出張神の名の下に~召喚されてしまったので、闘おうと思う~
魔法も使える世界ですが、剣と槍がメインのちょっと地味な戦いです。
その昔、人間界で迫害され、逃れた魔術師たちが異空間に渡り国を興した。現在七つの国があり、どこも危機を乗り越え発展している。
その一国である月の国、ルナクレア王国の王都を弥生はぶらぶらと歩いていた。通りは露店商で賑わい、行きかう人々に活気があふれている。弥生は腰まである銀髪を風になびかせ、腰に佩いた愛剣、月契を揺らしていた。年は人間でいう18歳だ。
今日は休日であり、弥生は朝から王都内の剣術道場を回っていたのだ。最近王都で話題になっている道場破りである。ルナクレア王国は武芸に秀でた国であり、老若男女問わず武術を嗜んでいることで有名だ。中でも剣術を極めるものが多く、王城で月に一度行われる剣術大会はいつも盛況であった。
そして弥生も当然のことながら剣術を極めており、その腕は王国随一とも言われている。幼少期は恵まれない環境で育ったため、生き残るために腕を磨いた。そのため表情は乏しく、感情の起伏もあまりない。口調は硬く、男のようだった。最近はずいぶん丸くなり、人間味を見せるようにはなっているが……。
(あとこの近くにあるのは、町はずれの林の奥にある道場だな)
そんな弥生はすでに二つの道場で師範を潰しており、鼻歌を歌い出しそうなほど上機嫌だ。数十分歩けば人家が減り、木々が多くなってきた。道場へ続く道に人通りはなく、先ほどの大通りとは対照的に静まり返っている。土を踏む音だけが響いていた。
(妙に静かだな……)
奥に道場があるなら、門下生の一人や二人歩いていてもおかしくないのだが……。
違和感を覚えながら歩いていたその時、かすかに優しく可愛らしい声で誰かに呼ばれた気がした。それと同時に足元が光り、目を腕で覆いながら跳びのく。
(なんだ!?)
その瞬間、弥生の姿は掻き消えた。
着地した先は柔らかな草の上。突如視界が暗くなり、弥生は辺りの気配を探りながら目を慣らす。先ほどまでは昼前だったのに、ここは夜だ。慣れてきた目で見回すと、四方を木々に囲まれており、弥生が立っているところだけぽっかりと穴があいているように広い草地になっていた。
「どこだここは」
つい声が漏れる。丸い空には三日月がのぞいていた。ざぁっと風が木々の間をすり抜け、弥生の髪を巻き上げる。匂いが、気配が、大気に含まれる魔力の感じが違う。
この感覚には覚えがある。昔、魔術界から人間界へ引き込まれた時と同じだ。
(これが異世界転移か)
アニメオタクである仲間の勇輝がよく口にしていた。弥生も彼に勧められていくつか一緒にアニメを見たこともある。
「月光」
弥生はそう呟いて、右手の掌に光の玉を出した。魔術は使えるようだ。それを握り潰して消すと、もう一度辺りを見回す。どうにかして帰る方法を探さなくてならない。
(ここが魔術界に近い空間ならば、満月になれば空間を渡る術が使えるが……)
弥生の能力は月に属し、月の満欠けの影響を受ける。半月を通常とすれば、月が満ちるに従って魔力が、欠けるに従って身体能力が向上する。三日月では身体能力のほうが高い状態であり、使える術は制限されるのだ。
(人間界のように離れていれば、私だけでは帰れないな……)
魔術界に隣接する異空間ならば弥生だけでも帰れるが、人間界のように離れていると複数人の協力が必要になる。どうにかして魔術師を探さなければと思った瞬間、殺気を感じて月契の柄に手をやった。
(嫌な殺気だ……)
息を殺して気配を探っていると、木々の間から男が出てきた。
「この臭い、あいつらの仲間だな?」
月光に照らされた男は、細身で長身。旅人のような身軽な服装をし、槍を背負っていた。男からは禍々しい気が流れ出しており、ゾワリと全身の毛が逆立つ。だがそれよりも、弥生はある一点から目を離せなくなっていた。彼の頭の上に三角の耳が生えている。
