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この人を見よ  作者: ふじたごうらこ
第二章 過酷な現実
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第35話・メイディドウイフ即席温泉・前編

 太后の鏡の間、謁見の間。この部屋を出入りするのは何度目だろうか。グレイグフ皇太子の結婚式の次の日だというのに、珍しいこともあるものだ。しかし昨日は私は坂手大臣のお土産のお菓子を独り占めで食べた。

 とがめられなかったのは、多分太后の子供をお腹に宿しているせいだろう。誰にも何もとがめられない。これを心にとめておこう。確かに。

「レイレイ、オンセンとは、日本の温泉のことね? まさかこのメイディドウイフで温泉に入れる、てことはないわよね」

 廊下には誰もいない。後ろにはダミアンが付いてきている。レイレイは足の速度を緩め、横顔だけ見せてにやりと笑った。

「まさかね……」

 やっぱりあの鏡の間である。エレベーターも下りない。そのまま私は室内に入った。私はこうしてメイディドウイフの国内の名所や自然、人々に触れることなく子供を産まされて死ぬのだろうか。そんなことをちらりと考える。レイレイがまた横顔を見せて笑った。私はそのレイレイのしぐさを不思議に思う。

「どうぞ、こちらに……」

 鏡の間であったが、様子が変わっていた。昨日はエレベータに乗るためにこの鏡の間を通過はした。その時は変わりはなかったが、ドアを開けるとまたドアがあった。いや、違う、ドアではない。よく見るとドアノブではなく、引き戸だった。しかも格子だ。宇留鷲旅館でもあった昭和ぽい引き戸だ。つまり鏡の間の中にもう一つ入れ子のように、部屋ができている? もしかしてオンセンというのは……?

「あっ、まさか……まさかね」

 私はそっと戸にさわる。レイレイの方を振り返った。

「温泉……もしかしてそこが……」

「めぐみ様、皇后さまはこの部屋の中に温泉を作られました。めぐみ様の体調をお気遣いになられたのです。無事出産できますように」

「……この鏡の間に温泉? この中に? では、昨日坂手大臣から温泉の素かなにかをもらって、一日で温泉を作ったってこと? 信じられない……」

「太后様はなんでもおできになるのです。日本に行った私や間接的に坂手大臣の話を聞いて、温泉を作ろうと思いたたれたのです。私たちはここで控えていますのでどうぞごゆっくり」

「待ってよ。太后が思い立って一日で温泉を? 坂手大臣はグレイグフ皇太子の結婚式に出て、ついでに温泉の話もしていったの?」

 私は大臣の顔を思い浮かべた。しわしわで温厚で人懐こいおじいさんだった。グレイグフ皇太子の結婚式に招待されて太后に会う。その時に、日本における温泉の効用の話でもしたのだろうか。なんとなくあの大臣だったらアリかも、と思った。それにしても、それで思い立って温泉を作るようにと一日で作らせる太后もすごいじゃないか。大金持ちのメイディドウイフの権力者ならではの話になるだろうか。

「それで太后は?」

「太后さまは先にお入りです」

「ま、まさか」

 太后の部屋で一緒に寝起きしているのでわかるが、太后のお風呂はユニットバスもヒノキぶろでもなんでもない。シャワーだ。あの人は。あんなに大金持ちでもシャワーだけで身体を洗う。ボディシャンプーや化粧水とかもわかるが、華美な装飾もない。メイディドウイフ語なのでわからぬが、日本にあるスーパーやコンビニで売っているようなごく普通の品物だ。人に命令する態度やわがままっぷりは権力者そのものだが、日常的な行動はごく普通なのだ。

 普段シャワーの人が温泉の話を聞いて、温泉を作る……もしかして太后はその中で日本の習慣通りに素裸になって温泉につかっているのか?

 レイレイはにこにこしていた。まさかね……メイディドウイフの太后の謁見の間、鏡の間で温泉場? 上には天井高く、豪華なシャンデリアが等間隔を置いてぶら下がっている。鏡の間の壁もそうだ。壁用に沿ったシャンデリアもきらきらと光っている。それなのに、温泉場? まさかっ。

 しかし鏡の間にもう一つ別の空間を作ったのは確かだ。箱の中に箱を作る感じで。鏡の間の中に部屋を作った。


 ホントに昨日、太后に連れられて貴賓室に行ったときはこの部屋を通ったがこんなものはなかった。そしてその日の午後、レイレイに連れられて皇太后に内緒でザラストさんの部屋にも行ったがその時も部屋はなかった。ということはマジで一晩で作ったということか?

 よく見れば日本的な格子戸は出来立てでつるつるだった。昭和の趣があると感じたのは最初だけでよく見るとぺらぺらで急ごしらえという感じもある。どこにも傷はないし、色だけは焦茶色だった。手で触ってみると木製でもなんでもない、単なるプラスチックだった。プラスチックに格子の柄を書きこんでいるのだ。それで日本的な温泉ぽくしているのだ。どういうことだろうか。

 私はさすがに驚いていた。よく考えてみれば私はほとんど太后後と一緒に過ごして同じ部屋で寝てはいても、ろくに会話もしていない。つまり、どういう人かもわかっていない。権力があって鶴の一声で軍人も殺せるのはわかるが、それだけだ。

 腹心のレイレイすらも私はわかっていない。ザラストさんもヨハンも。そこにいるダミアンも。そう、ダミアンの兄がヨハンであると言っていたな。私はそれも思いだした。

 とにかく温泉場? を作ったらしい。一体どんなものが、私は引き戸を開けた。



」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」



 開けたとたん白い湯気がもわっと出てきて、私は一歩引いた。

「し、信じられない。本当に温泉なの?」

 振り返るとレイレイとダミアンが同時に拝礼した。

「めぐみ様、どうぞごゆっくり」

「メイディドウイフで温泉に入れるとは……」

 湯気の奥から声が聞こえた。

「メグミ……」

 私は背中がぞくっとした。ほんと太后は亡くなった私の母と声がそっくりだ。毎度ぎょっとする。

 そして太后は温泉にすでに入っている。私はその声に導かれるように足をすすめ、格子戸模様の引き戸をそっと閉めた。

 そして湯気をかきわけるように中を伺った。





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