引っ張り男
「おい!そこは女性専用だぞ!」
私が疲れて車両に乗り込もうとすると男が声を掛けてきた。
「俺が一番前に並んでいたんだ。俺はこの車両に乗り込む権利がある」
私は大人の対応をし、そのまま乗り込もうとした。
「ここは女性専用だ。下に書いているぞ」
男は私の腕を掴んでこう言った。
「放せ!座る椅子がなくなるだろう!おい、そこの女、俺が一番前に並んでいたんだぞ!」この機会をいいことに後ろの女性たちが我先にと空いている座席を求めて車両に乗り込んでいく。
「法律を守れ!」
男はしつこく私の腕を掴むに更に体重を後ろにかけて綱引きの要領で引っ張る、引っ張る。「放せ!俺は料金を払っているのだ。男女で車両を分けるなど旧態依然な時代錯誤なことだぞ!」
私の身体はずいっ、ずいっ、と後ろに引っ張られていく。
「乗せろぉおおおお!」
開いた扉の向こうの座席では女と女の間に空きスペースがある。あそこに座れるのに、視界はどんどんとそこから遠ざかっていく。
「貴様!それは暴行罪だぞ!放せ!」
私は声を上げたが、
「法律を守れ!」
「放せって!」
「法律を守れ!」
「放すんだよ!」
「法律を守れ!」
私の身体はすでにホームの反対側まで引っ張られていた。
「取り敢えず落ち着きたまえ」
私は、ならば、と反転しこの男と向かい合った。
「何が問題なのだ」
私はじっと相手の目を見据えこう言った。
「法律を守らないことだ」
この男は未だに私の腕を掴んだままだが、引っ張るのをやめた。
「条文を言いたまえ」
私は理知的にこう問う。
「二条だ。二条に書いてある」
「嘘を吐きやがって」
私が馬鹿にしていると、男は再び私の腕を引っ張り始めた。
「ともかく法律を守れ!」
私の腕を引っ張る男。
「俺は疲れているんだよ!頼むから電車に乗せてくれ!」
「女性専用車両だぞ!」
「俺が一番前で陣取っていたんだ!」
「法律を守れ!」
男はホームの端でこれ以上後ろに下がるとホームから転落する一歩手前のところ。
「やめろ!落ちるぞ!」
くいっと巧みに舞い上がるように右に四分の一回転、男は回転した。それと同時に私の腕も四分の一回転分右に曲がった。男は私を引っ張る白線に沿って。