「ちみもうりょう 弍 」
空も黒く染め上がり、混沌とした校庭には一人の男がいた。
男は、上から見ていた僕に気づいた様子である。
『ここまで来い……ゆっくり話をしようじゃあないか。』
男は口を開いていない。僕の脳に直接語りかけてくるような、兎に角その声は僕にしか聞こえていないようだ。
「行くのですか……?」
神宮寺さんが問いかける。
「はい……僕、行かなきゃ行けないみたいです。」
「ちょっと行ってきますね。」
彼女を心配させまいと笑顔を作った。だが下手くそな作り笑いは一瞬で見抜かれたようである。
「どうか……お気を付けて……」
「はい。」
僕は音楽室を後にした。校庭に向かう途中、いや、あの男をはじめて見た時から分かった。僕は多分、死ぬ。
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下駄箱には、黒川さんが立っていた。
「あれっ……起きたんですか?」
彼女がここにいるということは、彼女も『呼ばれた』か、それとも僕がここに来るのを悟って……
「行かせないわよ。」
やっぱりか……彼女の表情はさっきとは打って変わって目が合えば凍りつきそうなほど冷たく、真剣なものだった。
「困りますよそれは……ちょっと様子を見に来ただけじゃないっすか。」
「嘘よ。貴方、死ぬ気でしょ。無謀な勇気は賞賛に値しないわね。」
無謀な勇気、か……確かに、僕は校庭に行けば、ほぼ確実に死ぬだろう。男の目は、僕と話し合いたいなんて友好的なものではなく、深い殺意を纏った殺戮の眼差しだった。怖くないはずがない。まだ手先だって震えてる。膝も笑ってる。それでも僕は、行かなくてはならない気がしたんだ。死ぬとわかっていても、僕がそこに行くだけで、何か意味があるような気がした。
「黒川さん……」
「何よ。」
しょうがない。最期に言っておくか……
「好きです。貴女のことが。何もかも。」
「必ず帰ります。貴女がここにいるなら、僕は必ず戻ってくる。だから、行かせてください。……お願いします。」
黒川さんに対する心の内を全て吐き出した。通してもらいたいから媚を打ったとか、黒川さんがただ綺麗だからとかじゃない。純粋に、好きなのだ。言葉で言い表しようのないくらい。愛している。愛せている。……心が満たされる。
「……そう。」
「あれっ……結構頑張ったつもりなんですけど……響かなかったですかね。」
「行きなさい。」
彼女は下を向いて言った。さっき僕を止めた時のように真っ直ぐ前を見据えているのではなく。
「必ず………………帰ってきて……………………」
彼女の涙が、彼女の頬を伝って、地面へと落ちる。それと共に僕は決意した。必ず帰る。黒川さんが好きだから……
僕は振り返らず、昇降口を出た。
柱は禍々しい気を放ちながら、空へと聳え立つ。その柱に囲まれるようにして男は立っていた。顔立ちの整った、長身長髪の男である。
「ぬらりひょん……かな。」
「ああ、そうだとも。永い時を経て、人の世を終わらせる為に復活した。私が……悪性妖魔王ぬらりひょんである。」
思わず発狂しそうになった。何故かはわからない。知っていたはずなのに、知っていた上で聞いたのに、いざ目の前に諸悪の根源がいると思うと、色々な負の感情が爆発しそうだった。
「さて、話をしようではないか。私の話を。それが終わったならば、お前の話も聞かせてくれ……私は、お前を知りたいのだよ。」
僕を知りたい……だと?殺さないのか?……だがその目、やはり僕を殺す気だ。機会を伺っているのか?でも僕みたいな人間、いつでも殺せるはずだ。まさか本当に、ただ知りたいだけなのか……?
