「とおせんぼ 弍 」
あの後、直ぐにグラビア袋とじを開封することはできなかった。全ては僕の運の無さが招いた結果だった。
家に帰り扉を開けると、そこには──
姉がいた。この女、偏差値七十八である。
御門遥香。それが姉の名で、由来は母親の名前から一字とって、香という漢字をつけただけである。家には不覚にも、姉が一人、妹が二人いる。父親は随分前に亡くなっているので、物理的にも精神的にも力強い女達の前では、僕の家庭的な立ち位置は最弱である。
「成績表、みせなさい。」
スーツ姿の姉が冷酷な顔で無慈悲な言葉を放つ。
「嫌だって言ったら?」
あえて挑発的な態度をとってみた。姉は此処にはたまにしか帰ってこないので、別に一回や二回逆らったって大丈夫だ。多分。
「あら、見せられないような成績なのね。来年はもう受験だというのに。そんな本を読んでる場合があるなら、英単語の一つ、公式の一つでも覚えたらどうなの?」
塾の講師だけあって、特に勉強のことになるとかなり面倒である。スタイルや顔つきはいいんだし、これで性格がよかったら、わざわざこんな本買わないで、毎日あんたで抜いてるよ。姉さん。
「大学行かなければ済む話じゃないか。高校卒業したらどっかでバイトして、適当に稼いで生活するよ。」
「そう。運動も出来ないのに頭も悪い貴方が弟なのが私の生涯で唯一の恥だわ。」
そう吐き捨てて、姉は二階に上がっていった。
さて、僕の運動音痴に加えて、頭が悪いこともバレてしまっては、もう失うものは何も無い。レッツシコシコだ。
──────────────────────
色々あって夏休みは終わった。夏休みの間何があったかは、いずれ話す時が来るだろう。僕に強大な喪失感を植え付けた夏休みの話は。
さて、二学期が来た。学校に登校し、朝のホームルームが終わると、僕は真っ先に、清水に例の部活について聞いてみた。
「オカルト研究部だっけ。どこでやってるんだ?それ」
「おお〜!行ってくれるんだね!あの娘も喜ぶよきっと!」
あの娘?女なのか。また女か……なんだか面倒なことになりそうだが、色々考えてみた結果、あの「とおせんぼ」が何なのかやはり少し気になったので、オカルト研究部に行くことにはしてみたが……
「……というか、みかどくん。なんだか逞しくなったね。」
僕をまじまじとみて清水はそういった。まあ、夏休み、本当に色々あったのだ。思い出すと号泣しそうなので、夏休みの話題は避けたいのだが……
「あー。まぁ色々あってな。んで、どこでやってるんだよ。」
「んー。まぁいっか!オカルト研究部、一階の教材室でやってるよ!」
この女に初めて気を遣わせてしまった。本当にほんの少しだが、罪悪感が僕の中でねっとりと広がっていく。
「ん。ありがとな。」
そうして僕は足早に席についた。
放課後を知らせる鐘がなったので、嫌な予感と少しの期待を胸に教材室へ向かった。
扉に付いた窓から人影が見える。僕は扉をノックした。
「どっぞー。」
軽い感じの女の声が聞こえた。清水とはまた違った印象だ。
「失礼しま……!?」
僕はてっきり、オカルト研究部なんて部活なのだから、根暗で、地味な人が活動しているのかな。という勝手なイメージを抱いていたが、期待は良い形で裏切られた。
窓の隙間から流れ込む風に靡く綺麗な黒髪。白く滑らかな素肌。整った顔立ちに、くっきりとしていて、且つ優しそうな目付き。そして薄い桃色の、触っただけでこっちが蕩けてしまいそうになる唇。目を奪われたと同時に、また夏休みのことを思い出しそうになり、すぐに自分を呼び戻す。
「ん?貴方……新入部員?」
声もまた、水面に雫が落ちて、水紋が広がっていくように響く声だった。
「い、いや。ちょっと相談というか……話がありまして。」
「ん、私に?……じゃあそこ座って。」
淡々としてるな……
「……失礼します。」
狭い教材室に三つ置かれたパイプ椅子の一つに、腰をかけた。
「では自己紹介……オカルト研究部、部長の黒川灯です。どうぞよろしく。」
くろかわあかり、か……どこかで聞いたことあるような……
「二年、御門一縷です。今日は、その……夏休みヘンなことがありまして……」
なんだか凄く静かだな……こういう空気、あんまり得意じゃないんだが。
「と、いうと?」
「歩いているはずなのに、進めないんです。たまたま通りかかった友達に助けてもらったんですけど……」
なんて説明すれば良いのか分からない。しかもさっきから部長の圧が凄まじいので、おっぱいの圧も凄まじいので、上手く話せない。
「もっと詳しく聞かせてくれるかな?」
部長の目付きが変わった。何か分かるのだろうか。
「僕一人の時は、まるで進めなかったんですけど、友達が僕を引っ張ってくれると、こう、直ぐに前に行けたんです。」
「ふーん……」
え、結構僕なりに頑張って説明はしてみたつもりなのだけれど、え、まさか何も分からないのか……?
「それ、塗壁の類ね。」
綺麗で真面目そうな部長が真顔で意味のわからないことを言い出した。僕は放心した。
「……は?」
漸く意識が帰ってきた僕は、つい、清水の時と同じような反応をしてしまった。
「しらない?結構有名だとは思うのだけれど……まあ、今回の件は、ただの塗壁じゃないわ。多分、詰まり壁じゃないかしら。」
僕は一瞬で話についていけなくなってしまった。
「知らないとかじゃなくて、どういうことですか?それ……」
「どういうことって、妖怪よ。塗壁は妖怪。その中の詰まり壁っていう妖怪ね。あまり強力では無いし、特に害もないから、比較的安全だけれど。」
何を言っているんだ……そういう時期なのか?高校三年生の女の子が?
「じゃあ、今から連れていってくれる?その怪奇現象に逢った場所に」
連れていく?僕がか?何をするつもりなんだこの人は!
「え、ええ。少し遠いですけど。」
「構わないわ。」
こうして僕は、黒川さんをあの線路沿いの道へ連れていくことになった。