(犬だ……)
視線を下ろせばしっかり毛並みのいいしっぽもある。ふさふさしている。
弥生は触ってみたい好奇心に負けそうになるが警戒心を強め、歩幅を広げた。いつでも剣を抜いて闘えるように身構える。
「まずはお前を倒せってことね。いいぜ、この恨みを晴らすため、まずはお前で腕慣らしをしてやるぜ」
目に復讐の炎を宿らせ勝手に合点がいっている男の言葉を、弥生は考え事をしつつ聞き流す。
(あ、そういうことか。こいつを倒したら帰れるかもしれないな)
勇輝から、異世界転移のテンプレは勇者になって魔王を倒すというものだと聞いたことがある。まずは目の前の敵を倒せばなんとかなるかもしれない。
「俺はなぁ、憎きアルタラの一族に復讐すんだよ」
男は狂気に目を光らせ、後ろに右手を回して槍を引き抜いた。弥生も月契を鞘から抜き、正面に構える。月契は片手用の中剣であり、美しいその身が月光を跳ね返した。
「受けて立ってやろう。私も闘う理由ができた」
「復讐の前哨戦、派手に行こうぜ!」
男は槍を構え、腰を落とす。その刀身である穂先には、両側に鎌のような突起があり鈍い輝きを返していた。二メートルほどの十字槍だ。
緊張が張り詰め、音が消える。
両者息を整え、同時に地面を踏み切った。その動きは早く、残像が残る。
「うおおおおおお!」
雄たけびと共に繰り出された男の突きを弥生は剣で受け止めた。甲高い金属音が耳をつんざき、火花が散る。互いの力のぶつかり合いが周囲に風を巻き起こした。
弥生は強烈な重い当たりに、奥歯を噛みしめて耐える。柄に左手を添え、両手でその重みを受け止めた。
(やはり、槍の一撃は重いな)
初撃を受けた右手が軽く痺れていた。弥生は槍との戦闘経験はほとんどなく、剣相手ばかりだったのだ。長物相手では間合いに入るのが難しく、弥生の攻撃は防がれやすい。だが、一度その間合いの奥まで入れば相手は小回りが利かない分弥生が有利となる。男はすぐに距離を取り、弥生を品定めするように上から下まで舐めまわすように観察する。
「その細腕に似合わず力はあるんだな。だが、どこまで耐えられるかな!」
男は一足飛びに間合いを詰めると、右に薙ぎ払った。
ゴウと風を巻き起こし迫って来た穂先を後ろに跳んで避け、すぐさま斬りかかる。首筋を狙って振り下ろすが柄で受け止められ、弥生は間近で男の顔を見た。男は翡翠色の瞳を細め、ニヤリと笑う。
「お、なかなかべっぴんさんじゃねぇか。愛想がなさすぎるけどな」
弥生は無表情のまま力をこめる。空に浮かんでいるのは三日月。弥生の足の速さも力の強さも通常より上がっている。だが彼は、常人には目で追うことも出来ない弥生の速さに反応し、剣に自身の槍を合わせている。並はずれた動体視力と反射神経、そしてその力。まさしく人外だ。
「けど、殺さないといけないなんて、残念だぜ!」
男は力任せに押し返すと、勢いを殺さずに振り払う。それを弥生は弾き返し、打ち合いが続く。連続する金属音に、伝わる衝撃。それが弥生を高揚させた。
「おらおら!」
男は連続で突きを繰り出し、弥生は最小限の動きでかわしていく。ひときわ深い突きを剣を立てて滑らせれば、穂先は弥生の頬をかすり髪を散らした。刹那的な痛みが広がっていき、弥生の口角が上がる。
(あぁ……久しぶりだな。この感じ)
弥生は一度距離を取り、右足を大きく引いて月契を引き寄せる。そのまま腰を深く落とし、楽しそうに笑った。胸が高鳴り血が滾る。
(やはり命がかかる闘いはいい)
因縁の敵との決着がついてからは、命をかけて闘うことはなくなった。刃を潰した剣か、木の模擬剣で手合わせをするぐらいだ。正直満ち足りなかった。
「ずいぶん楽しそうじゃねぇか。ちと狂気じみていて、好みじゃなくなってきたけどよ!」
