第38話・ゾフィ皇太子妃と対面・前編
即席の温泉場から帰室するとディナーが待っていた。いつもより、時間がたつのが早く感じられる。普段通りダミアンとレイレイで太后のお世話をする。二人で。私はついでだ。他にも使用人はいるだろうが、この二人だけなのだ。私は太后の身体につけられた大きな傷跡を思った。あの傷跡を見られたくないからかな。同時に私ははっとした。春見野筆子さんの言葉を思い出したのだ。
太后の顔は誰も知らない。血で血を洗う親族の争いがあったとか言ってなかったか……太后が信用している人間はダミアンとレイレイだけなのだろうか。
私に身体の傷跡を見せてくれたのは、私が太后の赤ちゃんを宿しているからの特典? どうだろうか。
太后の食事といってもはっきりいってもうおばあさんなのであまり食べない。パンとスープと肉もしくは魚料理だ。スープはロシア料理のボルシチというのか、その流れで具だくさんなものが多い。それで栄養を取っているという感じだ。デザートは必ずある。これは太后が好きなせいだ。特にタルト類が多い。
しかし今夜の食事には驚いた。日本食が混ざっている。白いおかゆと、スープ皿に味噌汁が入っていた。それに焼き魚がついていた。フォークとスプーンが添えられている。
太后は私の顔を見ている。日本料理を出したつもりだろう。これも坂手大臣のお土産? 私はあいまいな顔をして笑ったと思う。そして二人で食事をした。昨日はグレイグフ皇太子の結婚式で坂手大臣の顔を確認はしたが、そのおかげで日本の文化デーになったのだろうか。それにしてもおかゆと味噌汁のディナーには驚く。それでも私にきづかっているのか。日本食といってもいろいろあるのだから、私に聞いてくれたらいいのに。
それにレイレイだって、日本食は高たんぱくだから太后の健康にもいいから進言してみるとか言ってないかったか? 最初の頃に?
どういうことだろうか。とまあ、そんな感じで食事を終えた。白いお粥は日本のお米だった。これも坂手大臣のお土産か? それとも鎖国ながら内緒で輸入したとか? それも私にはわからない。
ちょっとものたりない感じで食事を終えたが、今度はダミアンが白衣に着替えてやってきた。レイレイも執事服から白衣になっていた。二人は入室する也、私を見る。何かするのだ、と思って私は身構えた。
「めぐみ様、これからお客様が来られます」
「……」
太后を見ると何やらパソコンでぼそぼそと話し合いをしているようで私の方を見ていない。私はいつものソファに座っただけだ。
「客……それがどうして白衣を着てくるのよ?」
「申し上げます。めぐみ様のお腹の中を診察します」
診察? 妊娠しているお腹を診察。内心そらきたと思ったのはビンゴだった。今まで診察も何もなかったにひどい。
「ち、ちょっと嫌よ。拒否します」
レイレイは私をなだめるように言った。
「内診ではなく、お腹の外側を見ていただくだけです」
「見ていただく、レイレイに?」
「いえ、違います……ゾフィ様です」
「ぞ、ゾフィ? 誰よ、それ……もしかして」
私はあっと思った。グレイグフ皇太子と昨日結婚したばかりの皇太子妃のことだ。黒い髪に黒い目だったが、私は彼女の後姿を貴賓室で見ただけだ。あの子、ゾフィというのか……メイディドウイフの皇太子妃……。
ダミアンがカートに何かをのせている。レイレイが言った。
「そのソファに座ったままでも大丈夫です。堅苦しく考えなくても大丈夫です」
でた、レイレイの大丈夫発言。それ以前の問題があるじゃないか。私は目つきが鋭くなったと思う。レイレイが私に構わず言葉をつ付けた。ダミアンが機械を乗せたカートを私に横づけする。彼はあいかわらず無表情だった。
「めぐみ様、この機械は胎児を透視できます。器具をお腹の外側から当てるだけです。もうずいぶんとお腹が膨らんでこられましたので、皇太后さまとグレイグフ皇太子さまとゾフィ皇太子妃様に見ていただきましょう」
「れ、レイレイ」
私はお腹の子供を育てる見本かなにかになったような気がした。レイレイとは距離が近いと思っていたのに。ザラストさんと仲立ちをして、私の味方をしてくれていると思っていたのに。また一気に距離が開いた。私は拒否した。
「いやよ」
「抵抗するなら、ガスを吸引していただくことになりますがよろしいですか」
「……なんですって」
「ガスとは、ほんの五分ほど手足の力をなくしていただくガスのことでございます」
レイレイの顔からは表情が読めない。レイレイには太后もダミアンにも内緒のこともある。ザラストさんに会わせてもらえたことでレイレイは私の味方だと思っていたのに……違うの? それも演技? この太后の部屋は片面が鏡だし、いつでもきちんとしないと皇太后に見咎められることもあるから?
