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この人を見よ  作者: ふじたごうらこ
第二章 過酷な現実
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第37話・メイディドウイフ即席温泉・後編

 やがて彼女は身を起こし、今度は私に向かって湯につかったまま、ドレスを脱いだ。やはり温泉は裸で入るものだと思いだしたのだろう。

 だがそうではないとわかった。ドレスの生地がめくれていく都度に、皇太后の肌が見える。傷だらけだった。私は目を見張って眺めるしかなかった。彼女が着替えるところやシャワーを浴びた後でも決して、首や手足を見せないわけがわかったのだ。豪華な宝石の下に隠れているものは、えぐれた傷跡だらけだったのだ。でこぼことしていた。まずのど元からおへそにかけて一直線の傷! 古い傷なのは、わかる。だがお湯につかってピンク色に艶々と輝いている。当時は命にかかわったはずだ。よく助かったと思う。相当痛かったはずだ。

 太后は次に乳房とワキの間を指さした。これは新しい傷だった。私は太后が、がんの手術を受けたという話をぼんやりと思いだした。私とグレイグフ皇太子が会った時だ。坂手大臣が非公式ながら皇太子から聞いてそれで結婚式を急いでいる理由になった。手術があったは本当だったのだ。時々ベッドの向こう側で点滴を受けているのも知っている。カーテン越しながら点滴などの医療の手当はダミアンとレイレイだけだ。医師団というものも見ていない。

 私は黙って傷を見るしかなかった。言葉は出ない。

 次に太后は立ち上がった。素裸で。ゆっくりと後ろを向いた。脱いだばかりの白いロングスリップが頼りなげに浮かんでいる。私は彼女の背中を初めて見た。後ろも全身傷だらけだった。もしかしなくとも……これって拷問の後ではないだろうか……私を背中越しに見る太后に笑顔はなかった。それでも私に見ておいてほしいという表情だった。

 傷には修復のあとはある。接合した? 跡もあった。お尻の方がえぐれている。というより、お尻の片方の肉の一部がまったくなかった。それは修復できなかったのか。ソファに座って仕事というか命令ができるのが不思議なぐらいの傷だった。

 私はそれも黙って見ているだけだった。どう反応したらよいのかわからない。

 やがて彼女は座った。それから白いスリップをさがして手でたぐりよせて着ようとした。私は手伝った。そのぐらいなら手伝える。太后は途中からスリップの手を放して、私の思うようにした。私は白いスリップのすそを確認し、ひもが頭の中にはいるように確認してから頭からかぶせておろしていった。次に袖も通すがこれも時間がかかった。一度お湯に濡れているのでとても着せにくい。

 私は中腰で立ち上がると、私の膨らんだお腹が太后の顔に来た。太后は軽くキスをしてきたので、私は一瞬身構えたがキスだけで終わった。多分、太后は今のこの時間を私にゆだねているのだ。メイディドウイフの独裁者は代々命を狙われているので、ごく限られた一部の人だけが顔を知っている。私はその一部なのだ。

 スリップを湯船の底まで下ろすと着付けは終わった。こんなに小さなおばあさんがこんなひどい傷を受けて生きてきて国の最高峰、独裁者にまでのぼりつめる歴史の不思議さ、不明さ、不自然さを肌で感じた。

 私は一言も話さなかった。太后もだ。しかし二人並んで湯につかった。長い間。

 私はともかく太后は八十才の年寄りだ。はじめての温泉でよくのぼせなかったものだと思う。本当にはじめて二人きりになったと感じた。ほんの少しだけど太后と私は血縁関係があるのだ。ほんの少しだけ。亡くなったお母さんとおばあさんの血縁者……温泉でそれが良い事か悪いことかを考えることはない。今だけ、今は。

 今の瞬間を大事にしたい、と思った。

 私は私の意思ではない胎児をお腹に宿している。それはメイディドウイフの後継者になるのだ。多分。そのあとの扱いがどうなるかはわからない。でも今はその考えは湯に流してしまっている。

 ゆるやかでやさしい時が流れている。

 それは、メイディドウイフに来て初めての感覚だった。


」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」


 お風呂に入っていると、もういいかな、と思う時がある。そうなってきた。ついでなら、湯船から上がって長いタオルにたっぷりのボディシャンプーをつけて身体を洗いたいところだが、あいにくとそんなものはない。脱衣場すらなく、階段をあがればいきなりどぼーん、の温泉場だ。メイディドウイフが鎖国でなくて、日本とちゃんと国際交流していたらこうはならなかった。この国の独裁者が初めて入った温泉がこれだったので、もし私にもう少し自由がきくようになったら、ちゃんとした温泉場の設計というか提案をしようと思った。太后が聞いてくれれば、の話だが。

 私はのぼせそうになったので、上がろうとした。すると太后もそうしようと立ち上がった。やはりトシなのだろう、少しふらついたので、私は手を貸した。太后は私の腕に捕まった。大ぶりなドレスにティアラ、豪華な宝石でわからなかったが、素裸になると全身傷だらけの小柄なおばあちゃんだ。髪も濡れてべったりと頭皮に張り付いている。上がるといつのまにか入り口から階段まで白いバスタオルで埋まっていた。もちろん新品のふかふかバスタオル。どれをとってもいいように積み重なっている。バスタオルの森って初めて見た。私はその中の一枚を抜き取って身体を拭いた。太后ですらも! 自分の手で身体を拭いている。独裁者、王族とはいっても自分のことは自分でするのだ。ノックの音がした。同時に格子戸が開いた。ダミアンとレイレイだった。

 私はまだちゃんと着替えてないので「まだよ」と言いかけたが、ダミアンとレイレイは大丈夫なのだ。いつでも、時には太后のトイレやシャワーの部屋でも平気で入っている。彼らは信用されているのだ。そして今回は温泉場を私だけで二人きりで入った。この意味はすごく大きいのではないかと感じた。その感覚は当たった。

 私は格子戸を引くと先に歩いた太后が言った。

「めぐみ、××△×!」

 ごく短い単語だった。レイレイの方に顔を向けるとレイレイは「おしまい」とだけ一言だけだ。でも笑っていた。太后も。温泉はおしまいということか。臨時の豪華な掘っ立て小屋みたいな奇妙な温泉。

 ダミアンすら顔がゆるんでいた。私たちは鏡の間を通り、短い廊下を通り、いつもの私室に戻る。奇妙な温泉体験はそれで終わった。多分このプラスチック的日本の温泉は急ごしらえでそれで太后の好奇心が満足されたのだろう。いっそ日本に行って本物の温泉を体験したらいいのに、大金持ちだからやろうと思えばやれたのに。私はそう思った。

 それにしても太后の大きな古傷は衝撃だった。あれを見たのは多分私だけだ。そして……ダミアンとレイレイは私が温泉場でそれを見せられたことも知っている。多分。

 お腹の胎児がまた動いた。

 私にはまだ考える時間はある。たっぷりと。









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