弥生は地面を蹴って突進する。男の左に回り込み、右から斬り上げた。迎え撃とうと繰り出された突きを体を捻って交わし、足に力を込めて突きあげる。
「ちっ!」
男は横に跳んでかわし身を低くすると、すぐさま長い柄で足払いをかけた。
それを跳んで避けた弥生は男の背後に回り、月契を振り下ろす。背中を捉えたかに見えたが、彼は身をずらして柄で受け流した。再び打ち合いが始まり、払い、突き、斬り上げ、弾く。どれだけ激しく斬りあっても、双方息が切れることはない。
そして一際大きな金属音が響き、穂先の鎌に剣先がかかる。力が拮抗し、睨み合いの状態となった。男はまじまじと月契を見て感心する。
「これだけ打ち合って歯こぼれ一つしねぇとは、素晴らしい剣だな。どこのだ」
「これは私の力を具現化したものだ。私が倒れぬ限り、折れることも欠けることもない」
「はっ? なんだそれ。噂に聞く霊具か?」
「知らん」
両者同時に距離を取り、構えなおす。男は弥生の姿をもう一度じっくりと観察して首を捻った。
「臭いは似てるけど、アルタラの一族じゃねぇよな。羽はねぇから精霊じゃないし。ちっ、勘違いかよ」
「なんだそれは」
「まぁいいや、ちと時間がねぇんだわ。本気出すぜ」
そう言うなり男は咆哮し、音が圧力となって弥生に襲い掛かり髪が巻き上がる。草が、木々が、風に吹かれたようにしなった。そしてそれが途切れたと思った瞬間、男が肉薄していた。
(ちっ!)
「避けきれるかな!」
凄絶に笑う男は連続で突きを繰り出し、弥生はなんとか剣先でさばく。だが不意を突かれたこともあり、重い一撃を受けて態勢を崩してしまった。
(しまった!)
体が右に倒れる。そこを狙って槍は突き上げられていた。咄嗟に剣を盾にするが防ぎ切れず、右肩に鋭い痛みが走った。遅れて熱を感じ、じわりと血が滲む。ひるまずに、がら空きになった首元を狙おうと斬りかかるがやすやすと柄で受け止められ、男はそのまま槍を滑らせて柄の後方、石付きで弥生の肩口を打った。鈍い痛みが全身に広がり、その衝撃で吹き飛ばされる。
空中で体を反転して地面に着地した弥生は、痛みに思わず眉を顰めた。それを見て男は嗜虐的な笑みを浮かべる。
「ほら、さっさとアルタラを呼べよ。いるんだろ? それとも、お前をいたぶれば出てくるか?」
傷は思ったより深く、血が流れ出て服を赤く染める。血の匂いがいくつもの闘いを思い起こさせた。それと同時に苦り切った顔をする仲間の顔が浮かんで舌打ちをする。医者である彼は小言を言いながら、傷を治してくれるだろう。それに加えて、他の仲間たちはいい機会だとさんざん説教をしてくるに違いない。弥生はいつだって問題児だったからだ。
弥生は損傷を確認すると、男に目を向けた。手傷は負ったが、動きに支障が出るほどではない。
「だまれ。傷があったら言い逃れができんだろうが」
「なんなら、もっと増やしてやってもいいんだぜ」
男は余裕そうに穂先を揺らし、弥生を挑発する。それに応えるように、弥生は口角を上げた。
「できるものならな」
弥生は月契を胸の前で横一文字に突き出し、左手をその刀身に添えた。そっと力を入れ、親指の付け根に傷をつける。つぅっと細く血が伝っていった。
「なんだ?」
男は怪訝そうに警戒を強め、弥生は静かに息を吸う。凛と、空気が研ぎ澄まされる。
「月契。我が血を吸い、その力を解放せよ」
その瞬間、剣自身からすざましい圧が放たれ、男はうっと息を詰めた。刀身が血を吸い上げるように赤く染まり、さらにその姿は細く長くなる。
「おい……そいつはなんだよ」
男はあんぐり口を開ける。
最大の変化は、柄頭から伸びる細い鎖とその先に繋がっている三日月型の刃。その刃はゆらりと宙に浮き、それ自身が意思を持っているかのように動き始めた。
「月契だ」
弥生は腰を深く落として上段に構え、地面を強く踏み切った。滑るように男との間合いを詰め、斬りかかる。同時に三日月の刃は男の背後を取った。
