第二十一話、時間が飛んだ、中編
私はどのくらい眠っていたのだろう。
眠っている間、私は大盛女学園のクラスメートと一緒に談笑し、大豆バレエで理玖と一緒にバレエを踊っていた。お父さんと駅前のまわるお寿司屋さんでお寿司をお腹いっぱい食べていた。家で刺繍や人形の服を作っていた。とても長い夢だったと思う。
その夢が破られた。
頭の外側から突然「リク」 という言葉が聞こえてきた。私はぼんやりとした頭で考える。
リク、その発音はなにかヘン。リク、リク……。
私は必死に考えてリクという言語の意味を考えつくす。
ええと……リクはもしかしたら理玖のことではないか。バレエが上手な私の自慢の友達、友永理玖ではないか。
そこまで考えが及ぶと私は思わず、目が開いてしまった。
同時に現実に引き戻された。
私のベッド周りには太后、レイレイ、ダミアンがいた。
公務の途中なのかきらびやかなドレスを着てティアラをつけた太后、執事服を流と着こなした美しいレイレイ、そして白衣姿のダミアン。ダミアンもとても美しく今日は上下に分かれているタイプの白衣でカラーがちょっとたかめで首が見えない。この三人のなかではダミアンの耳飾りが一番大きくてブルーカラーダイヤ? とダミアンの黒髪が対照的に目立って美しい。
だが私はこの美しいけれど私という人権を無視した腐りきった性根の三人の顔を見てがっかりした。ああ、イヤだ。このまま夢を見せてほしい。ここから出ることができないならば、私の心だけでも日本にいさせてほしい。私は私の過去の思い出の中で暮らしていきたい。
レイレイがほっとした顔をしている。
レイレイってこんな顔をしていたかしら?
レイレイ、ちょっとやせた?
ダミアンも髪が伸びた?
ダミアンが私を見て笑顔を見せている。
太后もそうだ。
私が目を開けると「めぐみ」 といって私の額にキスをした。
「えーちょっと」
私は迷惑そうに眉を寄せ目を閉じて太后のキスを拒否する。太后は傷ついた様子を見せたが私はもっと傷ついている。でも、えーと、私は何があっただろうか。えーと。
よくは思い出せないのでぼうっとした。
太后がレイレイに目くばせした。
するとレイレイが日本語で私に話しかけた。
「めぐみ様、お友達のリク・トモナガさまについて良いニュースがあるので太后様がぜひ聞かせてあげてほしいと申しております。聞きたいですか?」
私は頭の中で理玖という名前がスパークしたように感じた。理玖は私の大事な友達だ。美人でバレエが上手でおうちもお金持ちで私のあこがれの。
「ええ、聞きたいわ。理玖の良いニュースって」
太后がレイレイの方を振り向いて何か言った。レイレイも太后に拝礼しながら笑顔でいる。二人ともなごやかな感じ? 私が反応したから?
いやだ、私って何をしているのかしら。
ベッドでねていたのかしら。
私の腕からは例によって点滴のチューブが。
あれ、点滴?
いやだ。
私は身を起こそうとした。するとなんと太后が自ら私の背中に手をのばして私を支えようとするではないか。
「ちょっと……あの、いいですから」
私は拒否しようとしたが、どうも身体が重くて機敏に動けない。それでも理玖の良いニュースが聞きたくて身を起こした。するとレイレイが日本語で言った。
「めぐみ様、リク・トモナガは有名なバレエコンクールで金メダルを取りました。いずれこのメイデイドウイフにも来て私たちの前で踊っていただけるでしょう」
私は目を丸くした。
「えっ、ちょっとちょっとレイレイ、どういうこと?」
だしぬけに太后がふふっと笑った。そして私にうれしそうなはずんだ声で話しかける。
「めぐみ、△▽◇◇□▼△!」
レイレイが言った。
「よかったですね」
「どこのコンクールなの? 東京?」
「いえ国際コンクールです。スイスのローザンヌです」
「まあ、ローザンヌ? それ、本当? ロシアやブルガリアと並ぶあのローザンヌで?」
「そうです、リク・トモナガは立派でした。太后が決戦のビデオがあるので、今から一緒に踊りを見ようと言っています」
私は理玖がいずれ私も海外に出て大きな賞を取ってプロのバレリーナになりたいと言っていたのを思い出した。彼女はそのための切符を手にしたのだ。これは快挙だった。
レイレイは言った。
