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この人を見よ  作者: ふじたごうらこ
第二章 過酷な現実
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第34話・坂手大臣のお土産

 スタブロギナ・プラスコヴィヤ太后。この人はこのメイディドウイフの独裁者で思い通りの人生を送っている。でもさすがに永遠には生きられない。人間は不老不死ではない。それでも独裁者は後継者が欲しいのだ。それも自分の血を引いた子供がいい。子供の父親は建国者のグレン将軍がいい。今の医学では可能なはず。太后自身も尊敬するグレン将軍のDNAをもった子どもで、血縁者に産ませたら完璧、というわけで私を無理やり妊娠させて一緒に暮らしましょ。それが太后の望み。

 私や日本政府の考えることもなんでもどうでもいいのだ。グレイグフ皇太子は魚のエサでそれを使って私を探し出させた。あげくに派手かつ陰湿な拉致で私をここに連れてきた。この人こそ私の人生も自由に操作しているつもりだ。今のところはね。

 この人、一体いくつまで生きている氣なのかしらね。


」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」


 そう、私は妊娠している。私のお腹にいる胎児は太后と太后の父親だ。それを考えると本当に気味が悪い。おぞましい。だってこの太后はそのためにだけ、私を日本から拉致したから。

 八十歳の太后はもう子供は産めない。だけど卵子を持っていた。太后の父親であるこの国の創始者であるグレン将軍のDNAをかけあわせたいわゆる試験管ベビーを私の子宮に埋め込んだ。おまけに私が暴れぬよう安定期までずっと眠らせていた。

 私を目覚めさせたと思うと、次の日がなんとグレイグフ皇太子の結婚式。いい加減にしろ。しかもこの太后は私に理玖のバレエを見せたことで、借りを返したと思っているのだ。本当にいい加減にしろ。


 ここまで考えて私ははっとした。実際の所、私は太后のことを何も知らない。彼女が何人子供を産んで何人育てていたのかも知らない。しかしグレイグフ皇太子が孫として存在しているのだから、少なくとも一度は結婚はしていたはずだ。一体どういう人生を送っている人なのだろうか。

 グレイグフ皇太子の結婚式を終え、太后は上機嫌だった。私でもわかるぐらいだ。八十才ならいい加減なおばあさんなのに、隠居する気がまったくないらしい。インターホンで軍服の誰かを画面に呼び出しては何かを命令したりする。小柄な金持ちの老婆にすぎないのに、ヘン。権力って何さと思う。

 太后のソファの端にちょこんと座ってぼんやりしていると、いきなり話しかけられた。命令の仕事が一段落したのか、いつの間にか両手に箱を持っている。濃いグリーンの箱だ。

「めぐみ。△◇!」

 太后が私にその箱を渡してきた。箱は和紙でできていた。緑色の千代紙? 色も抹茶色だが、ところどころ金箔が貼ってある。

「ヤポニカ△◇、、めぐみ。サカテ◎△◇、サカテ!」

 サカテと聞いて私ははっとした。坂手大臣のことだ。それと千代紙に小さな筆文字で漢字が書いてある。久々の日本語だ。そこには小さく「和三盆雛菓子」 とあった。その横にも筆文字で「第二十三代目雛宇治三条」 とある。私は胸が騒ぐのを感じた。皇太后を見ると頷いているので、そっと包み紙を破いた。

 すると宇留鷲旅館と墨文字で大きく書かれ、宇留鷲旅館の写真がさらに包み紙になっていた。私は思わず箱を持ちあげた。上ずった声が出る。

「うそ……これ、う、うるわし……旅館だ。おとうさんと……泊まった……外務省が用意したあの和風の旅館だ。宇留鷲旅館……坂手大臣はここのお菓子をお土産に持っていったのか……」

 私は旅館のおかみとお父さんに厚かましく言い寄ってきた娘、いやオバサンを思いだした。同時に袋小路先生と春見野筆子さんも。宇留鷲旅館は短い期間の滞在だったがいろんなことがあった。

 私は思いだしつつ、包み紙もはがした。すると銀色をした包み紙がまた出てきた。赤と白の水引きでツルが舞っている。太后が近寄って覗き込んできた。

「オウ、ヤポニカ、ハラショウ」

 私は皇太后も見ずにツルを引き抜く、すると待っていたようにひもが自然にほぐれてあの緑色の扇の形をした和菓子が整列して現れた。

「思いだした、私、あの宇留鷲旅館でこれを食べたわ!」

 私は皇太后に先におひとつどうぞともいわず、和紙をはがして一つ口に入れた。甘すぎない抹茶味が口の中でほどけていく。おいしい。

 懐かしさのあまりに泣きそうになった。もう一つ扇に手が伸びた。もう一つ。

 夢中で。私はまた一つ口に入れた。本当においしい。ここでケーキだのタルトだのさんざん食べたが、和菓子のやさしい甘さは世界中どこにもないに違いない。和三盆の日本だけのお菓子の味だ。本当に日本にはおいしいものがたくさんあるのだ。ああ、私、日本に帰りたい。

「メグミ」

 私は太后の呼びかけにも反応せず、次から次へとお菓子の包み紙を開けて口の中にいれた。それをしている間、私は日本にいるお父さんのこと、理玖のこと、大盛学園のこと、クラスメート、大豆バレエ教室のこと、バレエの発表会や文化祭の準備のことを思い出していた。なのに、私はなぜ、ここにいる?

