃないの? 気持ち悪くないの?」

「なんで同性に告白されたくらいで気持ち悪くならなきゃいけないのよ。結婚願望ないっつったでしょ? 今までだってたいした恋愛してないし、誰かに告白されても『あぁそうなんだ。ありがと』くらいにしか思わないから」

「じ、じゃあなんで急に私が女性が好きだって――」

「武中さんに頼まれたの。真緒さんが自分と再婚する意思があるか確かめてくれって。そうそう、気に入らない部分は直すとかなんとか言ってたよ。まぁ関係ないだろうけど」

「え、え?」

 混乱する真緒さんに順序だてて説明する。

「だからー、武中さんが真緒さんと結婚したいと思ってても、真緒さんが同性愛者なら無理でしょ? で、まず真緒さんにホントに同性愛者か確認して、そのあとに武中さんとの再婚がアリかナシかを聞いたわけ」

「……うん」

「そんで回答をもらえて良かった良かったって思ってたら真緒さんの独白が始まって告白されちゃった、と」

「――――」

 真緒さんが両手で顔を押さえる。墓穴を掘ったことがに気付いて恥ずかしいのだろう。

 私が心配していたのはこれだ。あんまり深く聞き過ぎて、もし真緒さんが私に告白でもしたら多分めっちゃ恥ずかしがるだろうなぁと思ったから少しずつ聞いていたのに。

「まぁまぁ、私の両親にあんなに真剣に挨拶してた時点で『おや?』と思ってたし今更今更ー」

「~~っ」

 真緒さんの顔がアルコールとは別の理由で赤くなっていく。ちょっと反応がおもしろい。ちらりと指の向こうから潤んだ瞳が覗いてきた。

「じゃあその、告白の返事としてはどういう……ごにょごにょ」

 子供みたいに言葉尻を濁す真緒さん。さっきまでは凜としてて大人びていたのに。なんか本当に申し訳ない。

「問題はそれなんだよね」

「も、問題?」

「告白に応えられるほどの気持ちがあるかって言われると分からないし、かといって嫌いじゃないし。真緒さんが言ってた通り、一緒にいて過ごしやすいのは確かなんだよ」

「…………」

「だからさ、恋人のフリ、続けてみない?」

「え?」

「婚活だって知り合って連絡先交換して試しに付き合ってみて、それから結婚するか決めるでしょ? だから、結婚したくなるまで恋人のフリを続けてみよう」

「それはいつまで?」

「んー……私が真緒さんと結婚したくなったときか、真緒さんが私と別れたいと思ったときまで?」

「それ、私ばっかり得してる気がするけど……」

「私はもう目的達成してるんだって。煩わしい親の小言はなくなって、昔みたいな仲に戻れたから恋人とか結婚とかどうでもいいの。っていうか、帰省するとき真緒さんいなかったら両親がガッカリするだろうから、どっちかっていうとうちの両親の為にも最低限今の関係は維持したい。真緒さんはそれが理由じゃイヤ?」

 私がにっこりと微笑むと、真緒さんは視線を泳がせてから顔を隠していた手を降ろし、伏し目がちにそっとその手を差し出してきた。おそるおそる私に尋ねる。

「えっと、それじゃ、あの、秋凪さん。これから末長くよろしくお願いしちゃってもいいですか?」

「はい、末長くよろしくお願いしちゃってください」

 最初に恋人のフリを始めたときとは逆の立場になって、私達はしっかりと握手を交わした。よそから見れば歪な関係に見えるかもしれないが、これが私達にとっては正常だ。結婚したくないなら無理にする必要はない。男性と一緒にいられないなら女性といればいい。どちらも何もおかしくない。

「……秋凪さん」

「なに?」

「前に私の家に挨拶に行くならついてきてくれるって言ってたよね」

「うん、それは今も変わらないけど。行く?」

「今は大丈夫。でももし秋凪さんが私と本当に結婚してもいいって思ったときがきたら、一緒に挨拶に行ってくれないかな?」

「当然。そのときは真緒さんに負けないくらいの毅然とした態度でご両親を説得してみせるよ」

 なんの根拠も確約もない私の答えに、真緒さんはただ嬉しそうに笑っていた。

 たしかに、もしも私が誰かと結婚するのなら、こういう笑顔が素敵な人と結婚したいな――生まれて初めてそう思った。







「緊張してる?」

「ちょっと。秋凪は?」

「挨拶に行ったときに比べたら全然マシかな。今はどっちかっていうと、嬉しさの方が強い」

「私も。やばい。ずっとにやにやしちゃいそう」

「いいんじゃない? 泣いて化粧が崩れるよりは」

「ひぃ、その場面を想像したくない。でもお父さんが泣いてたらもらい泣きしちゃうかも」

「私のとこはどうだろうなー。逆に笑っちゃうかな」

「ひどいなぁ。もっと労ってあげなよ」

「あーもうはいはい。すーぐあっちの肩持つんだから……。あ、そうだ、せっかくだから賭けにする?」

「なにを?」

「私と真緒の両親、泣くのは誰だダービー」

「ほんとそれ後で怒られるよ?」

「いや実況風にすればもらい泣きしないかなって」

「実況風?」

「おーっと、真緒のお父さん涙をこらえています、必死に唇を噛んでこらえています、どうだ、出るか出るか、いやまだ出ない、粘る、粘っている、けどやっぱり出たー、ハンカチのウイニングラン! みたいな」

 前方にいた礼服の男性が人差し指を唇に当てて『しぃー』と注意してきた。ぺこと頭を下げると隣の真緒が小声で「ばか」と言った。

「ご準備お願いします」

 男性の言葉に背筋を伸ばして姿勢を正す。真緒も同様に。

 男性が頷いて合図をすると目の前の荘厳な扉がゆっくりと開いていく。完全に開く前に真緒の方を見た。ちょうど真緒も私を見てきたので目がばっちりと合った。どちらからともなく笑う。おかしいのではなく嬉しいのだ。今この瞬間が。

「行こっか」

「うん」

 純白のドレスに身を包んだ私達は、互いに手を取り合って、未来へと続く真紅の道に向かって足を踏み出した。



      終



もしも同性婚が一般化したら百合小説もそれを題材にしたものが増えそう。


作中の男性キャラが完全な当て馬になってしまったことだけ本当に申し訳なく思ってます。きっといい出会いがあると思うから……。


今回のラストのエピローグは個人的にすごく気に入ってます。


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