第十八話、私に起きた最低な出来事
部屋の前には消毒剤の匂いがつんとした。あれと思いつつ太后の後ろについて歩く。部屋にはいつもより大量の花が飾られている。床にも邪魔なぐらい。それも花弁が多い丸い花。私は一瞥してあっと思った。
これはダリアの花だ。
濃い橙色の花が多いが赤いもの、黄色いもの。たくさんあった。中には花弁のふちが濃い赤で中が薄い黄色、また濃い紫色だが中は真っ白といった変わり種もあった。ダリア、こういう花だっけ。かわいい花だ。メイデイドゥイフではたくさん咲いているのだろうか?
下に置かれた大量のダリアの花を観賞していたがはたと足を止めた。部屋の中にはダミアンがいたのだ。ダミアンは白衣ではなく、緑色の手術着を着ていた。何かが始まる。奇妙な恐怖を覚えて私はぱっと身を翻して謁見の間に戻ろうとした。レイレイが私を押える。
「いやよ、放してよ」
レイレイの力は強かった。しかもレイレイは私を見据えつつ私を見ていない。何かを仕留めようとしている。何かをしようとしている。いや、私は何かをされようとしているのだ。
「怖い、放して、放して」
暴れても私は軽々と抱き上げられた。ダミアンが私の脚を抱えた。
太后の私室はいつものソファがすみによせられ真ん中に細長いベッドがある。ベッドは革張りで色は緑色だった。つまりこれは手術室のようだった。
下はダリアの花で埋もれているのに、上は緑色のベッド。ベッドの右側に硬そうな小さな枕があり、左側には白いシーツが小さく硬く折りたたまれていた。ベッドの真ん中には握り棒があり、そこに二つずつ輪っかがぶら下がっている。反対側にはベッド横からライトがあった。部屋には明かりがあるのにさらにベッドの上をライトでより明るく照らしているのだ。緑色のベッドの端だけが禍々しい明るさで照らされている。横にこれまた銀色に鈍く輝くワゴンがある。ワゴンの上にも白い布がかけられていて何があるのかわからない。
私は抵抗も虚しくそのうえに載せられた。
暴れながら急に私は昔小さなころに手術室に入っていたことを思い出した。
例の交通事故でお母さんは私をかばって死んだが、私は無傷とはいかず足の手術を受けたのだ。こんな緊急事態なのに昔のことを思い出している場合ではない。
太后の部屋の天井は空が見えず、見慣れてきた鏡の壁とバレエストレッチ用のバーまでもが白い布で覆われている。大きな国旗や肖像画も白い布で覆われている。四つの大きなテレビ画面までもが白い布で覆われ何も見えないようにしている。その中心のベッドに私は載せられ手足を固定された。
「いやよ、放してよ、怖い、放してよ」
太后が私の右側について何か言っている。怖がらなくてもよいのよ? か。バカ、そんなことで安心するものか。私は太后に向かって怒鳴った。手足が固定されてその分感情がたかぶってきたのだ。過呼吸? それどころではなかった。過呼吸なんかどこかに行ってしまった。私はもしかしたら殺されるのかもしれないから。
太后が黙って私のお腹に手をあてた。ふいに私は黙った。太后が私の顔を覗き込むようにしてにっこり笑った。その笑いに奇妙でかつ不気味なものを感じて私はぞっとする。それからまた身をよじって手足の拘束を解こうと暴れた。太后が何かいうとレイレイが私の方にやってきた。
「めぐみ様、大丈夫です。何もこわいことはありませんよ?」
どうやら太后は私を安心させようとレイレイに通訳を命じたに違いない。私は久しぶりにレイレイと目線をあわせて日本語に接した。私は知らずに涙をこぼした。
「レイレイ、あなたは私をこんな目にあわせるために私を日本から連れ出したのね? 私の内臓のどこかを使うつもりなのね? 太后のためにどこか手術するのでしょう? ならば私を大事にする理由がわかる、唯一の血縁者である私を……」
私が泣きながらレイレイに訴えるとレイレイは困ったように言った。
「いえ、それは違います。めぐみ様、あなたは死ぬのではないのですよ、太后はめぐみ様の臓器をとるなんて一言もおっしゃっていません」
太后がレイレイに何か言うとレイレイは返事した。どうやら私が太后のために臓器を盗られると思っていたようです、とかなんとか? 太后はおかしそうに「ほほ、ほほほ」 と笑っている。それから私に向かって首を振った。では違うのか、何がはじまるのか。でもこうして私の手足を縛っている以上、私の嫌がることが始まるのには間違いない。その証拠にダミアンとレイレイは笑っていない。ダミアンがとても緊張しているのがわかる。
太后は私のお腹をなでてさすっている。そしてとてもやさしい声で「……れびょうのく、れびょうのく」 と言う。歌うようなやさしいそして小さな声。子守歌?
やがてダミアンが何かいうと太后は私のスカートをたくしあげて下着を脱がそうとした。股の間にすっと風が通る。私は足を閉じようとするができない。太后が私の足元にまわって私の下半身を眺める場所についた。そして両手を私の脚の間につっこもうとした。なんとダミアンとレイレイが手助けをするのだ。
強制わいせつ再び!
