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契約書で折った紙飛行機はよく飛ぶジンクス

 玄関を叩いたノッカーの音に振り返る。

 今日の来客の予定と時刻を擦り合わせ、客人の顔を想定した。


 内心意気揚々、仕草は優雅に玄関を開けば、予想通りそこにはクラウス様がいらっしゃった。


「お待ちしておりました、クラウス様。奥様へ取次ぎます」

「ありがとな、ベル。また見ない内に伸びたな」


 ホールへお通しする傍ら、わしわしと頭を撫でられ、暴れたい衝動が沸き起こる。

 すくすく伸び盛りなクラウス様は、年齢よりも割増で見られることも多い。

 年上らしさに拍車をかけていた。


 でも僕とあなたは同い年! 頭撫でるの禁止!!


「……? クラウス様、お加減よろしくないんですか?」

「んー?」


 奥様がお待ちのお部屋へご案内しながら、ふとクラウス様の顔色がいつもより悪いことに気がついた。

 へらりと笑って誤魔化されているが、リヒト殿下同様、目の下に隈が生息している。


 これはもう、ヨハンさん監修の坊っちゃんハーブティーをお出しするしかない。

 疲労回復とかその辺りのもの。


 扉を数度叩き、奥様のお返事を待つ。

 クラウス様をお通しすると、奥様がソファから立ち上がった。


「ようこそ、クラウスくん。大きくなったわね」

「ご無沙汰しています、コード夫人」

「あら、カレンおばさんでいいのよ?」


 茶目っ気を込めた微笑みを受け、クラウス様が「それはちょっと……」微苦笑を浮かべる。

 奥様の目線に促され、ソファへ着席した彼等の前にお茶をお出しした。

 ベルナルドくんのスタンダードティーだ。


 下がったその足で、坊っちゃんのところへ向かおう。

 お土産にご用意しよう。


 退室しようと頭を下げたところで奥様に呼び止められ、居残ることになった。

 見れば、普段奥様おつきの先輩メイドさんが見当たらない。

 取り残された心地に、すっと背筋が寒くなる。失態は許されない。


 ……どうしよう、急に緊張感が込み上げてきた。

 なるべく背景と同化しよう!


「それで、クラウスくん。おばさんにどんなお話?」

「おば……ッ、今日はカレンさんにご相談がありまして」

「あら、もっとリラックスしてお話していいのよ」


 クラウス様が冷や汗を流しながら呼び方を訂正している。


 わかります、その気持ち。

 奥様は子持ちとは思えないほどお若くあられますもんね。

 そんなお姉さんのような見た目に関わらず、ご本人のお口から飛び出す「おばさん」呼称。

 何のトラップかと思いますよね。

 大丈夫です。奥様はただただ純粋に、子どもを愛でたいだけのご様子です。


 あらあらと慈愛に満ちた微笑みを向けられ、クラウス様が小さく呻いた。

 埒が明かないと判断したのだろう、渋々、彼が口を開く。


「その、今アリヤ家で友達を預かっているのですが、……その子の状態が、思わしくないんです」

「詳しく聞いても差し支えないかしら?」

「………はい」


 小さくため息をついたクラウス様が、ちらりと一瞬、僕へ視線を向ける。

 すぐさま奥様へ向き直り、「緘口令が敷かれているので、詳しくはお話できませんが」前置きした。


 あれ? 緘口令? 僕凄く場違いじゃないですか?


