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第5章 茶色い瞳の少女

 カズが通い始めた中学校は厳しいことで有名だった。校則はやたら細かく教師は威圧的だった。いつも校門の前には目つきの悪い教師が二人立っていた。生徒が一秒でも遅刻すると、柄の悪い門番のような教師から、学年、クラス、名前をチェックされる。三回遅刻すると、生活指導の教師に呼びつけられ個別に厳しく指導される。それから保護者も呼び出され、家庭教育について細かく指導される。この学校ではどんな理由があれ遅刻は許されない。

 入学式で校長が、本校は生徒の身だしなみがきちんとしており非行もいじめもない、また文武両道の伝統がある素晴らしい学校であると自慢げに話していた。しかし実際は不登校の生徒は多く、陰湿ないじめは横行していた。昨年は三年生が一人自殺する事件があったが、原因は不明だった。

 カズはこの学校に足を一歩踏み入れた瞬間から異様な雰囲気を感じた。それは、不自然に凝り固まった空気であり、常に誰かに監視されているような息苦しさであった。彼はこれから三年間、この中学に通わなければならないのかと思うとがっかりした。しかし変に暗い顔をしていると、小学校時代のようにまたクラスのみんなから孤立してしまう。カズはそれだけはなんとか避けなければならないと思った。幸運なことに、小学校の図書室で仲良くなった友だち、タナカがいた。カズは彼のグループにもぐりこむことになんとか成功した。

 入学して数日立つと、クラスも海に浮かぶ島々のようにそれぞれのグループができあがっていた。その中でただ一人ぽつんと席にと座っている男子生徒がいた。その男子生徒はトオヤマだった。最初、カズはその男子がトオヤマだとはわからなかった。以前の生意気そうでお調子者の風貌は跡形もなく消え去っていた。顔は青白く細長い目はどこかをじっと見つめているように静止している。髪は長く伸びて頬はこけていて、全身から病的な匂いが漂っている。

 カズはタナカに声をかけた。

「おい、あいつ、トオヤマじゃないか。変わったなぁ」

 タナカは声を潜めて答えた。

「俺、最初トオヤマだとわからなかった。あいつ、学校に通えるようになったけど、家では大変だったらしいよ」

「大変って、何が?」カズも声を潜めて訊いた。

「なんかナイフで手首切ったとか、ごはんが食べられなくなったとか。その代わり、夜中に冷蔵庫のものを全部食ったとか。心療内科っていうの? 今でも通っていて薬も飲んでいるらしい」

「大丈夫かよ、見た目全然大丈夫そうじゃねえな」

 カズとタナカは青白い顔をしてじっと座っているトオヤマをチラッ、チラッと見ながら、そのうちに黙り込んでしまった。

 しばらくして、タナカがぽつりと言った。

「六年のとき、どうしてあんなふうになったのかなぁ」

 カズもタナカのその言葉に共感した。カズに対するいじめもトオヤマに対するいじめも、伝染病のようにクラス全体を巻き込んでいった。そこには特別な理由などなく、些細なことでいじめが始まるのだ。

 カズはタナカとつきあいだして、彼が優しくて思いやりのある性格だと感じていた。そんなタナカもカズをいじめる輪に積極的ではないにしろ、加わっていた。いじめられたカズもトオヤマに対するいじめをとめることはできなかった。

「どうする?」

 カズはよく理由もわからずにタナカに訊いていた。

「どうするって言ったって・・・」

 タナカがそう答えたとき、始業のチャイムが鳴った。


 カズたちが通っている中学校では文化系にしろ体育系にしろ、三年生の夏まで部活動をしなければならなかった。カズは集団で行うスポーツが苦手だった。だからといって体を動かすこと自体は嫌ではなくなっていた。中学生になった今も夜はときどき近所を走って、気分転換をしている。だが彼は中学の運動部を見学して寒気がした。顧問や先輩の言うことは絶対的で、その練習はまるで軍隊のようだった。いったいここはどこなのだろう? 二十一世紀の日本とは思えない雰囲気だ。カズは二、三の運動部を見学しただけで、嫌になってしまった。

 しかし、この学校では何らかの部に所属しなければならないので、とりあえず美術部に入った。カズ自身、絵を描くことは嫌いではなかったし、何よりも美術部の自 由な雰囲気が気に入った。

顧問の山下先生は当然美術の教師だ。もじゃもじゃの長い髪に黒ぶちの眼鏡をかけている。眼鏡の奥には小汚い身だしなみに反して優しそうな目があった。長身で、やせていて昆虫のカマキリを思わせる。それも強いメスのカマキリではなく、交尾した後メスに食べられてしまう弱々しいオスのカマキリだ。

 カズが美術部見学のため美術室を覗くと、「おお、今年は三人も入部希望者が来た。例年になく豊作だ、豊作だ」山下先生は喜び彼を手招きした。

「まあまあ、ここに座って紅茶でも飲みなさい。クッキーもあるぞ」

 新入部員勧誘のため、教師が食べ物を提供していいのだろうかとカズは一瞬戸惑ったが、なんだかここは面白そうな気がした。

 山下先生に誘われてテーブルの席につくと、女子生徒がひとり座っていた。カズは彼女の茶色に輝くショートカットの髪に目を奪われた。それから彼女のつぶらで茶色に澄んでいる瞳に見つめられ、自分の心臓の鼓動が大きな音を立てたことに激しく動揺した。カズの隣に座っている女の子のピンクの頬はやわらかそうで、口元には常に微笑みが浮かんでいるように見える。彼女はカズを見ると、小さく微笑んで軽く頭を下げた。

「はじめまして、一年A組の小林真澄です。よろしく」

 カズはその声をさわやかな風のように感じた。人の発する声が、これほど胸に染み入るとは思ってもみなかった。そして柔らかく澄んだその響きは、なぜか少し悲しげにも聞こえた。

「市川和男、一年B組です」

 カズは慌てて答えた。

「君も一年B組か。そういえば昨日入部した男子もB組だったなぁ。絵は好きかい? 彫刻は、グラフィックデザインとかは?陶芸とか面白いぞ、やったことある?」

「はあ、いや、あの・・・」 

 カズは予想外の展開に戸惑ったが、美術部の顧問はカズの意向などお構いなしに美術部の素晴らしさを喋り続けた。そしてカズは、山下先生の強引な勧誘に当然逆らうこともできず美術部に入部した。

「部員は三年生の女子が一人、彼女が部長だが今日は来ていない。それから二年生も男子が一人、奴も今日は来ていない。一年生は君、市川君と彼女、小林さん。それから市川君と同じクラスのトオヤマ君だ、あーっ彼も今日は来ていないけど」

(トオヤマが同じ美術部かぁ)カズは胸の中でつぶやいた。自分は入部を早まったのかもしれないなと思ったが、いまさら入部を取り消す気持ちも当然起きなかった。


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