私は大きく目を開け、両足を閉じようとするができない。太后はやすやすと私の下着をはずした。拘束された左足首まで丸めた下着を持っていく。太后の淡いブルーの目がイヤに輝いている。あの時と同じだ。あの時、あの時と。
やっぱり、強制わいせつをするのだ。ひどい。絶対にイヤだ。
「何をするんですか、いやよ」
また初対面であそこに指をつっこまれる感触を思い出して私はぞっとする。
「やめて、やめて」
太后がレイレイに何か言った。即座にレイレイが私の方を向いて日本語で言った。
「じっとしていたらすぐに終わるとおっしゃられています」
「レイレイ、何をするの、何をはじめるつもりなの?」
わめいている私の下半身にばさっと緑色のシーツがかけられた。それから足の拘束が上にあげられる。つまり私の陰部が丸見えになるのだ。ダミアンがワゴンの布を取り何かの器具を触っている。何かかちゃかちゃいう音、何かがある。それが私にとっていいものではあるはずがない。
レイレイは何か金属の入れ物を大事そうにもっている。入れ物には湯気が立っている。いいえ、違うあれは湯気ではない。逆だ。凍っている。冷たいものだ。冷気が寝ている私の上まで漂っている。私は怖くなって叫び続けた。
「放して、私を日本に帰して」
レイレイが困っている。
「めぐみ様、これも太后のご意志です」
「なんなの、これはなんなの?」
レイレイが太后に何か言った。太后は頷いた。それから私の頭の方にやってきた。大丈夫よというように笑顔でいる。私がこういう状況なのにどうして笑顔でいてられるのだろう。これで太后が私のために何かをするのではないことがはっきりわかる。今から私に何かをするのは、太后がするのだ。私の身体に何をするの、何がはじまるの。手足の自由はきかないし、私はもうどうしてよいかわからない。涙を流して顔を振るばかりだ。
レイレイが口を開いて説明するのと同時にダミアンが私の下半身に触る。同時に太后が私の髪にさわる。彼女は微笑んでいる。私がこんなに怖がっているのにおかしそうに微笑んでいる。なんということ! 太后の香水と化粧品の薫りが私の顔面を覆う。私はなおもしゃがれた声で叫ぼうとした。
レイレイの声が遠くから聞こえてきた。
「……太后の許可を得ましたのでご説明します。めぐみ様はこれから太后の卵子とメイディドゥイフの創始者グレン・メイディドゥイフ将軍のDNAで妊娠していただくのです。それが太后のお望みなのです。めぐみ様はそれと引き換えにメイディドゥイフの国母として君臨を……」
太后が私の髪を優しく撫で、頬にキスをする。その間ダミアンが私の下半身をこじ開け何か器具をつっこもうとしている。ダミアンを蹴飛ばしてやりたいが足を固定されているのでできない。太后が私の胸もそっと触る。殴ってやりたいがそれもできない。手も固定されているからだ。
顔を横にむけてできるだけ太后との接触をさせようと顔を横に向けるとレイレイの脚が見えた。レイレイの脚の付け根から何かがつきでている。
なにコレ?
私はレイレイの「それ」 を見た。
私には男性経験というものはないけれど、「その状態」 がどういうことかはわかる。
レイレイはこんなみじめな私の状態を見て困ったように通訳しつつ、勃起させていた。
私はより大きく目を開く。レイレイがさっと私の顔に目隠し用のタオルをかぶせた。視界がタオルの白さになる。蛍光灯の明るさはタオルを通してもなお陰らない。私はタオルを振り落とそうと顔を左右に強く振った。
レイレイの手がタオル越しに大きく広がってきたのがわかった。とたんに視界がもっと暗くなった。
許せない、みんな許せない。
私が妊娠?
そんな大事なことを私の知らない間に用意して私の知らない卵子と精子を入れる?
それが何?
許せない、絶対に許せない。
私はずっと助けて、と、叫んでいたと思う。
しかしその確信はない。
全身をうっとりとした表情でさわり胸やウエストを撫で揉んでいる太后、それを咎めず私を無理やり妊娠させようと手伝うレイレイ、ダミアンをも許さない。私が何を叫ぼうが何をしゃべろうがこの人たちには最初から関係なかったのだ。私にメイデイドゥイフの習慣や言葉を教えたりはまったくなかった。私はメイデイドゥイフに呼ばれたに過ぎない人間だったのだ。私の身体だけが欲しかった。いや、私の子宮だけが欲しかったのだ。だから彼らはこの私の感情には無関心なのだ。無関心だから私なんかどうでもよいから太后と一緒に過ごせたのか、それだけ見くびられていたのか、私は。
周りが暗くなっていく。そしてまわっていく。部屋がゆっくり回転していく。タオル越しにうっすらを見える太后の顔がたてに横にと揺らいでいる。しかし呼吸ができなくなった。酸素、酸素が足りない。酸素が。
それきり私の意識は遠のいた。