「おい、卑怯だろ!」
男は弥生の剣を穂先で弾き、背後の刃を柄で跳ねのけた。器用に両側を使っていなしていく。
「これが月契だ。卑怯なものか」
左から斬り上げ、三日月の刃は頭上から落ちる。
「やられる前にやるだけだ!」
男は横に大きく跳んで避け、弥生の空いている胴に向かって払い上げた。キィンと一際鋭い音が響き、穂先には三日月の刃が食い込んでいる。
弥生はニヤリと笑い、勝ち誇った笑みを浮かべて振りかぶった。キラリと紅い刀身に月光が反射する。これから血に染まるのが嬉しくてしかたがないと言いたげに。
「しまっ」
男はとっさに左腕で頭を庇うが、弥生は左手で鞘を抜き、鋭く踏み込んで男の鳩尾を突いたのだった。
「ぐはっ」
一瞬気を遠くした男は不覚にも膝をつき、恨みがましい目を弥生に向ける。
「月縄」
だが弥生は気にすることなく、魔力を縄状に変えて男を縛り上げた。武器を取り上げておくことも忘れない。
「お前、何のつもりだ! 情けなんていらねぇんだよ!」
「うるさい。犬を殺したら、愛護を訴えるやつらがうるさいからな」
「俺は犬じゃねぇ。狼だ!」
「一緒だろ」
弥生は無表情のまま男に手を伸ばせば、男はキッと睨み返して身構えた。殺すなら殺せとその眼が訴えている。それを無視して弥生は掴むように男の頭に手をやり、頂にあるものを指でつまむ。
「ふむ。やはり犬だな」
ふにふにと、柔らかい感触が指に伝わった。先ほどの闘いも半分くらいこの耳に気を取られ、集中できなかったのだ。
「お、おい! お前どこ触って、や、やめろ!」
男は全身の毛を逆立てて噛みつこうとしたため、弥生がその頭を鞘で殴る。
「所詮犬か。躾が必要なようだな」
「なんだっ!」
男は殺気立てて言い返そうとするが、言葉は呑み込まれた。圧倒的な魔力の圧に襲われ、窒息しそうになったのだ。全身の毛穴が開き、ガクガクと震える。弥生が制御している魔力を解き放ったからだ。
「大人しくしていろ」
「はい」
男はしっぽを丸め、怯えていた。狼というだけあって、本能で弥生の恐ろしさを理解したのだ。
(しかし……イベントをクリアしても何も起こらんな。本当に魔王を倒しに行くとかは、さすがに勘弁してほしいんだが)
倒せる気がするが、かかる時間を考えると嫌になる。まずは誰か魔術に詳しい人を探さそうと今後について考えていると、人の気配を感じた。ついで言い合っているような声が聞こえ、弥生はそちらに視線を向ける。それと同時に、男がグルルルと低く唸り始めた。
「やっぱり召喚されてたんだよ。さっきの魔力からして、相当やばいやつだぞ」
「そんな。だって、召喚陣が消えちゃったから、失敗したと思うじゃないか」
小走りにこちらに向かってきたのは青年と少年。月明かりに照らされ、その姿が明らかになる。まず目を引いたのは、青年の背にある黒翼。走る振動に合わせて黒髪のポニーテールが揺れ、飾りの金環が鈍く光っていた。そしてその肩に弓をかけている。
(あれ、飛べるのか……)
二人は弥生に目を留めると歩調を緩めて近づいて来る。
「おい、どこの種族を召喚したんだよ」
戸惑った表情で隣の少年に尋ねる青年は、黒と紫を基調にした人間界ではキトンと呼ばれる服を着ていた。ギリシャの彫刻がよく着ている服だ。その下に白のズボンを履き、膝下で少し膨らむ裾を絞っている。足元は黒革の編み上げサンダルだ。腰には細い銀のベルトが締められ、黒い鞘がぶら下がっていた。
「僕に他種族のことがわかると思ってるの?」
ちょっと怒って言い返す少年は、薄紫の髪をしており細い体が儚い印象を与える。真っ白で少し長い上衣は袖がゆったりと広がっていて上質なものだ。下は膝丈の黒いズボンを着ており、黒革の細いベルトで衣を腰で締めていた。彼は魔術師なのか、先端が丸まった杖を抱えている。
二人が近づいてきたため、剣を出したままでは警戒されるかと弥生は月契を鞘に戻す。