「日本でも大きなニュースになっています。よかったですね」
私は両手の頬を自分にあてて遠い地にいる理玖に向かって語りかける。私は自分の頭がゆっくりと回転しはじめたのがわかった。それよりも理玖の優勝がうれしかった。私は自分の唇が自然に上に引き上がっているのを自覚した。ああ、私は今、微笑んでいる。
「理玖、すごいじゃないの、今年の六月に地元の小さなバレエコンクールに初めて出場してそしてこんなに大きな国際コンクールに優勝するなんて、理玖、本当にすごいわ」
太后がうれしそうに私を見て微笑んでいる。私の手をとってベッドから降りろと合図している。
「太后さまが理玖の踊りを一緒に見ないかと誘っておられます」
「いいわ」
私はベッドのシーツをのけた。レースでふわふわのネグリジェを着ていた。簡略的なムームーではない。あれ、こんなのいつの間にきていたのかしら。シーツも重量があるシーツだ。毛布というほど重くも軽くもないが分厚い。そして暖かい。私はハダシのままの足を下ろすと胸がつかえるような気がした。しかも久々に足を下ろす感触で今までのなじんだ自分が自分でないような感触がする。
「あれ? 私ってこんなのだったけ? 長く寝ていたせい?」
……めぐみ、危ない
……危ない、めぐみ、
めぐみ……危ない……
いきなり母親の声が聞こえた。空耳だ、これは。私は首を振った。
同時にローザンヌって確か毎年冬にやっていたのではなかったかしら。えーと、今は冬ではないでしょう? そこまで考えると私の身体は凍り付いたようになった。私は横についているレイレイに言った。
「レイレイ、ちょっと待って。今は何月なの?」
レイレイは太后をちらと伺いながら、私に恭しく答えた。
「はっ、めぐみ様、あなたはずっと眠っておられたのです」
「私が眠っていた? どのくらい? 今は何月なの?」
太后が何か言っている。私は無視してレイレイに話しかけた。自分の声が上ずってくるのがわかる。
「私はどのくらい眠っていたの? どのくらいなの? そして今は何月なの?」
レイレイは深く頭を下げた。ダミアンも同時に。
「はい、ただいま、二月、で、ございます」
「二、二月。うそ。だって私が日本に出国したのは八月よ。夏だったのよ。どうしていきなり冬になるのよ? クリスマスとお正月はどこにいったのよ?」
私は混乱している。混乱しながらも二本の足でしっかり下ろして床に立つ。やはり身体が重い。太后が私を支えようとしている。年寄りの太后の方がどうみても元気そうだ。胸やお腹が重苦しい。私は無意識に手をお腹にやった。するとお腹の下の方がちょっとだけ膨れている。さわると奥の方がこりこりして固い。いや、ひどくはない。ほんの少しだけ盛り上がっているような?
「……ちょっと、何よ、これ」
まさか、という考えが頭の中にある。同時にお腹の中のものが自分の意志を超えてもぞりと動く感触がした。私は悲鳴をあげた。その悲鳴は途切れなかった。私は自分が悲鳴を上げているのに他人事だった。悲鳴を上げている私が考えていることは理玖がローザンヌで賞を取ったならばどんな踊りをしたのかしら、ということだった。そして悲鳴を上げ続けている私を、自分を、もう一人の自分がというより自分の魂が天井の上からまるで他人事のように見下ろしていた。
この感触はなんともいいようがない。
どういってよいかわからないけれど、自分の身体と自分の魂というか意志が離れているような感じだった。
太后とレイレイが悲鳴を上げている私をまたベッドに寝かせようとしている。ダミアンが点滴を操作してもう一本注射のアンプルを取り出して中の液体を入れようとしていた。その瞬間私は崩れ落ちるように眠った。なので天井から我が身を見つけていたもう一人の私もまた眠ってしまった。
そう、私はいつのまにか妊娠してそのまま眠り続けて年が明けたのだ。ローザンヌは確か毎年冬にあったはず。いつのまにか冬が来ていたのだ。そして私のお腹に私の意志に反して宿った赤ちゃんが大きくなっていたのだ。
ああ、私はこの過酷な現実に堪えられない、気が狂う、狂ってしまう。
さあ寝てしまう、寝てしまうがよい。
私は寝てしまうがよいのだ。
そして私はそのまま死んでしまうのがよいのだ。
そう、それが一番よいのだ。