「私は元々、江戸の世に生きる武士だった。弱きを助け、強きをくじく、正義の味方。そんなものに憧れを抱く、夢見がちな武士だった。私は妖怪や神霊の類を信じていた。それらがやがて人間と共に歩むのでは無いかとさえ思っていた。」
「……それは無理だ。」
ぬらりひょんは僕の否定に答えた。
「ああ、当然だ。人と根本から違うものが、人と歩めるはずもない。だが私は信じていた。信じることが好きだった。」
ぬらりひょんは続けた。
「そんなとき、私はある戦に出向いた。激しい戦だった。夢見がちなだけの武士は、呆気なく命を落とした。しかし、私には未練があった。私に良くしてくれた村娘に、戦に出向く前、別れを告げなかったのだ。だから、せめて別れを告げたかった。そして同時に、感謝も伝えたかった。そう願った時、私は人間ではなく、存在の薄い霊と化した。」
気のせいではない。ぬらりひょんは……少し涙ぐんでいる。
「霊となった私は、その娘の住む村を目指した。ただ自分の思いを伝えたい一心で、ひたすら急いだ。……しかし、その村は戦の影響で既に滅んでいた。私は怒った。恨んだ。戦の絶えない時代を、人を殺め続ける人間を。するとどうだ、さっきまで無力な霊だった私は憎悪でみるみる膨れ上がり、悪霊へと進化した。私は蘇ると決めた。再び肉体を手に入れ、人間を蹂躙すると誓った。」
全てを失った男が目指したもの。それが、人々を蹂躙することだと言うのか。それじゃあまるで、ただの八つ当たりだ……
「そして私は戦場に朽ちていた一人の武将の遺体を巣食った。私は肉体を手に入れることで、より強くなっていくのを感じた。さらに、この憎悪と数多の兵の遺体を材料にし、八本の肉柱を造った。人間の感情に根を張り、負の感情で成長する肉柱。更に私の憎悪を人間の遺体に直接植え付けることで、私の意のままに動き、人間を恐怖に陥れる兵隊を造った。それが、『妖怪』だ。
どうだ、ここまで喋ったのだ。話が繋がってきたか?」
「つまり、お前の憎悪で生まれたのが、そのでっかい柱と、妖怪たちそのものなんだな。」
やはりこいつが諸悪の根源であり、本当に倒さなければならない悪だった。
「フッ。そうだ。しかし、この柱は兎も角、妖怪は全く私に従おうとはしなかった。あろうことか、人間と密接な関係を気付き、互いに協力する姿も見られるではないか。」
「…………嫉妬したのか?」
「なに……?」
思わず口に出てしまった。だって、そうとしか思えなかった。自分が人間を恨むことで生まれた妖怪があろうことか人間と仲良くなってしまうのは、確かにこいつにとってなんとも許せないというか、もどかしい気持ちがあるのだろう。……なんとなく分かる自分がいる。嫉妬は怪物である。人の心を貪るのが好きで好きで堪らないのだ。そしてぬらりひょんも、恐らくだが図星である。こいつも心のどこかで、人間と共にありたい気持ちが少しあったのだろう。
「今からでも遅くないんじゃないか?人間にだって、お前を受け入れてくれるやつも一人は……」
「黙れ!!!!!!…………いいだろう。よし。私はたった今決心した。貴様を殺す。」
……やっぱり死ぬのか…………分かってはいたけれど、少し口がすぎたみたいだ。ハッタリをかけるような奴でもないだろうし、僕は確実に死ぬだろう。二人だ。二人の女を裏切ることになる。一人は夏休み、僕にすべてを託した幼馴染。もう一人は、僕が愛した素晴らしい先輩。ああ……もう少し、生きていたかったな……
「……そうか。なら、殺せよ。悔いはあるけれど、お前を恨みはしないさ。さぁ、どうか一思いに殺してくれ。」
「そうか、貴様のような男があの時代にいれば、少しは変わっていたのかもしれんな。」
そう、一番の被害者はこいつなのかもだ。人でありながら、人にすべてを奪われ、人であることを、資格を、権利を剥奪されたこいつこそ……
「では、さらばだ。」
次の瞬間、ぬらりひょんはどこからとも無く禍々しい太刀を手に取り、僕を二つに切り裂いた。
言うまでもなく、僕は絶命した。