「あの、お姉さん。何があったか教えてくれる?」
「そこで殺気立ってる男のこともな」
二人の顔がはっきり見えるようになり、弥生はほぉと内心感嘆した。
(人外の美しさというやつだな)
可愛らしいとう表現があう少年が不安げに銀の瞳を瞬かせれば、星の輝きのように見える。対する妖艶な青年は、青、黒、紫、そして藍色と色を変える瞳に警戒の色を浮かべていた。
「って、お姉さん怪我してる!」
少年は弥生の服に滲む血に気づくと、血相を変えた。
「かすり傷だ。問題ない」
弥生の治癒力も底上げされているため、血は止まりかけていた。
「でも、僕治癒魔法使えるし」
「知り合いに治癒魔術が使えるものがいる。気にするな」
弥生が軽く右手を振って返せば、少年は痛々しそうに顔を歪める。心優しい性格なのだろう。その少年からは魔力探知が苦手な弥生でも分かるぐらい強力な魔力が伝わって来た。ちょうどいいと思い、事情を話すことにする。
「街を歩いていたら、ここに飛ばされてな。目の前に意味の分からん男がいたから、倒しただけだ」
端的に説明すれば、少年は「あぁ」と天を仰いだ。どうも思い当たることがあるらしい。
「お前のせいじゃないか」
青年は容赦なく止めを刺していた。
弥生がどういうことかと問いかけようとした時、足元から殺気が膨れ上がる。
「お前がアルタラの一族だな! 積年の恨み、今こそ晴らしてやる!」
男は光の縄を解こうと力を込めるが、体に痛みが走るだけでビクともしない。弥生はこの少年が先ほどから話に出ていたアルタラかと興味深そうに視線を向ける。その少年に、青年が男を指さして尋ねた。
「誰だこいつ。知り合いか?」
「知るわけないだろ」
男は低く唸るが、弥生がひと睨みすると舌打ちをして話し出した。
「俺が恨んでるのは、雷の枝守だ」
「トルネア義姉上?」
少年は小首を傾げた。その人物を知っているようだが、なぜ恨まれるのかは合点がいかないようだ。
「俺は村から出て、一人草原地帯に住んでた。狩には自信があったし、土も手をかければいい作物ができそうだったからな」
狼という見た目にあわず、コツコツと頑張っていたらしい。
「一から家を作って、畑を作って、やっと嫁さんも見つかったんだ」
男はそこで一息つき、悔しそうに少年を睨みつける。そこには怒りと恨みがはっきりと映し出されていた。
「なのに、ある日狩から帰って来ると目の前で家に雷が落ちた。みるみるうちに火が回り、あっけなく家は全焼。家の裏にあった畑も丸焼けだ!」
「あぁ……」
少年は理解したようで、表情を曇らせて額に手をやった。短気な義理の姉はごくたまに癇癪を起し、雷を落としてしまう。その昔エルフの大樹に落としたこともあった。
「後で枝守の兵団のやつが謝りに来たよ。見舞いの品を持ってな。家は建て直せる。畑も作り直せる。けどな、家がないなら嫌だと俺の友達と結婚したあいつは戻ってこねぇんだよ!」
男の虚しい絶叫が森にこだまする。三人はかける言葉が見つからず、憐れみの目を彼に向けた。
「だから俺は、復讐を誓って腕を磨いていたんだ。そしたら、アルタラの臭いがしたからよ。そいつを人質にして枝守を出させようとしたら、このざまだ」
少年は申し訳なさそうな表情を浮かべ何か言いだそうとしたが、それよりも先に弥生が口を開いた。
「それだけ分かれば十分だ。眠っていろ、月花夢幻」
赤く染まった瞳を男に向けると、男はふらりと意識を失った。その赤い瞳に二人が息を飲む。
「眠らせただけだ。まぁ、悪夢も見るがな」
「そう、なんだ……えっと、君は何者なの?」
少年が恐る恐るそう尋ねる。何かを警戒しているようだ。
「私は弥生、魔術師だ。おそらく、この世界とは違うところから来ている」
「魔術師……」
「おい、どっから呼び寄せたんだよ」
二人の反応から、魔術界が知られていないことを察した弥生は表情を翳らす。どうやら少年に召喚されたようだが、帰る方法はあるのだろうか。