それにしてもガス! 吸引! 絶対にイヤ。手足の力が入らないままに? 絶対に、イヤ!
私は力が抜けた。この人たちはどうあっても思うようにするつもりだ。多分お腹の子供は後継者、まごうことなき、グレン将軍とその娘である太后の子供なのだ。本来ならば父と娘のDNA込みなので近親相姦になるが、彼らはそういうことには頓着しないのだろう。くやしい、くやしい……。
ダミアンは手慣れた様子で機械をパソコンのようなものにつなげている。レイレイは私にお腹を出すように言った。従わねばガスを吸引しないといけないだろう。手足の力をなくして、彼らのいうなりになるのもまっぴらだった。よほどレイレイをつきとばしてこの部屋を走り出ようかと思ったが、ムダだろう。
私はあきらめて上着のすそを小さくめくった。ダミアンがそれを容赦なく大きくめくったので、私はダミアンをにらみつける。ダミアンは平気だった。ダミアンの耳の前の飾りが私の目の前で揺れている。レイレイもだ。そして太后も。私だけだ。異端者は。
畜生……。
私の眼から涙が出てきた。
太后がこちらを見た。見ながらイヤホンみたいなものに向かって何かを命令した。同時にノックの音がした。ダミアンは私のそばから離れず、レイレイが白衣を翻してドアを開けに行った。
するとグレイグフ皇太子が入ってきた。上下真っ赤なスーツを着ている。私はパニックになりながらもあいかわらずこの人の私服は趣味が悪いと思った。隣にはロイヤルブルーのシャネルスーツを着た黒髪の女性がいる。皇太子と腕を組んでいた。赤と青、つまりメイディドウイフの国旗の色の組み合わせだ。バカな私でもそれがわかった。彼らは昨日結婚式をあげたばかりなのだ。新婚旅行はなしで、あいさつをしにきた? 二人とも緊張している様子だった。私は部屋のドアに一番近いソファに座っているのだが、彼らの視線は私を超えてソファの奥のパソコンと液晶テレビの前にいる太后に向いている。女性の方がゾフィだろう。昨日の花嫁。大きくカールされた黒髪に見覚えがある。黒髪に黒い瞳、でも肌の色は抜けるように白い。
私はあわててダミアンにお腹をだされていたので、上着を引き下げようとしたが、ダミアンが私の手を押えて首を振った。太后はパソコンの前から動かない。ただ彼らを手招きした。パソコンの方へ来いと言っているようだ。そして彼らは私の横を通り、太后のいるソファの方へ行った。グレイグフ皇太子は私の横を通るときにちらと私を見て笑みを浮かべたが、花嫁の方はこわばった顔を崩さなかった。
私も伏し目になったが、ゾフィ皇太子妃が私のそばを通るときに彼女のお腹が少し膨らんでいるのを見た。
え、それってどういうこと? 彼女も妊娠しているってこと? きのう結婚したばかりなのに?
いや、彼女は元から、私のことで騒がれるずっと以前からつきあっていたのかもしれない。だとしたら妊娠も不思議ではないだろう。なんたって皇太子は父と同じ四十才だから。
私は膨れたお腹を見せたくなくてダミアンをもみ合っていたが、レイレイがガスを充てるしぐさをするので、ちくしょうと思いながらうつむいた。裸になったお腹にダミアンがマウスみたいな白い器具を私のお腹にいきなりあてた。なにやらべっちゃりとした感覚が気持ち悪い。
「ちょっと、やめてよ」
私はダミアンの手を両手で止めようとしたが、ダミアンの力は強く、びくともしない。そしてそのままその器具を私のお腹に当てて左右に動かし始めた。
「やめてったら」
「れびょうのく」
はっとした。太后がソファに座りながら指を指している。そこへ太后の後ろにたったグレイグフ皇太子とその花嫁さんが画面をのぞきこんでいる。
「おお、れぼうのく」
「れびょうのく……」
グレイグフ皇太子の声もした。さすがに鈍い私もわかった。私のお腹の胎児を今彼らがこの器具を通じて閲覧している?




