Days1:After
財布のことは……とりあえず忘れて、教室の原状復帰と戸締りを済ませたオレとイオは教室を後にした。部活は今度でいいや、日誌を職員室に届けてから、アイスクリーム屋さんに向かおう。
蝉の声と運動部の掛け声の響く廊下を、オレはのんびり歩き、イオはスキップで進む。と、向こうの角から曲がってくる女子生徒がいた。向こうがこっちに気付き、「おっ」と大股に歩み寄ってくる。
「ツキ夫婦じゃねぇか」
隣のイオがずっこけた。
ツキ夫婦とは、オレの名字の「卯月」とイオの名字の「如月」、どちらにもある「月」の字をもじった呼び名だ。一応付き合っていて、よく一緒にいるので二人まとめて呼ぶときに使われたりする。
近づいてきたその女子は、生徒会副会長の芳原先輩だった。オレたちよりひとつ上の三年生。……それにしても、相変わらず色々と凄まじい人だ。
真っ赤に染めたロングヘアに、シャツのボタンを三つも開けてしまっている胸元、そして身長一八〇センチのオレより五センチ上にある目線……校内ではひそかに「赤鬼副会長」と呼ばれている。いかにも。
「こんにちは、芳原先輩。終業式まで生徒会の仕事を?」
「ああ、イロイロとな。んで、お前らは? ツキ夫婦」
立ち上がろうとしていたイオが再度ずっこけた。どうやら恥ずかしいようだ。
「や、やめなさいってこの前言ったじゃないその呼び方ー!」
どうやらオレの預かり知らぬところでキッチリクレームを入れてもいたらしい。だが先輩はかかかっと、それを文字通り一笑に付した。
「幼なじみで、付き合ってて、しかも既に同棲してんだろォ? それを世間では夫婦っていうんだぜ!」
い、言うのかな?
「なっ、ど、同棲じゃにゃっ」
……舌を噛んだようだ。口を押さえて涙目になっちゃっている。先輩は勝ち誇ったようにかーっかっか! と大笑し、それを見てイオは悔しげに地団駄を踏んでいる。……全然分からないんだけど、どうやら何かの勝敗が決したらしい。
「んーで、結局何で残ってたんだ? お前ら」
勝者(?)芳原先輩が話題を戻す。
「オレは日直だったので日誌を。イオはそれを待っていたんですよ」
「ほーん? ほうほうほう……」
素直に答えたんだけど、なにやら先輩は顎をさすりながらニヤニヤ怪しげな笑いを浮かべている。笑う赤鬼……。オレが「な、なんですか」と問うと、先輩は「いやなぁ……」と意味ありげな目をする。
「二年の階からすごい音と悲鳴が聞こえたって先生が言うんでなァ……終業式で生徒ハケが良いからって、教室に残って一体どんな熱烈プレイをしているのかって……」
先生が見に来るんじゃないかとは思っていたけれど、代わりにこの人が来たのか。先生より話の通じる人だから、プレイうんぬんは冗談だろう。しかし冗談の通じないイオさんは顔を先輩の髪より真っ赤にし、「くぁwせdrftgyふじこlp!?」と言語化不能の発声をしている。
先輩は「あ、おもしれェ」みたいな顔をして、イオの肩にぽんと手を置いて、うんうんと訳知り顔で頷いた。
「まァ、なんだ。若ェ二人のするこったから、俺も野暮なこたァ言いたくねェ。でもほら、俺も一応副会長だからさ。ほどほどにしておけよ? な?」
そしてそのまま、かーっかっかっか、と水戸黄門みたいな高笑いで、先輩は去って行ってしまった。
イオは……しばらく石像になっていました。
***
いつもながら、この学校にツキ夫婦ほど面白いモンはないんじゃないかと思える。俺、芳原魅蕾は二人の顔を思い出して笑いながら、生徒会室に戻ってきた。
扉を開けると、室内には一年生にして俺と同じ副会長の華楠だけがソファーに座っていた。華楠は読んでいた本から顔を上げた。
「……ご機嫌ですね、芳原先輩。二年の階の大きな音というのはどうでした?」
「ああ、やっぱりっつーか、犯人はイオだったぜ」
答えながら、俺は華楠の対面にどっせいと体を投げ出した。
「もう帰ったぜ。卯月も一緒にな」
と、華楠の顔色を窺うが……相変わらず静謐な表情のまま、小揺るぎもしない。ただ「そうですか」と頷いて、また本に視線を戻した。
「ツキ夫婦が教室でバタバタ何してたか、気にならねェのか」
ぴくりと華楠の肩が揺れたのを、俺は見逃さなかった。華楠は本を閉じ、カバンにしまうとそれを持って立ちあがった。
「……終わった仕事はそこの、会長の机に載せておきました。今日は、これで失礼させていただきます」
俺の返事を待たず、華楠はさっさと生徒会室から出て行った。……どうやら、少しイジメ過ぎたみたいだ。あまり過ぎると、また書記に「レディーの扱い方レッスン」とやらを受けさせられかねないな。
でも、傷つく前に止めてやるのもセンパイのシゴトってもんだろう。