「ぼ、ぼくはウルーシュラ。召喚魔法の練習をしていたら、ちょっと失敗して……」
「俺はシヴァだ。悪いな弥生、巻き込んだ」
「帰れるのか?」
その問いに、二人は顔を見合わせ曖昧に頷いた。
「たぶん、召喚陣は完全じゃなかったし、契約もしていないから時間が経てば戻されると思うよ」
「詳しい奴を呼んでもいいが、この時間だと寝てるだろうしな」
「そうか」
帰れるならいいかと、弥生は変わった気配を持つ二人をまじまじと見た。魔界に行ったときに魔人は見ているが、彼らのような種族は初めて見たのでおもしろい。手元にカメラがあれば帰ってから仲間たちに見せられるのにと口惜しくなった。
「弥生、お前強いんだな。時間があれば手合わせを願いたかった」
「君より強いかもよ」
「言うじゃねぇか」
そう軽口を叩き合う二人からは、互いへの信頼が伝わってくる。二人を見ていると、宿敵を共に倒した仲間たちが脳裏に浮かんだ。今はそれぞれの国に戻り、常に一緒にいることはなくなった大切な仲間たちだ。
(土産話を持って会いに行くか……)
それと同時に、また危険なことをしてと小言ももらうだろうが……。彼らの表情が容易に想像できて、少し口元が緩む。
「弥生さん、夜も遅いから僕たちと一緒に……」
ウルーシュラの言葉が途切れたのは、弥生の足元が光り召喚陣が展開したからだ。もう時間なのだろう。弥生はもう少し話したいと思ったが、しかたがないと微笑を浮かべた。
「ウルーシュラ、シヴァ。思いがけぬ出会いだったが、楽しかった」
「こちらこそありがとう!」
「もう失敗しないように見張っておくから、安心しろ」
そう茶化すように口角を上げたシヴァに対し、口を尖らせて抗議するウルーシュラ。それが、弥生が見た最後の景色だった。
パッと視界が明るくなり、弥生はとっさに目を閉じる。風が弥生の頬を撫で、木々のさざめきが聞こえる。空気の中に魔力が流れ、人々の気配も感じる。魔術界だ。
弥生はそっと目を開け、明るさに目を慣らすと傷口に視線をやった。これは隠しようがなく、選択肢はこのまま帰るか、医者の仲間のところへ行くかだ。どっちを先にしても、どうせ怒られる。だが、ウルに治してもらうよりは怒られてでも仲間に治してもらいたかった。勝手に傷まで治して帰ってきたら、それこそ悪いことをしたみたいだからだ。
しばらく考えた弥生は諦めに似た溜息をついてから歩き出す。
(帰ろう)
そして案の定仲間たちからは小言をくらった。治癒魔術のおかげで傷は治ったが、次は無いと脅しをかけられた。好きで負った傷ではないのに、とんだ災難だ。弥生が傷を負ったという騒ぎで五人の人間界で出会った仲間が集まった。
暇なのかと弥生が呟けば、怒ったような視線で射抜かれる。弥生が傷を負う時は重症であることが多かったため、肝を冷やして飛んできたらしい。各国とは空間魔術でつながっているのでドアを開けるだけで来られるが……。
そして弥生が無事と分かって落ち着いた彼らはお茶を飲みながら、弥生が体験した異世界のことに興味深そうに耳を傾けたのだった。
「いいな。異世界転移のテンプレ。俺も行きたかった」
お菓子をつまみながら、勇輝が口を尖らせる。「弥生だけずるい」とむくれていた。
「お前にとってはここに来たことが異世界転移だろう」
そう弥生が返せば、
「そうだけど~。また違う醍醐味がさぁ」
と不満顔だ。それを仲間たちがくすくすと笑い、和やかな時間が過ぎていく。弥生は彼らの笑い声を聞きながら、遠い世界で頑張っているだろう二人に想いを馳せるのだった。
こちらは、拙作『神の名の下に』とふとんねこ様作『銀星と黒翼』のコラボ作品でございます。
拙作が完結しており、その世界観を動かすとネタばれ待ったなしになりますので、銀星の世界観をお借りしました。
他の参加作品は下にリンクを張ってあります。