「表現が悪いことをお許しください。……彼は、心を病んでしまったようです。本来なら専門医に診せるところ、父の指示により、うちで保護しています」


 クラウス様の言葉にはっとする。

 この産業革命のない、19世紀辺りのヨーロッパを模した世界は、医療に疎い。

『専門医』にかかるということは、患者に対する世間の目が厳しくなるということだ。

 奥様が視線を落とす。


「そう……。その子は今、どんな様子?」

「……ずっと蹲ったまま、動くことはありません。ずっと何かを呟いていて、食事も一切とらず、……恐らく、眠れていないと思います」

「……そう」

「母にも手紙を出したのですが、何分遠距離で……」


 時計の秒針の跳ねる音だけが響き、室内に沈黙が下りる。

 ……話の内容が内容だっただけに、迂闊に物音を立てることが出来ない。


 半分泣きそうな心地でクラウス様を見る。

 爽やかが標準装備の彼の表情が、沈鬱に沈んでいることがわかった。ひえっ。


「じゃあ、クラウスくんのお家に、おばさんがお手伝いに行くわ」


 沈黙を破った奥様のお声は優しく、今にも死にそうだったクラウス様が顔をもたげる。

 しばらくして言葉の意味を解したのか、慌てたように彼が背筋を伸ばした。


「いえっ! お気持ちは有り難いのですが……!」

「でも、おばさんだけがクラウスくんのお家を出入りすると、迷惑がかかってしまうから、ベルくんとアルくんを連れて行くわ」

「はい!?」

「大丈夫よ。おばさんもベルくんも、お世話は得意だから」

「……ッ!?」


 にこにこ笑う奥様の提案に、完全に引きつった顔でクラウス様がこちらを振り返る。

 そんな、僕だって困惑してるんですから……!

 ぎこちなく首を横に振るが、奥様は終始優雅だった。


「これでおばさんも、アルくんと仲良くなれたら嬉しいわあ」


 夢見る乙女のような顔で微笑み、取り出した白紙の用紙に流れるように筆記していく。

 カリカリ滑るペンの走る音を最後に、奥様がくるりと用紙を反転させた。


「それじゃあクラウスくん。わたくしたちは、ここで聞いたこと、これから知ることに対して、他言しないことを誓います」

「えっ、ですけど、アルバートはここにいな……」

「アルくんは後で、ベルくんに連れて来てもらうわ。そうね、明日の朝9時から伺いましょうか」


 早過ぎるかしら? 首を倒す奥様に、クラウス様が大急ぎで首を横に振る。

 ソファから立ち上がった奥様が、テーブル越しに彼の頭を撫でた。


「今までよく頑張ったわ。これからは、おばさんたちも一緒よ」

「……ッ、ありがとうございます」


 俯いたクラウス様が、膝の上できゅっと両手を握り締める。


 いくら普段からお兄さんを装っていても、彼も僕と同じ9歳だ。

 使用人や大人がいるとはいえ、今まで心細かっただろう。

 そう思うと、彼の背中が年相応の小さいものに見えた。


 奥様が手を引いたところを見計らい、ソファを挟んでクラウス様の背中に激突する。

 滅多に聞けない彼の驚いた声が上がった。


「お手伝いしますよ、クラウス様! 何でも言いつけてくださいね!」

「ああ、……ありがとな、ベル」


 少し鼻声だったことは聞かなかったことにして、振り返ったクラウス様に頭をわしわし撫でられる。

 ……今日は大人しく撫でられてやろう。

 ちらりと盗み見た彼の顔は、睫毛が若干濡れていたが、先程の死にそうなものではなく安堵に満ちたものになっていた。

 内心良かったと、ため息をつく。


 クラウス様のお見送り後、坊っちゃんと再び呼び出された僕は、奥様直筆の契約書にサインすることになった。

 その場で事のあらましを聞くことになった坊っちゃんが、愕然とされる。



 そして大幅に変わる僕と坊っちゃんの明日からの時間割を、準備の良いヒルトンさんが組み直してくれていた。


 さっすがヒルトンさん。

 今まで『基礎練習』が入っていた早朝に、『鍛錬』が移動してますね!

 朝から殺す気ですか! 心得ました!


 ちなみに坊っちゃんは、僕が死神と戦う時間帯に、『日替わりお勉強』することになりました。

 講師は旦那様だそうです。

 坊っちゃん、応援しています……!!

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