 口の中で甘みがあふれているのに、心の中は苦い。私はどうなるのか。

「メグミ」

 皇太后が私の肩に手をかけた。太后に触られるのは初めてだ。あの屈辱の卵子植え付け作業以来だ。とっさに私は怒鳴った。

「一つもあげないわよ。全部食べてやる」

 そしてその通りにした。私はいつの間にか泣いていた。太后は何かをつぶやいたが、平気だった。包みにあった雛宇治三条のお菓子は全部私のお腹の中だ。私は足元にツルの水引きと散らばった和紙の包み紙を足で踏んづけた。それだけだ。太后は何も言わなかった。その後、私はトイレに行ったが、その間にメイドが現れたのか、包み紙、つまりゴミはすべて捨てられていた。一つが小ぶりな和菓子とはいえ、箱に入っていたものを全部食べたのだ。私が。そばにいた太后には一つもやらなかった。一つも。私は。

 太后は本当に何も言わなかった。ダミアンもレイレイも無礼をしたとかで飛び込んでこなかった。多分太后が騒がなかったからだろう。私ははじめて自分の思うように行動した。


 その日の夕食、レイレイは何食わぬ顔をして私に給仕をした。当たり前のようにパンとシチュー、簡単な肉料理だが、小皿に「お味噌」 がついてきた。ご飯はない。いつものフランスパンを切ったものと黒い色をした食パン、丸いパンがかごに盛られている。

 私がむすっとした顔で「何よこれ、ただ味噌を入れただけ? これをパンにつけろというの? ……ジャムか何かと間違えているの」 と怒ったらレイレイがぎょっとした顔で給仕の手を止め私に拝礼した。太后がレイレイに何かを聞いている。レイレイが答えた。太后は笑いだした。私は彼女の顔を見る。笑い声を初めて聞いたのでめずらしく感じたのだ。でも私は笑い返さなかった。こわばった顔はもう治せない。お腹の胎児が少しだけ動いていた。それだけだ。

 その日も長い一日だった。しかし太后は元気だ。八十才だが、杖もなしで歩く。寝る前に私にバレエストレッチを知ろと命令し、その間にパソコン通話でどこかの軍人と長い話をしている。

 寝る前にも太后は「めぐみ、ヤパン◎△△◎◇」 と言った。笑うのを我慢している声で。多分坂手大臣のお菓子のことを言っているのか。ちゃかされているようだ。一つ食べさせろとか、全部食べてしまったなとはさすがに高貴な身分なだけあって、言わなかったな。でも、皇太子を無事結婚させて上機嫌だった。

 私は返事をしない。ただお腹のふくらみを確認しただけだ。それからいつものようにシーツを頭の上まであげて目を閉じる。私たちの間に感情的な交流は一切なかった。そして私にはシーツにくるまり、考える時間がたっぷりあった。



」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」



 次の日。十時ぐらいだっただろうか。皇太后は早朝から正装してどこかに行っていた。レイレイも姿を見せない。でも、チャンスとは思わない。昨日の今日でザラストさんやヨハンとはすぐ会えないだろうと思っている。一人でこの部屋を出て探検するのは無理だ。多分ダミアンが控えているはずだ。もしくは鎮守兵や、近衛兵が。私はレイレイの手引きで太后にも内緒のことをしたのだから。昨日の事は奇跡に思える。

 夕方になっても皇太后が帰室せず、どうしたのか不思議に思っていると、レイレイとダミアンがやってきた。

「めぐみ様、オンセンのご用意ができましたので、行きましょう」

「は?」

 壁のバーにもたれてぼんやりとしていた私は聞いた。

「オンセン、意味わからない。日本語でいってくれる?」

 レイレイは根気よく私に説明した。

「坂手大臣からお土産にオンセンのモトをもらったので、一時的にお風呂というものを作ったのです。皇太后が先に入られたのですが、とても気に入られたようで今からめぐみ様も連れてくるように命令されました」

「坂手大臣からオンセンのモト? は? なんのこと?」

「待っておられます、どうぞこちらへ」

 お腹の胎児がまた大きく動いた。



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